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五行歌世界大会への疑問

白椿


 口語短歌の系譜を継ぐ短詩形に五行歌というものがある。その五行歌が今秋、東京で第1回世界大会を開き、今後はオリンピック並みに4年に1度開催するという。世界大会と銘打つ以上、世界196ヶ国のうち少なくとも10分の1,20ヶ国ぐらいから代表が参加するのであろう。同会の掲示板による限り海外活動はアメリカ、タイぐらいだが、あと半年足らずでどうやって世界各国にアプローチするのだろうか。たいへん失礼な予想だが蓋を開けてみたら参加は数ヶ国、20名以下だったというのでは国際版の吉兆事件と嗤われることになりかねない。羊頭狗肉の茶番劇に終らないことを祈る。

 国内から何人参加されるか知らないが、全員が自分の作品を外国語に翻訳できるのだろうか…そう案じていたら、どなたかが代わって訳すのだという。これも驚きである。五行歌には他人の作品には指導と雖も手を加えないというルールがあったはず。外国文学を翻訳で読んだ人なら直ぐ解ることだが、細かなニュアンスは訳者によってガラリと変わる。まして poem (詩)の場合は、これが同じ詩の訳かと思うほど変わる。五行歌を外国語に訳す場合も、当然ながら同じことが言える。他人の作品に手を加えないという従来のプリンシプルは一体どうなるのだろうか。

 論理で構成される論文や筋を辿る小説とは違う。そもそも日本の詩歌を外国語に翻訳すること自体が無理、と言うよりナンセンスなのである。例えば「あなた」を表す二人称代名詞を考えてみよう。日本語では思いつくまま挙げても「君」「そなた」「あんた」「お前」「てめえ」「貴殿」「きさま」などなど、恐らく200を超えるだろう。ところが英語では「you」一語で片付いてしまう。「わたし」を表す一人称代名詞についても同じである。これに尊敬語、謙譲語が加わり日本語は更に複雑になる。他の品詞もについて同じである。今の季節に降る雨を日本語では五月雨、梅雨。夕立、喜雨、慈雨、果ては「卯の花腐し」とか「虎が雨」などと呼ぶことがある。このように四季折々、時と場合によってこれを遣い分けているが、英語では四季を通じて「rain」だけ、無理して探しても俄か雨を指す「syower」ぐらいである。
要するに英語に代表されるセム語系言語はアルファベット26文字の組み合わせによる極めて記号性が強い言語である。これに対し日本語は言霊(ことだま)の語に象徴されるように語彙の一つひとつへの思い入れが欧米語とは根源的に異なっている。

 風俗習慣の違いに基づく言葉の違いも大きい。話は跳ぶがケンカのやり方ひとつにしたって日本人と欧米人とでは違う。日本人は「ビンタ(頬)を張る」が欧米では chin を狙う。チンと言っても男性の急所ではない、顎(あご)である。ついでにアメリカのスラングでは元気を出せとか、へこたれるなというのを「keep your chin up」と言うが、日本人が「顎を出す」と言う場合は、真逆に「弱った」という意味になる。

 最も重要なことは、日本の詩歌には言葉を直訳しただけでは伝わらない作者の微妙な想いが籠められている。行間に隠された深遠な想いは、日本語独特の響き、間(ま)、息遣いなどによって読み手に伝えられるもの。散文を翻訳するような方法では絶対に不可能なことである。いまからでも遅くない。主催者は「頭が真っ白になっていた」という理由でいいから、潔くこの愚挙を撤回すべきである。歌人たちにとっては、この大会への参加不参加は、主宰への忠誠心をとるか、詩人としてもプライドをとるかの踏み絵となるであろう。

(写真は宗門改めが行われた長崎奉行所の庭に咲いていたと言われる白椿。別名を切支丹椿と言う)



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by 杜の小径  at 11:55 |  日記 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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