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久根遥かなり

久根 010


 家政婦代わりをしてくれる教え子のM代夫妻が来る。「あらっ、今日は綺麗にしてるわね」が第一声。今月は旅を慎んで身辺の整理をしたので、部屋が比較的片付いている。これじゃあ やることがないわねと言いながらも、トイレ、バスルームもぴかぴかに磨き上げ、ベッドメーキングまでしてくれる。その間、旦那は古くなった植木棚を分解したり、クーラーの分解掃除をしてくれる。
 夫妻の進言で衣類も整理する。昨年末、ただ一人故郷に残って民宿をやっているTにセーターなどは纏めて引き取って貰ったが、洋服などはサイズが合わないから思い切って捨てることにする。問題は書籍。姉が管理している所沢の家と上尾のS君の倉庫に相当な書籍が預けてある。過疎化で無人駅になった佐久間の駅舎が図書館になったと聞いたから、そこへ寄贈することも考えてみよう。
 夫妻が帰ったあと、観音竹や蜜柑などの植え替えと水仙と爆蘭の根分けをする。さすがに疲れて早目にベッドインしていると電話。ぐずぐずしているうちに切れてしまった。1時間ほどして再び電話。E子だった。「あらっ、帰ったの? さっき電話したんだよ」。さっきの電話はE子だったらしい。彼女は旦那を亡くしたあと、愛知県下で美容院をやっている。「Kちゃんがね、先生に何度電話しても繫がらないから様子みてって言うのよ。元気なら良かったわ。娘が千羽鶴折ってるわよ。出来たら送る」…待っていたように名古屋のK子から電話が入る。「E子から電話があったでしょ。何してんのよ」と相変わらず喧しい。途中で旦那と替わる。「先生、暖かくなったら、また花を撮りに来てよ」…彼は薬剤師で、いつの間にか兄弟みたいな付き合いをするようになった。バレンタインでーに野生蘭を送ってくれたS子も昔の教え子である。昨年の同窓会には殆ど全員が顔を揃えてくれた。半世紀以上も経っているのに家族ぐるみでセンセイ、センセイと慕ってくれるのは嬉しいことだ。
 大学受験に失敗した私は、親戚の村長の世話で故郷の小学校で1年間だけ代用教員を務めた。未だ19歳だった。学区に在った銅山が廃山になり、住民は全国に四散した。巨人軍にいた江川卓も、その一人だった。町村合併で村は町になり昨年からは浜松市に編入されたが過疎化は年ごとに進んでいる。殊に銅山の在った久根地区は集落全体が地表から消えてしまった。教え子と私との間の細い縁(えにし)が今も続いているのは、決して私が偉い教師だったからではない。子どもたちは私という存在を通して消えた故郷を回想しているのであろう。それだけに子どもたちの想いが切なくて憐れでもある。
 今月末で私は現役を退いてちょうど十年になる。その間多くの出逢いと別れを繰り返してきた。が、この教え子たちとの思い出だけは、いつまでも真珠のように輝き続けるだろう。

           夢一場
 
 昔日匆匆已十霜 昔日匆匆として已に十霜
 辞現役欲帰自然 現役を辞し自然に帰るを欲す
 雲辺遥動斜陽冷 雲辺遥かに動く斜陽冷かなり
 孤鳥飛啼夢一場 孤鳥飛び啼きて夢一場たり

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by 杜の小径  at 05:38 |  日記 |  comment (3)  |   |  page top ↑

ご挨拶

日記 027


 寒い日が続きますが、皆さまには お変わりなく お過ごしのことと存じます。

 さて突然ですが、しばらく「杜の小径」を休むことにしました。 mixi もお休みすることにしました。
 今年になってからPCの故障が続き、殊に最近は数分に1回ブラックアウトするので原稿も手書きしているような実情です。一方、先月半月ほど人間ドック入りしたところ、治療すべき箇所が若干見つかりました。こうした事情から、これを機に、PCの無い生活に戻ってみようと思い立ちました。

 昨年、ある事情により心ならずも my mixi の多くの方々とお別れしました。にも拘らずSさん、Hさんはじめ多くの方がブログを お訪ね下さいました。また再開した「杜の小径」にもお立ち寄り戴き、有難うございました。この ご厚情は決して忘れません。心からお礼を申し上げます。

                           村瀬杜詩夫 拝
 
【追記】 写真は「桜姫千鳥」という野生蘭です。昨日、浜松在住のS,Hさんが送って下さったものです。可憐な美しさを お裾分けしたくてアップしました。







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by 杜の小径  at 09:54 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

深大寺へ

波郷の墓1


波郷の句碑


 急に思い立って深大寺を訪ねることにした。ここには石田波郷の墓と句碑がある。これまでにも度々訪ねたことがあるが歩いて行くのは初めて。寒い。空は僅かな雲をとどめるのみで抜けるように蒼いのに、地表はとにかく寒い。それに風が強い。特に耳が寒い。金子信夫に「鼻凍るまでゐて吼えず檻の獅子」があるが、あれは心象的寒さで、体感的には耳がいちばん冷たく感じる。1時間ほど歩いて五日市街道へ出た処で、どうにも堪らなくなってレッドロブスターという店に飛び込む。とにかく熱いものをとチーズフォンデュを頼む。フォンデュというから串に刺した肉や魚介を鍋に突っ込んで食べるものとばかり思っていたが違っていた。タバチュール型のフランスパンの中央が刳り抜かれ、中にチーズが滾っている。これにパンの小片が添えられているだけ。いかにもテーブルが寂しいのでロブスターを注文する。いちばんシンプルな味付けにと頼むと、生きたヤツを鷲摑みにして現れ、これをスパイス焼きにしますかと聞く。上海蟹のときもそうだが、こういう野蛮なパフォーマンスはあまり好きではない。
 レジで訊くと、徒歩では後1時間以上かかると言う。どうやら途中で方向を間違えたようだ。タクシーを呼んでもらう。なぜか寒くなると波郷のことを思い出す。波郷忌が冬のせいだろうか。深大寺には、私の作文塾の生徒で自伝の出版もしてあげたことのあるAさんがいる。有名な蕎麦屋を経営しているが、寄る度に代金を受け取ってくれないから最近はあまり寄らないようにしている。Aさんが蕎麦の修行をした長野の岡沢蕎麦店が太平洋画会の元主幹だった岡沢虎三郎画伯の生家で、麹町倶楽部の「つねちゃん」の恩師であることが後で判った。奇しき縁である。

 深大寺の本尊は白鳳時代に作られた重文の釈迦如来像だが、参拝客が手を合わせているのは実はレプリカで、本物は寺の奥深く仕舞われている。Aさんは少年時代、白布でぐるぐる巻きにされて防空壕に入れられた白鳳仏と出会い、可哀想だからと白布を取ってやり毎日のように仏像と遊んだ。ご本尊は俺の幼友達…と彼の自伝の中で書いている。実はこの白鳳仏は指が2本欠落している。火災のとき池に投げ込まれ、そのとき傷ついたとなっているが私は犯人が別にいるような気がしてならない。この話をAさんにしたら笊蕎麦が天麩羅蕎麦に変わるかもしれない。
  
梅が咲き始めているが寒さのせいか人出は少ない。参道から外れた波郷の墓は冬木立の中にひっそりと立っていた。墓前には水仙の花が供えられていた。すぐ近くに句碑があり、「吹き起こる秋風鶴を歩ましむ」 の句が刻まれている。その裏側には次のように記されていた。「大正二年三月十八日四国松山に生まれる。昭和十二年俳誌「鶴」を創刊し昭和俳壇に大いなる足跡を残す。定本石田波郷全句集により読売文学賞受賞,句集「酒中花」により芸術選奨文部大臣賞,昭和四十四年十一月二十一日没……」(以下略)

   夜雨溜痕深大寺  夜雨痕を溜(とど)む深大寺
   寒風颯々裂膚辛  寒風颯々として膚を裂いて辛し
   独曳杖至波郷墓  独り杖を曳きて至る波郷の墓
   偏願東風為彼来  偏に願う東風彼の為に来たるを

             (写真:墓と句碑)






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by 杜の小径  at 06:47 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

2月11日に想うこと

ベニひわ


 今日2月11日は国民の祝日ということであるが、私にとってはあまり愉しい日とは言えない。
 
 先ず建国記念の日であること。国民の祝日を愉しくないと言うのも偏屈だが、私には戦前の紀元節とイメージが重なってしまう。紀元節というのは奈良時代(8世紀初頭)に編纂された『日本書紀』に基づき初代の神武天皇が即位した日、「辛酉年春正月、庚辰朔」を明治5年に太陽暦に換算して定めたものである。どこの国や民族にも建国神話というものがあるから、それ自体に文句を言うつもりはない。しかし明治政府が天皇親政を補強するために利用してから紀元節は政治色を強めるようになった。全国の小学校に奉安殿を建て、ここに天皇皇后の写真を祀り、紀元節には校長が白手袋で教育勅語を奉読した。やがて軍国主義と結びついて軍隊はもとより青年団、在郷軍人まで動員するようになり、『日本書紀』の中の「八紘を掩ひて宇に為むこと、亦可からずや」を勝手に「八紘一宇」というスローガンに変えて、侵略に利用した。即ち八紘(世界)を一宇(一軒の家)とするのは神武天皇の大御心だというので朝鮮や中国などを侵略したのである。最近の憲法改正の動きなどを考えると、建国記念の日が紀元節に変えられることも強ち杞憂とは言えない気持ちなのである。

 私事で恐縮ではあるが、今日は亡き妻の誕生日である。生まれたとき、産院に隣接する小学校から紀元節を奉祝する「君が代」が聞こえてきたので紀三代と名付けられたという。
 
   双眸に闇を残す埴輪よ
   その闇の奥の奥処に       ■奥処=おくか
    私の愛した人は
    今も 紅鶸のように         ■紅鶸=べにひわ
    眠っていますか

 これは妻の墓石に刻んだ私の詩である。この墓まで歩いて行ける処に住もうと、30余年住み慣れて所沢から此処へ越してきた。妻が逝って6年半、月に一度の墓参さえ怠りがちな昨今である。愛も悲しみも歳月と共に薄らいでいくのだろうか。

   詫びたいこと
   いくつ
   雪よりも冷たい
   妻の墓
   洗う

               (写真:ベニヒワ) 





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by 杜の小径  at 05:44 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

雪の日の男料理

サラダ1
日記 004
日記 003


 大雪の予報が出ていたが、日曜日は朝から好天、気温も12℃まで上がる。籠城を覚悟して大量の食材を仕入れてあるので調理にかかる。題して「雪の日の男料理」、したがって普遍性は極めて薄いことを予めお断りしておく。

 最初はロジェさんから教えていただいたルッコラのサラダ。トマト、チーズ、塩こしょう、オリーヴオイル、それに苦味が欲しいのでチコリとエンダイブ)を加える。最後に半熟の卵を載せる。この卵の作り方は酢を加えた湯の中に溶き卵を流し込み、白身が固まり始めたら掬い上げて冷水で冷やす。

 雪に因んで雪国の常備菜を2品。いずれも会津地方を旅したときに覚えたものである。
 一つは会津名物のニシンの山椒漬。本格的には本郷焼きのニシン鉢に大量の山椒の葉で漬け込むのだが、この季節に木の芽(山椒葉)は手に入らない。で、予め冷凍保存しておいた山椒の青い実を砕いて代用する。漬け鉢もプラスチックの器。私の場合は綺麗に水洗いした身欠きニシンを一晩酢に浸け、その酢は捨てる。翌日、ニシン、山椒を交互に重ねた上から被る程度に三杯酢を注ぐ。3,4日で食べられる。
 二つ目は干しスルメ料理だが、これは至って簡単。スルメを一晩、米の砥ぎ汁に浸ける。この料理にはバリエーションがあって、一つは軟らかくなったスルメを3cmほどに裂いて天麩羅に揚げる。イカ天などより遥かに美味である。二つ目はちょっと手数がかかる。軟らかくしたスルメを4cm幅に裂き、更に両端に鋏で2㎜幅くらいの切れ込みを入れる。これを味醂、酒、醤油、砂糖の煮汁でじっくりと煮る。煮汁がなくなると両端がくるりと反り返って完成。実はこの甘辛煮だけは会津の郷土料理ではない。幼いころ縁日の夜店で食べた味が忘れられず、我流で考えたものである。
 サラダ以外は完成が明日になるので、写真は調理の途中のものである。






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by 杜の小径  at 20:43 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

消えゆく「故郷」-NHK新日本紀行を見てー          

山


山村


 埼玉県を横断する荒川の源流地帯を秩父山地という。その一隅、秩父市吉田太田部に毎年春になると美しい山の花々が咲き乱れ、秋には鮮やかな紅葉に彩られる斜面がある。これは自然林ではない。これら1万本以上の花やもみじは全て1組の老夫婦によって植えられたものだった。
 この地方は、50年ほど前までは養蚕の盛んな土地だった。一面の山肌は桑の段々畑で、50戸ほどの集落は豊かで静かな生活を送っていた。ところが昭和30年をピークにして養蚕が斜陽化し、村の戸数もこの数年間は10分の1に減ってしまい、桑畑も姿を消した。残った村人の中に小林ムツさん(84歳)と夫・公一さんがいた。二人は先祖代々耕してきた桑畑を閉じるに当たり、「使えなくなった畑を放っておくのは申し訳ない。せめて花を植えて山に返したい」と花木の苗を植え続けてきた。2006年秋、公一さんが肺炎のために亡くなった後は、ムツさん独りで山を守ってきた。自家用の小さな農園が猪に荒らされる。ムツさんは怒らない。猪が可哀想だと言う。人間がドングリなどの木の実が成る木を伐って、杉の木を植えてしまったので食べ物が無くなった猪がやむなく里へ出てくるのだと言う。
 昔は200人も集まった山の神の祭りだが、今年は5人しかいない。いつも座を盛り上げていたムツさんの姿がない。昨年、脳梗塞で倒れて病院で療養中だという。

 以上は今日放映されたNHKハイビジョン特集「秩父山中 花のあとさき ムツばあさんの秋」の要約である。NHKが5年間に亘って孤独に山村に生きる老婆の姿を撮り続け、それを通じて崩壊する限界山村の姿を描いたものだ。これを見ながら私は、天竜川に沿った赤石山脈の山肌にへばりついたような故郷 佐久間に想いを馳せていた。養蚕と林業の衰退により過疎化した故郷は、崩壊寸前の危機にある。農政、林政の失敗は全国で多くの「故郷」を消滅させつつある。いま社会を震撼させている中国製餃子事件も、こうした現象と決して無縁ではあるまい。





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by 杜の小径  at 20:48 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

ルッコラ

ルッコラ

レジ


二日続けて雪になるという予報に、慌てて近くのコープに出かける。年末までは散歩を兼ねて国分寺駅の食遊館まで行っていたが半月の入院で脚が弱ったのか、往復1時間歩くのが億劫になった。で、最近は近くのコープを利用することが多い。
 野菜売り場にダイコンの葉にそっくりな葉物が並んでいる。血中のカリウムが多いというので生野菜の摂取を禁じられている。咄嗟に、これを塩漬けにすれば水溶性のカリウムが流失するかもしれないと考えた。ところが品名にはルッコラとある。初めて聞く名前である。普段から西洋野菜が嫌いだからカタカナ野菜には疎い。指先で摘んでみると微かにダイコンの匂いがする。ままよと籠に入れる。レジで顔なじみの店員に「これ、漬物になるかな~」と聞くと「さあ、知らないわ」と言う。左右の店員に声を掛けてくれたが、誰もルッコラの食べ方を知らなかった。
 ここのレジは常時5,6人いるが、私はいつも同じ人のレジに並ぶようにしている。ポイントカードを紛失したときに再発行の手続きをして貰って以来の知り合いだ。アクセサリーの趣味が上品で襟足が綺麗な人である。そんなことより行動がテキパキしていて、レジが他の人より倍くらい速い。だから多少混んでいても、その人の列に並ぶ。向こうも顔を覚えてくれたらしく、「明日はポイントが倍だからね」と小声で教えてくれたりする。お客のみんなに言っているわけではない。先日なんか「キモノ、ステキネ」と囁いてくれたもの。だが名前は知らない。名札を付けているんだが胸の辺りをじろじろ眺めるのは気がひけて見ることが出来ずにいる。
 ここの店では袋に詰めてはくれない。会員になったとき無料でエコ袋をくれる。その袋に品物を詰め込んでいると、例の襟足美人がやってきて、「生で食べるんだって。サラダでね」と教えてくれた。レジを代わってもらって、わざわざ事務所で聞いてきてくれたらしい。あゝ、今日は気持ちのいい買い物が出来た。
 帰ってから調べると、ルッコラはアブラナ科のハーブで古代ローマ時代から食用に供せられていたという。そんな有名なハーブを知らなかったとはお恥ずかしい。とにかく洗って塩漬けにしてみた。ルッコラの塩漬は吾輩を以って嚆矢となるであろうが、成否の程は明日になってみないと判らない。おや、間もなく夜が明ける。風呂にでも入って雪を待つことにしよう。ルッコラしょ。今朝もサム~イ。 








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by 杜の小径  at 06:27 |  日記 |  comment (5)  |   |  page top ↑

さようなら考

別れ
ススキの道

 さようなら…これまでに何万回、この言葉を言っただろう。聞いただろう。別れの言葉には違いないが、私は憎しみの気持ちで発したことは一度もない。心から二度と会うまいと思ったら「さようなら」とは言わないのではないだろうか。これは、私の思い込みでもないようだ。流行歌(旧イ言イ方ダナ~)にも「さよなら」を歌ったものが沢山あるが、例外なく愛を籠めて「さよなら」を言っている。
「さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの 遠い約束」(薬師丸ひろ子『夢の途中』)
「また会おうと云った もう会えないくせに」(荒井由美『12月の雨』
「last song for you さよならのかわりに」(山口百恵『さよならの向う側』
「さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬」(オフコース『さよなら』)
「さよなら だいすきなひと まだ だいすきなひと」(花*花『さよなら大好きな人』)

「さようなら」は本当に不思議な言葉である。語源的には「左様ならば」の略語で接続詞である。別れの挨拶なのに、なぜ接続詞を遣うのだろう。中国語では「再見」(また会いましょう)、英語では「Goodby」。中学生の頃は「good by」(幸運であれ)の略かと思っていたが実は「God be with you」(神のご加護あれ)だった。よく遣われる「See you again」は、中国語の「再見」と同じ意味である。ドイツ語の「Auf Wiedersehen」、ついでに言えばフランス語の「Au revoir!(オルヴォアール)、イタリア語の「Arrivederci!(アリヴェデルチ)なども「また会おうね」という意味である。韓国語では「アンニョンヒ・カセヨ」と言う。アンニョンは、漢字では安寧と書き、それに「ヒ」がつくことで副詞となるから、「恙なく」「ご無事で」という意味で、英語の「Goodby」に近いと言えるだろうか。こうしてみると、世界の別れの言葉には、再会への期待を籠めたものが多い。
 日本語の原型をとどめていることが多い方言にも同じ傾向が見られる。津軽弁の「やすみへ」は「寝る」という意味の言葉に「別れ」の挨拶の意味を籠めている。信州では中部の「ねるぢ」が、北信では「おやすみなして」、飯田地方では「おやすみないしょ」に変わるが、同じように「寝る」と「さようなら」の兼用である。寝れば必ず明日が来る。些かこじつけめくが、「さようなら」には再会への熱い想いが籠められている証左にならないだろうか。

 像や狼は自分の死期を悟ると、黙って群れを離れるという。「さよなら」も言わずに…。動物学者は、老いた個体は足手纏いになって群れに迷惑がかかるからとか、屍が近くにあると肉食の天敵を誘い寄せるからなどと言う。そうだとしたら、哀しい習性である。「さよなら」の言える人間は幸せかもしれない。

    さようなら
    また会おうねと
    別れた芒道
    約束やぶったら
    針千本の~ます






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by 杜の小径  at 17:04 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

雪 夜

雪の庭


  陋屋深深寒気甚  陋屋 深深として寒気甚し 
  撲障白雪灑窓紗  障を撲つ白雪 窓紗に灑ぐ
  煎茶欲飲月光冷  茶を煎れて飲まんと欲すれば月光冷なり
  窓外皚皚三枝花  窓外皚皚たり 三枝の花 

  部屋に きびしい寒気が忍び寄る
  窓を撲つ雪にカーテンも濡れるほどだ
  茶を飲もうとすると月光が冷たい
  外を見ると雪を被ったミツマタの花が真っ白だ





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by 杜の小径  at 22:57 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

三椏(ミツマタ)の花

日記

ミツマタ


  春の雪 紙になる木のしらしらと

 カーテンの向こうが常ならず明るいと思ったら雪だった。それもかなりの大雪だ。TVでは若いアナウンサーが明日は立春というのに時ならぬ大雪ですとアナウンスしているが、東京で、この時季の大雪は珍しいことではない。私が上京したのは半世紀も昔のことだが、雛の節句に上野公園のスロープでスキーをやっているのを見て、東京って何て寒い処なんだろうと驚いたことがある。大雪の桜田門外で水戸浪士らに井伊大老が討たれたのも3月3日だった。もちろん、私は桜田門外の変に立ち会ってはいないが…。
 新聞を取りに下りたついでに中庭に出てみると、ミツマタが咲いていた。上掲の句で「紙になる木」というのは、この三椏(ミツマタ)のこと。上質紙はこれが原料で、大蔵省は公表していないが一万円札の原料はミツマタだと言われている。3年前、ヴェランダの鉢で育てていたのが大きくなったので理事の了解を得て共用の庭に下ろしてやったものだ。被った雪を払ってやると懐かし気に可憐な顔を現した。ご無沙汰している居酒屋の女将に、久し振りねぇ、元気だったと言われたような後ろめたさを感じる。尤も女将さんのほうは二股だが…。

 上品な話に戻そう。ミツマタは漢字では三椏、或いは三股、三又と表記される。中国原産だが、奈良時代には渡来していたようで万葉集では三枝と記されている。万葉集巻十ーに柿本人麻呂の三枝(ミツマタ)の歌がある。
 春去先三枝幸命在後相莫戀吾妹春 (読み:春されば先ずさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ吾妹〔ワギモ〕)― (現代訳:春になると先ず咲くというサキクサ(ミツマタ)のように無事でいたなら、また逢うこともできるでしょう。だからそんなに悲しまないでおくれ、恋しい人よ)
 万葉集における三枝(サキクサ)がミツマタであるとしたのは『本草綱目纂疏』の著者である曽 占春だが異説もある。加茂真淵はクロユリ説で、ヒノキまたは霊芝類とする説もある。私自身は花季が早春であること、マンサクの語源が「先ず咲く」という例から推してミツマタ説を採る。

 月も朧おぼろに白魚しろうおの 篝かがりも霞む春の空 つめてぇ風もほろ酔いに 心持ちよくうかうかと  浮かれがらすのただ一羽 ねぐらへ帰る川端で 棹の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手に入いる百両 ほんに今夜は節分か 西の海より川のなか 落ちた夜鷹は厄落とし 豆沢山で一文の 銭と違って金包み こいつぁ春から縁起がいいわぇ……「ほんに今夜は節分か」の一言を言いたいためにお嬢吉三の台詞を長々と引用してしまった。が、肝心の追儺豆を買い忘れたので冷蔵庫の煮豆で代用する。鬼が晩菜にと喜んでいるかもしれない。






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詩に痩せて

三橋鷹女

鷹女像


  詩に痩せて
   二月渚をゆく
   わたし
   鷹女の句が
  ぐざりと突き刺さる
 
 これは私の作品だが、前3行は三橋鷹女の句である。当月というので、この句を思い出したわけではない。詩を志した中学生のころから「詩に痩せて」のフレーズが頭から離れたことはない。余談になるが私は原子公平、鷹羽狩行、彦根伊波雄の指導を受け、草田男、楸邨、波郷らに私淑してきたが現在は俳句作家ではない。が、閨秀俳人としては鷹女は最も好きな俳人のひとりである。「詩に痩せて」の句から生まれるイメージ…荒涼とした二月の浜辺を一篇の詩を創るために命を削って彷徨う鷹女の姿は私の原風景の一つである。

「一句を書くことは 一片の鱗の剥脱である。四十代に入って初めてこの事を識った。五十の坂を登りながら気付いたことは、剥脱した鱗の跡が新しい鱗の茅生えによって補はれてゐる事であった。だが然し六十歳のこの期に及んでは、失せた鱗の跡はもはや永遠に赤禿の儘である。今ここに、その見苦しい傷痕を眺め、わが躯を蔽ふ残り少ない鱗の数をかぞへながら独り呟く……。一句を書くことは一片の鱗の剥脱である。一片の鱗の剥脱は生きていることの証だと思ふ/一片づつ 一片づつ剥脱して全身赤裸となる日の為に/「生きて書け----と心を励ます」
  これは彼女の句集『羊歯地獄』に自序として書かれたものである。凄まじいばかりの詩人魂は、彼女の全ての作品に凝集されている。以下に私の好きな句を紹介しておきたい。

  ◇春の夢みてゐて瞼ぬれにけり
  ◇夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり
  ◇帯売ると来て炎天をかなしめり
  ◇この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉
  ◇白露や死んでゆく日も帯締めて  
  ◇うちかけを被て冬の蛾は飛べませぬ
  ◇笹鳴に逢ひたき人のあるにはある
  ◇老いながら椿となつて踊りけり

       【三橋鷹女(みつはしたかじょ)の略歴】
 本名:三橋たか子。千葉県成田に生まれる。本名はたか子。生没年:明治32年(1899)~昭和47年(1972)  大正5年千葉県立成田高女を卒業。兄の影響で短歌に親しみ、与謝野晶子や若山牧水に私淑したが、結婚後俳句に転向する。原石鼎の「鹿火屋」に入会する。昭和34年小野蕪子の「鶏頭陣」に移る。口語を駆使した奔放な作風を開拓し、星野立子、中村汀女、橋本多佳子とともに四Tと並び称される。写真は鷹女と成田山新勝寺参道に立つ像。





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by 杜の小径  at 03:00 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

二月は鬼の国へ

鬼

鬼1


 心の地下室を
 覗いたら
 鬼どもが騒いでいる
 ああ、そうか
 節分が近いんだな

 鬼の謂れは隠(おに)
 人の心に潜む一切の邪悪が
 俺たちなんだ と
 鬼の父ちゃんが叫ぶ

 二月は
 季語では春だというのに
 人間の眼は なぜ
 銃眼のように冷たいの と
 鬼の母ちゃんが呟く

 独りぼっちは
 鬼ごっこのときだけにして
 僕だって
 お友だちが欲しいよ と
 鬼の子どもが哭く

 そんな訳で(ドンナ訳ダ)2月は鬼の国へ行ってきます。そこにはテレビも電話もありません。もちろん車も走っていません。ファッションは虎の皮の短パンだけだから見栄をはって競い合うこともありません。動物愛護のため虎の皮は模造品ですが、誰も文句は言いません。鬼の主食は蜂蜜です。重い鉄の鍬で菜畑を耕し、そのお礼に蜜蜂さんから貰った蜂蜜です。喉が渇けば蕗の葉っぱに溜まった朝露を集めて飲みます。だから鬼さんたちの心はとっても綺麗で優しいのです。(エッ、論理ノ飛躍ガアルッテ? 細カイコトハ気ニシナイノ)。そうそう、鬼の国では散歩は禁じられています。歩き回ると棒に当たるから…。その代わり赤組と青組に分かれて、しょっちゅう運動会をします。でも勝ち負けなんてつけません。玉入れが終わっても最後まで玉は数えません。ひと~つ、ふた~つと数えても、とちゅうで審判の鬼さんが「疲れた」と言ってやめてしまうので、いつだってどっちが勝ったかわからないんです。
 しばらく留守にしますが、楽しい旅だから心配しないでね。

    (写真は特別に撮影を許可された赤鬼さんと青鬼さんです)
 
【追記】1月19日に1輪だけ咲いたマツムシソウのことをお報せしましたが、現在は蕾を含めると7輪に増えました。枯れると可哀想なので鬼の国へ持っていきます。







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