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枯葉の詩

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    冷たい風に
    ブルッ!と
    ふるえる枯葉
    私、冬支度
    始めました

 これは、麹町歌会に出されたTさんの作品である。同会のHP上で寸評を試みた。
「前3行は芝居のト書(とがき)、残る2行が枯葉の独白と見ました。初冬の枯葉に仮託した作者の心情が簡潔に表現されています。しかし、命の終わろうとする枯葉の冬支度というのがちょっと疑問…」ここまで書いたとき、私の手が止まった。作者は太平洋画会に属する画家、時どき常人の発想を超える言葉を遣うから油断できない。一服しながら考える。3句に枯葉に替えて「木々」を入れてみた。「ブルッ!と ふるえる木々 私、冬支度……」このほうが意味はすっきりと通る。しかし、木々が冬支度を始めるでは、いかにも平凡だ。もう一度、枯葉に戻してみる。……枯葉…命の終わり…このとき、病床にある姉のことが頭をよぎった。そうか、枯葉でいいんだ。私は寸評の最後の部分を書き直した。「…命の終わろうとする枯葉は、やがて地に落ちて土に還る。作者は、その枯葉の呟きを聴いた。私、冬支度始めました、という。」

 姉は、いま不帰の病床に在る。夏に腸閉塞の手術をしたが、実は癌だった、それも末期の。現在は治療は行わず、点滴と痛み止めだけで命を繋いでいる。最近、姪から聞いて初めて知ったのだが、姉は最後の入院前に家の新築を決め、墓の手配まで済ませていた。まさに枯葉の冬支度である。このことが無かったら、私はTさんの作品を読み誤まっていたことだろう。

 姉だけでは無い。いま、三人の友人が癌に冒され、そのうちの一人はホスピスに入っている。考えてみると生あるものは木の葉と同じ。遅速の差はあっても、やがて必ず枝を離れる日が来る。そう思えば、小事に拘って生きることが空しくなる。今を、この瞬間を大切に生きたいと、つくづく思う昨今である。

 

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by 杜の小径  at 22:41 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

芭蕉忌

          芭蕉翁      バショウ

   芭蕉忌の酢漬の冷や近江蕪
   しぐれ忌の山にあそべば鷹の翳(かげ)
   山の湯に野点(のだて)遊びの桃青忌
   湖の寒さを知りぬ翁の忌

 きょう11月28日は松尾芭蕉の忌日である。上掲の4句はいずれも芭蕉忌を詠んだもの。江戸深川にあった弟子の魚商・杉山杉風の生簀小屋を仮寓としたとき弟子から1株の芭蕉を贈られた。それが気に入って住まいを芭蕉庵とし、俳号も芭蕉と改めた。しぐれ忌は、芭蕉の忌日がちょうど時雨の季節であり、彼の説いた閑寂、幽玄、枯淡の趣に通じるところから名付けられた。桃青忌は芭蕉を名乗る前の俳号に因んだもの。享年が51歳だから現代感覚では翁と呼ぶには早過ぎる感じもする。しかし平均寿命の短かった当時の50歳は翁の仲間で、生前の芭蕉も自らを そう呼んでいた。

 芭蕉については小学生でも知っているから、今更くだくだ書き連ねるつもりは無い。ただ、このことだけは記しておきたい。芭蕉は日本近世文学の最盛期に当る元禄時代に、小説の井原西鶴、浄瑠璃の近松門左衛門と並んで三大文豪と謳われた存在だった。貞門や談林の言葉遊び的な俳諧を改革して、俳句を芸術の高みへ引き上げた功績は大きい。その彼にしても俳句は俺が創始者だなどとは決して言わなかった。もちろん、俳句に携わる者から人頭税を巻き上げるような姑息なことはしなかった。文学に於ける真の改革者とは、そうしたものなのである。

 さて芭蕉が閑寂さを愛した深川もジャズが響く街と変わり、芭蕉庵の在った木場も埋立地に移転して、今は町名だけが残っている。

   時雨忌や名のみ残れる木場の街(杜)





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