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惜春の旅へ

サクラ1


手と桜


   きのう
   花を咲かせた
   雨が
   きょう
   花を散らす

 サクラにとっては無情の雨だったが、ほかの木々には
新芽を膨らます恵みの雨となる。そう思いたい。

 野鳥の会の浅間山探鳥はお断りした。花見を兼ね大勢で
ぞろぞろとバードウォッチングするのは好きでない。

 これからどこか静かな山里を訪ねて、散ってゆく花たちに
「さよなら」を言ってこよう。独りで惜春の旅に出る。

 訪ねる人もいない辺境の陋屋。わざわざ「留守にします」と
貼紙する必要も無いが、偶に訪ねて来て下くだる方のために
一応お知らせしておく。

   てのひらに
   憩う
   花びら
   風来れば
   また風と去る
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by 杜の小径  at 08:03 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

諸葛孔明の遺書

孔明


大公堂


 2日間に亘って孔明のことを書いてきたので、その最期についても触れないわけにはいくまい。うんざりした顔をしないで貰いたい。今日は簡略に済ます(つもりである)。

 建興12年(西暦236年)諸葛亮・孔明は五丈原で司馬懿・仲達率いる魏の大軍と対峙する最前線に在った。睨み合いも半年を経た秋、胃を病んでいた彼は己の死を察して後帝劉禅に書を送る。「臨終の遺表」である。これを紹介して彼の最期の思いを伝えたいが、止めておく。遺書は彼自身が国家への忠誠心だけで生き、何の野心も持たなかった事を強調して最後に、一族の安寧を「陛下に伏して願い上げ奉る」と結んでいる。人間的と言えば人間的だが、勇猛知略の英雄 諸葛孔明の最期の言葉としてはあまりにも寂しい。しかし、この書のお陰で子孫は領土を安堵された。
 浙江省蘭渓市には、今も孔明の子孫が暮らす "諸葛鎮”という村がある。実は昨年の中国旅行で魯迅の旧跡を訪ねたついでに此処にも寄る予定だったが果たせなかった。ヘンに油臭い中国料理が食べられずスイカばかり食べていて体調を崩してしまった。従って以下の文章は資料からの請売りであることをお断りしておく。

 諸葛鎮では人口5,000人のうち8割が諸葛姓を名乗っている(そうだ)。今、諸葛鎮には孔明以来、約50世代の人々が住んでいて、目上の人を敬う伝統が今も受け継がれているという。その指針となっているのが孔明が子孫に残した家訓という「誡子書」で、"武”と"忠”の文字が大きく書かれた大公堂に掲げられている。こちらはなかなか格調がたかいものだから、全文を紹介しておきたい。

【原文】
「夫君子之行、静以修身、倹以養徳。非澹泊無以明志、非寧静無以致遠。
夫学須静也、才須学也。非学無以広才、非志無以成学。滔慢則不能励精、険躁則不能治性。年与時馳、意与日去、遂成枯落、多不接世。悲窮盧守、将復何及。」

【読み方】
「それ君子の行いは、静以て身を修め、倹以て徳を養う。
澹泊にあらざれば、以て志を明らかにすることなく、
寧静にあらざれば、以て遠きを致すことなし。
それ学は須く静なるべく、才は須く学ぶべし。
学ぶにあらざれば、以て才を広むるなく、志あるにあらざれば以て学を成すなし。
滔慢なれば則ち精を励ますこと能わず、険躁なれば則ち性を治むること能わず。
年は時と与に馳せ、意は日と与に去り、遂に枯落を成し、多く世に接せず。
窮盧を悲しみ守るも、将た復た何ぞ及ばん。」

【意味】
「人の上に立つ者となるべき行いは、じっくりと構えて自分を練磨し、
何事にもよらず控えめに振舞い、人の模範となる行動を身につけることである。
無欲でなければ、大志を抱き続けることはできないし、
また、じっくり構えなければ、大きな仕事は成し遂げられないものだ。
じっくり構えるだけで、自分を磨く努力を怠ったのでは、能力を高めることもできないし、
大志を失ったのでは、自分を磨く努力を継続できない。
人を見下す気持ちがあったのでは、自分を奮い立たせることもできないし、
心に落ち着きが無ければ、性格も浮ついてくる。
時が経つのは早く、あっという間に歳をとる。
それとともに気力・体力ともに衰えて、世の中の関わりも少なくなっていく。
そうなってから慌てても、どうにもならない。」

 簡潔にと言いながら今日も長々と書いてしまった。私の悪いクセである。以前、何かといえば「忠臣蔵』を持ち出す男を嗤って恨みをかったことがあるが、省みて自分もその轍を踏んでいるような気がして気分が悪くなった。この辺で筆を擱こう。

(上の写真は諸葛鎮に在る孔明像。全国に数ある孔明像のなかで、これだけは珍しく彩色されていないが、最も彼の実像に近いと伝えられている。下は「誡子書」が納められた諸葛鎮の大公堂。入り口に掲げられた2つの文字、「武」は軍師の能力を、「忠」は主君への忠義を現す。この2文字はまさしく孔明の生涯を象徴するもの。この大公堂には試験に合格し官僚となった歴代の村人の額が飾られている。貧しくとも学問によって身を立て、世のため人のために尽くす。それが孔明が諸葛鎮の人達に伝えてきた教えなのである。)




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by 杜の小径  at 07:06 |  日記 |  comment (4)  |   |  page top ↑

ハナダイコンと諸葛孔明

ハナダイコン2


孔明


 昨日、ムラサキハナナのことを書いたが、あまり長くなると興醒めと思って途中で遠慮した。が、訪ねる人もいない辺境のサイトだから誰に気兼ねすることもあるまい。勝手に続きを書いちゃおう。(朝まで『三国志』を読んでいたので我夢クン、いささか機嫌が悪い)しかし、ダテに三国志を読んでいたのではない。ちゃんとハナダイコンに関係があるのである。

 この花が三国志中の英雄・諸葛孔明の名に因んで諸葛菜(ショカツサイ)と呼ばれることは昨日書いた。この男、三国志に登場する数ある英雄の中で人気度はナンバーワン、かく言う私もいちばん好きな武将である。私は6歳から神官だった祖父から意味も解らずに四書の素読を強制され漢籍アレルギーに罹っていたが、『』三国志』だけは中学生のころから自ら進んで愛読した。なかんずく孔明の出てくるクダリは胸躍る思いだった。殊に『出師の表』(すいしのひょう)は、何度読んでも涙が出る。

 諸葛孔明は知略を巡らして不利だった主君・劉備を扶け三国志最大の激戦「赤壁の戦い」に勝利する。しかし新国家・蜀を打ち立てた劉備だったが、僅か2年で帰らぬ人となる。残された孔明は主君が志した民衆のための国家を目指し最後の戦いに臨む。その出陣に当たって先帝・劉備の後を継いだ二代目蜀帝、劉禅に宛てた上奏文が、古今の名文として知られる「出師の表」である。とても全文は載せきれないので一部だけ紹介しておく。その匂いだけでも嗅ぎ取っていただきたい。

                 出師の表
  
 五年、諸軍を率ゐて北し、漢中に駐す。発するに臨みて上して曰はく、
 「(臣亮言す) 先帝創業未だ半ばならずして中道に崩殂せり。今天下三分し益州は疲弊す。
  此れ誠に危急存亡の秋なり。然れども侍衛の臣、内に懈らず、忠志の士、身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇を追ひ、之を陛下に報いんと欲すればなり。誠に宜しく聖聴を開張し以て先帝の遺徳を光らかにし、志士の気を恢弘すべし。宜しく妄りに自ら菲薄し、喩へを引き義を失ひ、以て忠諫の路を塞ぐべからず。
  中府中は倶に一体と為り、陟罰臧否するに宜しく異同あるべからず。若し姦を作し科を犯し、及び忠善を為す者有らば、宜しく有司に付して其の刑賞を論じ、以て陛下の平明の理を昭らかにすべし。宜しく偏私して内外をして法に異にせしむべからず。
    (中略)
 此れ臣の先帝に報いて陛下に忠なる所以の職分なり。斟酌損益し忠言を進め尽くすに至りては、攸之・褘・允の任なり。願はくは陛下臣に託すに討賊興復の効を以てせよ。効あらずんば則ち臣の罪を治め、以て先帝の霊に告ぐべし。(若し興徳の言無くんば則ち)攸之・褘・允等の慢を責め、以て其の咎を彰らかにせよ。陛下も亦宜しく自ら謀りて、以て善道を諮諏して雅言を察納し、深く先帝の遺詔を追ふべし。臣恩を受けて感激に勝へず。当に遠く離るべし。表に臨みて涕零ち、言ふ所を知らず。」と。
  遂に行きて沔陽に屯す。

 その長い陣中で兵士の脚気(カッケ)を防ぐため孔明はムラサキハナナを栽培させた。…とは三国志には書いてない。が、野草にさえ名をとどめるほど孔明は民衆に愛された英雄だったということであろうか。

 今日も長々とウンチクを垂れてしまったが、別にご愛読を強制するつもりはない。当分は気が向いたら、めげずに、こんな話しを続けよう。有体(アリテイとお読み下さい)に申せば、ほかに書くネタが無いのである。
 ゴメン!





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by 杜の小径  at 10:09 |  日記 |  comment (3)  |   |  page top ↑

ハナダイコンとダイコンの花

ハナダイコン2


ダイコンの花


 とつぜん女風呂の脱衣所が映され、そこを覗き込むオヤジの助平そう顔が大写しになる。この得なというか、可哀相なというか、ヘンなオヤジを演じたのは江戸家猫八だった。もう30年以上むかしのTVドラマだから若い人はご存知ないだろう。メインキャストは森繁久弥、竹脇無我、加藤治子など。向田邦子の初期の脚本で題名は『だいこんの花』だった。そのタイトルバックに毎回、薄紫の花が揺れていた。後で知ったことだが、それが「だいこんの花」だった。実は静岡県の田舎で育った私は、それまで こんなだいこんの花を見たことがなかった。私の知っていたのは、写真のような白い花。

 好天に釣られて、きょうは久しぶりに野川の畔を歩いてみた。アシ、ヒメガマ、セイタカアワダチソウなどの枯れ茎の下にタンポポ、ホトケノザ、オオイヌノフグリなどの小さな花を探して歩く。東経大の南の斜面に思いがけなくハナダイコンが咲いていた。旧友に出逢ったような懐かしさを覚えた。

 近くに「ハナダイコン緑地」というバス停がある。数年前まで、このバス停近くに数百坪の栗林があった。春になると一面にハナダイコンの花が咲いて紫の絨毯を敷いたようになった。ところが、ここにRマンションが建つことになり、付近の住民から反対の声が挙がった。R側は栗林を50坪ほど残すことを条件に住民を説得した。ところがマンション完成後は栗林の手入れをしないからハナダイコンは年々少なくなり、今ではバス停の名前だけが残っている。
 
 ハナダイコンは同じアブラナ科ではあるがダイコン属のダイコンとは違う。こちらはオオアラセイトウ属である。別名の多い植物で大紫羅欄花(おおあらせいとう)、紫花菜」(むらさきはなな)、紫金草(しきんそう)、諸葛菜(しょかつさい)などとも呼ばれる。 アラセイトウとは変わった名前だが、園芸植物のストックのことである。要するにハナダイコンにいくら肥料をやっても大根は出来ないということである。
 原産地は中国で江南方。中国を旅した日本画の巨匠橋本関雪は『支那山水随録』で、この花を次のように紹介している。「紫毛氈を敷いた如く、繁殖力特に盛んなり。わが紫雲英(レンゲソウ)に比すべく、その花さらに美なり。」 
この名前については興味あるエピソードが残っている。名前をめぐっての逸話として、約20年ほど前に朝日新聞の声の欄でたたかわされた名称談義を紹介しています。そして、このことが、植物学者でもあった先の天皇陛下のお耳にも達して、「牧野(富太郎)が最初にオオアラセイトウの和名を付けているのだから、それでよいのではないか。」と言われた。それで、結局「和名、オオアラセイトウ、一名、ショカツサイ」ということで決着したらしい。
 諸葛菜の語源は諸葛孔明(しょかつこうめい)が 出陣のさきざきでこの種子を蒔き、 食糧となるよう栽培したことから名付けられたという。三国志の英雄孔明についてもっと書いてみたい気もするが、 八木節が聞こえるような気がする…
  ♪ ♪ 「 もっとこの先書きたいけれど、やめろまめろの声出ぬ前に、
       ちょいとここらで ご免こうむりましてぇ またの出会いを楽しみに…
         オイサネェ」 ♪ ♪
  
         (写真は「ハナダイコン」と「ダイコンの花」)







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墓参り

ミモザ


ハクモクレン


スイトピー花束

 昨日の寒さが嘘のような好天気、南窓のカーテンが眩しい。中庭を覗くと、いつの間にかハクモクレンとミモザが満開になっていた。ミモザは3年前までヴェランダで鉢植えしていたが、大きくなり過ぎたので管理人の了解を得て庭に下ろしたもの。こうして立派な花をつけてくれると、ちょっぴり誇らしい気持ちになる。

 防衛医大病院へ入院した姉を見舞うために中日に行けなかったので、朝食後に墓参へ出かけよう。彼岸に墓参りは欠かせない。先日の日記で春分の日と秋分の日は対になっていて、そのどちらの日も日本人は墓参する習慣があると書いたが、法律的には必ずしもそうはなっていない。1948年に公布された「国民の祝日に関する法律」によると、春分の日は自然を称え、生物を慈しむ、秋分の日は祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日ということになっている。祝日の日にちを決めるのは良いにしても、その日に何をせよ、これをせよと国家が指図するのは余計なお世話ではあるまいか。「それじゃあ、春分の日はハイキングや野鳥観察だけして墓参りはしなくていいのか」と屁理屈のひとつも言いたくなる。
 
 彼岸に墓参りするのは自然の人情である。日本人は涅槃の世界を「西方浄土」と呼ぶ通り、阿弥陀仏の極楽浄土は「西」に在るとされている。そのため真西に太陽が沈む春分の日、秋分の日は夕日が極楽浄土への道しるべとなると考えられた。 この日沈む太陽が示す極楽浄土への道を白道(びゃくどう)と言い、この道を進めば必ず極楽浄土に至ると言う信仰が生まれたのである。

 あっ、いけない。知ったかぶりしてウンチクを垂れていると待ち草臥れた家内に怒られる。急いで出かけよう。コートは勿論、袷でも暑いほどの陽気なのでスポーツ・ウェアに着替えて、歩いて行く。これが正解だった。東八道路から多磨霊園を縦貫して甲州街道へ抜ける道は自動車の大渋滞、通り抜けるのに1時間はかかるだろう。桜の開花は未だだが園内にはウメ、アンズ、ハクモクレンなどの下にピクニック気分で墓参に訪れた人たちで一杯になっている。
 幸い家内が好きだったスイートピーがあったので、特別にそれだけで花束を作ってもらう。黒御影の墓石がいつに無く白く汚れている。先日の黄砂ぼせいだろう。何度も水を替えて綺麗になるまで洗ってやる。

         (写真:上からミモザ、ハクモクレン、スイートピー)







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彼岸雑感

ぼた餅


バイレイシ


 今日は春分。この日を中心にした前後7日間を彼岸と言う。その真ん中に当たるというので関東では「お中日」(おちゅうにち)とも呼ぶが他の地方ではどうだろうか。東海地方では御中日かもしれない…。
 この日は「春分に日」という国民の祝日で、秋の「秋分の日」と対になっている。今年は3月20日だが2年後は21日で、これに基き国民の祝日も年毎に閣議で日付を決めるようになっている。このように国家行事が毎年変更されるという例は世界で唯一である。
 彼岸は春秋が対になっているが、俳句の世界では単に彼岸というと春の季語となる。秋の彼岸の場合は、「秋彼岸」とか「後の彼岸」としなければならない。

 ところで春分ってどんな日? と聞かれて正確にこたえられる人が何人いるだろうか。試みに自分に問うてみたら、こんな答えが出た。 ・太陽が真東から昇り、真西に沈む日 ・昼と夜の長さが同じ日 ・お休みの日(祝日) ・お墓参りする日、 ・ぼた餅を食べる日…咄嗟には、こんな答えしか浮かんでこない。三つ目以下は子どもじみていてお恥ずかしい。殊にぼた餅は書くもがなの答えであるが私にはお彼岸とぼた餅とは切っても切れない関係にある。生家は神職だったから、普段の神前には生米か蒸した餅米が供えられていたが、彼岸になると母が必ずぼた餅を作った。それだけを楽しみに彼岸を待ち焦がれたものだった。

 ぼた餅は形がお釈迦様の頭に似ているので仏前に供えると聞いたことがある。そう言えば果物の番茘枝(バンレイシ)も「釈迦頭」(シャカトウ)の別名がある。理由は写真をご覧になれば、お解かりだろう。だから神前にぼた餅というのも変な話だが、母の説明ではぼた餅は牡丹の頃に作るから牡丹餅。萩の咲く秋の彼岸には「おはぎ」(お萩)と呼ぶのだそうである。地方によっては粒餡のものをぼた餅、漉し餡をおはぎとよぶらしいが詳しいことは判らない。後年、落語を聞きに行って、ぼた餅を「隣知らず」と呼ぶことを知った。もちはペッタンペッタンと杵で搗くので近隣に知れ渡るが、ぼた餅は炊き上がった餅米をスリコギで捏ねるだけだから隣知らずという訳である。これは根拠が明快で納得できる。同じ落語ネタで「半殺し」という別名もでてくるが、こっちも理由は明快だがちょっと遣い難い別称である。帰宅後、「隣知らず」の語源を調べたら、江戸時代に刊行された風俗百科事典のような本、『嬉遊笑覧』に出ていた。とすると、かなり昔から遣われていた言葉ということになる。

 今夜の食卓には、ぼた餅もお萩も無い。宵の口からヘシコと手製の松前漬でカンパリ・ソーダを飲んでいる。えっ? 彼岸とどんな関係があるかって? 何も無い。主治医から当分は禁酒を命じられているからである。早く日本酒でいっぱいやりたいというのが目下のヒガンである。

       (写真:牡丹に似たぼた餅と釈迦の頭に似たバンレイシ)
 
        春分偶成

    散策野畦残照紅 野の畦を散策すれば残照紅なり
    白雲鳥影春霞中 白雲 鳥影 春霞の中
    河畔花影春愁満 河畔の花影 春愁満ちたり
    却使人悲春分風 却って人をして春分の風を悲しましむ







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by 杜の小径  at 13:01 |  日記 |  comment (10)  |   |  page top ↑

熟成した麹の香り

画像 023


 旅から帰ったら、ポストに宅急便の再配達カードが入っていた。夜9時ちかくになって届けられたのは麹町倶楽部の十周年記念歌集『麹 麹 Ⅱ』だった。全370ページの重厚な歌集に読み耽っているうちに夜が明けてしまった。熟成した良質の麹の香りに酔い痴れた。
もちろん、酒好きの同人が揃っているからという意味ではない。私の作品を除けば何れも珠玉の名作揃いで、久しぶりに本物の詩に酔うことができた。
 麹町倶楽部は五行歌の結社ではあるが、ある事情から「五行歌の会」とは一線を画して独自の活動を続けてきた。平等で自由な人間の集団、それが麹町倶楽部なのである。モットーは”来る者は拒まず“、会員の中には「五行歌の会」同人も大勢いるし、私のような異端者もいる。この歌集にも「あれっ?」と思うような人が入っているが、その辺もいかにも麹町倶楽部らしいと言える。
 最後に特筆したいのは昨年10月に歌集の完成を待つことなく急逝された松本輝夫さんの「命 その営み」と題する作品群である。今にして思えば、ご自分の死を予知されていたかのような透徹した死生観が窺えて胸に迫る。・

   閉じた目で
   太陽を
   見つめる
   視界いっぱいに
   溢れる命の色

   声も無く
   痙攣をひとつ
   生体が
   物体になる瞬間
   黒豚一頭
 
なお、この歌集の巻末には昨年度年間大賞特別賞を得た「普段着の幸」という松本さんの作品が載せられていた。

   何を話すでもなく
   視界の隅に
   妻がいて
   ただそれだけの
   普段着の幸





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by 杜の小径  at 22:22 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

彼岸の入り

巌頭之感


華厳の滝


 1週間に亘る「信濃」の旅から戻りました。時、恰も彼岸の入り。祖霊が家郷に戻るのに合わせたわけではありませんが…。この間、煙草も喫わず酒も飲まず、心静かに思索に耽るという至福の時を過ごしました。さぞかし聖賢の境地に近づいたとお思いですか? ご心配なく。雑然とした陋居に戻った途端、忽ち小人愚者に逆戻りできました。

 彼岸を広辞苑でひくと「生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界。涅槃。」とあります。観念の世界で生死の海を渡ることは難しい、と言うより不可能です。己の肉体を消滅させない限り、その海を渡ることはできません。もし肉体も精神も健全なうちに彼岸へ渡るためには自死するしかありません。私は信仰を持たない人間ですが、死に直面した瞬間に彼岸をどう認識するだろうかと、とても興味があります。

 百余年ほど昔、18歳の旧制一高生が華厳の滝で自死しました。彼の名は藤村操。巌頭の大きなミズナラの樹肌を削って次の「巌頭之感」を書き遺しました。
  
   悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以って
   此の大をはからむとす。ホレーショの哲学竟に何等の
   オーソリティーに価するものぞ。
   萬有の眞相は唯一言にして悉す、曰く、「不可解」。
   我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
   既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
   始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。

 自殺を美化するつもりはありませんが、生と死について考えるときいつも華厳の滝の巌頭からマントを翻して散った少年藤村の姿が浮かんできます。

 帰宅報告のつもりが、何でこんな文章になってしまったのでしょう。旅心いまだ消えず、彼岸ということもあって些かセンチになっているのかもしれません。

        人生は
        アンコールのない
        舞台
        凛と演じて
        颯と散ろう

     (写真はミズナラに書かれた藤村操の「巌頭之感」と華厳の滝)





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ERIKAさんのライブ

erika.jpg


 my mixi のERIKAさんのライブを聴きに、目黒のJay J's cafeへ。彼女はニューヨークで活躍中のボーカリストで、昨年の浅草ジャズコンペティションでグランプリを獲得、今回は特別ゲストとして招待されたもの。昨年来日したとき、やはりニューヨークで活躍中の霧生ナブ子さんの紹介で初めて識り合った。抜群の歌唱力もさることながら、博多弁丸出しのトークと飾らない人柄に惹かれ一目惚れしてしまった。出演メンバーは ↓
Erika(vo)
奥吉聡子(P)
Hideki Isobe(Bs)
ジーン重村(Dr)
 
 かなり広いホールが満席になり、立見が出るほどの盛況。一人で行ったのでテーブルに座るのも気が引ける。カウンターで飲みながら聴くことにする。開演近くなって、「お隣、宜しいでしょうか」と、マスターが一人の婦人を案内してきた。化粧も薄く上品な感じの方だが、一旦ステージが始まると全身でリズムをとっている。心から音楽すきのようだ。1st-stage が終わったとき、ERIKAさんが「ガムちゃん、お久しぶり」と近づいてきた。が、その視線が隣の女性に釘付けされた。「あらっ、マリコ来てたの!」…聞けば、ニューヨークで一緒に暮らしたお友達とのこと。携帯でツーショットを撮らせていただいたが、美女二人を前にして手が震えたのかピンボケで写真をアップできないのが残念である。ステージの写真も同様なので、上掲の写真はERIKAさんのブログからお借りした。

 むかし、あるコンサートについて知ったかぶりな感想を書いて恥をかいた。それ以来、音楽評論はしないことにしている。英語とポルトガル語による歌のすばらしさを、ぜひライブ会場に足を運んで実感していただきた。東京公演は10日で終わり、あとは以下の日程で故郷への凱旋公演となる。

 3月12日(水)鹿児島市「明日の地図」

3月13日(木)熊本 「酔ing」

3月14日(金)熊本 BAHIA

3月15日(土) SOLD OUT ふかほり邸

3月16日(日) 福岡 ジャズクラブ NEW COMBO

 実は今朝旅に出るつもりで、最終ステージは拝聴しないで帰った。ところが夜型人間が早寝できるはずもなく、ベッドインしたのは朝。目が覚めたのは昼近くで、結局旅立ちは明日に延ばすことになった。寝惚け眼でPCを開けると、ERIKAさんから丁重なメールが入っていた。なんと律儀なかただろうと恐縮して目が覚めた。

【お知らせ】 明日から旅に出ますので、 mixi も「杜の小径」も暫く休むことになります。帰宅の予定は未定です。皆様、お元気で





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ホワイト・デー

画像 014


 来週から旅に出るので15日のホワイト・デーには少し早いが、お返しを送る。私が甘いものを好まないのを知っているから、古い友人でバレンタインデーにチョコレートをくれる人は殆どいない。10年ほどむかし、ひとりだけ神戸T社の「one pound」というチョコレートを贈ってくれた人がいた。厚さが3cmもあり、名前通り重量が0,5kg近くある。(写真が現物だが、万年筆と較べると大きさが判る)味がビターで山登りの非常食に最適だと言ったら、それ以来、律儀に毎年送ってくれる。登山の非常食には最適だがピッケルでないと割れないほど硬いから、実のところ普段はもてあまし気味だ。これ読んだら、来年からは”愛“を贈ってくれ! (ジョーダンだぞ)。
「お返しが面倒だから送るな」と言ってあるから教え子たちからは殆ど来なくなった。なかには意地になって花や果物を送ってくるのもいる。この際言っておくが、旅が多いから花はせっかく送って貰っても世話ができないし、果物は血中カリウムが多いからと主治医からストップがかかっている。まあ、貰って重宝だったのはアンチョビ・フィレの缶詰。こんなこと書くと来年からアンチョビだらけになっても困るが…。要するに何も送ってくれるなということである。





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埼玉・北本自然林を再訪

ニワウルシの実


ベニマシコ1


ルリビタキ


 先月21日に訪ねた埼玉県北本自然林を再訪する。そのとき丘の頂上近くに真っ白な花をつけた巨木が見えたが、近くまで登る時間がなかった。帰宅して図鑑で調べると、どうもニワウルシらしい。それを確かめるのが再訪の主な目的である。
 真っ直ぐに巨木に近づくと、山肌に点々と白い花びら状のものが散らばっている。拾い上げてみると翼果であった。カエデの実のようにプロペラ状の翼を付けた種である。これで間違いなくニワウルシだと判った。名前にウルシと付いているが、ニガキ科だからかぶれることはない。。葉がウルシに似て羽状複葉なのでこういう名が付いたのであろう。この木は別名をシンジュ(神樹)とも言う。サカキのように神に供えるからではない。外国で天にも届くような大木の意味でTree of Heavenと呼ばれているのを直訳したに過ぎない。この木の葉はシンジュサン(神樹蚕)の食性で、この山繭から採れる糸は天蚕と呼ばれる貴重な織物になる。

 丘を下りてくるとブッシュの前にカメラの砲列が見える。そっと近づくと2羽のベニマシコがイノコズチやセイタカアワダチソウの実を啄ばんでいる。人馴れしているのかカメラを気にする気配がない。至近距離で観察できるのは滅多にないことなので、30分ほどじっくり観察する。池にはコガモが群泳していて、グリーンのサングラスと黄色いパンツを穿いたような姿が可愛らしい。小鴨と言っても鴨の子どもではない。小鴨という種類で立派な成鳥なのである。池の縁で、これも珍しいルリビタキが見られた。枯葉の間に見え隠れする瑠璃色の羽が見事だ。同じブッシュにエナガの群れもいたが、こちらは動きが速くてカメラで捉えることはできなかった。
 
 帰途、久しぶりに所沢の姉を訪ねる。近ごろ体調が勝れないという。

     (写真:上からニワウルシの実、ベニマシコ、ルリビタキ)





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by 杜の小径  at 18:17 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

佐保姫(さほひめ)

佐保姫バラ


佐保姫サボテン


佐保姫


   そよ風は佐保姫の裾さばきとも

 これは新進の俳人大堀柊花の春の句だが、さて季語は何であろうか。一見して「そよ風」のように思えるが実は「佐保姫」が季語なのである。五行説では春は東の方角にあたり、平城京の東に佐保山に住む女神を春の化身とした。都の西方、竜田山に住み秋の象徴とされる竜田姫と一対を成している。ちなみに古事記に狭穂姫(沙本毘売)の名が見えるが、これとは関係がない。
 古くから詩歌に登場し、大藏卿匡房の『詞花和歌集』の平兼盛の歌「佐保姫の糸そめかくる青柳を ふきな みだりそ 春のやまかぜ」 は有名である。もっとも詞書には「天徳四年内裏の歌合に柳をよめる」とあり、テーマは柳だったようだが…。
 また『新後拾遺集』には二条為重の「佐保姫の霞の衣おりかけて ほす空高き天の香具山」が載っている。以上二つの例からもわかるように、佐保姫は染織の神でもあった。

 謡曲『佐保姫』(世阿弥)も有名である。藤原俊家(ワキ)が奈良の春日明神に参詣すると、佐保山に美しい衣が見えるので登ってみる。そこでは一人の女(前シテ)が縫い目の無い布を晒している。俊家が話しかけると、女は佐保姫と名乗り、霞の袖に隠れて姿を消す。俊家がうとうとしていると妙なる楽の音が聞こえ、美しい花びらが降りかかる。やがて月光の中から佐保姫(後シテ)が現れ、白妙の裳裾を翻しながら舞い始める。

 弥生も既に半ば、心してご覧になれば春霞の中に佐保姫の美しい姿を瞥見できるかもしれませんよ。ところで佐保姫さまに写真を一枚お願いしたところ、随神(かんながら)の世界では肖像権が mixi 以上に厳しいとのことにて、已む無く春の花と和菓子の葛羊羹に化身されたお姿を紹介させていただく。
  
    (写真;上か葛羊羹ら佐保姫という名のバラ、サボテン、葛羊羹)





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by 杜の小径  at 07:16 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

啓蟄、料峭、そして春愁

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明日は啓蟄(けいちつ)、二十四節気のひとつに当たる。啓は開く、蟄は閉じ籠るの意味で、暖かくなったので冬籠りしていた虫たちが穴から這い出してくるということ。なかなか含蓄のある語で俳句では春の季語とされているが、日常的に遣われることは少ない。
 同じように日常生活では死語となってしまった語に料峭(りょうしょう)がある。料はものごとの程度を表す語。峭は本来は崖ということだが、転じて厳しいという意味を持つ。この二つが合わさって料峭となると、なんと春になっても肌寒く感じる風という意味になる。リョウショウした? (オヤジギャグでごめん)

 虫だって穴から這い出すんだから人間サマが部屋に籠っているわけにはいかない。(ほう、感心! で、どこへ行くの? 北アルプス? )いや、ヴェランダへ。 (≧∇≦)ノ
 
風は冷たいが降り注ぐ陽の光はすっかり春のものだ。先週、古い植木棚を解体して捨てたので、清廉な住人に相応しくヴェランダが明るく清潔になった。ちなみに清廉の廉は値段が安いという意味だが、清が付いて清廉となると心が清らかで私欲が無いという意味になる。(薀蓄はモウイイヨ!)そのとき水仙の株分けをしたのだが、時季が遅かったので今年の開花は諦めていた。ところが…なんと小さな花が一輪だけ咲いているではないか。(写真上)持ち主の乱暴な扱いにもめげず、必死の思いで花を咲かせたのであろう。その健気さに思わず胸が熱くなった。
下側の葉っぱだけの写真は何に見えるだろうか。実はミツバである。いつも芽を摘んでいれば新芽が伸びて、もっとミツバらしくなっただろうが…私はこれを一度も食用にしたことがない。最初は食べるために買った根ミツバだったが、葉の部分にグザリと包丁を入れたとき急に、俺はなんて残酷なことをしているんだろうと思った。で、根の部分をプランターに植えておいた。1週間ほどして、それが小さな芽が出しているのを見つけたときは驚いた。一生懸命生きようとする姿に感動した。以来、食べることなくせっせと水をやって育ててきた。だがミツバを食べないわけではない。ミツバを軽く炒めてから御飯に混ぜる菜飯が好物だから、時どき八百屋で買ってくる。その度に根の部分を植えるからミツバのプランターがどんどん増えてしまう。右の写真の上部に白く見えるのは1週間ほど前に植えた最新のミツバである。この調子でいくと、遠からず我が家のヴェランダはミツバに占拠されることになる。このことが私にとって目下、最大の春愁である。(イミガ チガウッチュウノ!) ドテッ (*゚ω。)ノ





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by 杜の小径  at 22:51 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

桃の節句

桃の村


  背戸口に闇を残して雛の家

 三月三日は桃の節句、東京近郊では花季は未だ先になるが、花舗の店先では節句を当て込んだ桃の花が満開である。このことと関係はないが、今日から mixi を再開することにした。詳しい事情を話すつもりはないが、昨年あることが契機で my mixi の殆どの方とお別れした。 が、その中の或る方から「逃げるのはよくない。不条理とは闘うべきだ」と言われた。眦を決して闘うほど価値のある相手とは思わないが、傍若無人の振る舞いを許さない用意だけはしておくことにする。
 mixi というのは両刃の剣、異分野の方と交流できるメリットがある反面、一歩誤ると蜘蛛の巣にかかった蝶のように歪んだ人間関係に苛まれることになる。これからは心の許しあえる少数の方と mixi を通じた sllow-life を楽しんでいきたい。
  
  桃咲きて鳥もけものも逃げぬ里





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