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七月尽(しちがつじん)

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     雲ひとつ北へ急ぎて七月尽(杜)
 
 七月も今日で終わるが、異常気象に終始した一ヶ月であった。東京を例にとると、真夏日が連続20日間、雷を伴う豪雨が7日間。いずれも新記録である。
こうしたなかでも秋はもう其処まで近づいている。暦のうえでは一週間後が立秋、季語の世界では七月いっぱい、即ち七月尽(しちがつじん)が夏の終わりとなる。気のせいか今朝は網戸を通して入ってくる暁闇の冷気が肌寒いほどだった。

 アイソトープ検査の結果を聞くためにK病院へ行く。予約は午後だが、8時15分から自動受付で順番を取り、更に8時30分から採血してもらう。これが直ちに分析室に回され、外来の診察室に届けられる。これらが終わって、やっと朝食。が、信濃町界隈で朝食を摂るのは難しい。殆どの店が11時オープンなので、いきおい病院内の食堂で済ますことになる。院内には食堂が3軒、軽食も摂れる喫茶店が2軒ある。今朝は一階のHで和食膳を食べる。朝食が終わっても午後の診察まで3時間半もある。その時間を利用して行きつけのKで調髪することにする。この店との付き合いは長い。家内が入院したとき以来だから、かれこれ10年になる。結婚以来髪周りは家内がやってくれたから床屋へ行ったことがなかった。見掛けによらず潔癖症で他人に顔を触られるのが嫌いだから、専属バーバーの入院で途方に暮れてしまった。世間話のついでにこのことを師長(当時は婦長)に話すと、私の行きつけの店だからと紹介してくれたのがKだった。一階が男性用、(トイレみたいだな)二階が女性の美容室になっていて、四谷では名の知られた店のようだった。モデルみたいな外国人の留学生もいたが私の係はマスターと決まっていたので、残念ながら未だ一度も柔肌に触れる機会がない。職人は口が固くて他の顧客の話は滅多にしないが、長い付き合いになると話は別、常連の中に作家のKさんがいることが判り、日にちを合わせて20年ぶりの再会を果たしたこともある。ちなみに主治医のY先生も、この店のお得意さんである。

 血圧正常、血液検査もほぼ正常、前回引っかかったクレアチニンの血中濃度もかなり好転しているという。右足の浮腫みが心配だったが左足を庇いながらの速歩が原因で、内臓疾患に因るものではないという。念のため来月、外科の検査を受けることにする。
 問題のアイソトープ検査の結果は血流渋滞無し、血栓、梗塞も認められないということで一安心。眼科、外科を除いて内科外来は次回から2ヶ月置きということになった。

 8月は三宅島、蓼科、八尾の風の盆と月の半分を旅ですごすことになるが、とりあえず身体的な問題はないようだ。



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by 杜の小径  at 21:41 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

「ハマ風」朗読会

                慶応 107

 鎌倉芸術館で開かれた五行詩誌『ハマ風』主催の朗読会に出席、私も自作6篇を朗読する。自分の詩を自分の声で読むことは、とても意義のあることである。人は喜びのとき声に出して笑い、悲しいときは哭き、驚けばアッと叫ぶ。感動の原型は声であり言葉であった。人は文字を持つことで感動を詩歌として記録・保存できるようになったが、それはあくまでも整理補完されたもので生の感動ではない。その乖離をいつも自覚していなければ、詩は単なる言葉遊びに終わってしまう。言葉遊びの似非ものの詩は大声で読むに堪えない。詩の朗読は、自らの詩が本物かどうかを見極める得がたい機会なのである。

  詩人でロシア文学者の内村剛介は言う。―ロシアの「絶対主義」に絶望の刻印を押す人が多いが自分はそうは思わない。あそこでは詩がフォークロアとして民衆の中に定着していて、ライブハウスでジャズのライブが行われるように、居酒屋で詩の朗読会が開かれている。いま、世界中でいちばん詩が生きているのはロシアだ―内村のこんな言葉を反芻しながら朗読会場を後にした。

 二次会をエスケープして早目に帰宅したのが正解だった。帰途、東京始発の中央線に乗ったが、なかなか発車しない。山梨方面が豪雨で「あずさ」「かいじ」などの特急が軒並み延着。その影響で中央線の特快、快速が30分遅れとなっていた。国分寺で夕食を摂り、辛うじて振り出す前に帰宅できた。
 





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by 杜の小径  at 23:05 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

エミリー・ウングワレー展

慶応 105 ヤムイモ  無題
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 閉幕が迫っているエミリー・ウングワレー展を観るために六本木の国立新美術館へ。エミリー・ウングワレーはオーストラリアの先住民族のアボリジニ人で、中央の砂漠地帯で1910頃生まれたとされるが生年は推定である。砂漠の中で伝統的な生活を送りながら儀礼のためのボディ・ペインティングや砂絵を描いていたが、1977年からバティック(ろうけつ染め)の制作を始め、88年からはカンヴァス画を描き始める。その後亡くなるまでのわずか8年の間に数千点作品を残した。90年以降はシドニー、メルボルン、ブリスベーンで個展を開催。没後も97年にヴェネツィア・ビエンナーレのオーストラリア代表に選ばれ、98年にはオーストラリア国内を巡回する大回顧展が開催された。今回の展覧会は日本で初めてのものである。

 アボリジニの部族は700を超えると言われ、各部族が固有の生活様式と文化を持っている。そのうちボディ・ペンティング、砂絵、壁画など彼ら特有の素朴な美術様式を一括してアボリジナル・アートと呼び、今回のエミリー・ウングワレーの作品も、その範疇に含まれる。               近代美術とは全く無縁な環境に在りながら、その作品は抽象表現主義にも通じる極めてモダンなものとして世界的に高い評価を得ている。長さ8㍍に及ぶ代表作《ビッグ・ヤム・ドリーミング》をはじめとする120点余りの作品を通して、エミリーの芸術の全容に触れることができた。作品のテーマは、植物の種、ヤム芋の茎、大地のひび割れなど、砂漠の故郷アルハルクラに関するものである。
 
 オーストラリアが1788年よりのイギリスの植民地になってからアボリジニの受難が始まった。移住者により、免疫を獲得していない病気に晒されたアボリジニは急速に命を失った。一方、でイギリス統治の初期は流刑地だったので、流刑者たちはスポーツハンティングの標的としてアボリジニを動物のように虐殺した。こうした殺戮で純粋なアボリジニは絶滅したとさえ言われている。こうした民族の悲劇を踏まえてエミリー・ウングワレーの作品を眺めると、また違った感慨が湧いてくる。

 【追記】  1988~9年頃の作品は巨大カンヴァスに植物の種とおぼしき物を精緻な点描で描いた作品が目立つ。それらを見ているうちに、私は放浪の画家・山下清さんの作品連想した。また別室ではヤム芋の蔓を白一色で描いた「ビッグヤム」のメーキング・ビデオを上映していたが、地上に置いた巨大カンヴァスに下書き無しで無心に曲線を描くエミリーの姿は、まるで子どものようであった。砂漠の村でボディ・ペインティングや砂絵を描いていたエミリー・ウングワレー、知的障害者の施設で「ちぎり絵」を描いていた山下清…私はこの二人の世界的巨匠について、共通する思いがある。この二人には、自分が芸術家であるという自覚があったのだろうか。山下清には、彼の才能を発見して世に出した式場隆三郎博士がいた。エミリーについては詳しいことは知らないが、恐らく彼女に「ろうけつ染め」を教えたり巨大なカンヴァスを与えた人がいたに違いない。たとえそうであっても、二人の作品の価値が損なわれるものではない。学問も教養も無く、ただ天性の感性だけで芸術作品を産み続けた二人。その作品に尤もな解説をつける評論家、それを有り難く拝聴するギャラリー。芸術とは奇妙なものではある。 なお、展覧会は28日(月曜日)まで。

            (写真はエミリー・ウングワレーと彼女の作品2点)








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by 杜の小径  at 20:10 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

季節の花物語ームラサキシキブー

紫シキブ

コムラサキ

ムラサキシキブ

今朝の散歩は距離を稼ぐために、『武蔵野夫人』の舞台となった貫井神社へ迂回する。境内の洞窟から湧き出る水は、小流れとなって野川に注ぐ。それに沿って、「湧水の道」と名付けられたプロムナードが通っている。その一部、住宅に挟まれた100㍍ほどの区間には、なぜか道の真ん中にコスモスが植えられている。未だ20㌢ほどしかないからひょいと跨いで越えられるが夏の終わりごろには丈が伸び葉も広がって、早朝の散歩のときは朝露で腰までぐしょぐしょになる。
小径の出口に白い花が一輪咲いている。まさかと思ったがコスモスだった。湧水に近いから、いくらか気温が低いのだろうか。真夏日のつづく東京だが、季節は確実に移ろいつつあるようだ。

 野川の畔に出ると、先日お話ししたようにムラサキシキブが目に付く。と言っても、写真のような紫の実が見られるのは秋風が立つようになってから。今は花の盛りである。紫の実の付く木には白い花、白い実の木にはちゃんと白い花が付くが、大きさは1㌢足らずで地味な花だ。でも、顔を近づけてよく見ると微かな香りがして、形も写真のようになかなか愛らしい。睫毛の長い少女の瞳のようだ。いや、少女ではない。薄絹の裳裾を薫り高く翻す、あの紫式部そのものと言うべきだろう。ところが…某日、植辰という植木屋の話を聞くに及んでから、私の幻想は無残に打ち拉がれていた。

植辰「ほんとはね、こいつ、ムラサキシキブじゃあなくて、ムラサキシキミって言うんですよ」
私「おまえさん、さっき確かにムラサキシキブと言ってたぞ」
植辰「去年の秋、旦那も知ってるでしょ。ほら、夕陽ヶ丘3丁目のちょっと小粋な手習のお師匠さん、藤原香子って表札がかかってる。あの人が聞き間違えたらしくて(あら、あたしと同じ名前だわ)と言って3鉢も買ってくれたんですよ」
私「何でムラサキシキミを藤原香子と聞き間違えるんだ?」
植辰「おや、旦那は知らねえんですかい。ガクが無えなあ。紫式部の本名は藤原香子と言うんだそうですぜ。それから、あっしもムラサキシキブと呼ぶことにしたら売れて売れて…」
 
 どうも眉唾くさい話なので後日、植物に詳しいF先生に確かめたところ「シキミというのは実が重なり合ってできる重美(シゲミ)の転訛と考えられる」とのことで満更ウソでもなかったようだ。そのときF先生に聞いたことだが、実は園芸店で売られているびっしりと実のついた品種はムラサキシキブではなくコムラサキ(小紫)と言うのだそうだ。植辰に限らず植木屋はみな、ムラサキシキブのほうが売れ行きが良いのでいつの間にか名前を変えてしまったようだ。名前の詐称ばかりか本体まで入れ替わっていたとは…ムラサキシキブのイメージを一挙にぶち壊してしまったようで申し訳ない気もする。
 それに引き換え可哀相なのがコムラサキ。ちっちゃい紫とは…。見目麗しく生まれながら式部ちゃんに名前を僭称されてしまった。しかし、いまさら「わたし、小紫よ」と名乗ることもできない。野暮な身許の詮索など、しなければ良かった。綺麗なほうに綺麗な名前…それで良かったのではないか。
 だが待てよ…。小紫という名前だって満更捨てたもんじゃあない。芝居好きならぴ~んと浮かんでくる舞台があるはず。ほれっ、四世鶴屋南北作の『ご存知鈴ヶ森』だ。白塗りの若侍が大勢の雲助に絡まれ已む無く切り捨てて去ろうとするのを侠客・幡随院長兵衛が「お若えの、お待ちなせえ」と呼び止める。「待てとおとどめなされしは拙者のことでござるかの~」と振り返る若侍が白井権八。この権八の愛人が吉原三浦屋の太夫、小紫。後になって権八は、奇しくもこの鈴ヶ森で処刑されるが、小紫は後を追って自害する。浮河竹の遊女の身でも天晴れな心意気と江戸っ子の紅涙を絞り、この経緯は『浮世柄比翼稲妻」(うきよつかひよくのいなづま)』に纏められた。上記鈴ヶ森もその一幕なんだが、白柄組の水野十郎左衛門など様々な人物が登場して肝心の小紫が霞んでしまっている。実はこの話は平井権八という因州浪人がモデルで、小紫も実在したと言われ、目黒の東昌寺には権八と小紫を弔う比翼塚が建てられている。
 遊女の身ながら見事に命をかけて誠を貫いた小紫。これでコムラサキのイメージもいくらかアップできただろうか。
 
 (写真;上からムラサキシキブの花、 ムラサキシキブの実、コムラサキの実)












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by 杜の小径  at 07:27 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

季節の花物語ームクゲー

ムクゲ


スイフヨウ


 毎日の散歩で路傍に見かける花々も、旬日を経ると様々に変わる。アジサイ、タチアオイなどは既に盛を過ぎ、ノウゼンカズラも老残の姿を風に曝している。代わって、このところ目立つのがムクゲ、ムラサキシキブなどである。私はそれらの花を眺め、脈絡の無い花物語を紡ぎながら歩くのが常である。
 ムクゲは槿と書く。朝開いて夕べに閉じる一日花であるところから栄華の儚さに喩えられ、「槿花一朝の夢」の成句が生まれた。これは白楽天の「松樹千年終是朽 槿花一日自為栄」(松樹千年終(つい)に是れ朽つ 槿花一日自ずから栄を為せり)が原型とみられる。ところが韓国では次々と咲き続ける勢いが好まれ、ムグンファ(無窮花)と呼ばれて国花になっている。同じ花でも国によって感じ方が違うようだ。
 
 同じアオイ科の仲間にスイフヨウ(酔芙蓉)がある。これも一日花で、花色が早朝は白色、日中はピンク色になり、夕刻は紅変することから酒に酔って顔が赤くなっていくのに喩えたのが名前の由来。私は、この花を見る度に高橋 治の『風の盆恋歌』を思い出す。酔芙蓉の儚い花影と井田川の水音、胡弓の音色が重なり、50歳前後の男女の恋物語が浮かんでくる。ラストは西鶴の『おさん茂兵衛』を思わせながら、急死した都築に寄り添って、えり子が水音と胡弓をうつつに聞きながら睡眠薬を飲んで後を追う。酔芙蓉と想いが重なるのは、石川さゆりが歌った同名の歌(なかにし礼作詞)の冒頭の一節「蚊帳の中から花を見る/咲いてはかない酔芙容」が耳朶に残っているからかもしれない。
 越中八尾の風の盆は9月1日から3日間行われる。が、年ごとに観光客が増えて演舞場でも街流しでもゆっくり観ることができない。昨年は8月20日から10日間曳山展示館で行われる前夜祭に行った。今年もそうする予定である。
 妄想を逞しくしている間に、1時間8000歩の散歩が終わった。次回はムラサキシキブ物語の予定。

    散る前に
    せめて一度と
    紅く咲く
    越中八尾の
    酔芙蓉

                  〔写真:ムクゲとスイフヨウ〕





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by 杜の小径  at 19:24 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

薄紅つけて…

ミニトマト


窓際


玄治店付近


 このところ夜が遅くて朝も遅い。日中も出歩くことが多かった。今朝久しぶりにヴェランダに出てみると、15本のミニトマトたちがぐったりしている。雨催いの天気に安心して水遣りを忘れていた。急いでハイポネックスを米の研ぎ汁で稀釈してたっぷりと与える。と、葉陰にちらりと紅いものが見える。二つ、三つ…、いや、よく見ると合計6個のミニトマトが薄紅を刷いたように色づきはじめている。花は殆ど咲き終わったようだ。込み合った葉を選定して、陽の光が下まで届くようにしてあげる。来週には全ての実が紅く色づくだろう。
 初めて青い実を見つけた先月18日の日記に、「おそらく、このトマトたちが熟して木を離れるのを眺めることになるだろう」と書いたら、マイ・ミクシーの園芸博士Gさんから笑われた。「私も感動しながら育てていますが、食べ ますよ。 がぶりがぶりと… 時には水やりしながら(行儀が悪い )」…と。
 艶々したトマトを見ていたら、私も憐憫の情より食欲のほうが勝ってきた。それに折角稔ったトマトにとって食べられることが本望かもしれない。私も日曜日あたりに「水やりしながらがぶり」とやってみよう。今月末ぐらいには窓際に押し込められている野生蘭、シクラメン、初雪蔓などもベランダに戻ることが出来るだろう。

 突然だが長谷川時雨(1871~1941)という作家をご存知だろうか。初めて歌舞伎の脚本を書いた女流劇作家で、六代目菊五郎のために『花王丸』『操』などの名作を書いた。また『女人芸術』を主宰して宮本百合子、田村俊子、佐多稲子などの女流を育てた。この雑誌に連載した長谷川のエッセイに『旧聞日本橋』がる。江戸の面影が未だ残る明治初期の自分の生まれた下町界隈を点描したもので、なかなか味わい深い。その中に「西洋の唐茄子」と題した一文がある。唐茄子とはトマトのことである。以下は、その抜粋である。

 赤ら顔の頭の禿げた滝床は、大通りの大店をもっている廻り髪結さんだったのだ。だから酒屋さんの店にいるときはすけない。たまに店にいる時は、ずっと店の前の方へ腰かけをもちだして、お客に白いきれをかけて斬髪をしている。その道具が、菊五郎のおはこの『梅雨小袖昔八丈』の髪結新三が持ってくるのとそっくりそのままのをつかっている。滝床親方は、ずんぐりした体にめくらじまのやや裾みじかな着附けでニコニコ洋鋏をつかっていたが、お得意なのは土鉢に植えた青い、赤い実のなっているトマトだった。
 尤もトマトなんて、知っているものもすけなければ、食べることなどはなおさらだったであろうが、細竹でささえて、二尺五寸ばかりに伸びたそれは、葉が茂って赤い実が美しく、斬髪の客の傍におかれてあった。
「この実のなってるのなんだね?」
「西洋の唐茄子だということで――」
「へえ? 珍らしいものだが、西洋の唐茄子って、ばかに細っかいもんだな。」
 
   トマト捥ぐ記憶の糸の先に妻 (杜)
   ミニトマト小さき皿に盛り供ふ (〃)
   まだ青きトマトにしがみつきて蟻 (〃)
   総身を火照らす勿れミニトマト (〃)
   コンクリの上にトマトも人も生き (〃) 

  (写真:ミニトマト、窓際族の鉢たち、時雨が生まれた日本橋玄治店界隈の現在)





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by 杜の小径  at 08:15 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

会場


基蘭・三映


八田・浅岡


 横浜のホテルニューグランドで開かれた桜井みどりさんの「ランチ&ワークショップ」に出席。このホテルの「ル・ノルマンディ」でフランス料理をいただくのと、桜井さんが創始した“オーガニック・ジュエリー“を体験しようという集い。これは中世の名画に使われた額縁の技法でアクセサリーを製作するもの。今日は細工した菩提樹に石膏、兎の脂質から取った膠(ニカワ)、更には珪藻土で作った泥絵の具を何度も重ね塗りして生地を作り、その上に金箔を貼り付けて瑪瑙(メノウ)で磨き上げ、それに水晶、琥珀など好みの石を付けるという工程。
 実は、この講座には神楽坂・一川塾のクラスメートの多くが関わっていた。私としては講座の内容よりも集まる人たちに興味をそそられて出席した。先ず直接誘って下さったマネージャー役の三映さんは気立てが優しく目のぱっちりしたフランス人形みたいなお嬢さん(?)。プロヂューサーの浅岡夫妻は一川さんのイベントや子どもオペラなどの企画で有名な方。ご主人の洋平さんはミュージシャンでもあり、この9月には“メディア・オペラ”という新しい手法でモーツアルトの「魔笛」の指揮とプロデユースをされる。これはデジタル映像と舞台とオーケストラを連動させるという画期的な演出法で、いま音楽界で注目
を浴びている方である。加えて今日は九州では著名なオブジェ作家である、浅岡夫人のお母様、基欄さんも来られるという。前記の三映さんなどは「基欄さんには存在そのものが芸術、私はお会いして人生観が変わった」と絶賛。一川さんも「ガムちゃん、絶対に会っておくべき人よ」と言われた。…初めてお会いして噂以上の存在感に圧倒された。お嬢さんの古着をご自分で作り直されたという黒一色の衣装はシックで斬新、アクセサリーからバッグまで廃物に手を加えられたものという。フラダンスで鍛えられた腰は蟻のように細く縊れて、とても80歳を超えたお歳には見えない。食事中の1時間は独自の芸術観をひたすら拝聴したが共感するところが多く、お別れするときはハイタッチで再会を約した。
 ワークショップのテーブルでは偶然、編集者で帽子作家でもある下平さんと一緒だった。それと浅岡さんのお友達というのが何と現役時代は牛若丸と讃えられた阪神タイガース吉田元監督のお嬢さん。ファンとしては黙っているわけにはいかない。無理にお願いして浅岡夫人と並んでいるところをパチリ。
 実は今月に入って殆ど連日パーティー続き。さすがに疲れを感じ始めていたが、それも吹き飛ばすような楽しくて有意義な一日だった。

 (写真:上は会場風景、中は基欄さん(左)と三映さん、下は吉田元監督のお嬢さん(左)と浅岡夫人)
 





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七夕


仙台


   ♪ 笹の葉さらさら 軒端に揺れる お星様きらきら 金銀砂子 
         五色の短冊 私が書いた お星様きらきら 空から見てる ♪

 この歌を聞くと、胸がきゅーんとなる。 軒端とか砂子など意味の解らない言葉も交ざっていたが、七夕の日には必ず唄った。歳の離れた兄二人が裏山から笹竹を伐ってくる。姉は正方形の色紙を細長く切って短冊を作る係。いちばん幼い私は棕櫚の葉を細く割いて短冊を結ぶ紐を作る役目だった。ボールペンなど無いじだいだったから、墨を磨ってj願い事を書いた。それが出来上がると畑で採れた胡瓜や茄子を供える。何もかも手作りの粗末な七夕飾りだったが、いまでも鮮やかな思い出として残っている。母からは彦星と織姫の話を聞いた。年に一度だけしか会えないのに、一滴でも雨が降ると天の川に架かった鵲(カササギ)の橋が流されて会うことが出来ないと聞き、天に向かって雨がふりませんようにと真剣に祈ったものだった。長じてから中国の乞巧奠(きっこうでん)という行事と母の話の類似に驚き、七夕の行事が、それと深く関わっていることを確信するようになった。乞巧奠の行事とは…。

 むかし、天に織女(という機織が巧みな娘がいた。ところが牽牛という男性と知り合ってから機織を怠けだしたため、天帝が怒って牽牛を銀河の対岸に追放し、年に一度、七月七日の夕べにだけ逢うことを許した。この日が来ると牽牛は鵲の羽を伝わって天の川を渡り、織女に会いに来るという。中国では七月七日にこの牽牛と織女のニ星を祀って技芸の上達を祈る乞巧奠という行事が行われるようになったという。

 昨日、菩提寺の施餓鬼供養に出席した帰り、昔風の七夕が目に留まった。これといった変哲も無いものだったが、なぜかほっとして暫く佇んでしまった。七夕と言えば仙台、平塚が有名だが、最近は各地の商店街などでも年々豪華な七夕飾りを競うようになってきた。あんなものを幼子に見せてもデズニーランドや遊園地の記憶とごっちゃになってしまって、七夕の思い出としては残らないのではあるまいか。そんななかで、手書きの短冊をぶら下げた昔ながらの七夕飾りは貴重である。
 私の my mixi に薫物姫という方がいる。薫物姫とは織女星の雅称である。香道の講師をされているが、余暇には子どもたちに香を薫き込んだ和紙の反故を丸め観世縒で縛ってお手玉を作らせ、お手玉遊びを教えていらっしゃる。子どもたちに手作りの楽しさを体感させ、古い伝統に触れさせる…これに勝る教育は無い。彼女とは書家 一川さんの「墨遊び」塾で知り合ったのだが、今では塾の全員が趣旨に賛同して反故を提供することになっている。

     七夕の終わりて
     笹の なお青し
     別れにも
     永久(とわ)と
     仮初(かりそめ)とあり
             
            (写真:手作り七夕と豪華な七夕飾り)

【 追 記 】
 夕方から原宿・積雲画廊で開かれているシェアリングアース協会の「身近から地球ウォッチング 生きものたちとの15年 写真展」へ。続いて新宿で開かれた同協会の創立15周年記念パーティーへ出席。 シェアリングアース協会は生きもののための自然環境づくりのために幅広い活動を続けている団体で、代表の藤本和典さんはNHK「子ども相談室」「生活ほっとモーニング」ご近所の底力」などでお馴染みのナチュラリスト。藤本さんとは学会、出版界に共通の知人が多く、年間10回以上自然観察行に同行していただいている。15周年を機に更なるご活躍をお祈りしたい。






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施餓鬼供養

慶応 043


haka.jpg


アザミ


 妻の菩提寺で行われた施餓鬼供養に出席する。この寺ではお盆に先立ち七夕の前後の休日に施餓鬼供養を行う。私の生家は神職で当然ながら宗旨は神道。仏教のことには詳しくないが、こうした寺は意外に多いようだ。1日の日記に七夕の起源として「棚機津女(たなばたつめ)の伝説」を紹介したが、七夕を仏教と結びつける説も有力だ。七夕は、お盆に帰ってくる祖先のための目印のハタのことであるというもので解り易い。実際のところ、昔は屋外の盆棚や精霊棚のことを“タナバタ”と呼んでいたそうだし、施餓鬼の法会のときには、施餓鬼棚の周囲には五色幡を立てたようだ。この五色幡はタナバタのハタの変形かもしれない。

 今日の法要へは独りで出る。先月、寺から出欠の問い合わせがあったとき娘に一応「どうする?」と聞いたところ、「子どものコンサートがあるので行けない。卒塔婆は出すから立て替えといて」という返事だった。初孫が生まれたとき、妻は自分のことを「あーちゃん」と呼ばせた。おばあちゃんが二人いては姑さんに悪いからという遠慮からだった。そうした妻だから、娘一家が来なくても文句は言うまい。が、私はちょっぴり腹が立つし、淋しくもある。嫁に行った娘とは、こんなものなんだろうか…。

     詫びたいこと
     いくつ
     鉄よりも熱い
     妻の墓
     洗う
    
     名も知らぬ蝶
     翔び立ちぬ
     閼伽(あか)の水
     捨てし
     叢(くさむら)

     手のぬくみ
     のこる
     野菊が
     妻への
     手向け

     風来れば
     風に消える
     野薊の絮(わた)
     おまえも
     一所不住の旅人

     墓参終えし 空 
     碧く
     万緑の杜に
     蝉しぐれ
     しきり
   





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Ryo-ka☆ BD Jazz Live

えりこ


ryouka.jpg


ベース


 ジャズボーカリストRyo-kaさんのライブを聴きに六本木へ。彼女は友人両太さんの夫人。久しぶりにご主人とも話がしたいので早めに家を出る。ところが、ところが大失態のダブルパンチ。六本木駅に降り立ったどうも様子が違う。1度来たことがあるので油断したのがいけなかった。携帯を忘れてきたので両太さんに連絡もできない。おまけにライブハウスの「ボストンドリームス」という店名を度忘れ。やっとドリームスだけ思い出し、交番に行って「なんとかドリームスという店ですが…」と尋ねたが判るはずもない。駅の花屋に飛び込んで同じ質問をしたが駄目。近くにコインパーキングがあったのを思い出して全部回ったがこれもアウト。この間約2時間、諦めて帰ろうとしたとき、突然「ボストンドリームス」という名前を思い出した。交番へ引き返す。和服の来訪者は珍しいのか若い警官が覚えていて「思い出しましたか」と笑いながら調べてくれる。ここで判ったことだが飯倉交差点を六本木交差点と勘違いしていた。
 交番から会場まで最後の気力を振り絞って歩く。その10分の長かったこと。それでも開演前に駆け付けることが出来た。両太さんとは1年ぶり。お勤めと奥さんのマネージャ役との二束草鞋だが血色も良くて元気そうだ。出演はボーカルRyo-kaさん、ピアノ萩原えりこさん、ベース三上吉美さん。いつもトリオを組んでいるらしく息もぴったり。Ryo-kaさんは大田寛二(ジャズピアニスト)門下の新鋭で、これまた師匠格に当たるニューヨーク在住のジャズボーカリスト霧生ナブ子さんの許へ短期留学して先月帰国したばかり。そのせいか英語の発音にも一層磨きがかかり、本場の雰囲気を漂わせていた。歩きつかれたが、久しぶりに楽しいライブだった。







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季節のことばー帚木―

ホウキグサ


うつせみ


     帚木に影といふものありにけり (虚子) 

 季語では帚木(ははきぎ・ははきぐさ)だが、植物名は箒草(ホウキグサ)、園芸店ではコキアの名前で売られている。田舎で暮らした子どものころ、どの家の庭先にも これが生えていた。わざわざ植えたのではない。前年の種が落ちて、毎年初夏になると自然に生えてくるのである。若葉のころは摘み取って汁の実にしたり和えて食し、秋になると枯れた枝をそのまま草箒として使った。園芸店で売っているものは秋になると真っ赤に紅葉するようだが、私にはそうした記憶がない。品種が違うのだろうか。

 急に箒草のことを思い出したのには訳がある。昨年、ある方からシークヮ-サーの果汁を頂いた。爽やかな風味が気に入り、無くなると吉祥寺の沖縄物産店へ出かけて補充している。きのう進物用の最中を求めるため小笹へ行った帰途、この店へ寄ったところ店先に「海ぶどう」というのが並べてあった。1パック600円。どうやら海草の実のようだが食したことがないので買わずに帰った。帰りの電車の中で、とつぜんキャビアの味覚が甦ってきた。形がそっくりな「海ぶどう」からパブロフ的条件反射が起こったのだ。国分寺駅地下の食遊館でキャビアを探したが無い。が、私は諦めない。鮮魚売場でイクラ、野菜売場で「とんぶり」を求め、この二つを同時に食すればキャビアに近い味がするに違いない。その結果は敢て報告しない。ここまで話を引っ張ったのは「とんぶり」に辿り着きたいからだったから…。この秋田名物「とんぶり」こそ、箒草の実なのである。

 ところで、帚木という地味な草が、なぜ季語として残ったのだろう。推うに『源氏物語』に「帚木」の帖がるので、それが古典好みの俳人たちの心を擽ったのであはるまいか。
 17歳の源氏は親友の父の奥さんの寝所に忍び込んで強引に契ってしまう。罪に戦き再会を拒む彼女に、源氏はますます興味をそそられ、ついに彼女の弟、小君(こきみ)を手なづけ、姉へ次の歌を届けさせる。

    ははき木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな  

 意味は、遠くからは見えるけれど近づくと姿を消してしまう帚木のようなあなたを尋ねて、とうとう園原の道に迷ってしまいましたよというもの。これに対し女は次の歌を返す。

    数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木
 
 歌意は、数ならぬ身分の低い私は伏屋に生える帚木の名を恥じて、いるにもいたたまれず消えてしまいたいのですというもの。てっきり自分の気持ちを受け容れてくれたと勘違いした源氏は、喜んで再び彼女の寝所に忍び込む。漆黒の闇の中、激しい夜を過ごした相手は彼女の義理の娘「軒端の萩」だった。夜が明けてそれと知った源氏は、彼女の薄絹の下着をそっと持ち帰り、あとで次の歌を届ける。彼女の名前は「空蝉(うつせみ)」という。

    うつせみの羽(は)に置く露の木(こ)隠れて忍び忍びに濡るる袖かな

    哀しみは こんもりとして帚草 (杜)
    
    家跡に陶片ひとつ帚草 (杜)

                   (写真は箒草と空蝉)





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by 杜の小径  at 06:25 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

季節のことばー文月ー

札幌


柱時計


 今日から7月に入る。月が替わったからといって何も変わらない。昨夜半から午前零時を跨いでずっと起きているが、書斎の窓越しに点滅している新宿の高層ビルの灯は昨夜のまま。書架の本も1㍉として動くことなく雑然としたまま私を見下ろしている。ワインボトルの喫水線が下がり灰皿の吸殻が増えているが、月が替わったせいではあるまい。先日、my mixi の薫物姫さんから伽羅の線香を戴いた。夾雑物を入れないで純粋な伽羅だけで作ったため採算が合わずに生産を打ち切ったものだという。長さ6㌢、漆黒の線香は薄い煙を立て始め数分で燃え尽き、あとに玄妙な伽羅の香だけが遺る。私はふっと思う、人間の一生も一本の線香ではないかと…。長さも色も様ざまだが、いずれ燃え尽きることに変りはない。余香を遺すひとはいても僅かな時間に過ぎない。人は潜在的に燃え尽きることへの恐怖を持っている。いま、格差社会云々と喧しいが死だけは平等に、そして確実にやってくる。その恐怖から逃れるために神仏に心を預けようとする。ぶちまけた話、文学も音楽も美術も、そしてセックスも、死の恐怖から逃避するためのdrug に過ぎない。そして人は日常において時間を忘れる。7時7分の電車に乗る、8時に会社が始まる、2時に待ち合わせる…、そうした時刻に追われてはいても、自分が乗っている長いスパンの時間という船には気付かないでいる。ゆっくりと時間が流れていた昔は、日めくりという暦が、カチカチと鳴る柱時計が、草陰で流れの存在をしらせる瀬音のように時間を知らせてくれた。が、現代は時間が沈黙している。とつぜん話が飛躍するが人間が己の持ち時間を意識すれば充実した生き方が出来るし、宇宙的な時間を意識すれば有限の化石資源を奪い合ったり、クジラのことでメクジラ立てるような紛争は無くなるはずだ。だから、せめて月替わりくらいは新しいカレンダーに掛け替えて欲しい。
    
声かぎり                                                             命のかぎり                                                     かなかな啼く                                                    あなたに                                                       あした ありますか

 さて、7月の異称を文月(ふみづき)という。昔はこれに因んで郵便局が暑中見舞のキャンペーンをやっていたが今はどうだろう。7月7日は七夕。昔はこの日に詩歌を牽牛・織女の二星に献じたり,書物を開いて夜気にさらす風習があるので7月を文月と呼ぶと言われている。七夕の日に詳しくお話しするが、どうもこの説は怪しい。七夕の行事は中国から伝来したものだが、『古事記』を読むと、それ以前に日本には「棚機津女(たなばたつめ)の伝説」が存在した。村の災厄をなくすために「棚機津女」という巫女が神様の一夜妻となるため、水辺で神様の衣を織り、神様の降臨を待ったという伝説である。7月には稲の稔り直前というので「穂含月」(ほふみづき)、「含月」(ふくみづき)という異称もある。文月(ふみづき)は、これらの転訛ではないかというのが私の見解である。
  なお、7月の異称には次のようなものがある。文披月(ふみひらきづき)、文披月 (ふみひらづき)、親月 (ふづき)、七夕月 (たなばたつき)、棚機月(たなばたづき)、愛逢月(そめあいづき)、秋初月 (あきそめつき)、女郎花月(おみなえしづき)など。






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