FC2ブログ
 

「こどもの日」考

tuetateonsen_450.jpg


岡本太郎作


五月飾り


「こう休みが続くと何で休んでいるのか判らなくなります」…退屈だからゴルフにでも行きませんかと電話してきた後輩が最後に、こう言った。未だ現役弁護士の彼がこうだから浪々の吾輩に判るはずもない。電話が切れてから手帳を開いてみる。日付の隅に赤い小さな文字が並んでいる。4月29日が昭和の日、5月3日が憲法記念日、4日みどりの日、そして5日が、こどもの日。なるほど6日の振替休日をいれると8日間の連休になる。が、それぞれの休日にどんな意味があるのか判然としない。私ほどの歳になると昭和の日が戦前は天長節と呼ばれた昭和天皇の誕生日であることは解るが、みどりの日となるとさっぱり。国家的休日が、このように意味曖昧というのは世界にあまり例がない。

 今日の「こどもの日」は昔の端午の節句だが、往時とはかなり様変わりしている。都会では外に立てる鯉のぼりが少なくなって、岡本太郎などがデザインしたオブジェ風のものを室内に飾る家が増えている。若いお母さんの中には柏餅の代わりに鯉のぼり弁当を作る方もいると聞く。観光地ではワイヤーで繋がれた数百尾の鯉のぼりが人目をひいているが、昔は見られなかった光景だ。

 鯉のぼりには苦い思い出がある。小学校3年の教室、私は先生の質問に応えて鯉のぼりの説明をしていた。田舎から転校したばかりのシャイな少年に先生は易しい質問を投げてくれた。得々と説明していたが「鯉のぼりは紙を貼り合わせて…」というくだりにかかったところで級友がどっと笑った。先生が慌てて「紙でできたものもあるわよね」とフォローしてくれた。天竜河畔のド田舎で育った私は、それまで布で作った鯉のぼりを見たことがなかった。この歳になっても鯉のぼりを見る度に、恥ずかしさに苛まれる。
 
端午は五節句の一つで、毎月初めの「午(うし)の日」のことを指していたが、午は「五」に通じることから5月5日を端午の節句と呼ぶようになったとも。一方、中国・戦国時代の優れた政治家で詩人でもあった屈原の命日に拠るとの説もある。
 鯉のぼりの起源は、武士が出陣の際に用いる幟(のぼり)。その図柄は家紋から武者絵へと変わり、江戸初期に鯉が登場したという。鯉が黄河(中国)をさかのぼり、龍門の瀧を登り切ると、龍となって天に昇るという伝説にちなみ、子供が試練に耐えて立身出世するようにと、鯉のぼりが立てられるようになった。登龍門という言葉はこの故事から生まれた。サンズイに龍を合わせて瀧とした漢字の語源もこれである。

 あっ、また悪いクセが出た。以前ある人から、あなたの日記は理屈っぽくて面白くないと言われた。たしかに、そういうところがあるかもしれない。読む側からすれば裏口から「ちわ~」と気軽に飛び込んだら「まあまあお上がりよ」と招じ入れられ四書五経を講じられるような気持ちになるのかもしれない。私にすればウンチクをひけらかす気はさらさら無いから、「短日やもの書かざるは飢えに似て」の一句を添えて、もう読んでいただかなくても結構ですと申し送った。正直に言うと私自身も反省はしているのだが、優れたエッセイストではないから簡潔軽妙な筆致で人を唸らせるような文章は書けない。それと、もの書きのゴウのようなもので書き始めるとあれもこれもと書きたくなってしまう。いうなれば「慣(ならい)性となる」(書経より)…マタ、ヤッチャッタ
 というわけで、今日はこの辺で筆を擱く。もの好きな方がいて、続きを読みたいと思われたら、小生のホームページ「杜の小径」 をご覧いただきたい。

 *.・:☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・: *.・:☆'.・

 そういう事情でミクシーの日記は以上で終わっているが、ついでだからもう少し書き足しておきたい。
 前のところで登龍門のことを書いたが、これは本場の中国より日本で有名になり、絵画、彫刻はおろか落語にも取り上げられている。「道具屋」という上方落語をご存知だろうか? どうせ暇を持て余してこんなサイトを覗かれたのだろうから、ちょいと聞いていって欲しい。道具屋の叔父と、ちょいと足りない男の会話である。

「ありゃ、忍術の巻き物みたいなもんが出てきましたけど、これ何ですかいなぁ?」
「忍術の巻き物ちゅうやつがあるか、それは掛軸じゃ」
「るほど。床の間にぶら下がったぁるあれでしょ。ちょっと見してもらお……、こら面白い絵ぇやなぁ」
「ほう、感心やなあ、お前その掛軸の絵が解るかえ?」
「馬鹿にしなはんな、わてかてこれぐらい解りますわいな。ボラが尾で立って素麺食ぅてるオモロイ絵ぇやなぁ」
「どこぞの世界に「ボラが尾で立って素麺食ぅてるてな絵があるか。そら鯉の滝登りやで」
「ホォ、これ鯉の滝登りですか? わたいまた素麺がぎょ~さんこぼれたぁるなぁ、勿体無いなぁ思て。で、何ですか? 鯉は滝登りますんか?」
「鯉といぅものは勢いのえぇ魚やなぁ、川上へさしてドンドン登って行て、間に滝があったら遡りに登って行くといぅぐらいやなぁ」
「な~るほどねぇ……ところで、わたい鯉の捕まえ方っちゅうのん思い付きましたねぇ」
「ほぉ、どないすんねん?」
「あのね、バケツに一杯水汲んで、鯉の居てそぉな川へ行きまんねん。へてから、橋の上からこのケツの水をザッバァ~~ッとぶっちゃけてね「お~~い、滝や滝や、滝やゾ~~」言ぅてね、大きな声で呼びまんねん。するとどこにでもこんなん一匹や二匹居てまんねんけど、慌てもんの鯉がホンマもんの滝と間違いよって「えらい細い滝やなぁ」言ぅてズルズルズル、バケツの中へドボ~~ン……」「バカラシ、お前やないと思いつかんわ」…お粗末でした。お後がよろしいようで…。

 鯉の滝登りはこれほど有名なのだが、実はこの説話の出典とされる『後漢書』や『三秦記』には、一言も鯉という字は出てこない。ただ大魚と書いてあるだけである。説話、伝説のたぐいは、得てしてこのように変形していくものなのである。
 話を五月飾りに戻そう。鎌倉、室町時代の武家屋敷では梅雨の前に手入れを行う為に、戸外に旗幟や吹流しを飾り、座敷には鎧や兜、武具を出して虫干しのようなことをした。これを五月の節句の起源とする説もある。このときショウブを飾るのは古代からそれを薬草として服用したり風呂にいれたりした習慣があったことと、「菖蒲」と「尚武」の音が同じであることから武士階級の間で広まったようだ。江戸時代から町民もこれを真似て紙で作った兜や木で作った槍やなぎなたを飾るようになり、明治以降の富国強兵の風潮によって、庶民も派手な飾り物や武者人形を飾るようになった。

 端午の節句と言えば柏餅。現代は年中売っているが、昔は子どもにとって柏餅が大きな楽しみだった。万葉集に謀反の罪で非業の死を遂げた有馬皇子の歌がある。家有者笥尓盛乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛…家にあれば笥(ケ)に盛る飯(イイ)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る…宮に居たころは立派な器で食事をしたのに囚われの旅では椎の葉にも盛って食べている。何と悲しいことかという哀切極まりない歌だが、問題は椎の葉。あんな細かい葉に御飯を盛れるだろうか。ここで椎というのは実は柏ではないかというのが私の推理。カシワの名前の由来は炊葉(かしきば)」で、古くは食べ物を盛るための食器として、また、食物を包んで蒸す道具として使われていた。万葉集では桔梗を朝顔と詠んでいる例もあるから柏を椎と詠んだと解しても一向におかしくはない。さて話を急ぐが、柏の葉は新芽が出てから古い葉が落ちるので家系が途絶えない縁起ものとして喜ばれ、端午の節句に用いられるようになったのである。それと、中国では5月5日に粽(ちまき)を作る風習があり、日本でも最初は粽を作っていた。1000年ほど前に編纂された『倭名類聚鈔』には「知萬木」という表記で紹介されているから、かなり古い食べ物である。最初はイネ科の茅萱(ちがや)を使ったのでチマキと呼ばれたが、次第に笹の葉がつかわれるようになった。中国での始まりは紀元前2-3世紀、の故事に由来する。国の行く末を憂いつつも、陰謀によって失脚した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投じて亡くなってしまう。彼を慕う民衆は、屈原の死体を魚が食べないように粽(ちまき)を投げ入れて、舟の舳先に龍の首飾りを付けたという。その命日が5月5日で、やがてその風習は病気や災厄などを除ける端午の節句となり、日本に伝わってきたものである。
 
   (写真:上から観光地の鯉のぼり、岡本太郎作の鯉のぼり、五月飾り)

スポンサーサイト








※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 17:03 |  日記 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
プロフィール

杜の小径

Author:杜の小径

杜のMENU
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
カウンター