FC2ブログ
 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at --:-- |  スポンサー広告 |   |   |  page top ↑

風の盆有情

 top03.jpg   t8.jpg 福島

 26日早暁、東京を発って越中八尾に向かう。はじめは松本から安房トンネルを抜け高山経由のルートを考えたが、急に日本海が見たくなり北陸道から入ることにした。国道463号から関越自動車道の所沢1Cに入る。高坂SAで朝食。いつもなら南に丹沢山塊が遠望できるのだが、雨催いの今日は厚 い雲に覆われて何も見えない。前途の多難さを暗示されているようだ。
 藤岡から上信越自動車道に入り、碓井トンネル、八風山トンネルを経て信州に入り、佐久平ICで清水で冷やした特産の桃を頬張りながら休憩。上越ICで北陸自動車道に入る。日本海に面した親不知、子不知などの難所を無数のトンネルで駆け抜ける。トンネルばかりで楽しみにしていた日本海は殆ど見ることができない。富山1Cで下り、午後2時八尾着。食事と休憩を入れて約8時間の旅だった。
 
 宿は八尾駅前、ひとまずチェックインする。八尾には旅館が10軒しかない。中には3年前から予約を取る客もいるとかで、風の盆の間はどこも満室。宿はなんとか確保できたが、デモが行われる曳山展示館(観光会館)の入場券が手に入らなかった。ローソンを通して毎回400枚を売り出したようだが忽ち売り切れだった。観光協会の役員をしている宿のオヤジさんがなんとかしてみるから夕方まで待ってけれというので、それまで街をぶらぶらする。
 今日の前夜祭当番は上新町。風の盆のメインとなる諏訪町に隣接し曳山展示館の在る町だけに毎月第2土曜に「なりひら風の市」を開くなど町内の結束も固い。昼間から出店やテント・カフェなども出て賑やかだ。
 前夜祭のチケットが入手できた。宿のご主人が観光会館まで送ってくれる。500人の席は満席。風の盆のビデオを鑑賞したあと、地方(じかた)の生演奏で踊りの指導を受ける。男女とも踊りの基本は農作業で、女性は鎌で稲を刈り藁で束ねてハザに掛ける所作が基本になっているという。両手を奴凧のように突っ張る男踊りは風に吹かれた案山子の様子だと聞いて思わず笑ってしまった。最後は舞台狭しと踊る男女の演舞を堪能。しかしカメラのフラッシュが禁じられているので、十分な写真は撮れなかった。午後8時からは上新町の街流し。女性の浴衣は薄い鴇色(淡紅色)の地色に黒帯、帯締は赤。後ろ衿、袖、胴に格子の模様をあしらった粋なもの。男性の法被は農作業着を表しているが、生地は木綿ではなく絹地だという。

 27日は八尾駅がある福島(ふくじま)の当番日。天気を心配して外してあったぼんぼりもセットされて、朝から祭気分が盛り上がる。昼間は、城ケ山公園、和紙文庫桂樹舎、おわら資料館などを見て回る。夜は地元福島支部の街流し。はじめは宿の二階から見ていたが、やっぱり物足りなくて「 ふれあい広場」まで追っかける。福島支部の衣装は薄紫がかった桜色の地色に黒帯、赤の帯締。裾に稲穂を描き、小鳥を散らす。袖と胴の色の濃い部分に「おわら」の歌詞が白く染め抜かれている。

 28日は待望の諏訪町の前夜祭。諏訪町本町通りは幅が5㍍ほどしかないが、日本の道百選にも選ばれ京都を思わせるような品格を漂わせている。商店や郵便局まで古風な雰囲気に調和した佇まいになっている。道の両脇には「エンナカ」と呼ばれる用水が流れ、その水音がまた何とも言えない風情を感じさせる。普通の民家では景観の保持に私財をはたいてたいへん苦労している。そうした民家の前で庭を掃除している老人を見つけた。かねて顔見知り鍋田さんだ。この家は映画『風の盆恋歌』のロケにも使われ、美しい格子と囲炉裏、土間など八尾の古い雰囲気を遺している。実は鍋田さんはこの家には住んでいない。6㌔ほど離れた山の上に住んでいて、今日が当番町なので掃除にやってきたのだという。入口に先年は無かった「瓢生庵」という木彫りの額が掛かっているので訊ねると、「浮いたか瓢箪(ひょうたん)軽そに流るる。行先ァ知らねど、あの身になりたや」という「おわら」の歌詞から思いついて自分で彫ったという。風の盆は、こうした人たちで支えられているのである。

 朝から小雨が降っていたが夕方から本降りになり、諏訪町の街流しは中止となる。急遽、会館前の特設舞台で演舞することになった。諏訪町の衣装は薄い柿色の地色に黒帯、黄色の帯締。袖の胴の色の濃い部分に「おわら」の歌詞が染め抜かれている。ところが見物席は露天なので、傘で見えないし隣の人の傘から滝のように雨が流れ落ちる。10分ほどでぐしょ濡れになってしまった。タクシーを呼んで早々に宿へ引揚げる。女将さんが1時間もかけてアイロンで乾かしてくださる。気象予報では今月一杯豪雨が続くという。予定を変えて引き揚げを決める。

 帰途は岐阜県平湯から安房トンネルを抜けて松本に出るコースを選ぶ。神通峡の景観に心を躍らせていたら神岡精錬工場が見えてきた。その途端にイアタイイタイ病のことを思い出して心が痛む。しかし、この町にある道の駅は「星の駅宙ドーム神岡」とロマンチックだ。これは小柴昌俊教授のノーベル賞受賞に貢献した東大宇宙研のニュートリノ観測装置「スーパーカミオカンデ」が在るため。
 ここから安曇野で果樹園をやっている友人のFに電話する。土産に林檎でもと思ったのだが、未だ「津軽」しか出荷していないと言う。それでも是非寄ってくれと言うので、昼食をご馳走になる。僕の好みを知っているのでテーブルには蕗、蕨、茄子、牛蒡などの田舎料理がずらり。わけても採ったばかりという完熟トマトが絶品だった。デザートは裏の畑で…。無農薬で育てたというラズベリーを木から直接捥いで食べ放題。泊まっていけと言うのを断って、車で10分ほどの処に在る「安曇野みさと温泉ファインビュー室山」に泊まる。伝説の巨人「でいらぼっちゃ」の服についた土がポロリと落ちてできたという小高い丘「室山」に在る温泉はサウナ、ジャグジー、露天風呂に加えて松本平を一望する景観、殊に夜景が素晴らしい。
 朝、Fさんがトランクに積みきれないほどの野菜と林檎を届けてくくださった。雨に祟られたことと、ちょっとしたアクシデントで白山麓の牛首紬の里を訪ねることができなかったのは残念だが、まあ、終わり良ければ全て良しということにしておこう。




スポンサーサイト





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 02:17 |  日記 |  comment (5)  |   |  page top ↑

「風の盆」へ

file2.jpg

 予定通り、越中八尾の「風の盆」へ行ってきます。9月1~2日が総流しの本番ですが、
今年は早めに現地入りして前夜祭から見ることにしました。近年の観光客急増は驚くばかりで、主催者側も8月20日から各町内の演舞と街流しを前夜祭として行い観光客の分散を図ろうとしています。ということでブログも1週間ほど休むことになります。

 なぜ「風の盆」にと聞かれても、はっきり答えられません。穂高での越年、春の桜行脚、そして新涼季の「風の盆」は、ここ数年、私の恒例パターンとなっているのです。私は観光化した行事にはあまり興味がありません。阿波踊りやソーラン踊りより岐阜郡上八幡.や秋田羽後町の西馬音内の盆踊り、或いは真冬に行われる愛知県南設楽地方の「花まつり」など、土の匂いがするような伝承行事が好きです。
「風の盆」との出逢いは30年も昔のことですが、胡弓を交えた哀調切々としたメロディと優雅な踊りに一度で虜になりました。以来、八尾を何回訪れたことでしょう。その「風の盆」も年ごとに土の匂いが消えつつあります。八尾行きも今年が最後になるかもしれません。

     秋風に
     急かれるように
     越中八尾に向かう
     其処に
     何かが待っているように







※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 08:16 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

蛍火三つ―薄幸の美女物語―

勝家・お市の墓

こごう塚

お初・徳兵衛の像

 夕方から三鷹駅前のコラル美術ギャラリーを訪ね、第12回東京美術工芸展へ出品されている友人の陶芸家・仏師の小笠原晃悦さんの作品を見る。撮影が禁止されていたので、写真をお見せできないのが残念。白磁風の水指、炭火焼成の棗、穴窯透明釉の花瓶など滋味深い作品ばかり。中でも円皿に孔雀模様を絵付けして二度焼きするスリップ技法による絵皿は精緻で印象に残った 
 終わってから陶芸家を中心の「七人会」ノメンバーと打ち上げの宴。この会では難しい政治・経済などの話はしない。今夜の話題もブンカ・ゲイジュツ論に終始した。テーマを具体的に言うと「世界的な美女は誰か」…これも立派なブンカ・ゲイジュツ論である。途中で美人は下着を穿かないだろう…美人ハクメイ…などという高度な議論も出たが、これは高度過ぎるので割愛しておく。諸兄姉からは楊貴妃、モナリザ、マリー・アントワネット、椿姫(ヴィオレッタ)、カルメンなど外国美人の名前が多く挙げられた。私はヘソ曲がりだから敢て信長の妹お市の方、曽根崎心中のお初、高倉天皇の寵姫・小督局(こごうのつぼね)を挙げた。が、皆からコスモポリタンじゃあないという理由で一蹴された。悔しい。泥んこ遊びの連中に美人の真価が判るかと、醒めやらぬ酔眼を見開いて綴ったのが次の小文である。

  市、お初、小督の霊か
  夏逝く日
  草陰に
  小さく光る
  蛍火三つ

 お市の方は織田信長の実妹。尾張にいた頃より、美貌の持ち主として広く知られていた。20歳を過ぎ、江北の鷹と呼ばれた浅井長政と結婚、信長と長政の同盟を実現させる。その後、長政が信長に反抗する気配を見せると、信長に危機を知らせて窮地を救った。信長は長政の裏切りに激怒し、浅井家の本拠・小谷城に苛烈な攻撃を加えたが、お市は夫・長政の傍を最後まで離れようとはせず落城まで共に戦い続けた。信長の死後、柴田勝家に嫁ぐが、夫勝家が秀吉と対立して賤ヶ岳の戦いで敗れると勝家と共に越前北ノ庄城内で自害した。享年は花の盛りの37歳だった。辞世は「さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の夢路をさそう ほととぎすかな」―映画演劇でお市の方をを演じた女優は二十指に余るが、私のイチオシはNHK大河ドラマ『おんな太閤記』でお市を演じた夏目雅子。正直に言うと、美女の筆頭にお市の方を挙げたのは、夏目雅子の面影とダブッていたからである。

 ダークホースとして美女の二番手に挙げたのは曽根崎心中のヒロイン・お初。曽根崎心中は、元禄16年4月7日に起こった、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代・徳兵衛が露天神(つゆてんじん)境内の天神の森で情死した事件をもとに、近松門左衛門が1ヵ月後に人形浄瑠璃として上演した。これが当時の人々の間で大評判となり、露天神には参詣回向の人が大勢押しかけ、同神社は俗に「お初天神」と呼ばれるようになり現在に至っている。これは後に歌舞伎化され、現在でも人気の舞台である。特に徳兵衛・お初道行のシーンは、こうしていても義太夫の名調子が聞こえてくるほどである。―「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなりー」

 三人目は平家物語の巻六に登場する小督(こごう)。絶世の美女で琴の名手でもあったという。高倉天皇の寵姫であったが当時の皇后は権勢極まりない平清盛の娘・建礼門院徳子、無事に済むわけはない。危険を察知した小督は密かに嵯峨野の草庵に身を隠す。高倉天皇の命を受けた使者が琴の音『想夫恋』を頼りに小督を探し当てる。この場面が能の古典『小督』である。また筝曲でも山田検校が優美で気品溢れる大曲『小督の曲』として残している。一旦は宮中に戻ったが親王を産むと清盛は無理矢理に小督を出家させる。高倉帝は小督が去った悲しみで21歳の若さで病気になり崩御。小督は高倉帝が葬られた清閑寺近くに庵を結んで生涯をかけて天皇の菩提を弔い、44歳でこの世を去ったと伝えられる。以上は『平家物語』に拠るが、異説もある。高倉帝の没後、小督は太宰府にある観世音寺の血縁の僧を頼って九州へ向かうが、田川郡香春町を過ぎるとき雨で増水した彦山川で流され、一旦は村人に助けられるが間もなく亡くなったという説もある。これを裏付けるのが福岡・黒田藩で生まれた『黒田節』の2番の歌詞。

  峰の嵐か松風か
  尋ぬる人の琴の音か
  駒をひかえて聞く程に
  爪音しるき想夫恋
 
 夏が終わるころ葉陰に幽かに光る蛍火のように、儚く美しく散った薄幸の美女たち―今月末には越中八尾の「風の盆」を訪ねる。そうだ、今年はこの三人の薄幸の美女たちに捧げる鎮魂の旅にしよう。

  (写真;上から勝家・お市の墓、小督の墓、露天神境内のお初・徳兵衛像)






※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 21:28 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

美術館巡り―甲信の旅―

コスモス

ノコンギク

ミゾハギ


 JRは20日までが繁忙期でジパングの割引が利かない。盆も終わったし電車も空いているだろうと考えたのが甘かった。ジパングに関係ない若い連中が、この時期にどっと繰り出す。子どもたちの夏休みも未だ続いている。立川発7:21のスーパーあずさ1号をと思ったが既にに完売、結局8:25発のあずさ5号、それも窓側は無くて通路側しか手に入らなかった。
 10時前に小淵沢に着く。タクシーの運転手に山ユリは未だ咲いていますかと尋ねると、「もう終わりましたよ、今年は暖かかったからねぇ。どうしても見たかったら富士見平へご案内しましょうか」…富士見平までは往復するだけで1時間以上かかる。今回は諦めることにする。                  薮内正幸美術館に着く。近く訪ねるとは言って会ったが今日行くとは知らせてなかったので、竜太さんも驚いたようだ。竜太さんは故正幸さんの長男で、この美術館の企画のほか各地で原画展を開催するなど活躍されている。今回は絶滅危惧種の生物展のほか恐竜展も併催していた。夏休みで小さな子どもたちの来場が予想されたので先ず親しみ易い恐竜を見せ、段階的に生きものへの興味を持たせるようにしたいと語っていた。この日も母子連れに来館者たちに恐竜発掘の話などを丁寧にしてあげていた。展示作品はj殆ど絵本や図鑑の原画だが、中には畳1枚分くらいの大きさでシマフクロウが鮭を鷲摑み、いや梟掴むみしている画もあって改めて迫力を覚える。                 
 ここで、初めての方のために薮内正幸(やぶうちまさゆき)プロフィールを紹介しておこう。       1940年大阪生まれ。出版社勤務を経てフリーランスに。サントリーの愛鳥キャンペーン新聞広告で1973年度朝日広告賞第2部グランプリ受賞。この美術館がサントリーの白州蒸留所に隣接して建てられているのは、そうした縁からかもしれない。1983年「コウモリ」(福音館書店)で第30回サンケイ児童出版文化賞、1989年「日本の恐竜」(福音館書店)で第9回吉村証子記念日本科学読み物賞受賞。絵本に「どうぶつのおやこ」「しっぽのはたらき」「どうぶつのおかあさん」(以上、福音館書店)、挿絵に「グリックの冒険」「冒険者達」「ガンバとカワウソの冒険」「広辞苑」(以上、岩波書店)、図鑑に「野や山にすむ動物達」(岩崎書店)、「野鳥の図鑑」(福音館書店)、「古脊椎動物図鑑」(朝倉書店)など、著書多数。1975年には記念切手「自然保護シリーズ・アホウドリ」を描く。2000年逝去。

 いつもは小淵沢駅前の井筒で鰻重を食べるのだが、思うところがあって今日は小海線の電車を待つ間、駅の付近をぶらぶらする。駅前の白樺の根元に諏訪出身の島木赤彦の歌碑が建っている。「若葉する駅(うまや)のまへの谿(たに)深し雪のゝこれる山々に向ふ」―駅前の谿(たに)深しとあるが、谷らしいものは見当たらぬ。100年という時の移ろいが風景を一変させていた。駅前から郷土資料館に向かって真っ直ぐに延びる舗装道路は確かに急勾配の坂道だ。これが赤彦の詠んだ「谿深し」の跡に違いない。そう思って坂に沿う街並みを眺めると、民家、古道具屋、駄菓子屋、、そして郵便局までレトロな雰囲気を遺していた。

 小海線は2両編成の高原列車である。晴れていれば車窓の右側に富士を遠望し、左側には八ヶ岳連峰が見えるのだが、今日は厚い積乱雲に遮られている。それでも緑のトンネルを進む電車の旅は気持ちがいい。甲斐小泉駅を通過するとき先月オープンしたばかりの平山郁夫シルクロード美術館新館が見える。一瞬、途中下車も考えたが20日帰京の日程を考えると到底無理だ。日本最高地点(標高1,345.67m)の野辺山駅、瀟洒な別荘が点在する甲斐大泉、モダンなペンションが並ぶ清里高原などを過ぎ、やがて電車は信濃川の源流である千曲川に沿って進む。
  小海駅からタクシーで高原美術館へ。陽気な運転手さんで道々名所のガイドもしてくれる。美術館ないのレストラン「花豆」も経営者の有山さんんもよく知っていて、「ご主人は地元の名士ですよ」と言う。お腹が空いていたので先に「花豆」に寄る。ご主人の至さんとは初対面。「タクシーの運転手が褒めてましたよ」と告げると、「そうでしょう、そうでしょう」と、なかなか話せる男だ。すっかり意気投合して、上京の折は必ず連絡をくれるということになった。もちろん、呑むためである。料理は「信州牛の赤ワイン煮」、肉が柔らかく、添えられた高原野菜がグンバツの味。売店に岡本まさ子さんの歌集『宙で寝返り』とCDが数冊積んであるので「来たの?」と聞くと、つい先日、春野さん、範子さん、浅野さんの4人で訪れたとのこと。「あの4人だは大騒ぎだったでしょう」と言うと、ご主人が横から「もう、大変。ボクは圧倒されて途中で逃げ出しました」と。さもありなん。

 さて、肝心の展覧会は高原美術館の開館10周年を記念して、日本画壇の代表作家で日本美術院同人・理事の後藤純男の「画家の辿りゆく道」を開催中。後藤純男は、1930年(昭和5)千葉県の仏門に生まれ、16歳で山本丘人に師事。のち田中青坪のもとで日本画を修業し、22歳で横山大観らが設立した日本美術院展覧会(院展)に初入選。以来、日本美術院賞・大観賞や内閣総理大臣賞などを受け、日本美術院の中心的な画家として活躍。1988年(昭和63)から1997年(平成9)まで、東京芸術大学教授として後進の指導にも当たってきた。
 四季折々の情趣のなかに、奈良、京都など日本の古都の風物を端正で瑞々しい情感と、宗教的な荘厳さで描き、また雄大な中国の自然やそこに生きる人々、北海道の自然などを謙虚な畏敬の念と、優しくかつ厳しい眼差しのもとに描いている。今日は大作を含む40点を越える作品が展示されでいた。

 別室で縄文象嵌の人間国宝 島岡達三の陶芸展が催されていたので、それも見る。島岡は1919年(大正8年)東京生まれ。東京工業大学で窯業を学ぶ。復員の後、家族とともに益子に移り住み、民芸の父と呼ばれる濱田庄司のもとで作陶を学び、1953年築窯。縄文時代との運命的な出会いがあり、試行錯誤を繰り返した後、朝鮮半島で花開いた "象嵌"に縄文の技法を融合させた。名付けて「縄文象嵌」。ここに島岡達三の世界が確立された。1996年5月、人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定される。 日本民芸協会所属。昨年、88歳で逝去。図らずも彼の名作の数々を見ることができたのは幸運だった。

 再び小淵沢に戻り、松本経由で穂高に向かう。今夜の泊まりは燕岳登山口にある標高1462mの秘湯、中房温泉。有明駅のほうが近いが、深夜でタクシーがあるかどうか不安なので穂高で降りる。源泉掛け流しの湯で疲れを癒す。

 翌朝、タクシーを呼んで安曇野のジャンセン美術館へ。此処はジャン・ジャンセンの常設美術館。彼はピカソ、シャガールの後のフランス画壇を支える巨匠で、人間存在の本質を愛と哀しみの筆致で描き続ける。華やかなモチーフよりも、むしろ人間行為の裸の姿が浮き彫りにされる所を焦点に描き続け、人間の存在の本質を愛情と哀しみを持って見つめる彼の筆は、現代人の心に強く何かを訴えかけている。特にデッサン力にかけては世界第一人者として知られている。今回の展示テーマ「踊り子」についてジャンセンは言う。華やかな舞台で観客から拍手を浴びる彼女たちだけを視つめてはいない。なぜならそれは彼女達の人生の中ではほんの一瞬のことであり、それが彼女たち自身のすべてではないと感じているからだ。彼女たちの本当の美しさは着飾ることや晴れやかな舞台で踊ることなどではなく、幼い頃から様々なものを犠牲として積み重ねてゆく日々のレッスン、その息遣い、吐息、そこに生まれる葛藤/孤独/想い…、輝く日々の儚さである。 植物も彼女達も同じ、そこに言葉は無くとも生命の輝きそのものの美しさを持っている。ジャンセンの踊り子がなぜ人気を呼ぶのか。その答えが見つけられたような展覧会であった。

 穂高駅前の「一休」で蕎麦を食べ、隣のマルトで馬刺しを仕入れる。更に松本で蜂の子2瓶を求めて今回の旅を終える。15:19松本発の「あずさ24号」で帰京。

            (写真:信濃路には紫のはなが似合う)






※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 02:14 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

薮内正幸美術館

小海高原美術館

ジャンセン美術館

 薮内正幸美術館から「絶滅危惧種の動物展」の案内状が来る。此処へは年に2,3回訪れている。4月には和仁塚桜、山高神代桜を見に行ったついでに寄った。昨夏は付近の林で見た山ユリの群落が見事だった。遺児の竜太君に電話すると山ユリも見頃ということだった。週明けにはお盆の交通渋滞も解消されるだろう。20日には水原亜矢子門下の田坂州代さんから「日本の音フェステバル IN 横浜」に招待されているので急ぎの旅になりそうだ。

 ついでに小海高原美術館に寄りたい。館内のレストラン「花豆」は歌人の有山敬子さんが経営されている。小淵沢まで来た寄らなかったと判れば、後で怒られる。ちょうど開館10周年を記念して、日本画壇の代表作家で日本美術院同人・理事の後藤純男を紹介する展覧会「後藤純男日本画展」を開催している。足を伸ばすことにしよう。
 
 宿は穂高にとり、帰途、安曇野ジャンセン美術館のに寄りたい。ここでは踊り子をテーマにしたジャンセンの作品展が開かれている。

  (写真:上から薮内正幸美術館、小海高原美術館、安曇野ジャンセン美術館)






※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 18:21 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

秋立つ花野

コスモス
ミゾハギ
ノコンギク


 三宅島から戻って今日が3日目、旅行中出来なかった早朝のウォーキングを再開する。さして疲れてはいないが、大事をとって最初の2日間は軽め、今朝から約1時間の“強歩”に戻す。東京の残暑は厳しい。1時間歩くと汗で下着までぐっしょりとなる。三宅島は暑かったでしょう、とよく聞かれるが僕の感じでは東京のほうが暑い。三宅島の緯度は34° 045''、東京より約1°南に在る。その分だけ暑いはずだが、実際は平均2°くらい気温が低い。海洋性気候の影響だろう。
        
 島に居る間に立秋を迎えたが気づかなかった。が、季節は確実に移ろっていた。通りすがりに見かける草花や木々の花を見れば判る。いつも通る「湧水の道」、先月まで咲き残っていたスイレンの花の姿も一つだけになっていた。ヒオウギも花の終わりが近づいた。間もなく黒真珠のような実をつけるだろう。これが夜、黒、夕、夢などに掛かる枕詞の「ぬばたま」である。代わってコスモス、ノコンギク、オミナエシが咲き始めた。
 野川に沿った道傍にはアレチノギク、イヌタデ、エノコログサ、オニタビラコ、カヤツリグサ、ママコノシリヌグイ、スベリヒユが目立つ。一口に雑草と呼ばれて顧みられることのない花たちだが、一生懸命生きる姿は可憐だ。それに季節の変化をいちばん先に知らせてくれるのは、この子たちである。仲良くしてあげて欲しい。野川の汀にも“小さい秋”が見られる。カルガモの泳ぐ岸辺にはヒメガマ、ミゾハギ、ヤマゼリが咲き始めた。

 住宅街にはカタカナ名の園芸植物が多い。実はこれが苦手で殆ど名前が判らない。知っているのはゲラニウム、イソトマ、ブルーセージぐらいか。あと、チロリアンランプというのがあまりに花形が可愛いので手入れしていた奥さまに聞いて覚えた。そうした花たちの姿が消え、サルスベリ、アメリカフヨウ、ルコウソウが目立っていた。

(写真:上からコスモス、ミゾハギ、ノコンギク)







※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 19:59 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

三宅島から戻る

あかこっこ4

イソヒヨドリ2

オーストンヤマガラ


 三宅島と小金井市との友好盟約30周年を記念したツアーから戻る。と言っても初日のセレモニーでは平野祐康三宅村の挨拶が数分、全体でも30分で終わり。後は車で島内を一周しながら噴火被災地の視察したぐらいで、4日間の殆どは自然観察、イルカ・ウォッチング、磯釣り、海水浴などで過ごした。同行は小金井市コミュニティ文化課小柳課長、同山田係長など。往復とも東海汽船の「かとれあ丸」。

 前に書いた通り小金井市と三宅島が友好盟約を結んだきっかけは、幕末の侠客・小金井小次郎が縁結びとなっている。小次郎は博徒の親分だったが名主の家に生まれ、かなりの教養を持っていたことは彼の墨跡からも推察できる。彼が子分を指揮して作った井戸は、昭和40年に簡易水道ができるまで実際に使われていた。村人が「小次郎井戸」と呼ぶ井戸は現在も大切に保存されている。実物を見たところでは井戸と言うより、雨水を溜める用水池の様である。その近くには小次郎が刀で首を斬り落としたと伝えられる首斬り地蔵が遺っており、かなりの乱暴者であったようだ。

 三宅島では記録に残されている9回の噴火が、ほぼ20年周期で起こっている。前々回の噴火では阿古温泉郷420戸と小学校と中学校を一飲みにした。ところで最新2000年の噴火では溶岩流は発生せず、二酸化硫黄ガスが大量に発生した。これは過去の噴火では無かったことである。風向きによっては有毒ガスが流れて来る危険性があるので、我々も条例に従いガスマスクを常時携帯した。島の北東部の集落は高濃度地区とされ、立ち入りを禁止されていある。今回の訪問では特に許されて禁止地区に入ってみたが、放棄された住居が荒れるに任せ、ゴースト・タウンさながらの光景を見せる。
  
三宅島の南南東19kmに浮かぶ御蔵島は、イルカ・ウォッチングの名所である。シュノーケルを着けて潜ると、仲間と思ったイルカが近づいてくる。

 有史前の噴火口で形成された大路池(おおろいけ)は、美しい水を湛え、島民の飲料水源となっている。同時に川の無い三宅島ではこの池周辺は野鳥にとっても楽園で、自然ふれあいセンター「アカコッコ館」を中心に多くの野鳥が観察できる。主なものはアカコッコ、イソヒヨドリ、オーストンヤマガラなど。

 二日目の夜は都立三宅高校の前田先生を講師に招いて、天体観測を行う。はじめは天体観測の基本である、夏の大三角形の見つけ方。天頂に在る鷲座のα星アルタイル(ひこぼし)と琴座のα星ベガ(おりひめ)、ハクチョウ座のα星デネブの3つの星を結んで描かれる、細長い大きな三角形(アステリズム)を見つける。2基の天体望遠鏡を使って、大三角形の延長上に在る木星を見つけ、その縞模様を観測した。流れて来る噴煙で観測が時々中断されたが、楽しい夜を過ごすことができた。
 なお8月12~13日の夜には「ペルセウス座流星群」が極大出現となる。興味のある方は獅子座方向をしばらくご覧いただきたい。

 オプションでトライした磯釣りでは借り物の道具で30㌢級を7枚ゲットした。写真が無いのは残念だが、荒波で知られる錆ヶ浜では半日遊泳を楽しむ。真っ黒な溶岩の海岸は焼け石の上を歩くようで、海に入れば砂利を含んだ荒波が凄い勢いで襲いかかる。命懸けの海水浴となった。終わって、近くの天然温泉「ふるさとの湯」で疲れを癒す。赤鬼のように日焼けした身体がひりひりと痛んだ。
 昨日4時45分発の連絡線で帰京。帰途、図らずも船上から東京湾の花火を見ることができた。

      (写真:上からアカコッコ、イソヒヨドリ、オーストンヤマガラ)







※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 01:20 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

三宅島へ

 miyake.jpg

三宅噴火口

アカカッコ3

 とつぜん三宅島へ行くことになった。私の住む小金井市と三宅島が友好都市となって今年がちょうど30周年。その記念セレモニーに出席するのが目的である。そのついでに三宅島にしか生息しないアカカッコなど野鳥観察、史跡探訪、ダイビング、イルカウォッチング、星空観察など様々なイヴェントが予定されている。同行は野鳥の会元会長 堤誠一さん、陶芸家 藤井孝夫さんなどの知友なので楽しい旅になりそうだ。ただし、島内はガスマスクの常時携帯が義務付けられており、これは市の方で準備してくれる。

 東京から南へ約180km、伊豆諸島のほぼ真ん中に在る三宅島と、東京の西郊、海の無い小金井市がどうして結びついたのであろうか。これについては面白い話がある。両者を結びつけたのは幕末の侠客、小金井小次郎が三宅島に流刑になった際、水不足に悩まされていた島民のために尽力した。彼は江戸にいる兄弟分の新門辰五郎らから漆喰などを送ってもらい、子分たちを指揮して井戸や貯水池を作った。この井戸は小次郎井戸と呼ばれ、昭和40年に村の簡易水道が完備するまで実際に使われていた。小次郎は島民にとって流刑人というより恩人であった。彼は関東一円に3,000人の子分を擁した大親分で、講談でお馴染みの清水の次郎長、国定忠治らとも交流があったという。小次郎の末裔は岡家として小金井に現存する。市内の西念寺にある彼の墓所(明治14年(1881)没)には、山岡鉄舟の筆になる「小金井小次郎君追悼碑」が聳えている。

          (写真:三宅島全景、雄山噴火口、アカコッコ)





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 19:52 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

原爆忌

3967744124.jpg

広島1

ジョアン・ヒントンさん

    原爆忌生きて自愛の卵割る(孝一)
    原爆忌祖国の唄を聞く夜かな(ガルシア)
    火を焚けば火はいづこにも原爆忌(狩行)
    石投げても海に音なき原爆忌(杜詩夫)
 
 63年前の今日、広島に投下された一発の原子爆弾が一瞬で数万人の命を奪った。その残酷無惨さは百万言を費やしても語り尽くせない。更にその後遺症であるガンや白血病で毎年たくさんの人が亡くなっている。政府は63年経ってやっと原爆症の認定基準の見直しを行った。その結果、爆心地から3,5km以内、投下より2週間以内に1週間以上滞在した人などを対象とした。しかし裁判で原爆症と認められた人を、この基準を盾に原爆症と認めることを拒否している。例えば三次市に住むA子さんのケース…。当時16歳だった彼女は原爆投下3週間後に爆心地に入り被爆者の介護に当たった。30代から呼吸器ガン、胃ガン、子宮ガンを次々に発症、80歳の現在も原爆症に苛まれている。一緒に介護に当たった同級生の多くは原爆症で世を去った。その無念を晴らそうとA子さんは広島地裁に原爆症認定を提訴し勝訴した。しかし、政府は認定を拒否している。新基準の「2週間以内」を1週間超えていたというのが理由である。追悼式典に出席した福田首相の挨拶が白々しく聞こえてならなかった。

 米国による第二次大戦中の原爆開発計画に携わった女性科学者、ジョアン・ヒントンさん(86)が初来日し5日、広島を訪れた。数万人の命を一瞬で奪った科学に絶望して米国を離れ、中国へ渡って60年。科学者であることを捨て酪農に従事したが、苦悩がなくなることはなかった。「自分が作ったものがどんな結果を齎すのか。それを考えず純粋な科学者であったことに罪を感じている」。贖罪の意識から、広島訪問をかねて望んでいたという。
一方、彼女の母国アメリカは世界最大(1万発以上とも言われる)の核弾頭を保有し続け、地下貫通型核兵器の実用化研究まで行いつつある。

       (写真:原爆キノコ雲、被爆直後の広島、ジョアン・ヒントンさん)





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 10:08 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

故郷燃ゆ

猛暑


佐久間1  

慶応 141


 先月末に続いてK大病院へ。今日は眼科。特に悪いわけではないが、念のため4ヶ月に一度、視力と眼底の検査を受けている。検査は午後からだが午前10時に病院について順番を取る。4時間待って、検査は30分で終わる。視力変わらず。眼圧、眼底にも異常なし。

 雲行きが怪しいので何処にも寄らず、国分寺駅で買い物をしただけで、早々に帰宅。案の定、タクシーを降りた途端、激しい雷鳴とともに雨が沛然と降り出した。危ないところだった。
TVを点けると静岡県佐久間で最高気温38,6℃を記録したと、今日の暑さを報じていた。佐久間は私の故郷。40年前までは久根銅山で栄えたが、廃山後は何も無い天竜河畔の寒村である。2001年には40,2℃という日本最高気温を記録した。そのとき故郷に留まって民宿をやっているUは、「こんなことでしかニュースにならないんです」と淋しく笑っていた。

 ジャガイモの皮をピーラーで剥いていて、左手小指の先端を削ぎ落としてしまった。これまで皮むきは全て包丁でした。先日、TVで焼き茄子をするとき事前にピーラーで皮を剥いているのを見て真似したくなり、同じ物を買ってきた。これがいけなかった。慣れない物は使わないことだ。創は大したことはないようだが出血がひどい。近くに外科がないので取り敢えずメンソレータムをたっぷり付けて絆創膏で巻いてみたが血が止まらない。その上からセロテープをぐるぐる巻いたら、やっと血が止まったようだが、ずきずきと痛みがつづいている。2日後に三宅島への出発が迫っている。大丈夫だろうか。





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 23:22 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

1日遅れの朔盆

慶応 120

慶応 129

慶応 131

 嫁いだ娘から電話が入る。なぜか彼女からのときだけ、電話機に「ヒツウチ」と表示されるので直ぐ判る。嫌な予感がした。安否を気遣ってといった殊勝な電話など来たことがない。寿司が食べたいとかイタリアンへ行きたいといったときだけ誘いの電話がかかる。むろん、勘定はこっち持ちである。一昨日、病院の帰りに求めた四谷・魚久の西京漬を駅まで取りに来させたのがいけなかった。あれに味を占めたに違いない。
「こないだは、ご馳走さま。おいしかったよ」
「なんか用事か?」―用心して、こっちは、わざと不機嫌を装う。
「土曜日にママのお墓参りに行かない?」
「駄目だ。来週は三宅島へ行ってる」
「まあ、ずいぶん旅行ばっかりするのね」(余計なお世話だ)
「市から頼まれたんだよ。友好都市30周年記念で市民代表として行くんだ」
「どうだかネ…ま、いいか。…来週じゃないよ、明日だよ」
「俺はいいよ、15日のお盆に行くから…」
「それがねぇ、国分寺・府中界隈は一日にお盆をやるんだって…」

 途中で旦那と代わると、「ホントなんです。この辺じゃあツイタチ盆と言うらしいですよ」と言う。面倒になったから「じゃあ行くよ」と返事する。代わった娘の明るい声が受話器に飛び込んできた。
「じゃあ、11時に車で迎えに行くからね。精進落としは武蔵境のレッドロブスターにしようよ。予約しとくね」―案の定だ。

 後で判ったことだが、15日は娘のコンサートがあったので、急に今日にしたらしい。さてはツイタチ盆は作り話かと地元出身の陶芸家 Hさんに尋ねたら、古くからの土地っ子の間には、そうした風習があるということで、満更ウソでも無かったようだ。
 Hさんによれば、旧暦7月1日(新暦では8月)は釜蓋朔日(かまぶたついたち)と言って、あの世の釜の蓋が開いて、ご先祖さまの精霊が冥土からそれぞれの家へ旅立つ日とされているのだそうだ。あの世からの道は非常に遠く、朔日(一日)に出発しなければ盆までに間に合わない。お盆の準備もこの日から始まるとのことだった。

 釜蓋朔日と関係があるかどうか判らないが、伊勢の「赤福」では毎月一日に祖霊に供える「朔日(ついたち)餅」というのを特別に予約で売り出していた。特に7月は「竹流し」という竹筒に入った水羊羹に熊笹の蓋をしてから伊勢千代紙の包装紙に包んで、七夕の短冊がオマケに付いていた。なんでこんなことを知っているかというと、娘が小さかった頃、伊勢出身の政治家Hが七夕近くなると必ずこれを送ってくれた。Hとは大学は違ったが学生運動の仲間で、社会に出てからも私的には刎頚の交わりを続けてきた。そのHも、昨年物故した。思い出したついでと言っては何だが、今日は線香一巻を西に向けて薫いてきた。

 施餓鬼から1ヶ月も経っていないのに、好天続きだったせいか墓は埃に塗れたいた。皆で手分けして水でジャブジャブ洗ってやる。供花は家内が好きだったピンクの花を孫の真由子が選んだ。いちばん可愛がって貰っただけにお祈りも長い。ついでに本家の墓参を済ませたあと、テキの要望に応えてレッドロブスターで精進落とし。15日が誕生日の旬平の誕生祝も一緒にやる。予め連絡してあったらしくヨットのキャビン風の個室と名入りのケーキまで用意されていた。椅子が一つ多いので娘の真理芽に「誰か呼んだの?」と尋ねると、「ママの分よ」と答えた。なかなか味なことをやる。スケジュールが合わなくて孫たちと会う機会が少ないが、偶にはこうした団欒もいいものだ。







※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 18:12 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

八月の賦

マツヨイグサ

オミナエシ

コスモス1


 今日から8月である。葉月の異称があるが、他に秋風月、紅染月(こうそめつき)、木染月 (こぞめづき)、月見月 (つきみづき)など秋に因んだ雅称が多い。日中の暑さは変わらぬが、朝夕の漫ろ風には忍び寄る秋の気配を感じる。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる」―これは古今集所収の藤原敏行の歌だが、迎秋の想いは今も昔も変わることがない。たしか5月のブログで、その頃に降る雨の雅称を紹介したが秋風も同じである。金風(きんぷう)、爽籟(そうらい)、秋の初風、初嵐、野分(のわき)、雁渡し、青北風(あおぎた)、黍嵐(きびあらし)、芋嵐、台風、颶風…など十指に余る。雨や風などの自然現象にも様々な名前を付ける繊細な感覚は、四季に恵まれた日本人ならではのものである。日本語の詩歌を創る者として、こうした感覚だけは大切にしていきたい。
 最近あるブログで某大会へ寄せられた外国人の作品に対し「その歌の質が凄いのです。しかも、日本の五行歌と同じで、かつシェークスピアとも同じなのです」という書き込みを拝見した。私は夜店の香具師(やし)のタンカバイで、「この薬はドイツのビールウヰスキー博士のお墨付きだよ」という台詞を思い出し、思わず苦笑してしまった。五行歌とシェークスピアとを結びつける前に、日本人でなければ創れない詩歌を大切にして欲しい。

 散歩の途次、路傍に見かける花々にも秋の気配を感じる昨今である。

 月見草(待宵草)【写真上】 「月見草レールも歯止石も錆び」―狩行

 女郎花(おみなえし)【同中】 「吸入や いよよ色顕れ女郎花」―波郷

 コスモス(秋桜)【同下】 「コスモスを離れし蝶に谿深し」―秋桜子 








※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 17:01 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑
プロフィール

杜の小径

Author:杜の小径

杜のMENU
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。