スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at --:-- |  スポンサー広告 |   |   |  page top ↑

季節のことばー六月尽―

紫陽花


ウノハナ


野バラ


 今日は6月最後の日、季語では六月尽(ろくがつじん)という。この月は雨の日が多かったこともあって、珍しく遠出の旅をしなかった。それでも寺家ふるさと村で田園の風に吹かれたり、青梅まで足を伸ばして古い繭蔵を改造したレストランで創作料理いただいたりした。そのほか水原亜矢子さんの俳句展、朝馬師匠の独演会、知人の陶芸展、麹町倶楽部歌会、短詩研究会など、振り返ると結構忙しい毎日だった。
 
 短詩研究会では突然指名されて万葉集について1時間余り話をした。ぶっつけ本番で困惑したが、それを口実にかなり大胆な推論を交えて話すことができた。主に万葉集の表記について、特に柿本人麻呂の表記の特徴について話す。例えば「春楊葛山発雲立座妹念」(巻11)は全10字で万葉集の中で最も字数が少ない。助字が全く遣われず訓字が日本語の語順に羅列されているだけである。これを「はるやなぎ かづらぎやまに たつくもの たちてもゐても いもをしぞ おもふ」と、七五調の歌に読み下すなど神業としか言いようがない。これが出来たというのは、この字とこの字の組み合わせの場合はこう読むという約束事が出来ていたのではないか。これなら万葉集の作品に類似の常套句が多い理由も頷けるし、七五調発生の謎を解く鍵もこの辺にあるかもしれない。

 まあ、こんな話を取り止めも無く話した。今日は、そのうちの初夏の花に関する万葉の歌を取り上げて、去り行く六月に贈る言葉としたい。
現代人の感覚では初夏の花と言えば紫陽花ということになるが、万葉集には意外にも2首しか載っていない。そのうちの橘諸兄(たちばなのもろえ)の作を最初に紹介する。

  あぢさゐの 八重咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつしのばむ

 この歌の意味は、紫陽花が幾重にも群がって咲くように変わりなく、いつまでもお健やかでいて下さい。あじさいを見るたび、あなたを偲びしましょうというもの。橘諸は紫陽花を「安治佐為」と表記しているが家持は「味狭藍」としている。このように表記は人によって異なる。

 次は菖蒲。万葉集で菖蒲は安夜賣具左(あやめぐさ)と詠われているが、サトイモ科のショウブのことと見られている。万葉集には12首載っている。次に挙げるのは田辺福麻呂(たなべのふくまろ)の作品。アヤメには霍公鳥(ほととぎす)と組み合わせた歌が多い。

  ほととぎす いとふ時なし あやめぐさ かづらにせむ日 こゆ鳴き渡れ
 
 歌の大意は、ホトトギスよ、お前を嫌だと思うことはないよ。菖蒲をかずらにする日に此処を鳴いて渡っておくれというもの。「かづらにせむ日」は、古代、5月5日に菖蒲を頭に巻いた風習を指したもの。

 卯の花(宇能花)というのは日本原産の空木(ウツギ)の花のこと。それだけに万葉集には24首に登場する。これもホトトギスとの組み合わせた作品が多い。次の歌は万葉集編集の中心人物と目されている大友家持(おおとものやかもち)のもの。

  卯の花も いまだ咲かねば ほととぎす  佐保の山辺に来鳴き響(とよ)もす 
 
 意味は卯の花は未だ咲かないのに、ホトトギスはもう佐保山の辺で鳴き始めたよというもの。佐保山は、現在の奈良市法華町一帯の丘陵を指す。

 万葉集初夏の花の掉尾を飾るのは薔薇。防人(さきもり)だった丈部鳥(はせつかべのとり)に殿(しんがり)を務めてもらう。

  道の辺の荊(うまら)の末(うれ)に這ほ豆の からまる君を別れか行かむ

 道端の荊にからまるツルマメのように縋り付く妻と別れて、私はこれから出陣するという、哀切極まる防人の歌。荊と薔薇は違うなどと固いことは言わないで欲しい。あなたが想像しているような華麗な西洋バラは明治以降のこと。万葉集ではバラの原種の野茨は宇万良(うまら)と呼ばれ、「荊」「荊棘」と書かれることもあった。後に「うばら」「花うばら」「野うばら」「野いばら」と転化していく。

             (写真:上から紫陽花、卯の花、茨の花)
スポンサーサイト





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 03:46 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

季節の言葉―枇杷―

枇杷1


枇杷


 長崎の友人から枇杷が送られてきた。添えられた手紙によると、最近は燃料費の値上がりでハウスを止めて露地栽培に切り替える生産者が増えている。そのため昨年より出荷が遅れ、形も一周り小さいという。それでもさすがに本場もの、十分に季節の味を堪能できた。くるりと皮を脱ぐ潔さ、つるりと舌に触れる種の感触、控えめな甘さと香り、そして長崎生まれというせいか仄かに漂う異国情緒など…枇杷には他の果物とは一味違った魅力がある。
 
   果肉より威張ってゐるよ枇杷の種 (杜)
   さびしくて食む枇杷なれば種愛(いと)し(杜)

 幼いころ、母屋から少し離れた畑の隅に枇杷の木があった。足を病む祖母のために枇杷の葉を採りに通うのが私の役目だった。母はそれを竈の火で炙って祖母の足に貼っていた。また葉を煎じて万病に効くという枇杷茶として飲んでもいた。こんなに役立つ枇杷なのに、私の田舎では病人が絶えないという理由で屋敷内に枇杷を植えることを嫌った。いま思うに、病人のいる家で薬用に枇杷を植えていたので、いつの間にか枇杷のある家は病人が出ると言われるようになったのであろう。迷信とは殆どこのようにして生まれる。

   家跡は茶畑となり枇杷稔る (杜)
 
 枇杷の薬効が注目されたのは、かなり古くかららしい。インドに伝わる仏教経典のひとつ大般涅槃経の中で、枇杷の樹は大薬王樹、葉は無憂扇と紹介されており、優れた薬効があると伝えられている。また、奈良時代には鑑真和尚が中国から日本に枇杷の葉療法をもたらし、皇居や寺院で枇杷を用いた治療が行われていたといわれている。近代医学でも枇杷に含まれるビタミンB17はガン治療薬としても研究が進んでいる物質で、腰痛や肩こり、冷え性、皮膚炎、高血圧、糖尿病、リウマチなどの効果が期待できるという。また、枇杷の葉には殺菌力があり、葉を煮詰めた汁は、アトピーや水虫、やけど、切り傷、捻挫などにも効果があると言われている。

   枇杷の実を剥きつつ無口ふたりの夜 (杜)
   箱詰めの枇杷箱を出てから孤独 (杜)





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 12:41 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

季節の花ーニセアカシアー

アカシア


ニセアカシア


 マイ・ミクシーのtokoさんが今日のの日記でアカシアのことを書いている。これは和名で槐(エンジュ)というが、アカシアのほうがポピュラーであろう。tokoさんは一行詩人でもあり、「襟立ててアカシアの雨口ずさむ」の詩に添えて「?十年前に一世を風靡した西田佐知子の歌を思い出す」と書かれている。少し鼻にかかったハスキーな歌声は、私にも懐かしく思い出される。松任谷由実(ユーミン)には「Acacia」の曲があるが、これは能登を訪れたとき見たニセアカシアがヒントになっているらしい。ニセアカシアは針槐(ハリエンジュ)のことで、葉の基部に針状のトゲを持つ。日本では両者が混同されることが多く、有名な札幌のアカシア並木も実はニセアカシアである。
 
 若いころ西武線中井駅の近くに住んだことがある。此処は尾崎一雄の『なめくじ横丁』の舞台になった処で、決して高級住宅街ではないが不思議に文士が多く集まっていた。同書から綺羅星のような作家を拾ってみると…まず尾崎一雄が住んでいる部屋が壇一雄が借りている家の一階で、そこに集まってくる仲間が浅見渕、丹羽文雄、田畑修一郎、中谷孝雄、外村繁、中島直人、木山捷平、光田文雄、古谷綱武、古谷綱正。これは『なめくじ横丁』には書いてないが、当時、古谷綱武は比較的裕福で、この近くに自宅を持っていた。すでに弟の綱正はジャーナリストとして独立、妹の文子も新劇俳優の滝沢修と結婚していたから、古谷の家には大鹿卓、太宰治、古木鉄太郎などが頻繁に集まった。そして古谷が実質的に発行していた『海豹』から太宰治、木山捷平が文壇デビューすることになる。    
 
 再び尾崎の『なめくじ横丁』に戻る。尾崎一雄の家の向かいに引っ越してくるのが上野壮夫で、そこに集まるのが、本庄陸男、平林彪吾、小熊秀雄、亀井勝一郎、加藤悦郎、吉原義彦、神近市子、矢田津世子、横田文子、若林つや子、平林英子など。他にも井伏鱒二、坂口安吾、滝井孝作、佐藤春夫、里見、菊池寛などの名前も出てくる。
 私が住んだころには綺羅星たちは既に文壇の大家となり「ナメクジ横丁」に住む文士は無く、草野心平がやっていたという伝説の飲み屋「火の車」跡は数坪の叢と化していた。ただ横丁を見下ろす高台には、通称吉屋御殿と呼ばれる吉屋信子邸が当時も辺りを睥睨していた。大風が吹くと桶屋が儲かる式の展開になってしまったが、話しをニセアカシアに戻すことにする。…この「なめくじ横丁」を跨ぐように環状6号線(通称山手通り)が走っている。その歩道に沿ってニセアカシアの並木が植えられており、毎年夏が来ると房状の花をつけていた。いつの頃からか、この花を見るたびに私の脳裡には大連の街並みが浮かぶようになっていた。そればかりではない。空想の中の私は大鋏で花の幾房を切り取り、天麩羅に揚げていた。もちろん私は大連育ちでは無いし、大連へ旅したことも無い。中国大陸を放浪したことのある師の檀一雄から聞いたのだろうか、それとも『アカシアの大連』を書いた清岡卓行か大連生まれの遠藤周作か千田夏光のエッセイでも読んだのだろうか。とにかくアカシアの花を見る度に条件反射のように大連の街並みと天麩羅のシーンが浮かんでくるのである。
 ある日私は夢の中の出来事を遂に実行した。夜半、山手通りに出掛け、幾房かの花を切り取ってきた。そして念願の天麩羅に揚げた。ガリッとした山菜のような食感を期待したが、実際は違った。幽かに花の香りがしたが、うどんを固めたようなぐにゃっとした食感は私の好みには遠かった。それ以来、ニセアカシアの花を見ても大連の街並みも天麩羅も浮かんでこなくなった。もちろん花盗人からもあの一回だけで足を洗った。
              
      道尽きてサルビア そして海となり  (杜)
      
      花槐(えんじゅ) 喪服吊るせし窓の外  (杜) 
      
      アカシアや満州といふ國ありき  (杜)
         


             (写真はアカシアとニセアカシアの花)











※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 20:29 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

季節のことばー蛍―

ホタル


蛍1


蛍3


 日本人と蛍は縁が深い。私たちの世代だと「蛍来い」という童唄が耳朶を離れない。

    ほう ほう 蛍 来い
    あっちの水は苦いぞ
    こつちの水は甘いぞ
    ほう ほう 蛍 来い

 「蛍」という唱歌も懐かしい。これを聞くと脳裏に故郷の自然が甦ってくる。
   
   蛍の宿は川ばた柳
   柳おぼろに夕闇よせて
   川の目高が夢みるころは
   ほ、ほ、蛍が灯をともす

 中学に入るころ、勉学に励むことを蛍雪の功と言い、『蛍雪時代』という雑誌もあった。もっとも、この成句の出典は中国の歴史書『晋書』の「車胤伝」である。晋国に車胤と孫康という貧しい青年がいた。灯油を買う金が無いので車胤は蛍を袋に入れ、孫康は窓辺に雪を積んで、その明りで勉強したという。

 蛍は儚い命と恋の象徴として古今の文芸に星の数、いや蛍の数ほど登場している。俳句ではもちろん夏の季語で、散る蛍、朝(昼、夕)蛍、雨蛍、蛍合戦、呼ぶ蛍、蛍狩、蛍篭、蛍舟、更に語呂を合わせた「ほうたる」などバリエーションが多い。記憶に残る秀句を拾うと忽ち十指に余る

   立てかけて蛍這ひけり草箒(漱石)
   親ひとり子ひとり蛍光けり(万太郎)
   一本の草をかくれが昼蛍(狩行)
   蛍火や疾風のごとき母の脈(波郷)
   死に急ぐなと蛍に水吹いて(真砂女)
   蛍火やこぼりと音す水の渦(青邨)
   蛍籠明日をよき日と星揺るる(誓子)

 和歌では恋のツールとして蛍が活躍する。『新古今集』に載る寂蓮法師の歌…

   思ひあれば袖に蛍をつつみても言わばやものを問う人もなし
 
 この歌には伏線があって、ある歌を本歌取りしている。桂皇女に仕える女官が皇女の許に通ってくる式部卿宮に恋をして、着物の袖に蛍を包んで次の一首を添えて気持ちを打ち明けた。

   つつめども隠れぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり

  この本歌を知らないと寂蓮の歌を完全に理解することは難しい。もう一つ和泉式部の蛍歌を紹介しておこう。                                                 

   物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂(たま)かとぞみる

 夫の愛を疑った和泉式部が貴船神社の神に蛍に託して悩みを打ち明けた歌である。これに対し貴船の神は、滝のように切れ目なく思い悩むのはやめなさいと、次の返歌を下さったという。

   奥山にたぎりておつる滝つ瀬のたまちるばかり物な思ひそ
 
 紫式部はよほど蛍が好きだったようで、『源氏物語』の中に沢山の蛍の歌を挿入している。
 
   声はせで身をのみこがす螢こそ言ふよりまさる思ひなるらめ(螢兵部卿宮の歌)
   なく声も聞こえぬ虫の思ひだに人の消つにはきゆるものかは(同上)
   夜を知る螢を見ても悲しきは時ぞともなき思ひなりけり(光源氏の歌)

  自由詩では白秋が故郷・柳川の蛍を歌った「水路」を挙げておこう。

   ほうつほうつと蛍が飛ぶ…………
   しとやかな柳河の水路を、
   定紋つけた古い提灯が、ぼんやりと、
   その船の芝居もどりの家族を眠らす。
 
   ほうつほうつと蛍が飛ぶ……
   あるかない月の夜に鳴く虫のこゑ、
   向ひあつた白壁の薄あかりに、
   何かしら燐のようなおそれがむせぶ。
 
   ほうつほうつと蛍が飛ぶ…………
   とある家のひたひたと光る汲水場に
   ほんのり立った女の素肌
   何を見てゐるのか、ふけた夜のこころに。
 
   漢詩にも蛍は度々登場する。次は白居易の『長恨歌』の一節。

   夕殿蛍飛思悄然 夕殿ニ蛍飛ビ思イ悄然タリ 
   秋燈挑尽未能眠  秋燈挑(カカゲ)尽シ未ダ眠ル能ワズ

 最後に、お恥ずかしいが私の五行詩も披露させていただく。
   
   千の火に
   千の命
   燃え尽きて
   闇に戻る
   蛍の谷

   指を這う
   小さな命
   死に急ぐなよと
   空へ放つ 
   蛍






※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 17:06 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

季節のことばー蟻地獄ー

アリジゴク


アリジゴク1


ウスバカゲロウ1


 狂言「二千石(じせんせき)」の中に「昔が今に至るまで親に似ぬ子は鬼子じゃと言わぬか」という台詞がある。また「不肖の子」という慣用句は親に肖(似)ていない出来の悪い子という意味である。ところが最近の子どもは中学生くらいになると背丈も親をぐんぐん追い越して、これが親子かと思うような例が多い。こういうのは「鳶が鷹を産む」というのであろう。英語では何と言うのだろうか。A black hen lays a white egg.(黒い雌鶏が白い卵を産む)…ちょっと意味が違うかな。

 自然界で親子の姿が違うのはサナギから羽化する蝶、蜂、蛾の仲間である。青虫が蛹になり、やがて羽化するメタモルフォーゼは神秘そのもの。中でも親子のイメージが最も違うのはアリジゴク(蟻地獄)ではないだろうか。

    円錐に
    閑けさ湛える
    蟻地獄
    陥れるものも
    時に美しく

 子どものころ、擂鉢型の巣を掘り起こすと頑丈なアゴを持ったアリジゴクが出てきた。アリが付くからアリの仲間と思っていたが高学年になって、巣の中に落ちてくるアリなどの小さな生き物を大きなアゴで捕まえ、獲物の体に消化液を注入して筋肉や内蔵を溶かして食べる獰猛な生態を知り、「蟻地獄」の意味を理解した。

    罠で待つものの静けさ蟻地獄 (杜)

 これがウスバカゲロウの幼虫であることは、更に学年が進んでからだった。ウスバカゲロウを漢字で書くと薄羽蜉蝣となる。高校時代、生物の時間に漢字で書けと言われ、薄馬鹿下郎と書いたやつがいた。動植物名は片仮名で書くのがスタンダードになっているが、漢字なら羽の薄い蜻蛉のようなものというイメージは湧く。少なくとも薄馬鹿~とは思わないだろう。しかし片仮名表記にも理由はある。例えばクヌギをを漢字で書こうとすると「櫟」、「椚」、「橡」、「櫪」と様々な表記があり、どれを遣っていいか判らなくなる。まあ、片仮名を原則にしてカッコ付で漢字を示すのが適当であろう。(閑話休題)

 このウスバカゲロウ、薄い羽をひらひらさせて飛ぶ様子はいかにも弱々しく、「カゲロウのように儚い命」などのように短命の象徴として遣われる。その姿から罠に落ちた小虫の体液を吸い尽くし、死骸を強力なアゴで巣の外へ弾き出す獰猛な幼虫の姿は想像できない。
   
   毒ありて うすばかげろふ透きとほる (誓子)

 うすばかげろふ(薄羽蜉蝣)も夏の季語である

     
             (写真はアリジゴクとウスバカゲロウ)





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 19:17 |  日記 |  comment (8)  |   |  page top ↑

「水無月乃俳句展」

慶応 008


慶応 007


慶応 002

  水原亜矢子さんが主宰する久珠の会が、パレスホテル内のパレスビルギャラリーで「水無月乃俳句展」を開いている。一川塾メートの下平紀代子さんが出品されているので、拝見に出かえる。午後から雨という予報だったので早目に出発、10時過ぎに着く。ホテル内の喫茶店で時間を潰してから会場へ。未だどなたも見えていないが、ホテルの担当者が会場へ入れて下さる。無人の会場をゆっくりと廻る。    

   夏ひとり吐息に覚めて夢明り                   
   吹き渡る風や一人の青嶺かな                     
   散りてなほ驕りの恋や白牡丹                               

 何れも亜矢子さんの句である。 小学生のころから叔父の水原秋桜子から英才教育を受けられたというだけあって、俳句には門外漢の私にもぐーんと胸奥に響く作品ばかりである。それに書が素晴らしい。掛け軸、扁額、短冊と大小様々に装丁されているが雄渾且つ繊細な書は、見る者の心を奪う。
 
 私がこの俳句展に興味を抱いたもう一つの理由は、亜矢子さんの作品に触れ、出来ればその謦咳に接したいという思いがあったからだ。去る1月21日の日記「久女忌」で、彼女が故なく「ホトトギス」を除名された事件を取り上げ次の五行詩を書いた。

   張りとほす女の意地や
   藍ゆかた                            
   虚子にぶつけた                         
   無念の一句
   今日は久女の忌

 このとき横暴な虚子を非難したついでに、客観写生を墨守する彼の句風を批判した。そして、それに飽き足らず人間の内面を写してこそ文芸の真実となると主張して虚子と袂を分かった水原秋桜子にも言及した。私は俳句作家ではない。一介の鑑賞者に過ぎないが、心情的には人間の内面を詠む秋桜子と、彼の系譜に属する石田波郷、加藤楸邨、山口誓子、中村草田男など、いわゆる人間探求派に近い。そうした伏線があったから水原亜矢子さんに興味を抱いたのである。

 見終わって会場を出るとき、和服の婦人と擦れ違った。ホテルの担当者と二言三言話したあと、婦人が踵を返して近づいてこられた。水原亜矢子さんだった。手ずからお茶を淹れて下さり、30分近くお話しすることが出来た。望外の喜びであった。

 知人の下平さんとは会場でお会いできなかったが、自ら装丁もされたという作品3点をじっくりと拝見してきた。何れも佳品だったが次の一句が心に残った。
   
   更衣 過ぎし想ひも たたみけり (きよこ)

 俳句展は今月23日まで。(最寄駅・東京メトロ大手町駅 C10出口)

        
   (写真;上から水原亜矢子さんと作品、下は下平さんの作品)







※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 19:53 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

トマト

慶応 004


慶応 008


慶応 012


  トマト生(あ)ると一行記す日記かな (杜)

 近ごろ野菜が美味しくない。たとえばトマト。フルーツトマトとか、イチゴの形をしたミニトマトなどが出回っている。僕にとって、あれはトマトではない。研ぎの悪い包丁など撥ね返しそうな硬い皮、ガブリと噛み付くと青臭い香りが迸るヤツ。それがトマトだ。が、今どきそんなトマトなど、どこを探しても無い。トマトの蔕(ヘタ)を指で擂り潰し、幽かな青臭さに臭覚の郷愁を慰める日々であった。
 ある日、コープでミニトマトの種を見つけて、空き箱に蒔いてみた。10日過ぎても半月経っても発芽しない。もう1袋買ってきて蒔いた。5月になって二つの箱から、にょきにょきと芽が出てきた。春寒が続いて発芽が遅れたらしい。一旦顔を出した芽は成長が速い。空き鉢を集め、足りない分は買い足す。3年前まで菜園をやっていたからノウハウはある。苦土石灰で中和した土に腐葉土、牛糞、骨粉を混ぜて本植えする。10日も経つとヴェランダは完全にトマトのジャングルと化した。このままでは日照も侭ならない。家政婦さん夫婦に三拝九拝して数鉢を引き取って貰い、近くの友人にもトマトの「里親」をお願いした。残った苗は15本。ところが苗はどんどん生長する。せっかく2度咲きしてくれたシクラメン、花の終わった野生ラン、山野草などを物干場や室内に移してスペースをつくる。

 他の花たちを追い出したトマトくん、少しハネを伸ばし過ぎたようだ。節間が空き過ぎて徒長気味だ。肥料を遣りすぎたらしい。思い切って下葉を剪定して腋芽を伸ばす。これが成功して6月に入って花を付け始めた。
 今朝、枝陰に数個の宝石を見つけた。未だ大豆ほどの大きさ。でも緑に輝く小さな実は、私にとっては大げさでなく宝石そのものだ。あと10日もすれば、自分で育てたトマトを口にすることが出来る…いま、そうは思わない。おそらく、このトマトたちが熟して木を離れるのを眺めることになるだろう。

  (写真:生まれたばかりのトマトと、窓際に追いやられた野生ランとシクラメン)







※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 20:07 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

季節のことばーゲンゴロウ(源五郎)ー

ゲンゴロウ


ゲンゴロウブナ


 今どきの子どもにゲンゴロウの話をしても、「どこのおじさん?」と聞き直されるだろう。戦前までは田んぼや沼にうじゃうじゃ泳いでいた、日本では最大の水生甲虫である。私は姿がゴキブリに似ているので好きではなかったが、友だちのなかには空き瓶に1匹ずつ入れて飼うやつもいた。なぜ1匹ずつかというと、一緒にすると共食いするからである。そのゲンゴロウも農薬散布の影響で、準絶滅危惧種に指定されるほど激減してしまった。
 
 源五郎は夏の季語である。源五郎地底を匐へり天台寺」(いし夫)、「宇佐八幡池の濁りの源五郎」(公司)などの句があるが語呂が悪いせいか、あまり名吟にはお目にかからない。柊花という女流に「源五郎空中飛翔こころみぬ」という作品があるが、これは後述の名前の謂れに因んだものか、源五郎鮒を指しているのかもしれない。実は季語の源五郎は鮒と虫の両方に遣われ、読み手は前後の言葉から鮒か虫かを推量するのだが、この句では判断が難しい。
 ゲンゴロウの語源については二説がある。一つは民話。むかし、貧しいが親孝行な少年がいた。自分は木の実を食べながら病気の母を看病していた。ある日、木の精霊が少年を憐れみ打ち出の木槌をくれる。それは人を助けるために振ればいくらでも金を産むが、欲のために振れば体がだんだん小さくなるという不思議な木槌だった。少年はそれで小判を振り出し、高価な薬を買って親の病気を治した。この噂が評判になると強欲な代官の源五郎が木槌を取り上げてしまった。ある日、代官の姿が見えなくなった。怪しんだ村人が代官屋敷に行ってみると小判の山の下から一匹の虫が這い出してきた。我欲のために木槌を使った代官は体がだんだん小さくなり、遂に虫になってしまったのだ。それ以来、村人はこの虫を源五郎と呼ぶようになったとさ。
 もう一つ、この虫が琵琶湖に棲む源五郎鮒の幼魚を好んで食べるからだという説もある。では源五郎鮒の語源は? …これも民話が謂れとなっている。源五郎という男が天狗に貰った豆を蒔くと、天まで届く大木になる。男はそれを登って天に行き、雷と出合って雨を降らせる手伝いなどをする。ところが雨を降らせ過ぎてできた琵琶湖に落ちで鮒に変身してしまう。これが源五郎鮒というわけ。

 この腹を割いて塩漬けにしたものに飯を詰め、重石で圧しながら熟成させた熟鮨(なれずし)が鮒鮨と呼ばれる珍味である。ところが虫のゲンゴロウを食べる地方がある。奇食珍味の国と言えば、足のあるものなら机以外は何でも食べるといわれる信州であろう。馬刺し、蜂の子、イナゴ、サナギ、ザザムシ、そしてゲンゴロウ。足は無いがタニシの壺焼き、饅頭の天ぷらまである。私は信州が好きで、これらの食材も殆ど口にしているがゲンゴロウだけは食べたことがない。後学のために古老に食べ方を聞いたところ、トウガラシで炒めて食べるとのことだった。羽をむしらずに丸のまま炒めるらしい。やはり羽は食べられないようで、羽の下になったクリーミーな部分だけを食べるとのこと。固い殻に覆われたエビやカニなど甲殻類と似た姿をしているのだから、味も似ているのかもしれない。しかし私にはカニやエビよりもゴキブリが連想される。どなたか勇気のある方は試食して味をご教示して欲しい。

       (写真:上からゲンゴロウ、ゲンゴロウブナ)





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 09:01 |  日記 |  comment (1)  |   |  page top ↑

アイソトープ検査

慶応 005


慶応 001


 9:30 K病院着、直接アイソトープ検査室に向かう。各室の厚い扉には「核医学検査室 許可なく立ち入りを禁ず」のプレートが物々しい。9:45 別室でのラジオアイソトープ(放射性物質)を注入するが、緊張で血管が硬くなっているのか針が刺さらない。腕を変えてもだめで、結局は手首から注入する。女医さんが美人だったせいかな。アイソトープが体内に行き渡るまでの約1時間、検査衣に着替えて待つ。腹を決めたせいか意外に冷静だ。
 看護師に呼ばれて検査室に入る。鉄製のベッドに横になり、腰、脚、上腕部にクッションを当てて胴部をベルトで固定される。まるで宇宙船に乗り込むようだ。「では、いきま~す」という医師の声で、ベッドが静かにカプセルの中に進み入る。静かだ。殆ど音がしない。別室のモニターで監視しているのだろうか室内に人の気配すらない。…いつの間にか眠ってしまった。「終わりましたよ」という医師の声で目が覚めた。
 
 心配して再三電話をくれた友人に、検査が無事終わったことを知らせる。車を廻すと言うので、車はいいからメシを食わせろと答える。昨夜から何も食べていない。11階のオアシスで待っていると、程なく巨体を揺すって入ってきた。駐車場が満杯だったので車は玄関で返したという。歳は一つしか違わない。弁護士とスタッフ10人を抱える大先生なのに、何かあると必ず駆け付けてくれる律儀な男だ。ここはパレス・ホテルの直営店で、寿司と鰻が格別に旨い。また事務所に戻るというので鰻重だけにする。「勘定はオマエ持ちだから特上にしよう」と言ったら、「しまった、財布を車に置いてきた」とぬかす。もちろん冗談である。
「検査が1回終わったから、これでリスクは半分になった、死亡事故率は数千分の1から1万分の1になったよ」言うと、真面目な顔で違うと言う。彼によると数千分の1のリスクは検査1回についてのこと。実は検査2回では2500分の1の高い確率だった。1回終わってやっと数千分の1になっただけだと言うのだ。「これ、probability theory の常識です」「何だ、それ?」「確率論ですよ。相変わらず数学弱いな~」…勝手に言ってろ。まあ、特上の鰻を奢らせたから我慢するか。
 
 帰途、国分寺駅の食遊館で青梅と泥らっきょうを求める。明日の仕事ができた。






※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 19:29 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

季節のことばー鰻と鮎―

kojima.gif


浦和小島屋


あゆ


 とりわけ鰻が好きというわけではないが、ときどき鰻が食いたくなる。しかし、いわゆる通ではないし美食家でもないから、竹葉亭でなくちゃあ尾花でなくちゃあと有名店に拘ることはない。むかし八丁堀にYという天然鰻を食わせる店があった。天然ものでは最高と言われる利根川の下り鰻を使っているとかで、鰻好きの間では結構名の知れた店だった。
店の目立つ場所に店主敬白という手書きのビラが貼ってあり、「当店では天然鰻を使用しているので、時どき肝吸いの中に釣り針が入っていることがあります。ご注意下さい』と書いてあった。まさかと思ったら本当に入っていた。親指ほどの銀色に光る針を捌く途中で見落とすわけがない。明らかに「仕込み」と感じたので二度と行かなかった。3年ほど経っての仄聞では、客足が落ちて閉店したという。こういう有名店もあるので、あまり名声に惑わされないほうがいいようだ。
かと言って鰻ならどこでもいいというわけではない。名店でも自分の口に合わないのは駄目、無名の店でも口に合えば何回もリピートする。私の場合は蒸しの利いた柔らかなものより、少し焦げ目のついたくらいの硬目がいい。タレは甘味を抑えたさっぱりしたのが好きだ。そうした意味で、いちばん記憶に残っているのが浦和の小島屋。車でないと行けない辺鄙な場所にぽつんと建っている。十数年むかし、『民暴の鷹』を執筆中に地元のY弁護士に連れられてきたのが最初。筏(いかだ)と称する巨大な蒲焼に度肝を抜かれた。径20cmはある大皿からはみ出しそうになっている。蒸さずに焼いたものだが、焦げ目のついた身が歯応えがあって美味しい。中央線の沿線に住むようになってからは阿佐ヶ谷の「阿づ満や」へ行くことが多い。北口の路地に在る小さな間口の店だが味は本物だ。時間がない時は吉祥寺駅ビル地下の「宮川」に寄る。味は㊕というわけではないが、地の利がいいので吉祥寺へ出たときは時どき立ち寄る。

    無為に過ぎし ひと日の終はり 鰻食ふ (杜)

 とつぜん甘味に話題が変わるが、吉祥寺に「小笹」という羊羹の店がある。1坪ほどの狭い店だが、ここの羊羹を買うのは至難のこと。噂では朝暗いうちから並んで整理券を貰い、10時の開店に再び訪れて買うのだそうだ。で、代わりに最中をかうのだが、いつ行っても10人ほどが列をつくっている。私自身は甘味に興味はないが進物用に時どき求めている。この店の裏側一帯が俗にハモニカ横丁という処で、カスバのように入り組んだ小路に沿って100軒ほどの店が犇めいている。居酒屋、食堂、雑貨、薬品、衣料品など殆どの商品が、この迷路の中で間に合う。
 その一つにKという鮮魚店がある。貝類が豊富で、時としてドジョウなどの川魚を置いてあるときもある。今日の目玉は初鮎。かち割氷に檜の葉を敷いて、その上に今にも泳ぎ出しそうな若鮎が並べられている。初夏の魚と言えば初鰹と決まっているが山育ちの私には鮎こそ夏の到来を知らせる魚である。10尾を氷ごと包んでもらう。
祖父が釣り好きで6月になると入札で買ったのだろうか、岩に名前を記した専用の瀬をもっていた。鮎は珪藻という岩に付く苔を食べるので、自分のテリトリーに侵入する魚を激しく攻撃する習性がある。それを利用して囮鮎に針を付けて放すと、それに体当たりした鮎が針にかかる。これを「友釣り」という。鮎はいろいろな食べ方があるがいちばん美味しいのは「背ごし」である。節を抜いた青竹に酢を入れておき、釣れたばかりの鮎を頭から放り込む。それを骨ごと筒切りにして食する。また、鮎の僅かな内臓を塩蔵したものは「ウルカ」という珍味になる。鮎は香魚という別称があるくらいで内臓に独特の香味と旨味がある。これは鮎の成魚が珪藻類しか食べないためで、養殖ものではこうした食べ方は出来ない。天然鮎に限られる食味である。
 今日の鮎は養殖の可能性もあるので、内臓は全て捨てることにする。5尾はヒレに化粧塩をしてからオーブンで焼く。残りは塩を振らないで飴色になるまでこんがりと焼いておく。これは後日、鮎飯にでもしてみよう。
 
    鮎の腹割けば無色の血の流る (杜)
    
    鮎焼かる瀬を行くときの形して(杜)

         
           (写真:上から小島屋、小島屋の蒲焼、若鮎)





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 21:46 |  日記 |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑

数千分の1の「さようなら」

慶応
  

9300a.jpg


6月5日 雨。先週の木曜日が検診の日だったが、スケジュール表を見忘れた。電話で予約の変更はできない。予約外の席に並んで、改めて当日の予約をとらなければならない。生憎の雨で着物に雪駄というわけにはいかない。早朝6時、作務衣に雨靴という格好で出掛ける。7:10 病院着。さすがに一番乗りだ。受付開始の8:30まで持参の本を読みながら待つ。
 ところが…、受付が始まると思わぬことが起こった。午後の受付は12:40からだと言う。主治医のY先生でなければ意味が無い。無理に採血だけお願いする。
午後までの4時間を潰すため久しぶりに神保町にでて古書街をぶらつく。39年前にプロジュースした『みちのくの村々』(竹内利美著)と自著『マーシャの日記』を見つけたのは望外の収穫だった。
診断の結果は血圧、血糖値などは正常だが、血中のクレアチンがやや高い。原因は肉類の摂取量が多いのではないかと言う。思い当たるフシもある。突然,Y先生が「タバコ、相変わらず召し上がっています?」と尋ねた。「ハイ、召し上がっています」と答えると、いつも謹厳なサブの女医さんがプッと噴き出した。召し上がるという言い方が可笑しかったのだろうが、最初に言ったのはY先生のほうだ。
「アイソトープの検査をやりましょう。帰りに地下1階の検査室に寄って手続きをして下さい。その結果しだいでタバコを止めていただきます」
「それは厳命ですか?」
「厳命です!」
 
 アイソトープ検査とは極微量のラジオアイソトープ(放射性物質)を含む薬を用いて病気を診断する検査。この微量の放射性薬剤は特定の臓器、骨や組織などに集まり、そこから放射線を発する。この放射線は専用のシンチレーションカメラを用いると画像として写すことができ、その画像から臓器の形や働きを診断できるという。それはいい。問題は渡された検査同意書の1節だ。「この検査ではベルサチンを投与します。その副作用として頭重感、頭痛、めまい、吐き気、熱感、胸痛などを起こすことがあります。また稀に不整脈、心筋梗塞や呼吸困難を起こし心臓カテーテルによる治療が必要な場合があります。その場合の経費は患者の負担になりますのでご了承下さい。…(ここまでは、まあ仕方がない。問題はこの後だ)…数千人一人の割合で死亡する場合があります」…その後に「検査は放射線科医師または循環器内科医師の厳重な監視の元に施行し、そのような危険が生じた場合にも適切な対応をいたします」とは書いてあるが、簡単に言えば数千分の1の確率で死亡する危険があるということだ。
 検査は今月の11日と13日に各4時間ずつかけて行われる。と、いうわけで今日は数千分の1の確率で、皆さんにお別れの挨拶をさせていただく。「さようなら」



 





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 16:02 |  日記 |  comment (4)  |  trackback (0)  |  page top ↑

季節の花―ドクダミ

どくだき


ドクダミ大


 午後、束の間の陽射しに誘われて1時間ほど歩く。この時期はなぜか白い花が多い。野川に沿った垣にはウノハナ、林にはヤマボウシ。そして広大な栗林の根元にはタンポポの白い絮(わたげ)、林の縁にはドクダミが咲いていた。
 帰宅して my mixi のGさんのブログを覗くと、ゴテチャという変わった名前の花を紹介していた。名前に反してピンクの可憐な花だった。さっき見てきたドクダミなども名前で損している植物である。今日は、この可哀想なドクダミを季節の花として取り上げることにする。

 ドクダミが好きという人は少ないかもしれない。じめじめした暗い場所にひっそりと咲く地味な花だし、独特の臭いもある。それにドクダミという名前が悪い。毒溜という漢字を当てる人もいるほどだ。しかし、よく観ると意外に可愛らしい花である。葉はハート型だし、暗がりに浮かぶように咲く十字の花も小さなヤマボウシみたいで可憐である。実は4枚の白い花びらに見える部分は、総苞片(そうほうへん)といって正確には花ではない。 その中にある写真のような細長い花穂についている小さな黄色いものがドクダミの花である。
 葉には独特の臭気があるが、私はそんなに嫌いではない。田舎ではこれを陰干しして薬用にしていたし、現に私はドクダミ、クコ、ハトムギ、アマチャヅルなどを乾燥した神農茶というのを毎日愛飲している。臭いの元になっているのはデカノイル‐アセトアルデヒド」という物質で、黄色ブドウ球菌や肺炎球菌、白癬菌などの細菌、ある種のウイルスの活動を抑える力があり、その効力はペニシリンに勝ると言われるほど。古くから民間治療薬として用いられ、漢方では10の薬効があるとされ十薬と呼ばれる。俳句では「十薬の花」は夏の季語である。
 ドクダミという名前も毒溜ではなく、「毒を矯める・止める」というのが語源である。私は薬効があるのに人に嫌われ、薄暗い場所でひっそりと咲く姿に惹かれるのだが、もう一つ惹かれる理由がある。実は、あの白い花は徒花(あだばな)なのである。花の後、球形に近い褐色の小さな果実がたくさん付き種子はできるが、不稔性(次の世代の子孫を作れない種子のこと)のため根茎によってしか繁殖できない。その哀れさに惹かれる。ちなみに、ドクダミの花言葉は「白い追憶」という。






※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 20:22 |  日記 |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑

寺家ふるさと村と殿ヶ谷戸庭園

コラボ 001


ムラサキの葉


シライトソウ


 知人Sさんの「短詩と写真のコラボ展」を観るため、井の頭線と田園都市線を乗り継いで横浜青葉区内の寺家ふるさと村へ向かう。同行は地元野鳥の会の佐々木会長。久しぶりに青葉台駅に降りて、その変貌振りに驚く。ひっきりなしにバスが発着して、都心を凌ぐ賑わいである。ところが20分待っても30分経っても寺家行きのバスが来ない。時刻表を調べると1時間に1本で、さっき出たばかりのようだ。ぶらぶら歩いて行きたいが、和服で雪駄ではそうもいかない。タクシーにする。佐々木さんが「テライエふるさと村へ」と言うと運転手が「えっ?」と怪訝な顔をする。「違うでしょ。テラヤ」と僕。が、運転手は首をかしげたまま。ややあって、「それ、ジケふるさと村じゃあないですか」…二人とも寺家をジケと読むとは知らなかった。あとで館内の資料を読むと、寺家は江戸時代、直参旗本の領地だった由緒ある地域らしい。
 広大な青葉台団地を横目に10分ほど走ると美しいケヤキ並木に出る。樹齢30年は超えているだろう。白鵬の太腿くらいある幹が煌くような若葉を付けている。並木が切れるころ正面に里山が見えてきた。里山は単独ではなく、寺家集落を守る防壁のように連なっており、その真ん中に田植えを終えたばかりの水田が広がっている。「いいねぇ」…期せずして二人の口から溜息が洩れる。
 
 展示会場は四季の家の正面、玄関を入って直ぐの場所。あいにくSさんは不在だった。受付で記帳したあとゆっくりと18点の作品を見て回る。何れも寺家ふるさと村の行事や田園風景をテーマにしたもので、家族散れなどが熱心に見入っていた。Sさんの作品はホームページで欠かさず拝見しているが、A4版に拡大した作品は、さすがに迫力がある。氏はIT産業のご出身でパソコンや写真はお手のもの。それに簡潔で温かな短詩が添えられ、春の日差しのようにほんわかと人間味溢れる作品に仕上がっている。
 コラボ展を見たあと、生きたドジョウや蜂の巣などの展示物や郷土史資料を見て回る。此処が旗本の直轄領であることも、この資料で知った。興味を引いたのは傘連判状という古文書。これは過酷な年貢の取立てに抗議して年貢不払いを盟約した連判状だが、最後の連判が横並びでなく、ちょうど傘を広げたように円形に書かれている。横並びだと誰が首謀者か直ぐ判るが、このようにすれば判らないというわけだ。私も実物を見るのは初めてで、図らずも良い勉強が出来た。館を出て周辺の水田や里山を見て歩く。田んぼからはカエルの声が聞かれ、里山はヤマボウシやウノハナが満開であった。

 帰途、時間が余ったので国分寺の殿ヶ谷戸庭園に立ち寄る。既に藤や花木の花は終わり、苑内の緑陰にはムラサキ、シライトソウ、アマドコロ、シラン、ミヤコワスレなどが可憐な花をつけていた。エントランスに沿って鉢植えのボタンが並んでいる。これは前回訪れたときと同じ。寿命の長い花だ。牧野富太郎博士の『植物知識』によると、古名をハツカグサ(二十日草)と言うそうだ。これは藤原忠道の「咲きしより散り果つるまで見しほどに花のもとにて廿日へにけり」に拠るものという。花季の長いのも肯ける。
 ムラサキの花は名前に反して写真のように白い。根から紫の染料を採ったのが名前の由来で、『万葉集』に「託馬野(つまぬ)に生ふる紫草衣(むらさききぬ)に染め、いまだ着ずして色に出でけり」という歌があって、古くから紫草を染料に使っていたことが判る。『万葉集』では大海人皇子が「紫の匂へる妹(いも)を憎くあらば人妻ゆゑに我れ恋ひまやも」と、ムラサキに託して苦しい恋を詠っている。また『古今和歌集』にも「紫のひともとゆえに 武蔵野の草はみながら あわれとぞ見ゆ」の歌も見える。
 その脇に4枚輪生したハート型の葉を持つ蔓草が群生している。花は未だ付いていないがアカネと見られる。これも古代から染料に使われた。額田王に「あかねさす紫野ゆき標野(しめの)ゆき野守は見ずや君が袖振る」という有名な歌がある。また清少納言も「茜さす日に向かいても思い出よ都は晴れぬながめすらんと」と詠っている。
 シライトソウはアップに写すと美しいが、実際は木陰に咲く地味で目立たない花である。花が白糸を思わせることが名前の由来。シランは紫蘭だろうが詳しいことはシラン。
 庭内の紅葉亭で表千家の茶会が開かれていた。一服頂戴して帰る。既に斜陽、雨含んだ風が吹き始めていた。。
             
        偶成(五言 亦 七言)
     
     緑陰飛鳥影  緑陰ニ飛鳥ノ影
     苔砌映斜陽  苔砌 斜陽ニ映ズ
     啜茗香烟散  茗ヲ啜レバ香烟散ジ 
     庭前新緑肥  庭前ニ新緑肥ユ

【大意】緑陰に鳥たちが囀り、汀の苔が夕日に映えて美しい。茶を喫すれば芳香が漂い、庭前の新緑は濃い。

     新緑薫風渡茶亭  新緑ノ薫風 茶亭ヲ渡ル
     暖気含雨潤階庭  暖気雨ヲ含ンデ階庭ヲ潤ス
     野草処処尤堪楽  野草処処 最モ楽シムニ堪エタリ
     却使人悲首夏青  却って人をして首夏ノ青キヲ悲シマシム

【大意】新緑の薫風が茶亭を吹きすぎていく。暖気を含んだ雨が坂の庭を濡らし、あちこちに咲いた山野草が目を楽しませてくれる。が、人の心は却って初夏の緑が深まっていくのを悲しむ。

       (写真:上からコラボ展の佐々木氏、ムラサキの葉、シライトソウ)






※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 19:29 |  日記 |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑

初雲雀

青空


     羽持つもの
     翅持たぬもの
     みな媾いて 
     五月
     美し

 その五月も過ぎた。昨日は友人の陶芸展を見てから、珍しくハシゴ酒。はじめは行きつけの店でビール、焼酎、日本酒とお決まりのコース。2軒目は友人の馴染みの店で予約制の居酒屋。狭い階段をやっと上がると年齢不詳の小粋な女将さんが出迎えてくれた。私は初めての店だがママの友人らしい相客の和服美人(かな?)との話が弾んで、ここでもお決まりのコース。友人が呼んでくれたタクシーに乗り込んだのは覚えているが、後はおぼろ…。

     身辺のこと反古となれ初雲雀 (杜)

 今朝目覚めると、昨日と打って変わったピーカンの天気。熟睡できたせいか二日酔いの気配も無い。布団を干していると、西の空からヒバリの囀りが聞こえてきた。初雲雀だ。

     人の居ぬ
     高みに浄土と
     初雲雀
     羽持たぬ身は
     ただ空を見上げる

 






※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 11:02 |  日記 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
プロフィール

杜の小径

Author:杜の小径

杜のMENU
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。