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季節の花―野菊

   カントウヨメナ1 ノコンギク2 柚香菊

 どんな花が好きですか? こんな風に問われたら、小さい花、薄い紫の…と答えるだろう。ほんとうは高山植物がいちばん好きなのだが、タカネウスユキソウとかタカネグンナイフウロなどとは言えない。質問者の想定範囲内で答えるのが礼儀だから…。すると相手は、わたしも好きよ、スミレとかぁ~、ノギクとかぁと言うから、そうですねと返す。普通の会話は、これで、いいのである。

 ではあるが、野菊も好きな花である。つい先日、友人のGさんがブログで自邸の庭の野紺菊とか秋明菊、達磨菊などを紹介されていた。改めて野菊はいいなぁと思ったことである。今日になって、野川の畔へ野菊探しに出かけてみたが無い。足を延ばして国分寺址に近い「お鷹の道」辺りまで行ってみたが、目に付くのは沿道の庭に植えられているものばかりで、野生のものは予想外に少ない。しかたがないので、庭に咲いている様々な野菊を写させていただいて帰る。中には名前の判らないものも幾つかあった。

 ここで断っておくが、野菊という名前の菊は無い。広辞苑には、①野に咲く菊。ノコンギク、ノジギクなど。②ヨメナの別称、と出ている。要するに野菊とは、野生の植物で菊に見えるものの総称ある。これは資料からの引用だが、菊は1500年ほど前に中国で人工的に作出されたもので厳密に言うと野生の菊というのは存在しない。そういう意味では広辞苑の「野菊とは野に咲く菊」という文言には疑問が残る。
 じゃあ、日本へはいつごろ渡来したのだろう。約1100年前に成立した万葉集には約1500首の植物の歌が載っているが、その中に菊を詠んだものは1首も無い。ところが約150年後の古今集では一転して菊だらかだから、13世紀初頭に渡来したと見るのが妥当だろう。
 ちょっと理屈っぽくなってきた。この辺で古今集の中の菊の歌でもご覧いただこう。

「心あてに折らばや折らむ初霜の置き惑はせる白菊の花」(凡河内躬恒 )
「秋風の吹き上げに立てる白菊は花かあらぬか浪のよするか」(菅原朝臣)
「花見つつ人待つ時は白妙の袖かとのみぞ あやまたれける}(紀友則)

 野菊は地味な花だが、1906(明治39年)以来、人々に注目されるようになる。この年、『ホトトギス』に発表された伊藤左千夫の自伝的小説『野菊の墓』が話題になった。粗筋はご存知の方が多かろう。15歳の政夫と二つ年上の従姉、民子との間に芽生えた幼い恋…。しかし二人は世間体を気にする大人たちに隔てられ、少年は町の中学へ、少女は心ならずも他家に嫁いでいく。やがて民子が病を得て亡くなり、それを知った政夫は墓に駈け付けて民子が好きだった野菊を墓の周りに植える。作品としては歌人の余技の域を出ないが、ストーリーが日本人好みだったせいか、大きな反響を呼んだ。このブームは現代にまで及び、これまでに映画・テレビ・演劇化されたのは20指を以ってしても足りないほどである。  
 野菊は、この作品のタイトルに遣われているように小説の重要なアイテムとなっている。作品の中から野菊が出てくる部分を二か所ほど、原文のままで紹介しておく。明治30年代の文章だから読みずらいが、我慢してお読みいただきたい。

「まア政夫さんは何をしていたの。私びツくりして……まア綺麗な野菊、政夫さん、
私に半分おくれたツたら、私ほんとうに野菊が好き」
「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」
「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好(コノ)もしいの。
どうしてこんなかなと、自分で思う位」
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
 民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」
「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風(フウ)だからさ」
「それで政夫さんは野菊が好きだって……」
「僕大好きさ」

(中略)

…民さんは野菊が大変好きであったに野菊を掘ってきて植えればよかった。いや直ぐ掘ってきて植えよう。こう考えてあたりを見ると、不思議に野菊が繁ってる。弔いの人に踏まれたらしいが猶茎立って青々として居る。民さんは野菊の中へ葬られたのだ。僕は漸く落着いて人々と共に墓場を辞した。

  野菊が話題になると花屋へ来て野菊の苗を欲しいと言う者が出てきたが、さっき書いたように野菊という花は無いから花屋が困ったという話もある。中には『野菊の墓』の文章を分析して、野菊とは何ぞやという大論文を書く者まで現れる始末となった。諸説が錯綜するなかで朝日新聞朝の「花おりおり」の筆者、湯浅浩史氏が「民子がほしがった野菊はカントウヨメナ(関東嫁菜)だっただろう」と書き、続いて写真家の宮嶋康彦氏も日本経済新聞で湯浅説に賛同し、この論争に一応の決着がついた。ちなみに、松戸市矢切に在る「野菊の墓」文学碑の周りには、関東嫁菜、野紺菊、柚香菊の3種類の野菊が植えられている。なお、著者左千夫は薄幸のうちに死んだ年上の恋人・民子を、この小説の中で次のように記している。どうやら、これが最も妥当な結論と思われるので、最後にその部分を紹介して本日の日記を終わる・

 真に民子は野菊の様な児であった。民子は全くの田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。可憐で優しくてそうして品格もあった。厭味とか憎気とかいう所は爪の垢ほどもなかった。どう見ても野菊の風だった。
 
            (写真:左から関東嫁菜、野紺菊、柚香菊)


    
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by 杜の小径  at 18:11 |  日記 |  comment (4)  |   |  page top ↑
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