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旅へ

枯野


  行き行けば
  枯野に沖あり
  その沖をめざし
  人は
  旅する

「騒がしい何かが通り過ぎる」のを避けるために本当はクリスマス前に旅に出るはずだった。が、いざとなると何かと雑用ができて出発が遅れてしまった。むかし或る人に「あなたの山行きは何かから逃げ出すためでしょう」と言われた。たしかにそうかもしれない。ボードレールに憧れ、「家を捨て、友を捨て、全てを捨てて落莫たる荒野に立つ」などとカッコいいことを言いながら現実には俗臭芬々たる状態から抜け出せないでいた。その自己矛盾から逃れるために旅に出、山に登ってきた。

 家内の死を機に現役を引退し墓守でもしようと思ったが、いまだに俗界を泳ぎ回っている。三つ児の魂百までというわけか。

  でんでんむしは
  哭かなし
  悲しみは殻に詰め
  黙って どこかに
  捨てに行く

 どんな悲しみかは書けない。悲しみは哀しみ、漠然とした憂愁の思いとでも言っておこう。短い旅で解決するとも思えないが、とにかく東京を離れたい。正月4日に抜けられない用事があるので一旦帰京、5日から再び旅に出る。

 皆さん、良い新年をお迎え下さい。 
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by 杜の小径  at 04:50 |  日記 |  comment (3)  |   |  page top ↑

霧生 002


霧生 005

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by 杜の小径  at 01:15 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

 イイギリ・飯桐…キリの無い話

飯桐


 先月29日の日記に閻魔堂の、その翌日には愴浪泉園のイイギリのことを書いた。今朝、国分寺駅まで歩くついでに閻魔堂を覗いてみた。そこには見事に変身したイイギリが聳えていた。葉を落とした枝は真紅の実に覆われ、まるでXmas Eveに合わせて巨大ツリーを立てたようだ。
 今日も樹上には十数羽のヒヨドリが群れている。ふっと一つの疑問が涌いた。あれから1ヶ月近く経っているのに赤い実はちっとも減った様子がない。なぜだろう。そういえばイイギリに集まるのはヒヨドリばかりで他の野鳥はあまり見たことがない。試しに地上に房ごと落ちている実を噛んでみた。不味い。色、形からガマズミやナナカマドのようなやや酸味のある爽やかな味を想像していたが大違いだった。それに硬い。そう、ちょうどナンテンの実のような味だった。これで他の鳥が寄りつかない訳が解った。とするとヒヨドリはよほどの味痴ということだろうか。
 
 数年前の冬、名古屋に住むTさんから1枚の写真が送られてきた。彼は教え子のご主人で趣味で鉄砲猟をする。正確に言うと、していた。殺生に嫌気がさしたとかで今は止めている。その日、猪を追って谷際まで来ると、対岸に一箇所火のように真っ赤なものが見える。渓を渡って確かめると燃えるように紅い実を付けた巨木が聳えていた。見たことの無い木、何だろうと写真に撮って私宛に送ってきた。図鑑で調べてイイギリであることが判った。実はそれまで私はイイギリを見たことがなかった。故郷の天竜河畔には無い樹木だった。図鑑によると九州、四国など西日本を中心に分布しているということだから、東日本で分布したのはここ数十年のことかもしれない。イイギリは飯桐と書くが分類学的には桐の仲間ではない。キリがゴマノハグサ科に属するキリに対し、イイギリはイイギリ科イイギリ属という独自の地位を主張している。幹がやや白っぽくて桐に似ており、木材としてもゲタなど広く利用されることからキリの名を頂戴してしまったらしい。
 昔、この木の葉でご飯を包んだことから飯桐という名が付いたという。万葉集の有間皇子の歌に「家なれば笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る」とある。椎の葉に較べればイイギリのほうが飯を包むのに適しているとは思うが、古歌の中に飯桐を詠ったものは見つからない。学名の Idesia はオランダの植物学者の名前からとったというからオランダが原産地かと思ったら、世界の熱帯を中心に89属800種も分布しているというので驚いた。近年になって日本に渡来したものか、在来種だが違う名前で呼ばれていたのか私は知らない。ご存知の方がいたら教えていただきたい。
 
 私が桐の一種と思っていたように、古代の人たちも桐として扱ったのだろうか。万葉集には、大伴旅人が藤原房前に送った琴に添えた桐の歌があるが、この琴は梧桐、すなわち青桐でつくられたとある。桐に因んで思い浮かぶのは、源氏物語の最初に現れる光源氏の母、桐壺の更衣。身分はさほど高くないが、時の帝(桐壺帝)に寵愛されたため、女御たちに妬まれ、早世した美女である。庭に桐が植えられている桐壺とよばれた淑景舎(しげいしゃ)を控え場所としていたため桐壺の更衣と呼ばれた。が、その桐がどんな種類かは定かでない。枕草子には「桐の木の花、紫に咲きたるは、なおをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木(ことぎ)どもとひとしう言うべきにもあらず」とある。紫の花というのだからイイギリでないことは明らかだ。芭蕉の句「わが宿のさびしさおもへ桐一葉」の桐も種類は不明。桐一葉落ちて天下の秋を知る」という成句は、漢の書「淮南子(えなんじ)」の説山訓の中の「見一葉落、而知歳之将暮(一葉の落つるを見て、歳のまさに暮れんとするを知る)」に由来するのだが、何の桐かは判らない。

 桐という漢字がいつごろから用いられているかというと、奈良時代初期に編纂された『出雲風土記』には赤桐、白桐が、『万葉集 巻五』には梧桐が、記されている。しかし、これらが今日のどの桐に当たるかについては定説が無い。万葉集のおよそ150年後に成立した『新撰字鏡』には、梧と桐の字が挙げられている。『新撰字鏡』の約20年後に成立した『本草和名』には、岐利之岐として、青桐、梧桐、白桐、綱桐の名が記録されると共に、それぞれに注釈が付けられている。その記載には青桐には茎皮青旡子という注釈から今日のアオギリであることが、白桐には三月花紫という記載から桐と名のつく樹木で花が紫のものはキリのみであることから、白桐はキリであることが判る。いずれにしてもイイギリ(飯桐)に比定できるような記述はどこにも見つからない。結局、キリの詮索はキリが無い野で、この辺でウチキリとしたい。

       (写真は閻魔堂のイイギリ) 




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by 杜の小径  at 01:06 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

柳瀬丈子さんのエッセイ

柳瀬丈子

矢立


 去る19日の日記に、柳瀬丈子さんからご尊父である宝井馬琴丈遺愛の筆を頂戴したことを記した。その後、柳瀬さんから「ベンツと矢立」というお父上の思い出を綴ったエッセイが寄せられた。それによるとこの筆は、亡き父上の遺品を国立劇場資料室に寄付されたあと遺された数少ない形見の品だったようで改めて恐縮している。その経緯を記録しておきたいのと、その文章がまことに味わい深いので、ご本人の了解を得て全文を紹介する。

「ベンツと矢立」                         柳瀬丈子
 講釈師という父の仕事が、よそのお父様方のそれとかなり違っていると気付いたのは、うかつにも小学校の終わり頃だった。あなた宝井馬琴という人の家に同居しているの?」と友達に言われて、こちらは目をパチクリ。そういえば、わが家の表札には父の芸名と本名が二つ並んでかけられていた。
 父は、昼の間だいたい家で書きものや調べものをして、書斎と茶の間を行ったり来たりしている。父の書斎には珍しいものが沢山あって、子供の頃から気になる場所だった。例えば刀の鍔(つば)、四角い穴のあいた古銭、十手や龕燈(がんとう)、矢立(やたて)などなど。
 機嫌のいい時は「どうだい、いい細工だねぇ。昔の職人はえらいもんだ」といくつか手に取って見せてくれた。父がそうした物を集めていたのは骨董趣味というより、あくまで自分の話に肉けするため、実物を手で触れて確かめたかったからに違いない。
 時折お弟子さんがやってきて、張扇(はりおうぎ)の音と稽古の声が聞こえてくる。しばらくして「出かけるぞー」の一声。家中で着替えを手伝い、カチカチと切火をして送り出す…というとまるで講釈の中の任物がそのまま現れたように思われるかもしれない。
 ところが父は、あれで結構新しい物好き、それも機械物好きであった。
 最初に凝ったのはカメラだったろうか。私が覚えているのは二眼レフのローライ・フレックスで、七五三の晴れ着を着た日、ランドセルを背負った入学式の日など、よくこの箱型カメラの前に立たされた。一時は引き伸ばし機まで買って押入れに首を突っ込んでいたのだから、相当な入れ込みようだった。
 戦後間もなく、かなり高価だったベル・ハウエルという十六ミリカメラを買い込んで、目を細めて撫でまわしていたこともあった。
「師匠にはちょっともったいない代物だなア」などと訪ねてきたプロのカメラマンに言われると、「すぐに言うことをきくような機会じゃ面白味がないやね」などといっそう顔をゆるめている。きっと本人は、むずかしい馬を乗りこなす曲垣平九郎の心境だったに違いない。
 おかしかったのは、進駐軍払い下げの大きな洗濯機を買ってきた時だ。およそ家事などしたことがない父が、家中の洗濯物を集めて、一日中から立ち昇る泡を見張っていたが、やがて「こんなもんまで作っていた国と戦争をしちまったとはなァ……」と一言。
 だが、何といっても極めつけは車だったろう。一台目はインデアンというオートバイで、いきなり皇居前広場で練習をしたというのだから驚く。「お巡りさんに叱られなかった?」。当時小学生だった私が時の父の答えがふるっている。「だってお前、お巡りさんがいるから何があっても安心なんじゃないあか。もっとも街を走るのは免許を取ってからにして下さいって言われたよ。アッ八ッハッ……」。
 いやはや今では嘘のような話である。
 それからダットサン、ヒルマン、オペルと父の車遍歴が始まった。当時の国産車のレベルは今とは比べものにならず、父の目が欧米車に向かったのは自然なことだった。相性がよかったのか、オペルとはかなり長いおつき合いが続き、この車で新緑や紅葉を見に家族はずいぶんあちこち連れて行ってもらった。
 そして、ついに念願のメルセデス・ベンツを手に入れた時の父のうれしそうな顔といったら……。
 寛永三馬術を十八番にしていた父は、いつも愛車を馬に例えていた。「エンジンの唸りでもその日の機嫌がわかるんだ。かわいいもんだよ」。
 ところで父は、「講釈師、見てきたような嘘をつき」といわれるのが何となく気に入らなかったようで、「先代は、“講釈は足で作れ”と教えてくれた。だから芸人は古戦場でも城跡でも見てきたうえで、嘘ではなく夢を語るんだ」と口癖のように言っていた。そしてその言葉どおり自分の演目の舞台となった場所には何度も出かけていた。
 そこで活躍するのが愛馬ならぬベンツなのだが、その時父の扮装(いでたち)はと見れば、紋付袴に威儀を正し、懐には和綴のメモ帳、腰には矢立、ドライブマップの隣には古地図や城の絵地図が並び、後部座席に置かれた瓢(ふくべ)には、深夜疲れを取るために一口だけ飲むウイスキーが入っているというぐあい。
 身のまわりの物の和洋折衷ぶりについて父は「古かろうが新しかろうが、目の色や髪の色がどうだろうが、作った人間の心意気が伝わってくる物がうれしいじゃないか」と 
ケロリとして全国を走り回っていた。
 父が亡くなって書庫いっぱいの本や資料は、相談の末に、国立劇場の資料室に寄付させていただいた。父の“とっておきの品々”は広く公開して、必要な方々に役立てていただくのが一番だ。言い出しっぺ私は、ほこりまみれで七十八個分のダンボールが運び出されるのを手伝ったが、ふと手にしたこの矢立とは何だか離れ難く、そのまま手許に残してしまった。今では数少ない父の形見、いずれ私もこの矢立を腰に下げ、旅先で一句書きとめるような時を持ちたいものと思っている。


五代目宝井馬琴(たからいばきん)のプロフィール
本名、大岩喜三郎。1903年(明治36年)11月9日、愛知県内海町で生まれる。四代目宝井馬琴に入門、琴桜・琴鶴を経て1933年(昭和8年)に五代目宝井馬琴を襲名。1985年(昭和60年)10月26日に死去。享年82歳。芸術祭優秀賞、NHK放送文化賞などに輝く講談界の人間国宝的存在だった

柳瀬丈子(やなせたけこ)さんのプロフィール
五代目宝井馬琴の長女として東京で生まれる。早稲田大学文学部卒業。昭和44年~47年 NHK TV「こんにちわ奥さん」の司会者として鈴木健二アナとのコンビで活躍。以後、TBS「奥様道場」「もしもしスタジオ」、KHB「いま、第三の灯は」「ファミリー・サイエンス」などの司会、キャスターとして生活情報番組、教育番組にかかわる。その他文部科学省、郵政省、経済産業省、総理府などの各種審議会委員をつとめる。この間、新川和代、吉原幸子両氏の「ラ・メール」に参加。現在「五行歌の会」同人。主な著書:詩集『やさしいメフィストフェレス』(市井社)、『青のブーメラン』(思潮社)、訳詩集『プリワト』(講談社)、五行歌集『夜明けの河』(市井社)。

   (写真は柳瀬丈子さんと矢立)





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by 杜の小径  at 21:54 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

思い出の六日町

石工の道


 昨夜の落語会で晩くなり珍しく朝10時過ぎに入浴。冬至というので柚子を浮かべてゆっくり入ろうと思っていると電話が鳴った。
「Sですけど、ご無沙汰しました。お元気?」
「こないだ、ご主人に電話しといたんだけど…」
 先日、着物の仕立について相談したいからとご主人に伝言しておいたが、連絡が無かった。そのことを聞いたのだが、こっちの言うことは無視された。
「あらっ、入浴中なの? 声にエコーかかってるわよ」
「うん、後で電話する」
「いいわよ、すぐ済むから。テレビ電話じゃないから見えないわよ。わたし、田舎に行ってたの…」
「十日町?」
「違う、4日多いわよ。ム・イ・カ・マ・チ…六日町。しょっちゅう間違えないでよ。それでね、田舎の土産を届けたいの、1時間後に伺うわね」
 こっちの都合もろくに聞かないで、さっさと電話を切ってしまった。雨の予報で慌てて取り込んだままの洗濯物が頭をかすめる。風呂を途中できりあげ、とりあえず山積みされた洗濯物を寝室に押し込む。コーヒー・ドリッパーのスイッチを入れる。
 
 Sさんは着物の仕立をお願いしている方である。ここへ越してきて直ぐからだから、かれこれ6年の付き合いになる。バス停二つ分と家が近いこともあって、着付から着物の収納なども相談に乗ってもらっているる。そのうちにご主人とも親しくなって、夏には釣果の鮎を届けてもらったりしている。市内にある大きなゴルフ場に地主とかで、釣りとゴルフに明け暮れる結構なご身分のようだ。奥さんのほうは縫製の他に着物のモデルをしているが、ゲートボール公式審判員という変わった肩書もっていて各地を飛び回っている。

 ぴったり1時間後にSさんがやって来た。せっかく部屋を片付けたのに玄関先に土産をドッサッと置くと、まだ2箇所回らなければならないのよと、さっさと帰っていった。車でご主人が待っているようだった。
 お土産はお米、野沢菜漬、味噌漬、酒粕。お米はもちろん魚沼産コシヒカリ、野沢菜漬は信州などでも作られるが六日町のものは遥かに大きい。茎の太さは親指ほどもあり葉先まで1㍍近くもある。ハリハリとした歯触りと仄かな酸味が特徴。味噌漬は越後味噌に漬けられていて味噌も食べられる。酒粕は「酒の実」と名付けられた銘酒八海山のもので粕汁に最適である。

 ゼンギ、いや前置きの長いのが私の悪いクセである。Sさんのお土産に触発されて六日町に関わる思い出を書くつもりが脱線してしまった。Sさんからフキの薹、ワラビ、ゼンマイ、アケビなどを戴いているうちに六日町が好きになり、これまでに2回訪れたことがある。最初は4年前の正月。温泉に浸りながら百名山の八海山、越後駒ケ岳、巻機山、さらにそれに連なる金城山、坂戸山など雪山を眺めた気分は最高だった。この坂戸山は全体が上杉謙信の養子となった上杉景勝の居城址で、春に訪ねたときには頂上付近・桃の木平まで登山道両脇をカタクリの大群生が続いていた。夜は越後の名峰の名を冠した銘酒・八海山を清流魚野川で獲れた岩魚の炭火焼を肴に飲む。仲居さんが歌ってくれた「お六甚句」も忘れられない。

  「♪吹雪く窓なりゃ 届かぬ想い 心細かな 縮のあやを
          織って着せたや  織って着せたや主が肩♪」
 
 この「お六」とは、直江兼続の少年時の名・与六に因んだものと言われる。
 
 六日町にはいろいろな思い出があるが、2度の旅でいちばん印象に残るのは「石工の道」である。畦地バス停を起点に三国川ダムを回り野中バス停まで約3時間の行程は目立った観光地もなく、知る人の少ない地味な場所である。江戸時代の末期、魚沼郡五十沢舞台村(現南魚六日町字舞台)に太良兵衛という石工がいた。作品はなんと3千点。この「石工の道」では路傍にそっと佇む太良兵衛作の石仏や供養塔などに出合うことができる。彼のの作品は絵画のサインのように、前面左下に△|マークが刻まれている。太良兵衛について詳しく知りたい方は『太良兵衛の石仏』(曽根原駿吉郎著、講談社刊)を読まれるといい。著者の曽根原さんは村人にさえ忘れ去られていた太良兵衛に再び光を当てた人で、この本は太良兵衛に関する唯一の参考文献である。この道を歩きながら私は夢うつつの中に太良兵衛が石を削る槌音を聞いた。当時の日記には次の作品が記されている。思えば、この一篇の詩を置くために随分回り道をしたことである。以って駄文の見本として戴きたい。

   峡の奥に      ■峡=かい
   槌の音響き
   墓になるまで
   石
   削られる

      (写真は思い出の六日町「石工の道」)






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by 杜の小径  at 01:32 |  日記 |  comment (1)  |   |  page top ↑

両国落語会

林家正楽

柳家権太楼

三遊亭鳳楽


夕方から両国・江戸東京博物館へ、小学館主催の第4回「らくだ亭」を聞きに行く。入場料4000円のところ同社川崎さんのご好意で無料招待にして下さるというので、野鳥の会有志を7名をお誘いする。皆さんは都心のクリスマス電飾を見物すると揃って出掛けたが、小生は会場で待ち合わせる。ダイオードの煌きは昨夜アークヒルズで堪能したばかりだし、正直に言って、ああいうキラキラした飾りは好きでない。

 出演は楽紙切の林家正楽、柳家権太楼、柳家さん喬、三遊亭鳳楽で、落語界の団塊世代と言われる中堅4人組。柳家権太楼の「かけとり」、さん喬の「火焔太鼓」もそれぞれ熱演だったが、トリをつとめた鳳楽の「ねずみ穴」がしんみりとした語り口で好かった。正楽の紙切りは名人芸に近づきつつあるが、先代に較べるとスピード感に欠ける。紙切り中のトークにも一段の工夫が望まれる。

 (写真:左から正楽、柳家権太楼、鳳楽)





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これぞハーレムのジャズ

 ナブコ

シーラ


 12月20日(木曜日)晴。風が無いせいか比較的暖かな一日。
 霧生ナブ子さんのライブを聴きにサントリーホールへ。同行は一川さんはじめ田村さん、あひるさん、ポリゴンさんと、期せずしてシングル美女ばかり。前から6列目中央という特等席に陣取って心ウキウキの3時間であった。

 今回の公演はNY・ハーレムで活躍中のナブ子さんの凱旋ライブと言えるものだが惹句は「Nework HARLEM JAZZ MESSENGERS with SHEILA JORDAN」となっているようにメインゲストはシーラ・ジョーダン。彼女はスキャット・シンガーとしてはもちろん、バラードのエモーショナルな解釈においても唯一無二な味わいを聞かせる世界一流のシンガー。たしか80歳近いはずだが、まるで少女のようにあどけなく声も若々しい。加えてナブ子さんの夫君ジェームス・ゾラーが参加した。彼はデユーク・エリントン楽団、カウントベイシー楽団のメンバーで、あのマドンナのミュージックビデオにも出演している世界的トランペッター。更にヴォーカル陣はテイシー・ザ サードとサッチョル・ヴァサンダニ。コンガとタップの王様テ゛ビット・ギルモアなどが本場ハーレムの生の息吹を聴かせてくれた。日本サイドでは尚美学園教授霧生トシ子率いるトリオと大田寛二トリオが花を添えた。
 聴衆の反応も素晴らしく、ナブ子さんが故Art Breakyの長女でナブさんの友人だった子Eblin Breakyの「String Bean Blues」(隠元豆ブルース)を唄ったときは手拍子はもちろん、ついには聴衆全員が合唱するという盛り上がりを見せた。<これぞ本物のハレムのジャズ>という感じで、ライブが終わっても数分間は誰一人席を立つことがないほどだった。

 終演後は全出演者がロビーで見送って下さった。2年振りのジェームスが「ヘイ、ガムちゃん!」と声を掛けてくれたのが嬉しかった。肩を組んでいるところを写真に撮ってもらったが、残念なことに同行者のカメラには写っていなかったようだ。その代わり大御所シーラ・ジョーダンとのツーショットを転送していただいた。

  (写真は「ナブ子さんを囲んで」と「シーラさんと密着」)







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テーマ: 日記 -  ジャンル: 日記
by 杜の小径  at 03:56 |  日記 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

もうひとりの武蔵野夫人

ジョウビタキ3


「武蔵野公園にジョウビタキが出たわよ」
 遅い朝食を摂っているところへ電話、語尾が鼻にかかる話し振りからKさんと判る。彼女は野鳥の会の会員で、ご主人は某私大のフランス語の教授ということから仲間内では「武蔵野夫人」と呼ばれている。が、性格は『武蔵野夫人』のヒロイン道子よりもオキャンな富子に近い。この人の電話は長い。早く切り上げないと味噌汁が冷えてしまう。「ありがとう、じゃあ行ってみる」と早々に電話を切ろうとするが、そうは問屋が卸さない。
「正月の予定は決まったの? 例のメンバーで蓼科へ行かない? もう雪が降って、シメやアトリが出ているそうよ」
 この一節には説明が要る。会話の中の「出る」という言葉に違和感を覚える人がいるかもしれない。<熊が出る>、<お化けが出る>といった使用例を連想するからだろうが、バードウオッチャーの間ではごく普通に遣われている。思いがけなく現れるというニュアンスを込めた言葉と思われる。例のメンバーというのは野鳥の会の地元有志数人で、例会のほかに観察旅行をしたり、時には焼き鳥屋の感察も行ったりする仲良しグループである。蓼科にはSという野鳥の会御用達のペンションがあって、殆んど毎年この仲間で訪れている。
 Sには暖房の効いた一枚ガラスの観察室があって、部屋の中から野鳥の観察ができる。ヴェランダの餌台にはヒエ、アワ、ヒマワリの種、クルミまで置いてあるので、シジュウカラ、アトリ、ウソ、ジョウビタキなど大小さまざまな野鳥が数十羽単位で訪れる。また、邸内のアカマツにネットで脂身を括り付けてあるので、普通は滅多に観られないアカゲラ、アオゲラ、コゲラなどのキツツキ類も頻繁に訪れる。ここ2年、私は蓼科旅行には同行していない。餌付けされた野鳥を暖かな室内から観察するのが、なんだか釣堀で釣りをやっているようでしっくりこない。、
 
 せっかく情報をいただいたから武蔵野公園へ行ってみる。この公園はICU(国際基督教大学)のゴルフ場を都が買収したもので、隣接する浅間山公園、野川公園、神代植物公園、深大寺、国立天文台などと一体になって武蔵野の森をつくっている。1時間ほど付近を散策したが、ジョウビタキの姿はなかった。鳥にも都合があるんだから、じっと待っていてくれるはずもない。こうしたことは、よくあることである。

 いったい、私は何を書こうとしたのだろう。また、由無し事を書き連ねてしまった。実はこのごろ知人から、ちっとも日記を更新してないが身体でも悪いのではという問い合わせが続いた。それで元気にしているよという証左に駄文を書いた次第である。左膝をかばいながら「一日一万歩」を続けたら足裏にマメができてしまった。初めての経験なので驚いたが近くのファーマシーに行ったら、「足裏にできた肉刺に貼る絆創膏」というのをちゃんと売っていた。特別なことではなかったようで安心した。年末の雑用を片付けたら正月半ばまで温泉のある静かな場所で過ごすつもり。また、ご無沙汰になりますが、そんな訳ですから他事ながらご放念をお願いしたい。

  
                 (写真はジョウビタキ)








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麹町歌会

20071219014235.jpg

 12月18日(火曜日)晴れるも寒し>
 久しぶりに麹町歌会へ出る。四谷から乗ったタクシーにちょっとしたトラブルがあって、小生は途中から参加、柳瀬丈子さんの名朗読を聞き漏らしたのは残念だった。久しぶりに福岡から寺本一川さんが参加され、充実した歌会となる。今回は閉会後に忘年会を予定していたので自由詠のみ。秀歌続出で、なんと一席が3人も出た。
 【同点一席】 小田明子
  土釜で炊いたおこげ
  生醤油で
  「の」の字を書いて
  そっとはがす
  しあわせな瞬間

  【同 上】 寺本一川
   そこに在るべき
   一点を
   置く
   朱の意志が
   昇華してゆく

  【同 上】 史緒 
   君にあげよう
   檸檬をあげよう
   それは時限爆弾
   切ない想いが
   破裂する 

 柳瀬丈子さんから、お父上である故宝井馬琴丈遺愛の筆3本をいただく。無形文化財の近江の十四世・雲平作の「瑞雲」など銘筆ばかり。硯筆のコレクターである小生にとっては、いずれも垂涎の筆である。柳瀬さん、有難う。

          (写真は宝井馬琴丈遺愛の筆)
  





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ウイーンから二人の天使―チャリティコンサートのお知らせ

 ウイーン国立音楽大学で活躍中の二人の日本人ミュージシャンが一日だけの凱旋コンサートを開きます。二人の天使は同大学教授のピアノ奏者、和田篤子さんと同クラリネット奏者の田中はるひさんです。お二人の母校、武蔵野市立大野田小学校のチャリティコンサートに出演するために揃って来日されました。当日は和田さんの先生に当たる尚美大学教授霧生トシ子さんが応援のため来場されます。霧生さんはジャズピアニストの第一人者で、ニューヨークを本拠に活躍中のジャズ・ボーカリスト霧生ナブ子さんの母上でもあります。ナブ子さんも公演のため来日中なので、スケジュールの都合では来場されるかもしれません。開催要項は次の通りです。ご都合のつく方は、ぜひお出掛け下さい。

 日時:12月26日(水曜日) 午後6:30開演 
 場所:武蔵野市立大野田(おおのでん)小学校講堂 入場無料
  
アクセス:中央線三鷹駅北口下車 バス停①番から武蔵関行 北裏行の関東バスに乗り、緑町住宅前で下車、徒歩2分。(当日は正門からお入り下さい。なお上履きもご用意下さい)

大野田小学校






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木曾旅日記 補遺

 11月の半ば、木曽路を旅した折の所管を mixi の日記に発表しました。その中で馬籠に纏わる思い出として山崎豊子の『不毛地帯』の盗作問題に触れました。要するに島崎藤村の『夜明け前』の書き出し部分が秋里籬島の著した『木曾名所図会』にそっくりであると指摘し、これが許されて何故山崎の引用が盗作になるのかという著作権裁判の経緯を紹介しました。その際数名の方から『木曾名所図会』の記述はどうなっているのかとご質問が寄せられましたが、そのときは手許に資料が無くお応えできませんでした。ところがこの度、HP再開記念に小著『作文テキスト』を寄贈することになり旧宅の書庫より同書を取り寄せたところ、図らずも同書付録の「盗作問題」の中で、当該問題をかなり詳しく取り上げていました。以下にその部分を改めて紹介しておきます。

「罪ある者が石を投げる?」-盗作問題(村瀬杜詩夫著『作文塾テキスト』より)

 昭和48年10月21日、朝日新聞は『サンデー毎日』に連載中の山崎豊子の『不毛地帯』を無名作家、今井源治の作品からの盗用であると報じました。その翌日、同紙上で松本清張は「これは無断借用じゃあなく盗用だ。もう弁解の余地無し」と糾弾しました。
 では、ここで問題の『不毛地帯』と盗用されたとする今井源治の『シベリアの歌』の一部を比較してみましょう。

 山崎豊子著『不毛地帯』(昭和48年刊)より抜粋
「列車といっても、十四トン貨車に四十人が詰め込まれ、横になることも出来ないので、自分たちで板切れを集め、二段式の蚕棚を作りました。(中略)下痢患者が蔓延し、(中略)発疹チフス患者が発生したのです。発熱患者は後方の貨車に隔離されましたが、隔離されて戻って来る者は殆んどなく、何人が死に、その死体がどこで下され、どう処理されたかも、われわれは知ることが出来ませんでした。」

 今井源治著『シベリアの歌』(昭和46年刊)より抜粋
「十五トン貨車に四十人も詰め込まれる横にもなれないので、板切を寄せ集めて二段式にした。外からも扉をピンと閉めてガチャリと錠をかけられた。(中略)大抵の者は下痢や風邪に冒されていた。時々、どこかの車両で又、死亡者が出たと伝わって来たが、死体が何処で降ろされどう処分されたかは、貨車に幽閉された私達には知るすべはない。」

 二つの文章はたしかに似ていますが、山崎は「ソ連からの引揚者団体の多くから資料を借りており、同じ体験をしているのだから似るのは当然」と反論しました。
次に別の例を見てみましょう。Aが「引用」した作品、Bが「引用」された作品です。

作品A
「ソ連の機関員は党員で、しかも訓練と教育をうけた経験のあるものでなければならない。英国のシークレットサービスは、親子、孫(ママ)いう深い家系によらなければならぬという鉄則がある。これがソ連と英国の秘密機関の伝統であり、その世界に冠たる所以でもあるのだ。この英国の機関は対米という点ではソ連機関の線とダブっている場合が多い。そこで日暮ーラストウォロフと流れた村井外遊の真相は、英国秘密機関の同時にキャッチ(以下略)」

作品B
「ソ連の機関員は党員で、しかも訓練と教育を受けた経験のある者でなければならない。英国のシークレットサービスは、親子線という深い家系によらなければならぬという鉄則がある。これがソ連と英国の秘密機関の伝統であり、その世界に冠たるゆえんでもあるのだ。この英国の機関は対アメリカという点ではソ連機関の点とダブっている場合が多い。そこで、ソ連機関に流れた川上外遊の真相は英国秘密機関の同時にキャッチ(以下略)」

 文字や読点を少し変えてはいるが、この二つの文章が全く同じであることは誰が見ても明らかである。こんなひどいことをやったのは一体誰でしょう。実はBの文章は『三田和夫の『赤い広場―霞ヶ関』からの抜粋で、Aは山崎豊子を「盗用だ。もう弁解の余地無し」と糾弾した松本清張の『深層海流』からの抜粋です。勿論、『深層海流』のほうが後から書かれたものです。
 次に紹介するのは島崎藤村の『夜明け前』と秋里籬島が文化2年に著した『木曾名所図会』の書き出し部分の抜粋です。

島崎藤村著『夜明け前』の書出し部分
「木曽路はすべて山の中である。 あるところは岨づたいに行く崖の道であり、 あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、 あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。 一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」

『木曾名所図会』の書き出し部分
「木曽路はみな山中なり。名にしおふ深山幽谷にて、岨づたいに行く崖路多し。就中、三留野より野尻までの間、はなはだ危き道なり。此間左は数十間、深き木曽川に、路の狭き所は木を伐りて、わたして並べ、藤かづらにてからめ、街道の狭きを補ふ。」

  以上に挙げた資料は全て山崎豊子が朝日新聞社に対して名誉回復を求めて争った裁判で山崎側が提出した資料の一部です。「山崎の資料収集を盗作と言うのなら、大作家たちにも盗作者の汚名を着せなければならない」という主張が認められ、4年に及ぶ裁判は朝日側が“遺憾の意”を表明するという、実質的には山崎側の勝利に終わりました。
 いろいろな文学賞の候補に挙がりながら、盗作を疑われて入賞を逸したという例も少なくありません。もの書きを志す方は、以って他山の石として欲しいものです。

  




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■仮名遣い
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 ・数字表記の原則と例外
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 ・助数詞の書き方
■記号の役割と使い方
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■題材の見つけ方
 ・課題作文の主題発見
 ・題のつけ方
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第3巻 応用編 (1)
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 ・小説・童話の構成法
■文章表現の工夫
 ・修飾語について
 ・比喩について
 ・避けたい「決まり文句」
 ・オノマトペ【擬態語、擬声語】
 ・会話、方言など

第4巻 応用編 (2)
■作文の効果的な上達法
 ・文章にもデッサンが必要
 ・上達の三条件
■名文の条件
 ・真心のこもった文章
 ・感性にあふれた文章
 ・解り易い文章
 ・個性的な文章
 ・リズムのある文章
 ・観察力に裏打ちされた文章
 ・ネジレのない文章
■推敲のチェックポイント
■巻末付録
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 ・盗用問題(著作権問題・

 【追記】

 用字用語に関する参考書には村瀬杜詩夫著『作文じてん』(雪書房刊)をご覧下さい。





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 長い間閉鎖していました村瀬杜詩夫のホームページ『杜の小径』(もりの こみち)を再開いたしました。再開できたのは、力をお貸しくださったMさん、Pさんのお陰です。有難うございました。少しずつ内容を充実して、ゆくゆくは「にほんごの会」でやっていた若い文学者を育てる「文学塾」を継承していくつもりです。内容は俳句、短歌、短詩、漢詩、五行歌、エッセイ、小説などとし、各分野に専任講師を置いて指導していただきます。詳細は決まりしだいお知らせいたします。  村瀬杜詩夫
 




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