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by 杜の小径  at --:-- |  スポンサー広告 |   |   |  page top ↑

酒中花の詩

  波郷句碑  酒中花  波郷の墓 

     吹き起こる  
       秋風鶴を
         歩ましむ

 小春日に誘われるように深大寺まで杖を曳く。忌日は既に旬日を過ぎているが、波郷の墓に詣でる。「水仙花いくたび入院することよ」の句にちなんだのであろうか、黒御影の墓前には水仙の花が供えられていた。
 私は俳人ではないが、虚子に反抗して『ホトトギス』を脱退した秋桜子が好き。また、その門下である人間探求派と呼ばれる楸邨、草田男、波郷の作品に私淑してきた。なかでも波郷の句は私の文学観に大きな影響を与えたと、自分では思っている。
墓参のあと、裏山に在る句碑に立ち寄る。冒頭に置いたのは、その碑に刻まれた句である。波郷は結核治療のために長く清瀬の療養所に入院し、そこで最期を迎える。この句は病に瘠せ衰えた波郷が、気力を振り絞って文学に立ち向かう姿を彷彿させる。
 
 波郷には冬の作品に秀句が多い。これらの命を刻み込んだ作品を見るたびに、文学を志す一人として白刃で胸を突き刺される想いがする。最後に揚げた句の「酒中花」は波郷の愛した藪椿の一種で、波郷の墓にはこの椿が植えられていた。

   遠く病めば銀河は長し清瀬村
   雪嶺よ女ひらりと船に乗る
   霜の墓抱き起こされしとき見たり
   呼吸は吐くことが大事や水仙花
   雪はしずかにゆたかにはやし屍室
   寒椿つひに一日のふとこと手
   ひとつ咲く酒中花はわが恋椿

          (写真:波郷の墓、酒中花椿、波郷句碑)

   鶴の翳 藁塚の影 深大寺 (杜)
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by 杜の小径  at 07:22 |  日記 |  comment (4)  |   |  page top ↑

枯葉の詩

            66733a73987a5818.jpg      3462.jpg   

    冷たい風に
    ブルッ!と
    ふるえる枯葉
    私、冬支度
    始めました

 これは、麹町歌会に出されたTさんの作品である。同会のHP上で寸評を試みた。
「前3行は芝居のト書(とがき)、残る2行が枯葉の独白と見ました。初冬の枯葉に仮託した作者の心情が簡潔に表現されています。しかし、命の終わろうとする枯葉の冬支度というのがちょっと疑問…」ここまで書いたとき、私の手が止まった。作者は太平洋画会に属する画家、時どき常人の発想を超える言葉を遣うから油断できない。一服しながら考える。3句に枯葉に替えて「木々」を入れてみた。「ブルッ!と ふるえる木々 私、冬支度……」このほうが意味はすっきりと通る。しかし、木々が冬支度を始めるでは、いかにも平凡だ。もう一度、枯葉に戻してみる。……枯葉…命の終わり…このとき、病床にある姉のことが頭をよぎった。そうか、枯葉でいいんだ。私は寸評の最後の部分を書き直した。「…命の終わろうとする枯葉は、やがて地に落ちて土に還る。作者は、その枯葉の呟きを聴いた。私、冬支度始めました、という。」

 姉は、いま不帰の病床に在る。夏に腸閉塞の手術をしたが、実は癌だった、それも末期の。現在は治療は行わず、点滴と痛み止めだけで命を繋いでいる。最近、姪から聞いて初めて知ったのだが、姉は最後の入院前に家の新築を決め、墓の手配まで済ませていた。まさに枯葉の冬支度である。このことが無かったら、私はTさんの作品を読み誤まっていたことだろう。

 姉だけでは無い。いま、三人の友人が癌に冒され、そのうちの一人はホスピスに入っている。考えてみると生あるものは木の葉と同じ。遅速の差はあっても、やがて必ず枝を離れる日が来る。そう思えば、小事に拘って生きることが空しくなる。今を、この瞬間を大切に生きたいと、つくづく思う昨今である。

 






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by 杜の小径  at 22:41 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

芭蕉忌

          芭蕉翁      バショウ

   芭蕉忌の酢漬の冷や近江蕪
   しぐれ忌の山にあそべば鷹の翳(かげ)
   山の湯に野点(のだて)遊びの桃青忌
   湖の寒さを知りぬ翁の忌

 きょう11月28日は松尾芭蕉の忌日である。上掲の4句はいずれも芭蕉忌を詠んだもの。江戸深川にあった弟子の魚商・杉山杉風の生簀小屋を仮寓としたとき弟子から1株の芭蕉を贈られた。それが気に入って住まいを芭蕉庵とし、俳号も芭蕉と改めた。しぐれ忌は、芭蕉の忌日がちょうど時雨の季節であり、彼の説いた閑寂、幽玄、枯淡の趣に通じるところから名付けられた。桃青忌は芭蕉を名乗る前の俳号に因んだもの。享年が51歳だから現代感覚では翁と呼ぶには早過ぎる感じもする。しかし平均寿命の短かった当時の50歳は翁の仲間で、生前の芭蕉も自らを そう呼んでいた。

 芭蕉については小学生でも知っているから、今更くだくだ書き連ねるつもりは無い。ただ、このことだけは記しておきたい。芭蕉は日本近世文学の最盛期に当る元禄時代に、小説の井原西鶴、浄瑠璃の近松門左衛門と並んで三大文豪と謳われた存在だった。貞門や談林の言葉遊び的な俳諧を改革して、俳句を芸術の高みへ引き上げた功績は大きい。その彼にしても俳句は俺が創始者だなどとは決して言わなかった。もちろん、俳句に携わる者から人頭税を巻き上げるような姑息なことはしなかった。文学に於ける真の改革者とは、そうしたものなのである。

 さて芭蕉が閑寂さを愛した深川もジャズが響く街と変わり、芭蕉庵の在った木場も埋立地に移転して、今は町名だけが残っている。

   時雨忌や名のみ残れる木場の街(杜)





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by 杜の小径  at 03:21 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

アリマ・ジュンコ個展

コピー ~ D 260 D 257

   枯枝にスズメがいっぱい留まった「スズメの木」、地平線まで延びた野径を挟んで向き合う仔狐の「おひさしぶり」、薄暗がりに咲くアネモネを囲んで魔女たちがお茶の準備、ひとりだけ箒に跨って糸のように細い上弦の月を見上げている「七人の魔女」…どの絵にも、この人でなければ覗けない不思議な空間が描かれている。そして心を澄ますと、それぞれの絵の主人公たちの呟きが聞こえてくる。

 21日から荻窪駅前で開かれているアリマ・ジュンコさんの個展。雑用に追われて、最終日の今日やっと駈け付けることができた。最終日ということもあってか会場はギャラリーでいっぱいだ。それも殆どが中年の女性。子どもの絵本を通してアリマさんのメルヘンチックな作品のファンになった方が多いようだ。

 彼女とは、ちょっとドラマチックな経緯があって昨年28年ぶりに再会を果たした。昨年、私は自分の生家を舞台にした民話のことを書き、タイトル部分を写真で紹介した。そこに写っていた「挿絵:アリマ・ジュンコ」の文字を見た、マイミクシーで編集者のkikkoroさんから連絡が入った。「アリマさんなら、ちょうどいま荻窪で個展を開いていますよ」…。彼女と最後の付き合いは小学館の雑誌に連載した私の作品『日本の民話』の挿絵をお願いして以来、数えてみると28年を経ていた。翌日、kikkoroさんに同行をお願いして個展会場を訪ね、28年ぶりの再会を果たしたという次第。

 ジュンコさんは著名な童話作家・有馬志津子さんのお嬢さんで、デビューの頃はお母さまの本に挿絵を描かれていた。私の作品に挿絵を描いてくださったのも その頃で未だ少女のような初々しさだった。驚いたことに28年ぶりのジュンコさんには、その初々しさが残っていた。あの異次元世界のような不思議な絵の魅力は、彼女自身の持つ幼子のような純粋さ、透明感から生まれたものと改めて思い知ったことであった。
 今日の彼女は渋い大島紬。和服姿は初めて拝見した。二人の大きなお子さまがいらっしゃるとかで、落ち着いた奥様らしい風格を感じたが、透明な輝きは変わることがなかった。





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by 杜の小径  at 20:57 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

麹町倶楽部 月例歌会

koujimati.jpg
 
 麹町倶楽部の第117回歌会が麹町公民館で開かれた。今夜は「南の風」代表・高原伸夫さん、横浜歌会から澤尾幸夫さん、澤比路子などが参加され、賑やかな歌会となった。最近の麹町では男女共に若い方の新加入がめだつ。若いだけでなく本物の詩人としての才能や感性の持ち主ばかり。赤井登代表も平均年齢がだいぶ下がったと喜んでいる。今夜の結果は、以下の通り。(敬称略)

【自由詠】
   年に一度
   居どころを明かす
   山の漆
   今年も
   極上の赤でお出まし(澤比路子・一席)

   失った日々には
   触れないで
   ふたり
   静かな
   笑顔を交わす ■笑顔=ほほえみ(酒井映子・同二席)
          
   夕暮れの手前
   なんということなく
   ふらり
   鍵を
   渡される(小杉淑子・同二席)

   行き暮れて
   海を見ていた
   行き連れの
   野良犬きみも
   海を見ている (森崎一三。同三席)

   草むらで
   笑いさざめいている
   茸たちから
   灯りひとつ貰って
   森に入っていく (柳瀬丈子・同三席)

   片手に
   一握の ■一握=いちあく
   すすき
   山頂の風
   連れもどる (村瀬杜詩夫・同三席)

【題詠/遊ぶ】
   食べ物で
   遊んじゃいけません
   と、いいつつ
   オムライスに
   くまさんを描く (松尾さやか・一席)

   遊び上手は
   人生の達人
   と 言う
   まだまだ
   はげまなくては (小田明子・二席)

   地震という
   誘惑に
   「遊び」という技で
   立ち向かう
   五重塔 (山碧木 星・同三席)
     
   一人は    
   心が遊べるよ
   と
   十一月の半月が
   つぶやいている (扉・同三席)





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by 杜の小径  at 00:49 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

新宿御苑へ

      d63f01fcc690f930.jpg   D 056   ジュウガツサクラ


 川澄兄から電話、グットニュースがあるから新宿まで出て来いと言う。マイペースと言うか、有無を言わさぬ強引さは相変わらずだ。柿傳で遅い昼食。この5ヶ月間で体重が15㌔減り70㌔になったと言う。これがグットニュースだった。ここ2年ほど体調不良で慶大教授の職も非常勤だったが来春から現場に復帰するという。今日中に豊橋へ帰るというので、新宿駅で別れる。

 西口のニコン本社で調整を依頼していたカメラを受け取り、試写を兼ね久しぶりに新宿御苑に立ち寄る。イチョウの黄葉は既に盛りを過ぎていたが、目を惹くのはユリノキ(百合の木)の巨木。春先に薄緑の百合に似た花をつけた姿は何度も見ているが、黄葉を見るのは初めてである。高さ30㍍はあろうかと思われる巨木が黄色に染まった姿は圧巻だ。その根元近くの一箇所だけ暖かな光が射していた。そこには十月桜(寒桜)が淡く優しい花をつけていた。三脚を持参しなかったので400㍉の望遠を使うチャンスは無かったが、新調したD80の調子は万全で、来月4日の野鳥撮影が楽しみである。

                  (紅葉、ユリノキ、ジュウガツザクラ)


 





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友人と食事

       風の盆 002           旬香

 池袋のメトロポリタンホテル内の四季彩茶寮「旬香」で友人たちと食事。ここは先月オープンしたばかりで、ロゴを寺本一川さんが書かれた。木彫りされた店名の下に揮毫中の一川さんの写真とプロフィールが飾られていた。

 店内の雰囲気も風格があり、酒も料理も最高。何よりも気のおけない友人とのお喋りが楽しかった。このところ旅も外での食事も独りだったので、今夜は取分けて楽しい時間を過ごすことができた。友人たちに感謝。





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八手の花

                  ヤツデ

             灯の残る路地の暗がり花八手(杜)

 時雨の季節になると木の実も殆ど小鳥たちに食べ尽され、まして咲いている花などはたいへんに少ない。この季節に目につく花と言えば、八手の花くらいだろうか。大ぶりな葉の真ん中に隠れるように咲いている風情がいじらしい。
 私だけの思い込みかもしれないが、八手自体に幽かな孤独感を感じる。山野ではあまり見かけない。主に庭先に植えられているが、花が地味なせいか隅っこの方にぽつんと植えられていることが多い。図体は決して小さくはないのに、転校生のような淋しさが漂っている。で、この花木の素性を知りたくなった。

 元禄時代までの資料には見当たらない。貝原益軒の『大和本草』(1709)に「西に多し…京畿にて未だこれを見ず」というのが初見で、同じ著者の『花譜』(1694)には見当たらない。とすると、300年くらい前に日本へ渡来したのであろう。

 葉の切れ込んだ形が掌を広げたように見えるのが名前の由来らしいが、不思議なことに切れ込みの和は八つではない。殆ど九つで、稀に違うものがあっても七、九、十一と、みな奇数である。古来、日本や中国には奇数を佳とする風習があったせいか、縁起物として、或いは魔除けとして屋敷内、それも玄関近くに植えられることが多かった。

 魔除けと言えば、昔は玄関に鰯の頭、蜂の巣、ニンニクなどを飾った。東北では馬の蹄鉄、私の故郷の中部地方では夏祭に揚げた手筒花火の筒を軒に飾っていた。中には「鎮西八郎為朝恩宿」という札を貼って悪魔の侵入を防いだ地方もある。洋風の家が増えたせいか、人々の考え方が変わったためか、こうした風習も次第に見られなくなった。八手が庭隅に追いやられるのも已むを得ないか…。

   老犬の目の覚めやすく花八手(杜)
 
   玄関に五燭の灯り八手咲く(杜)


 






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冬眠熊の独り言

    武相荘 051   武相荘 047   武相荘 046

 冬眠でもしようかと落葉を敷いた穴の底から空を見上げると、思いもがけない懐かしい影がよぎって驚かされる…そんなことが続いて、冬眠するのがちょっと早過ぎたかなと思う昨今である。

 先日はNHKの吉田直哉さんの追悼番組で、思いがけなくも今野勉さんの元気な姿に出逢ったことは、このブログにも書いた。昨日は40年ぶりに思わぬ処で法務省時代の同僚と出っ会した。本多貞子さんの長唄を聴く前に腹ごしらえをと、馴染みの「やっこ」へ寄った。ここは勝海舟が愛顧した鰻の老舗。粋筋らしい和服の美人と一緒だったので名刺を交換しただけで再会を約して別れたが、退官して弁護士を開業していた。女将が「いつもお独りで可哀想ね」と特製の茶碗蒸しを奢ってくれた(生憎だが、これが嫌いで食べ終わるのに一苦労だ)。

 今朝、NHKの「生活ほっとモーニング この人にトキメキッ! 岩合光昭」を見る。彼は、言うまでもなく動物写真の第一人者である。彼と出逢ったのは私が未だ編集者としては駆け出しの時代だったから、仮に声を掛けても思い出すことは無いだろう。見終わって、急いでWikipediaで岩合徳光を検索してみたが出ていなかった。岩合徳光さんは光昭さんのお父さんで、やはり動物写真家だった。その安否を知りたかった。         
 
 徳光さんは後に四谷にアニマルフォトという事務所を開かれたが、当時は新中野のご自宅が事務所だった。二階が写真の保管庫になっていて、写真を借りにいくと未だ詰襟の学生服を着ていた光昭青年が、ファイルの入ったボール箱を抱えて運んでくれる。無口でシャイな青年だった。その彼が今日の画面では黒崎アナを相手に明るく親父ギャグを連発するのを見て、隔世の想いを深くした。

 お父さんの徳光さんも無口な人だったが、こと写真に関しては人が変わったように喋って下さった。ある日、鮭が産卵する写真を借りにいったことがある。「今は高性能の水中カメラが開発されたが…」と、徳光さんが話し始める。以前は大きな水槽の底に砂利を敷き、そこに数尾の雄、雌の鮭を入れて産卵の瞬間を待つ。が、いつ産卵するか判らないからカメラをセットして、じっとその瞬間を待つ。1日、2日、3日目の深夜、さすがに疲れてうとうとと転た寝してしまった。はっと気付いて目を開けたとき、水槽は真っ白に濁っていた。ほんの数分の間に雄の射精が終わってしまったのだ。もちろん撮影は失敗。話し終わった徳光さんは、「待つって大切なことだけど大変なことだねぇ。でも、チャンスとは、そういうものかもしれないよ」としみじみと言われた。その言葉は今も忘れられない。こんなお父さんに育てられたから、今日の光昭さんが在るのだろう。         

 冬眠し損なった熊は、珍しく暖かな日射しの降り注ぐ初冬の空を見上げた。

                 (写真はNHKのテレビ画面より)
 
 










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by 杜の小径  at 12:29 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

長唄 女子東音会へ

               長唄   本多貞子
 
 女流長唄界の第一人者、本多貞子さんの『養老』を聴くために、浅草公会堂で開かれた長唄女子東音会へ。これは孝子伝説を主題にした能『養老』を長唄化したもの。女性には発声が無理と言われ、ここ数十年女性が上演したことが無いという難曲である。
 開園前に楽屋へお伺いする。お弟子さんに囲まれた本多さんは、いちばん小柄で、雰囲気が京舞の人間国宝、四世井上八千代に似ておられる。それが一旦舞台に上がると一際抜きんでて堂々と見える。声量も、とても古希を超えた方とは思えない。芸の力とは恐ろしい。本田貞子さんの出演は、この一幕だけ。これに先立って上演された演目は以下の通り。
○『竹生島』…文久2年、中村座初演。龍神と弁才天が人間の姿で女人禁制の竹生島を訪れ咎められる様子と、二神が本来の姿に戻って功徳を施す経緯を長唄化したもの。
○『汐汲』…文化8年初演。能の『松風』を長唄化したもので、須磨の浦で汐を汲む娘を主題にした舞踊曲。歌舞伎で女形が演じることが多い。
○『五條橋』…明治36年初演。能の『橋弁慶』を長唄化したもので、これも舞踊曲。牛若丸と弁慶の戦いが主題で、三味線の聞かせどころ。一番三味の瀬川靖代の早弾きが圧巻。
○『鷺娘』…宝暦12年市村座で初演。これも、お馴染みの舞踊曲。雪の夜の白鷺の精をテーマにした舞踊曲。笙、小鼓、大鼓、太鼓、を交えた三味線の合奏が古風な味わいを出していた。
○『秋色種』…弘化2年初演の古い曲。江戸麻布界隈の秋の景色を上調子の三味線のリードで赴き深く演奏された。上調子の鈴木八重子が出色であった。
○『まかしょ』…文政3年初演。江戸で、寒参りを代行する願人坊主が、吉原の様子などを投げ節などの俗謡を交えて唄う。題名は「まかしょ、まかしょ」と叫びながら鈴を振って町を歩く声から…。コミカルな演奏ぶりが絶品。
○『髭櫓』…昭和34年初演。都をどりのために吉井勇が歌詞を書いたもの。髭自慢の男が宮中の大嘗祭の鉾役を仰せつかる。ところが衣装代は自分持ちというので女房が大反対。挙句の果ては町内の女房連を味方にして亭主の髭を切ろうとする。亭主は髭を守る櫓を作って対抗すると言う荒唐無稽の筋書き。総勢数十名の出演者がずらりと舞台一杯に並ぶ壮観さが見もの。






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『美しいマゲローネのロマンス』の夕べ

     バリトン吉江忠男1   イェルク・デームス   江守徹

 むかしむかし、プロヴァンス地方を支配する貴族の館に素敵な青年が居ました。名前はペーター。ブロンドの髪に碧い瞳、剣を執れば剛勇無双、若い娘たちは彼の姿を眺めては切ない溜息をつくばかりです。ある日、ペーターは吟遊詩人の勧めに従い、供も連れずに独り旅に出ます。母は、あなたが最も愛する人に巡り会ったとき、これを渡しなさいと家宝の指輪を渡しました。愛馬の蹄の音が青年の希望に満ちた旅立ちを祝福するように、プロヴァンスの碧空に快く響きます……
 
 江守徹の抑えの利いた朗読によって15章に分けられた物語が展開する。1章の朗読が終わるとイェルク・デームスの流麗なピアノに乗って吉江忠男のバリトンが、静まりかえった津田h-ルに響く。

 ペーターはナポリ王国での騎士の試合に優勝するが、その凛々しい姿に一目惚れした王女マゲローネとの間に激しい恋に落ち、指輪を彼女に渡す。しかし王は身分を明かさないペーターとの交際を許さない。二人は遂に駆け落ちを決意する。旅に疲れた二人が海岸の丘で仮眠している隙に、大切な指輪を鴉に奪われてしまう。ペーターは眠っているマゲローネをそのままにして鴉を追いかける。海上の岩に鴉を追い詰めたペーターはボロ船で鴉に近付くが、折りしも押し寄せる大波に舟が転覆して海に投げ出される。
 目覚めたマゲローネは彼の居ないのに気付くが、いくら待っても帰ってこない。
必死でペーターを探し回る王女。何日か経って疲れ果てた彼女の目に、粗末な小屋が留まる。マルゲローネは小屋の老夫婦に救われ、そこで暮らし始める。
 一方、遭難したペーターは海賊船に助けられるが、異教徒の王に奴隷として売られる。王女を忘れられないペーターは、ある夜必死で逃げ出し、数々の苦難の末に一軒の小屋を見下ろす丘に辿り着く。小屋の前から聞き覚えのある歌声が聞こえてくる。それは紛れも泣く、愛するマルゲローネの声であった。

 歌曲は全てドイツ語で歌われるから、解るのは人の名前とモルゲンとメッチェンくらいで他はまるで解らない。それが幸いした。江守の朗読で物語の展開が解るから、あとはデームスのピアノと吉江の歌声だけに神経を集中させていればいい。まことに快適なリサイタルであった。今夜は長唄・東声会に招待して下さる友人夫妻を返礼のためにご招待したのだが、お二人ともたいへん喜んで下さった。

帰途、新宿・柿傳で晩い夕食。一日遅れだがライオンズの優勝に乾杯!

*出演者の紹介は、先月29日のブログに掲載してあります。
*会場は撮影禁止ですので、写真は全て参考写真です。







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季節の花―野菊

   カントウヨメナ1 ノコンギク2 柚香菊

 どんな花が好きですか? こんな風に問われたら、小さい花、薄い紫の…と答えるだろう。ほんとうは高山植物がいちばん好きなのだが、タカネウスユキソウとかタカネグンナイフウロなどとは言えない。質問者の想定範囲内で答えるのが礼儀だから…。すると相手は、わたしも好きよ、スミレとかぁ~、ノギクとかぁと言うから、そうですねと返す。普通の会話は、これで、いいのである。

 ではあるが、野菊も好きな花である。つい先日、友人のGさんがブログで自邸の庭の野紺菊とか秋明菊、達磨菊などを紹介されていた。改めて野菊はいいなぁと思ったことである。今日になって、野川の畔へ野菊探しに出かけてみたが無い。足を延ばして国分寺址に近い「お鷹の道」辺りまで行ってみたが、目に付くのは沿道の庭に植えられているものばかりで、野生のものは予想外に少ない。しかたがないので、庭に咲いている様々な野菊を写させていただいて帰る。中には名前の判らないものも幾つかあった。

 ここで断っておくが、野菊という名前の菊は無い。広辞苑には、①野に咲く菊。ノコンギク、ノジギクなど。②ヨメナの別称、と出ている。要するに野菊とは、野生の植物で菊に見えるものの総称ある。これは資料からの引用だが、菊は1500年ほど前に中国で人工的に作出されたもので厳密に言うと野生の菊というのは存在しない。そういう意味では広辞苑の「野菊とは野に咲く菊」という文言には疑問が残る。
 じゃあ、日本へはいつごろ渡来したのだろう。約1100年前に成立した万葉集には約1500首の植物の歌が載っているが、その中に菊を詠んだものは1首も無い。ところが約150年後の古今集では一転して菊だらかだから、13世紀初頭に渡来したと見るのが妥当だろう。
 ちょっと理屈っぽくなってきた。この辺で古今集の中の菊の歌でもご覧いただこう。

「心あてに折らばや折らむ初霜の置き惑はせる白菊の花」(凡河内躬恒 )
「秋風の吹き上げに立てる白菊は花かあらぬか浪のよするか」(菅原朝臣)
「花見つつ人待つ時は白妙の袖かとのみぞ あやまたれける}(紀友則)

 野菊は地味な花だが、1906(明治39年)以来、人々に注目されるようになる。この年、『ホトトギス』に発表された伊藤左千夫の自伝的小説『野菊の墓』が話題になった。粗筋はご存知の方が多かろう。15歳の政夫と二つ年上の従姉、民子との間に芽生えた幼い恋…。しかし二人は世間体を気にする大人たちに隔てられ、少年は町の中学へ、少女は心ならずも他家に嫁いでいく。やがて民子が病を得て亡くなり、それを知った政夫は墓に駈け付けて民子が好きだった野菊を墓の周りに植える。作品としては歌人の余技の域を出ないが、ストーリーが日本人好みだったせいか、大きな反響を呼んだ。このブームは現代にまで及び、これまでに映画・テレビ・演劇化されたのは20指を以ってしても足りないほどである。  
 野菊は、この作品のタイトルに遣われているように小説の重要なアイテムとなっている。作品の中から野菊が出てくる部分を二か所ほど、原文のままで紹介しておく。明治30年代の文章だから読みずらいが、我慢してお読みいただきたい。

「まア政夫さんは何をしていたの。私びツくりして……まア綺麗な野菊、政夫さん、
私に半分おくれたツたら、私ほんとうに野菊が好き」
「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」
「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好(コノ)もしいの。
どうしてこんなかなと、自分で思う位」
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
 民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」
「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風(フウ)だからさ」
「それで政夫さんは野菊が好きだって……」
「僕大好きさ」

(中略)

…民さんは野菊が大変好きであったに野菊を掘ってきて植えればよかった。いや直ぐ掘ってきて植えよう。こう考えてあたりを見ると、不思議に野菊が繁ってる。弔いの人に踏まれたらしいが猶茎立って青々として居る。民さんは野菊の中へ葬られたのだ。僕は漸く落着いて人々と共に墓場を辞した。

  野菊が話題になると花屋へ来て野菊の苗を欲しいと言う者が出てきたが、さっき書いたように野菊という花は無いから花屋が困ったという話もある。中には『野菊の墓』の文章を分析して、野菊とは何ぞやという大論文を書く者まで現れる始末となった。諸説が錯綜するなかで朝日新聞朝の「花おりおり」の筆者、湯浅浩史氏が「民子がほしがった野菊はカントウヨメナ(関東嫁菜)だっただろう」と書き、続いて写真家の宮嶋康彦氏も日本経済新聞で湯浅説に賛同し、この論争に一応の決着がついた。ちなみに、松戸市矢切に在る「野菊の墓」文学碑の周りには、関東嫁菜、野紺菊、柚香菊の3種類の野菊が植えられている。なお、著者左千夫は薄幸のうちに死んだ年上の恋人・民子を、この小説の中で次のように記している。どうやら、これが最も妥当な結論と思われるので、最後にその部分を紹介して本日の日記を終わる・

 真に民子は野菊の様な児であった。民子は全くの田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。可憐で優しくてそうして品格もあった。厭味とか憎気とかいう所は爪の垢ほどもなかった。どう見ても野菊の風だった。
 
            (写真:左から関東嫁菜、野紺菊、柚香菊)


    





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by 杜の小径  at 18:11 |  日記 |  comment (4)  |   |  page top ↑

枯蓮田有情―薬師池

  薬師池    薬師池 寺    薬師 ハス田

 昨日の日記に書き忘れたが、武相荘を訪ねたあと、同じ町田市内の薬師池に立ち寄った。ここは江戸時代に農業用水として掘られたと聞くが、広大な池を囲むように様々な草花、花木が植えられていて四季折々の花を楽しむことができる。特に大賀博士が発掘した2,000余年前の古代蓮(大賀は巣)が有名で、花季には三度ほど吟行したことがある。

 池の西側の雑木林の斜面の奥には、野津田薬師と呼ばれる福王寺薬師堂がある。この薬師堂は行基による開基と言われ、特に癌に霊験があると伝えられている。ここへ寄ったのは、いま重篤な病床にある姉の平癒を祷るため。 Athoist の私が神仏に掌を合わすのは矛盾しているが、今日だけは私にとっては母代わりの姉のために素直な気持ちで額づくことができた。

 帰途、蓮池に立ち寄ると荒涼たる光景が広がっていた。紅葉を目当てに訪れる人々も蓮池には近寄らないから、この一帯だけはエアポケットのように静まり返っている。その静けさに惹かれて、小一時間ほど時を過ごす。
  
         (写真:薬師池の紅葉、野津田薬師、枯蓮田) 

   【一行詩】
   刀折れ矢尽きしさまに枯蓮田

   雑兵に供花はなきもの枯蓮田

   一掬の水を贅とし枯蓮田 

   【五行詩】
   枯れ尽くし
   なお一掬の水に立つ
   蓮
   命の終わりは
   襤褸さえ美しい

     ■一掬=いっきく
     ■襤褸=らんる







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by 杜の小径  at 05:32 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

「ぶあいそう」との出逢い

    武相荘門 武相荘母屋   武相荘新聞入れ

 男ありて、武蔵鶴川の里を行く。道ばたに咲く白椿の美しさに魅せられ、思わず一枝を手折る。それを咎める尼との間に美に関わる問答が続く。名を問われた尼は椿の精と答えて椿の藪に消える。…やがて藪の中から現れた老女(実は白洲正子の化身)が老いて死ぬ運命(さだめ)を花の命に託して「序の舞」を舞う。―これは白洲正子没後十年を追悼して東大名誉教授多田富雄さんが書いた新作能のあらすじである。彼女の祥月命日に当る12月26日に宝生能楽堂で上演される。シテを梅若六郎、ワキを宝生欣哉が勤め、真野響子も出演する。図らずもこれに招待されたので、多少でも彼女のことを知っておこうと晩秋の一日、町田市鶴川の旧白洲邸・武相荘(ぶあいそう)を訪ねてみた。ここは白洲次郎・正子夫妻が茅葺き農家を買い取って半世紀を過ごした家である。白洲次郎は昭和15年に開戦必至とみて、家族の安全のためにこの家を手に入れた。この経緯について正子は『白洲正子自伝』の仲で次のように書いている。

「その頃、タチさん〔幼少より正子についていたお手伝いさん〕の親戚におまわりさんがいて、南多摩郡鶴川村の駐在所につとめていたが、彼は至って好人物で、秋は栗拾いに、春は苺(いちご)狩と筍(たけのこ)掘りに、子供たちを誘ってくれた。万葉集の東歌(あずまうた)にも詠まれている「多摩の横山」の丘陵ぞいに、茅葺(かやぶ)きの農家が点在するのどかな農村で、戦争が近いことなどどこにも感じられない。おまわりさんは、もし郊外に家を探しているならぜひ鶴川村へ来るようにとしきりに誘った。」
 
 調度品はさすがに贅を尽くしたものだが、長屋門、藁葺きの屋根、天井の梁、柿の木などに当時の農家の面影がそのまま残されている。そのほか民具を使った調度品、例えば古い臼を利用した新聞受などもあり、それが武相荘の魅力になっている。母屋を見終わったところで昼食。正子さんが生前に贔屓にしていた青山「レ・クリスタリーヌ」に特注した弁当を戴く。

 実を言うと白洲次郎については、よく知らない。終戦直後、吉田茂の外交顧問として講和条約の締結に随行したり、新憲法の制定に尽力した金持ちのぼんぼんくらいの知識しか無い。正子夫人は女性で初めて能を舞ったことで知られているし、エッセイストとして『能面』、『かくれ里』(いずれも読売文学賞)をはじめ多くの著作があり、それらは『『白洲正子全集』全14巻に纏められている。有体に言えば白洲次郎夫人と言うより、白洲正子の旦那が白洲次郎といった感じである。

 屋敷の裏山が回遊式の庭園になっていて、鈴鹿峠の石柱が立つ処から裏山への登ると、紅葉や野の花の中に銘石や野仏が置かれていて、夫妻の趣味の広さ、深さが窺がわれる。、

 武相荘の名は、武蔵と相模の境に位置することから、無愛想をもじって名づけた。邸内の扁額は近衛内閣の司法大臣だった風見章の筆によるもの。食糧難時代は邸内で畑仕事もやっていたようで、納屋に小型トラクターなどの農具や雪カンジキ、炭俵などが残っていた。そんな時代でもウイスキーは欠かさなかったらしく、オールド・スコッチの樽がで~んと据えられていた。

     (写真:武相荘の長屋門、藁屋根の母屋、臼を利用した新聞受)
   
 









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by 杜の小径  at 02:21 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

吉田直哉を偲ぶ

    コンサート 025    コンサート 038    コンサート 034

 NHK・文化の日特集―『テレビの可能性は―吉田直哉の残したもの』を見る。吉田は9月30日に亡くなった元NHKディレクターで、武蔵野美術大学教授。彼の功績を偲びながら、テレビとは何かを考える特集だった。出演は作曲家 冨田 勲, ドキュメンタリー作家・武蔵野美術大学教授 今野 勉ほか。 司会は山根基世アナウンサー。

 実は若い頃の彼とは面識があった。当時、詩人で「四季」の女優でもあった吉原幸子が赤坂プリンスの中で「ネイビークラブ」という会員制のクラブをやっていた。彼女と吉田が東大で同期というので、時どき飲みに来ていた。私はロシア文学者で詩人の内村剛介か檀一雄先生か、どちらかの紹介で吉原と知り合ったのだと思う。後に彼が大ディレクターになろうとは、当時は夢にも思わなかった。

 今日のゲストの一人、テレビマンユニオン副社長の今野勉も旧知の仲である。今野はドキュメンタリーのプロデューサーとして吉田を尊敬し、吉田と同じ武蔵野美術大学の教授をしている。テレビマンユニオンは、むかし成田闘争の折りTV中継車でデモ隊のプラカードを運んで馘首された某民放の社員が立ち上げたプロダクションで、『遠くへ行きたい』『オーケストラがやって来た』『世界ふしぎ発見』『食彩の王国』など各局の人気番組を制作している。欽ちゃんが演出の勉強をしたのもここである。小生は『遠くへ行きたい』の脚本を書いた縁で今野と知り合い、自分が出演したときは若き日の彼と一緒に旅をしたこともある。

 吉田はNHKのプロデユーサー時代、『太閤記』『源義経』などの大河ドラマや『明治百年』(芸術選奨文部大臣賞)、『ポロロッカ・アマゾン大逆流』(毎日芸術賞)、『二十一世紀は警告する』(ギャラクシー大賞)などのドキュメンタリー作品を数多く生み出している。彼は『太閤記』の冒頭シーンでいきなり新幹線を走らせて視聴者は勿論、NHK幹部の腰を抜かしたという逸話の持ち主である。とにかく吉田は誰よりもテレビを愛すと同時に、テレビとは何かを問い続け、幅広い映像表現に挑んできた。ドキュメンタリー番組に心象を描く実験的な表現を取り入れたりする一方、ドラマの中に舞台となった土地の実写映像を挿入したり、空撮や水中撮影を取り入れる斬新な演出も試みてきた、今日の特番は、そうした彼の業績を顕彰し、テレビがいかに幅広く奥行きが深く表現できる手段であるかを考えさせる好個の番組であった。

 (写真)
 *左から冨田 勲(右)、今野 勉(中央)、司会の山根基世(左)
 *平成7年NHK『土曜フォーラム』に出演したときの吉田直哉
 *吉田直哉について語る今野勉(以上、いずれもNHK画面から)

 





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by 杜の小径  at 22:41 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

冬来たる


   海に出て木枯帰るところなし(誓子)

   木枯を背(そびら)に聞けば魔笛めき(杜詩夫)

 東京では昨30日に木枯一号が吹いた。例年より十日ほど早いそうだ。冬に入るのは正確に言うと七日の立冬以後だが、木枯一号と聞くと改めて「冬来たる」といった気持ちになる。冬の到来をいちばん先に感じるのは、朝晩の気温の低下である。冬の花としては冬椿、山茶花、ポインセチアなどがあるが、暖冬のせいでコスモス、金木犀、芙蓉、カンナなどの秋の花が未だ咲き残っているのでぴんとこない。

 花は無くても日本人は四季を感じ、それぞれの季節の歌を遺している。歌集で四季をはっきり区別しているのは十世紀初頭に完成した『古今集』からで、それに百年以上先立つ『万葉集』では四季の分類は無い。しかし、分類こそされていないが四季の歌は勿論ある。かと言っても冬の花々が絢爛と登場するわけではない。当時最も珍重された冬の植物は松、竹、梅であった。三つとも寒に堪えるというので中国では「歳寒の三友」と呼んで盛んに詩歌や絵画の題材にしていた。当時の日本人は、これを真似たのであろう。『万葉集』から松竹梅の歌をアト・ランダムに探してみよう。
 
  松…「八千種の花は移ろふ常磐なる松のさ枝をわれは結ばな」(大伴家持)
 
  竹…「小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども吾は妹思ふ別れ来ぬれば」(柿本人麻呂)
 
  梅…「我が園に、梅の花散る、ひさかたの、天より雪の、流れ来るかも(大伴旅人)
 
 俳句では立冬から翌年の立春までを冬としている。冬の句は沢山あるが、印象に残っているのは次の句である。いずれの句にも花は無い。
 
   鳶の下 冬りんりんと 旅の尿(不死男)
 
   冬すでに 路標にまがふ 墓一基(草田男)
 
   父無き冬 子らは麒麟を始めて見き(波郷)

 十月はコンサートや展覧会には格回訪れたが、旅はあまりしなかった。東京を離れたのは茅ヶ崎と安曇野だけだった。今月は、できるだけ旅をした。とは言っても姉が重篤な病床にあるので、あまり長い旅はできないが…。いずれにしても、あまり愉快でないことが多かった十月が終わってほっとしている。それが逝く月を送る感慨の全てである。
 
   慌しい何かが
   脇を通り過ぎて行く
   口を閉ざして
   堪えている
   蓑虫






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by 杜の小径  at 13:49 |  日記 |  comment (4)  |   |  page top ↑
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