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反骨の詩人 日野草城の忌日

草城1

草城の墓


 今日29日は、俳人日野草城の忌日、草城忌である。彼は旧制三高時代に俳句を始め京大時代に虚子の「ホトトギス」に入るや忽ち巻頭作家となる。しかし彼の許に若い俳人たちが集まるようになると虚子の嫉妬の的となる。加うるに草城の革新的思想は虚子の伝統的な花鳥諷詠の俳風と相容れず、「ミヤコホテル事件」を口実にホトトギスを破門になる。その老獪陰湿なやり方は、21日の日記で紹介した久女の場合と全く同じである。久女や草城など反権力の詩人を続けて日記に取り上げることを奇異に思う人がいるかもしれない。実は私自身も一部人間の陰湿な陥穽に嵌められて某結社を追われた経験を持つ。その memorial day 2月7日が近づいているからかもしれない。
 
「ミヤコホテル事件」の概要はつぎのとおりである。昭和9年、草城は『俳句研究』4月号に虚構の結婚初夜を詠んだ「ミヤコホテル」と題する連作を発表した。

 ○けふよりの妻(め)と来て泊(は)つる宵の春
 ○ 夜半の春なほ処女(おとめ)なる妻(め)と居りぬ
 ○ 枕辺の春の灯(ともし)は妻(め)が消しぬ
 ○ をみなとはかゝるものかも春の闇
 ○ 薔薇にほふはじめての夜のしらみつゝ
 ○ 麗らかな朝の焼麺麭(トースト)はづかしく
 ○ 湯あがりの素顔したしく春の昼
 ○ 永き日や相触れし手はふれしまゝ
 ○ 失ひしものを憶(おも)へり花曇

 いま考えれば何ということもない作品だが、当時は俳壇だけでなく文壇を巻き込む大事件となった。このとき草城の胸奥には自然の真を超える文芸上の真という概念があった。解り易く言うと次のようになる。
 ここに一つの花がある。自然の真を文芸上の真と誤認する作家は、その花が何枚の花弁を持ち、蕊がどうなっているというようなことを描くが、真の創作家には、その花が彼にはどう見えたかということが問題で、頭の中に彼独特の美しき花が創造される。「これを要するに、『文芸上の真』とは、鉱にすぎない『自然の真』が、芸術家の頭の熔鉱炉の中で溶解され、然る後鍛錬され、加工されて、出来上つたものを指すのである」。そこで俳句修業は、自然の真を知る作業を行うだけでなく、同時に本を読み、絵画彫刻を見、創作力や想像力を養い、文芸上の真をとらえる力をつけてゆくことにあり、それこそが写生と言えるのだと。
 こうした論理が俳句の写生主義で凝り固まった虚子に理解されるわけもなく、草城はホトトギスを破門になる。先日、虚子の嫉妬と偏狭のために破門された門弟 杉田久女のことを紹介したが、気に入らない人間を結社から追い出すという手口は虚子の常套手段だったようだ。
 ついでに言及すると水原秋桜子も同じようにホトトギスを追われている。秋桜子は東京帝大出身の医師で皇族とも縁のある名門。彼の許に石田波郷、加藤楸邨、山口誓子などが集まるようになると、ことごとに辛く当たるようになる。昭和6年、水原秋桜子は反『ホトトギス』の態度を明確に示し、ここに新興俳句運動の口火が切られた。秋桜子が果敢にも虚子に抵抗し、「ホトトギス」離脱の挙に出たことは、それまで虚子に支配されていた俳句界の閉塞状況をうち破り、新しいさまざまの可能性の出現への突破口をひらいたもので、近代俳句史上最大の事件であった。

 虚子の許を去った草城も、大阪の『青嶺』、神戸の『ひよどり』、東京の『走馬燈』の三誌を統合して、新興俳句誌『旗艦』を主宰することになり、旧態打破、無季容認という自らのよるべき態度を鮮明に打ち出すことになる。
 やがて日増しに濃くなる戦時体制は、厳しい言論・思想の統制へと及び、新興俳句運動もその例外ではなかった。同15年、治安維持法違反の容疑で新興俳句運動にかかわった俳人たちが検挙されるという事件が起こり、草城の周辺にも危機が迫り、同年『旗艦』の指導者の地位を降り、やがて俳壇からその身を退かざるを得なくなった。

昭和21年、戦災と貧窮のなかで結核に罹り闘病生活に入る。昭和31年1月、、「仰向(おおむ)けの口中へ屠蘇(とそ)たらさるる」と詠んだ草城は、今日29日に息を引き取った。享年54歳。墓は慶伝寺(大阪市天王寺区餌差町)にある。以下は晩年の代表作である。
 ○寒の闇煩悩とろりとろりと燃ゆ
 ○見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く
 ○高熱の鶴青空に漂へり
 ○われ咳す故に我あり夜半の雪
 ○切干やいのちの限り妻の恩
 ○こほろぎや右の肺葉穴だらけ
 ○誰(た)が妻とならむとすらむ春着の子
 ○先生はふるさとの山風
 
    (写真:日野草城、慶伝寺にある墓)



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by 杜の小径  at 02:39 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

鮟鱇鍋

鮟鱇鍋

鮟鱇の肝


 楸邨の「鮟鱇の骨まで凍ててぶち切らる」という句を見たら、急に鮟鱇が食いたくなった。真砂女の句に「鮟鱇鍋路地に年月重ねたり」とあるのは、たぶん神田の「いせ源」のことだろう。天保元年の創業という鮟鱇鍋の老舗だが、わざわざ出掛けるのも面倒。それに肝刺しなどを別注すれば軽く1人前1万円を超える。庶民がちょっとというわけにはいかない店である。結局、駅ビル地下、食遊館の中島水産で材料を仕込む。スーパーなどでは中国産が多いが、ここは常陸産の地ものである。今でこそ河豚と並んで冬場の美食の双璧のように言われるが、これは太平洋側だけのことで、日本海側では鮟鱇はあまり食べないようだ。鮟鱇の本場と言われる水戸周辺にしても、古い猟師の話では昔は底引き網にかかった鮟鱇の胃袋から丸呑みした小魚を取り出し、後は捨てていたという。となると「いせ源」の天宝年間創業という話も怪しい。調べてみると、江戸時代は泥鰌や鰻などの川魚を商っていて、鮟鱇鍋を看板にしたのは大正時代の4代目になってからということだった。
「いせ源」の調理法は鰹と昆布でとったツユに味醂、薄口醤油で味をつけて、あっさりと炊くのが基本だが、私の場合は常陸の漁師に教わった味噌仕立て。土鍋が温まったら肝だけを入れて空炒りし、それに混布出汁を加え、八丁味噌で味を調える。これを地元では「どぶ汁」と呼ぶが、濃厚なエキスが汁に出て、食べるごとに汗が浮いてくる。
沸騰したところへ「七つ道具」を入れる。鮟鱇は捨てる部分が無い魚で、各部分を「七つ道具」と呼ぶ。即ち「肝」「ぬの(卵巣)」「ひれ」「えら」「水ぶくろ(胃)」「皮」。これに身の7つ。身は柳(頬の身)」と「大身(尾の部分)」とに分ける場合もある。
 今日はやらなかったが新なものが手に入ったときは、河豚と同じように薄造りの刺身にしてアサツキを巻いて食べる。肝、いわゆるアンキモは蒸篭(せいろ)で蒸してポン酢で食べると美味である。

            (写真:鮟鱇鍋とアン肝)  





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by 杜の小径  at 18:59 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

蓑虫の独り言

ミノムシ

ミノムシ1


 懐手 もの書かざるは飢えに似て

原稿料でメシを食うことを止めてから締め切りの追われることはなくなった。が、早寝早起きといった健全な生活とは程遠い。さすがに飲んだくれて夜を明かすといったことは無くなったが、週のうち1、2回は眠らずに朝を迎えている。雀百まで踊り忘れずで、おそらく死ぬまでこんな生活が続くだろう。
年明け早々半月も人間ドックに入ったので、小生の健康面を気遣って下さる方が多い。時期に多少のズレはあっても、これは毎年恒例のこと。年相応にメンテの必要な箇所はあるが、憎まれっ子世に憚るの譬え通り直ぐに生死に関わるようなことは無い、と思う。
賀状の整理をしていたらK大出版会のM編集長からのものが目に留まった。流麗な筆文字で「ご迷惑をかけています。年内には必ず出版します」とある。2年越しの『ジョン・ハウランド号の航海日誌』の刊行が遅れていることへの詫びである。千ページを超える本で単価も1万円前後の大型企画。加えて著者の立場から、ジョン万次郎を助けた船の記録などという惹句は遣わないように釘を刺しているので、出版社としては遣りにくい企画であろう。文化省に申請していた補助金の目処がやっとついたようだ。この出版社は社長が作家の坂上弘さんで、そのせいか社員にも誠実で律儀な人が多い。嘘はつかないだろう。 
日本の調査捕鯨に抗議する米国の環境保護団体シー・シェパードの妨害行為が問題になっている折なので、出版の時期としてはタイムリーだと思うが、著者がしゃしゃり出る問題ではない。しばらくは静観することにしよう。

 蓑虫の哀しいときは揺れてをり

  蓑虫の命の綱の細きかな

  蓑虫の蓑の内なる泪かな

  蓑虫の鎧の下に秘めしもの







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by 杜の小径  at 06:16 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

国分寺跡へ

お鷹の道1

日立研究所2


 このところ雪と雨に妨げられウォーキングをサボってしまった。久し振りに晴れたので、早朝家を出て国分寺に向かう。野川を遡って一里塚から「お鷹の道」を経て国分寺跡の万葉植物園に至るコース。今朝は野鳥が少なく、湧水路に凍て鷺が一羽、真姿の池に軽鴨二羽を見るだけ。西国分寺駅を抜けて姿見の池に出る。望遠を構えたウォッチャーが二人居たが翡翠の姿は無かった。日立研究所脇のプロムナードを経て戻る。

墟院依微万葉園  墟院は依微たり万葉の園
四囲杜痩朔風致  四囲の杜痩せて朔風致る
霜華覆瓦如瓊屑  霜華は瓦を覆い瓊屑の如し
孤鳥雲辺正早晨  孤鳥 雲辺 正に早晨

国分寺跡の廃墟に万葉植物園が霞んでいる
周りの森は落葉して北風が吹き過ぎる
霜の降りた瓦はさながら花屑を撒いたようだ
時に早朝 一羽の鳥が雲間に消えていった

 (写真:上は「小鷹の道」、下は日立研究所庭園)





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by 杜の小径  at 05:19 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

麹町倶楽部歌会

日記 032

日記 034

 本日、午後6時30分より麹町区民会館で開催。司会は前回1席の史緒方さん。開会に先立ち2007年度年間大賞の発表があった。大賞特別賞は昨年逝去された故・松本輝夫さん。一席は自由詠部門が渡辺加代子さんとま のすけさん。題詠部門は酒井映子さん、扉さん。

 本日の第107回歌会の成績は以下の通り。
 自由詠1席は同点3人

不敵に
風に身を晒す
冬木立
実は風との
身の上話  (赤井登)
 
全ての葉を落として
けりをつけ
冷気の中に
新芽を備える
清さがいい (扉)

何に向ってか
知らぬまま
私は祈っている
砂漠(ここ)は
あまりにも寂かなのだ (柳瀬丈子)

題詠(飲む)1席
生姜湯 葛湯
卵酒
葛根湯を飲んで寝る
幸せな風邪をひいた
午後のベットの中 (鍬畑)

 村瀬杜詩夫の作品・自由詠
穂芒に
挽歌いくつが
紛れしや
死は風のごと
爽やかに寂し

同・題詠(飲む)
境涯は
問わず語らず
再会の友と
ただ
杯を傾ける

(写真:歌会風景。人物は赤井代表と司会の史緒さん)





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by 杜の小径  at 23:43 |  日記 |  comment (1)  |   |  page top ↑

久女忌

杉田久女

杉田久女句碑

虚子1

   張りとほす女の意地や藍浴衣
   と
   虚子にぶつけた
   無念の一句
   今日は久女の忌

 今日1月21日は俳人 杉田久女(ひさじょ) の忌日である。彼女は明治23年(1890)鹿児島市生れ、昭和21年(1946)の今日福岡県の筑紫保養院で死去した。お茶の水高女(現・お茶の水女子大)卒。小説家を志したが果たせず、夫の任地小倉に住む。「ホトトギス」に投句し、虚子に師事。昭和7年「花衣」を主宰。門下で橋本多佳子らを育てたが、5号で廃刊。奔放で華麗な作風ながら一途な性格が禍してか師の虚子に疎まれるようになり、遂には「ホトトギス」を除名になる。その象徴とも言えるのが箱根丸事件である。結社の天皇として君臨した虚子の懐の狭さと久女の直情ぶりとの対比が面白いから簡単に経緯を紹介しておく。

 昭和11年2月、フランスへ外遊する高浜虚子の乗った箱根丸が門司に寄港した。当時、小倉で白菊会という俳句婦人の会を主宰していた久女はランチで箱根丸に乗り込み、花束を抱えて虚子の船室に向かう。懸命に声を上げ人を掻き分けて進もうとするのだが大勢の訪問者に妨げられて花束も歓迎の一句も届けることが出来なかった。虚子の帰国後、「ホトトギス」に杉田久女の同人除名が掲載された。これには久女は勿論、多くの人が呆然とした。除名の理由は明らかにされなかったが世間は、彼女の才能と人気を妬んだ虚子が、見送りに来なかったという口実で追放したと思っていた。どこの結社にもありがちなことではあるが、それにしても虚子の陰険さと狭量ぶりには呆れる。久女は除名を機にだんだん句作にも生彩を失い、晩年には今で言うノイローゼ状態に陥り、最後は狂死したという噂さえ伝えられている。念願だった『杉田久女句集』は、遺族の手により死後の52年に刊行された。類稀な才能が公にされると、彼女の作品が再評価されファンも急速に増えていった。

 写真上は小倉時代のもの。当時、夫の杉田宇内が小倉中学校に勤務していた関係で現在の北九州市に移り住み、その後市内で数回転居している。そのころの生活を彼女は『杉田久女随筆集』の中で次のように書いている。「どうかしてよい一句を得たいという一心から俳句にはげめばはげむほど、家事に切りこんで来て、夕餉がおくれたり、ぼんやりしてて『家庭や子をかえり見ぬ』と夫の不機嫌に毎度あいます。用事はあとからあとから来る」。「足袋つぐやノラともならず教師妻」の名吟は、こうした環境下で生まれたのである。
中央の写真は福岡県の霊峰・英彦山に在る久女の句碑。「谺して山ほととぎすほしいまゝ」と刻まれている。これをものするに当たって最初の五七は直ぐ出来たが下五がなかなか出てこない。何回も英彦山に登り、何か月か後やっと「ほしいまゝ」に辿り着いたと言われる。たった5文字にかける詩人の執念には驚くほかはない。
 最後の写真は高浜虚子。はっきり言って私は嫌いな人物である。久女に対する陰険な仕打ち、俳壇の要所に一族を据える老獪な手法が気に食わない。まあ、判官贔屓の吉良嫌いの類とでも思っていただいて結構である。

 最後に久女作品を幾つか紹介しておきます。旧仮名遣いだから若い方には読みずらでしょうが大意は汲み取れるでしょう。60年以上むかし、田舎教師の妻として苦しい家計を遣り繰りする中で創られた作品です。心してお読み下さい。

   春の夜のまどゐの中にゐて寂し   
   のぞき見ては塀穴ふさぐ日永かな
   東風吹くや耳現はるゝうなゐ髪
   春燈消えし闇にむき合ひ語りゐし
   後妻(うはなり)の姑の若さや藍ゆかた
   ホ句のわれ慈母たるわれや夏痩ぬ
   花衣ぬぐやまつはる紐いろ\/(いろいろ)
   おのづから流るゝ水葱(なぎ)の月明り
   戯曲よむ冬夜の食器浸けしまゝ
   童話よみ尽して金魚子に吊りぬ
   赤き月はげ山登る旱(ひでり)かな
   仰臥して見飽きし壁の夜長かな
   言葉少く別れし夫婦秋の宵
   足袋つぐやノラともならず教師妻
   椅子凉し衣(そ)通る月に身じろがず
   眉引も四十路となりし初鏡
   菱摘むとかゞめば沼は沸く匂ひ
   種浸す大盥にも花散らす
   母淋しつくりためたる押絵雛
   谺して山ほととぎすほしいまゝ
   風に落つ楊貴妃桜房のまゝ
   土濡れて久女の庭に芽ぐむもの
   ほろ苦き恋の味なり蕗の薹
   たてとほす男嫌ひの単帯
   張りとほす女の意地や藍ゆかた
   物言ふも逢ふもいやなり坂若葉
   美しき胡蝶なれども気味悪く
   道をしへ一筋道の迷ひなく






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by 杜の小径  at 01:21 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

マツムシソウ

マツムシソウ

マツムシそう3

マツムシソウ4

 先週、半月ぶりに帰宅してみて驚いたことがある。枯死を心配していたマツムシソウが何と花を付けていた。旅に出ていて、いちばん心配なのはヴェランダの植木たち。テイケカヅラ、ガジュマル、斑入りキヅタ、ショウブなど比較的乾燥に強い植物が多いが、中にはミカン、ハゼランのように水遣りの欠かせないものもある。中でもマツムシソウは1千㍍級の高原に咲く花とはいえ、花季は夏から秋の花。それが真冬の東京で花を付けるなど異例のことである。これも暖冬のせいだろうか。
 一昨年、常念岳へ登った帰途、国営アルプスあづみの公園を通ったとき道路上の石の間に咲いていたのを持ち帰った。断っておくが根を抜いてきたのではない。種を採ってきたのである。話は跳ぶが高山植物は絶対に採ってはいけない。特に国立公園内では木の葉1枚、小石ひとつも持ち帰ることは出来ない。それでも様ざまな要因が重なって高山植物は年々減少し、中には絶滅に瀕しているものもある。岳友のひとりで穂高麓に住むMさんは広大な敷地に弱酸性の軽石砂や赤球土を入れ、そこで絶滅が心配されるカタクリ、イワカガミ、シナノショウマなどを育てている。昨年はその中からギョウジャニンニクを1株戴いて帰ったが枯れてしまった。姉に管理して貰っている所沢の家では今でもカタクリ、フクジュソウなどが元気に育っているがマンションのヴェランダでは根の張る植物の栽培は難しい。だから小鉢で育てているマツムシソウは宝のような存在なのだ。半月ほど水を遣らなかったので、厳しい高山の環境を思い出したのかもしれない。『宝鑑』に謂う「家貧顕孝子」(家貧にして孝子顕る)の喩は正しいようだ。

(写真:左端が我が家のマツムシソウ、他は霧ヶ峰で撮影した群落)






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日記 015


日記 021


 10時から杉宗正一門の初釜。師匠から重箱を使った花びら餅の正しい戴き方を教えられたあと、新茶でお点前。全員に干支の鼠の透かし入りの懐紙を下さる。茶会後、市内のフレンチで会食して散会。






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退院

カマキリ♀


 半月ぶりに娑婆へ戻る。人は、年明け早々1年の25分の1を病院で過ごすなど馬鹿げたことだと哂うだろうか。しかも、どうも25分の1だけでは済みそうもない。いずれ判ることだから言ってしまおう。実は今回の検査で上行結腸に余分なものが発見された。13年前に直腸に出来たものの再発かと思い、Y先生から消化器内科のS教授を紹介されて説明を受ける。時間的な経過とか部位が離れていることから転移は考えられず原発性のものだという。それに未だ粘膜、粘膜筋板に達していないということなので当面は生死に関わることでもあるまい。

 昨日花の無い院内の庭に番(つがい)の蟷螂がいた。今日通りかかると♂の姿が消えていた。交尾が終わると♀が♂を食べてしまうという話は有名である。私も頭を食い千切られた♂が交尾を続ける凄惨な光景を見たことがある。エロスとタナトスが綾なす習性には文学的な創作欲をそそそられるものがある。
 
  愛も死も
  しょせんは
  いっときの夢
  媾うことなく
  蟷螂食わる

 





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人間ドック

慶応病院

日記 001

福山諦法2


 元旦を西穂で迎えたのは良かったが吹雪の中でのラッセル、(あっ、違った。ラッセルは専らガイドのMさんがやってくれたんだった)とにかく、あの雪中行が祟って宿痾の左脚をまた痛めてしまった。日ごろ健康相談をお願いしているY先生を訪ねる。「う~ん」と先生が唸った。この時期に外科の外来で受診するのはたいへん難しいと言うのだ。「血中カリウムの数値を調べたいし、眼の定期健診も近いんでしょ。この際入院して全部一緒に診てしまいましょうよ」…この一言で入院が決まった。西穂から帰って直ぐまた旅に出るのを不審に思われた方がいたかもしれない。白状すると「また旅」の真相は以上のようなことであった。
 12日までに人間ドックの全コースの3分の2が終わった。問題の左脚は単なる疲労で湿布治療でほぼ回復、数日前から外苑を散歩できるまでになった。胃カメラ、注腸検査もクリア、残すはCTスキャン、心エコーなど。眼は来月4日の外来で精密検査ということになった。
 健康に問題が無いと判れば病院生活は概ね快適である。私の部屋は南向きの角部屋、朝になってカーテンを開けると神宮外苑の森が眼下に広がる。この3日間は早朝散歩が許され、この森の中を落ち葉を踏みながら歩いている。夜になると南西の窓いっぱいに新都心の夜景が広がる。ただ、院内は全面禁煙。これはルールだから破ることは出来ない。今日は一泊の外出が許されて帰宅しているが、未だ煙草は1本も吸っていない。帰院してからが辛いから我慢している。これを機に半世紀に亘る煙草との付き合いと絶縁出来るかもしれない。
 週1回の教授回診は「白い巨塔」のあれと全く同じ、教授に病状を説明する主治医の後ろに7,8人の医師がずらりと並ぶ。外来の無い日は主治医が1日1回回診し、そのほか副主治医2名が交互に訪れる。ナースは1日3回のBP測定、BSL測定のほか2時間毎に様子を見に来る。深夜はドアをそっと開けて懐中電灯で様子を見、異常が無ければ黙って去る。食事は時間が来ると助手さんが部屋に届けてくれる。メニューは各自の病状に合わせているようだ。米飯、パンは自由に選択できる。内容は和、中、洋様々だがメニューは毎食変わる。私に関する限りこの1週間同じメニューが出されたことは無い。 
こうした日常だから読書の時間はたっぷりある。今回の入院で既に3冊の本を読み終えた。それは『記紀の考古学』(森浩一)、『言語にとって美とは何か』(吉本隆明)、『春の黒板』(下平曜子)だが、その全てについて読後感を記したいが長くなるので,『春の黒板』について寸感を述べておきたい。

『春の黒板』(下平曜子)を読む

 この本は旧臘、作者のお嬢さんである下平紀代子さんから恵贈いただいたものである。作者は飯田市在住の歌人で、ご自身のあとがきによれば短歌を始めて三十有余年、結社「ポトナム」に所属されているという。
 歌集のタイトル『春の黒板』から教職関係の方かと思ったが違っていた。タイトルは次の作品に拠るものだった。

 ◇夫は白われは赤にて それぞれの予定華やぐ春の黒板

 二人の子どもを育て上げほっと一息ついたご夫婦が、それぞれの趣味を生かしながら心豊かに暮らしている様子が窺える。ご夫婦が深い愛情と信頼に結ばれていることが偲ばれる作品は沢山収録されており、次の作品もそのひとつである。

◇傍らに安らぐ空気持つ君と起き伏す日々の胸暖かし
 
 ご自分を取り巻く人たちへの温かな眼差しはこの歌集の随所に見られるが、二人のお子さまとお孫さん、そしてお父上への想いには格別のものがある。

 ◇二人の子あれば電話が二度鳴りて我が誕生日穏やかに過ぐ
 ◇ストーブに灯油満たして子は帰る去年よりひとつ気遣い見せて
 ◇高校より帰りたる子はボクサーの真似して我に触りてゆけり
 ◇百歳に近づく生の淡々し山頭火と句会持ちし父はも
 ◇名刺の裏に父が手描きのトランプを広げ遊びし戦中ありき
 ◇天竜川の瀬音聴きつつ生ききたる父の棺は川筋くだる
 ◇「しなののうた」共に歌える児となりぬ信濃生まれの父持つからに
 ◇別れ際首に巻くつく十の指ほどきて次の逢いを約せり

 幼い作者を遺し二十代で逝かれた実母への想いは切なくて哀しく、この歌集のなかで異色の光芒を放っている。
 
◇三十に届かず逝きし母の眼となり幾たびの花仰ぐなり
◇字は日記 顔は写真で識る母の声を留むる何ひとつなし
◇焼かんとし また仕舞いおく仮名文字を遺せる母の いろはにほへと
◇顔知らぬ母に書きたる初手紙 棺の中の父に託せり

 この歌集には作者自身のことを詠った作品は意外に少ない。しかし亡き母や故郷のい伊那谷を詠った作品の中に作者自身が投影されていて味わい深いものがある。

◇長病みて虚しく経たる若き日よ己を宥めて あかき紅差す
◇在りし日の しぐさの一つだに覚えもなきを似る我と言う
 ◇苗を待つ田の面を泳ぐ水澄まし 己が描ける輪を出ずるなし
 ◇単純に生きんと見上ぐる朝の空 白線引きてゆく一機あり
 ◇咲ききれず散りきれもせず山茶花は枯れ花びらを付けて春待つ
 ◇濁りたる支流の水を容易くは受け入れずゆく天竜川は
 ◇柿色の電車ゆくなり この伊那に生まれて生きて終わりゆくならん

 最後にぜひ言及しておきたいのは、この歌集に収録された作品群の伸びやかさである。まるで万葉の作品を読むような直裁で素朴な歌の内容もさることながら、私はその表現の独自性に注目したい。先ず目につくのは伝統的な文語体で詠いながら用字は新仮名遣いである。私の持論からすると文語体は旧仮名遣い、新仮名なら口語体にすべきだと思う。しかし、この歌集に関する限り文語体と新仮名遣いのアンバランスが不思議な魅力を生み出している。もう一つの特徴は、次例のように七五調を基本としながらも細部ではかなりの破調が散見される点である。

◇いい加減なく いい加減にて暮らさんか 梅も上から下から咲けり
◇いずれ一緒に住まんと言いし娘の言葉 わがミレニアム胸に秘めおく

 これなども伝統墨守派から顰蹙を買う点かもしれないが、私は奔放とさえ言える独特の語調とリズムが他に無い魅力になっていると思う。この歌集には京友禅のような華やかさは無いが、草木染めの糸を手織りで仕上げた飯田紬のような深い味わいがある。

 永平寺福山新管主のこと

 曹洞宗大本山永平寺貫首の宮崎奕保(えきほ)禅師が107歳で逝去され、11日に葬儀が行われた。後任には福山諦法禅師が就任された。福山兄とは若い頃2年間、同じ妙巌寺禅林で学んだことがある。旧姓は小野田であったが妙巌寺先代方丈の遺言により先輩を超えて方丈になられた。方丈を継ぐに当たっては、妻帯を許さぬ禅宗の厳しい戒律に従い妻子を離縁して小野田姓から福山姓に変わられた。仏典に対する造詣の深さは勿論、禅家の厳しさを内に秘めながら外面は春風駘蕩としたお人柄は大本山の管主にぴったりである。仏縁ある一人として陰ながら先輩のご活躍をお祈りしたい。

(写真は左から病室から見える外苑、『春の黒板』、20代の福山禅師。抱っこされているのは現越前・竜泉寺方丈の山口雪泥師)





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by 杜の小径  at 01:18 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

しばらくです。

モズ1


 ご無沙汰しています。メッセージを下さった皆さん、返事が遅くなってごめんなさい。郵便物のチェックなどのため一旦帰宅、今夜から再び旅に出ます。今回は1週間ほどの予定です




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by 杜の小径  at 15:10 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

鴉は、また旅に出ます

ホタル2

カラス


「また旅行に行くの?」と言う友人に私は「いや、旅行じゃなくて旅だ」と私が答える。「どっちだって同じじゃないか」と友人が哂う。こういう遣り取りはしょっちゅうのことである。旅行も旅も英語では travelとか trip、日本語としても「同じじゃないか」という友人の考えが一般的であろう。でも、僕にとって両者はかなり違う。それは感覚的なものだから違いをうまく言えないのだが…。旅行が計画的、目的的、そして合理的であるのに対して旅はその反対で、無計画、無目的、そして無駄が多いということになろうか。

 自分の人生を振り返ってみると、この「旅」を続けてきたような気がする。ミクロスコピッには人並みに或る目的に向かって努力したこともあったが、長いスパンでは生きるということに甚だ怠惰であった。キザな言い方に聞こえるかもしれないがいつも「We are mortal」という無常観が付き纏って何事にも真剣になれない。若いころから孰れはやってくる「死」を考えると、全ての営為が虚しく思えてしまう。普通の方からみると極めて不健康な人生観だと思う。昨年、麹町歌会にこんな詩を出したことがる。

  あっちの水は甘い
  こっちの水は苦い
  わかっていても
  こっちにしか棲めない
  蛍もいる

 ここで「あっちの水」というのは常識的で平穏な世界のことである。蛍は闇を好む。無明の闇にしか生きられない自分を表現したかった。こんな詩を創ったこともある。

  蓑虫の蓑
  固く
  わからない
  蓑虫の蓑の内なる
  闇の深さ
 
  速贄(はやにえ) 
  枝に刺して
  高鳴けど
  冬鵙に
  友なく

 私ははぐれた蛍、蓑虫、そして或るときは孤独な鵙である。強いて友を求めない。水が合わないと思えばさっさと去る。あっ、そういえば嫌な鴉でもあった。

  鴉よ
  上を向いて翔べ
  疎まれることが
  おまえの
  アイデンティティだ

  鴉よ
  哭いているのか
  疎まれるものの
  眼は
  いつも濡れている 

 あゝ、間もなく6時半。旅鴉は8時に塒を離れなければなりません。私の数少ない友人たち、どうか行き先を聞かないで下さい。1週間ほどで、また塒に戻ってきます。






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by 杜の小径  at 06:21 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

雪中での越年

西穂山荘


ラッセル5


 元旦を雪の西穂高で迎え、先ほど5日ぶりに帰宅すると沢山の方から年賀状を戴いていました。実はPCの故障で住所録の一部が滅失したため年頭のご挨拶を欠礼した方がいます。欠礼をお詫びし、改めて年賀を申し上げます。
  
独り暮らしを始めて6年、正月は西穂山荘で過ごすのを恒例としてきた。ただ昨年は前年に不覚にも雪庇を踏んで左膝を痛めたため、中国旅行に切り替えた。左脚が未だ完調ではないため今年は定宿のオーナーMさんにガイドをお願いした。彼は山岳救助隊員でもあり、登山スクールも主宰している北アルプスの主である。Mさんの助言で、今回の西穂行は最初から登頂を目指さず西穂独標までとした。
前夜はMさんと新穂高温泉に泊まり、西穂高口を経て西穂山荘に向かう。昨夜から降り出した雪が次第に激しくなり、北西の風も強い。千石尾根の登山道は初めのうちは緩やかな樹林帯のアップダウンを繰り返す。いつもなら樹林越しに西穂高岳の稜線や幾つもの尖ったピークが覗き、振り返れば後方には笠ヶ岳が見えるのだが、激しい雪で視界が全く利かない。途中で適当に休憩を入れながら進む。中間点辺りから勾配がきつくなり、シラビソやコメツガに代わってダケカンバが多くなってくる。さらに急登を続け、最後に笹の多い斜面を回り込むと視界に西穂山荘が入ってきた。山荘は森林限界の処に立ち、丸太造りで、北アルプスの中では通年営業している数少ない山小屋である。 ここからの展望は素晴らしく、晴れていれば東に霞沢岳(2646m), 六百山(2450m)が見え、眼下に梓川と上高地が見下ろせる。また右側面には北アルプス唯一の活火山・焼岳が見え、その後方には雄大な裾野を広げた乗鞍岳と御嶽山(3067m)も遠望できるのだが、今日はいずれも白い壁に阻まれている。  
  元日になって嫌なニュースが入った。今朝午前0時15分ごろ、北アルプスの槍平小屋付近で雪崩が発生し、テントを張っていた2パーティーが巻き込まれたという。改めて気を引き締めて出発。夜が明けても雪は止まない。例年なら午前7時に山荘前で御来光が拝むことができる。夏の間は明神岳が邪魔しているが、冬季は八ヶ岳から昇る朝日を見ることができる。 今朝は霞沢岳辺りに元朝の曙光が見えた。
山荘の脇からハイマツ帯の登山道を登ってゆくと、ケルンの積まれた小高い丘状の丸山(2452m) に着く。普段なら20分程の行程だが、今日は倍以上かかった。ハイマツも雪の下に隠れ、寒さと強風で「エビのシッポ」ができている。Mさんによると積雪は2㍍を超え、気温も-10℃を下回っているだろうという。雪の状況も昨日とは急変している。山荘から下は先行者のトレース(踏み跡)を辿って歩けばよかったが今朝は深い新雪の中をワカンを付けラッセルしなければならない。稜線へ出ると硬い雪と岩が入り混じった斜面をアイゼン・ピッケルを使って上るが浮石に気をつけないと顛倒する。いちばん怖いのは雪庇だ。強い北西の風で尾根の右、上高地側に雪庇が出来ている。誤ってこれを踏み抜くと千尋の谷へ吸い込まれる。万一を考えてMさんとアンザイレンする。しかしザイルで体を結び合ったとしても滑落すれば大きな事故になる。万一Mさんが落ちた場合、100㌔ を超える彼の巨体をピッケル1本で確保する自身は僕には無い。
「ここでターンしましょう」。独標までほぼ500㍍という処まで来たとき、先を歩いていたMさんが言う。冬山ではガイドの言葉は絶対である。内心ほっとしながら「そうしましょう」と答える。危険を冒して独標に辿り着けたとしても急峻で狭いピークに立つことは不可能である。目標は達成できなかったが悔いは無い。帰途、Mさんの経営する有明・穂高温泉の山荘に泊まり馬刺しと蜂の子を肴に地酒で乾杯。これって、祝杯と言うんだろうか。
 
(写真は西穂山荘と西穂稜線のラッセル)








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by 杜の小径  at 18:56 |  日記 |  comment (1)  |   |  page top ↑
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