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百年前の“五行歌”

    鳴海要吉    西村陽吉no     西村陽吉

    諦めの  
    旅ではあつた
    磯の先の
    白い燈台に
    日が映(さ)して居た

この「五行歌」は誰の作と思いますか。残念ながら私たちの仲間の作品ではありません。これは鳴海要吉の詩集『土にかへれ』の巻頭の一首です。この初版はローマ字で書かれていましたが、12年後に日本語で再刊されました。この詩集は田山花袋が激賞し、パリでローマ字版を読んで感動した島崎藤村がわざわざ序文を寄せています。この詩集には、次のような作品も載っていますよ。これらは百年前に作られたものです。

    山のうねりが
    胸に残ってる
    汗拭いて
    炭焼小屋に
    水貰って飲む

    夾竹桃咲けば
    夾竹桃咲けば
    さびしくて
    浜の  
    あの家思はれる

 鳴海要吉だけではありません。こんな人が、こんな歌を作っていますよ。上の作品は経済学博士 大熊信行の作。下は啄木の才能を発見した東雲堂社長 西村陽吉の詩集『緑の旗』に載っている作品です。皆さんは、これらの作品をご覧になって、どんな感想を持たれましたか。私は自分が恥ずかしくなりました。

    メーデーを目(ま)守(も)る
    市民の
    しづかさよ
    緑の蔭に
    幾千がゐる

    緑の旗! 
    五月は一斉に
    新しい緑の旗を掲げる 
    私は自然のデモに
    敬禮する

 当時は五行歌という名称はありませんでしたが、5行自由律の口語詩は多くの詩人によって試みられていました。もちろん、五行のほかに三行または四行のものもありました。このような自由な形式の短詩は明治中期から始まった口語自由律短歌運動の中で生まれたもので、今皆さんが作られている「五行歌」も上の例のように口語自由律運動に携わった多くの先人たちの努力で作られた詩形なのです。決して特定の一個人が創案したのではありません。
 私は「五行歌の会」元同人ですが、この会に入ったとき驚いたことが四つあります。一つ目は、今まで文学に無縁だった人たちが、嬉々として歌を作っている姿。文学の大衆化という点で、五行歌は大きな功績を挙げたと言ってよいでしょう。二つ目は一番目と関係することですが、容易に同人になれることでした。俳句でも短歌でも結社の同人になるためには数年、長い人は十年以上の研鑽を積まなければなりません。ところが五行歌では同人費さえ払えば即日同人になれる。驚きましたねぇ。三つ目の驚きは、結社内での相互添削とか指導が禁じられていることです。主宰すら指導・添削を一切しない。指導だけでなく、なぜ自由律なのか、どうして五行なのかという理論的な説明がない。これが無くて文学結社と言えるだろうかと疑問を抱きました。最後は歌会に出る度に300円を徴収されたことです。歌会で茶菓代や会場費を分担するのは解りますが、同人費はちゃんと払っているのに、何の理由で300円を余分に払うのか理解できませんでした。歌会には会員以外の人も参加するが、その人たちも払わされる。それで先輩に「何のために払うんですか」と尋ねると、「五行歌は主宰の発明。その権利金みたいなもんじゃあないですか」という答えが返ってきました。これを聞いて二度びっくり。
 
 芭蕉は談林派の俳諧を排して蕉門を拓いたが、蕉門句を名乗って権利金をとるようなことはしなかった。短歌では鳴海要吉がローマ字短歌は俺の専売特許だと言っていますか。啄木が三行詩は私の創案だと主張していますか。中村幸助が四行詩は吾輩が始めたと威張っていますか。古今東西の文学史を紐解いても、新詩形を特定個人の創案と主張しているのは五行歌だけです。
 いま五行歌人の中で真の詩人と呼べる方は一握りくらいしかいません。真の「うたびと」、詩人が育たないのは、結社内に指導体制が欠落しているからでしょう。五行歌が大衆詩として民衆の中に定着するためには、派手なパフォーマンスよりも地道な努力が必要ではないでしょうか。

(写真:鳴海要吉の五行書きの色紙、大熊信行の平仮名の長歌、西村陽吉の詩集『緑の旗』)



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