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ガッテン入浴法

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 毎年、14000人がお風呂で亡くなっているそうです。死因は何だと思いますか? 心臓麻痺。 ブ~。じゃあ脳溢血。これもブ~。これらは死因の10%程度で、90%は何と「溺死」ですって…。お風呂で溺死なんて…そんなバカなと思われる方は、NHKの「ためしてガッテン―お風呂大変身! 超快感・安全入浴術」の説明を聞いて下され。

 仮に高めの温度の風呂に入った場合、血圧はしだいに上昇します。これが驚愕血圧。つまり急に熱い湯に浸かって驚いたドキドキです。この血圧、そのままどんどん昇り続けるかと思うと然に非ず。間もなく下降に転じ、やがて低血圧になって失神して溺死に至る。よく、お風呂で転た寝(うたたね)してしまったと言いますが、実はこれだったのです。
 昨年のこと、当時のブログにも書きましたが小生も同じ経験をしました。骨付きのラムをオーブンに入れ、火力を最弱にセットしてからお風呂へ…。10分ほどで出るつもりが、つい転た寝。突然のアラームと警告音声に飛び出すとキッチンは煙でいっぱい。ブザーは鳴っているし、「煙ガ充満シテイマス。スグニ窓ヲ開ケテクダサイ」という警告が繰り返し流れている。咄嗟のことで、それを止める操作も判らない。そのうち契約しているセコムが駆け付けるという大騒動でした。今にして思うと、そのとき転た寝したというのは、低血圧による失神状態だったのですね。あのときアラームが鳴らなかったら、私は14001人目になっていたでしょう。

 そこで、肝心のNHKサマによる「超快感・安全ガッテン式入浴術」の紹介。簡単です。
湯温を42~43℃に設定する。入浴前に3分間温水シャワーを出しっ放しにして浴室の温度を上げておく。これだけ。やってみました。快的、まるでミストサウナに入っているみたい。ミストレスではありませんよ、ミストです。10分くらいで汗が吹き出し、これならダイエットにもなりそうです。最近太りぎみのあなた、お薦めで~す。では。

*再放送ご覧になりたい方は→2/2(月)BS2 16:30~、2/4(水)総合3:30~、16:05~(変更や一部地域別番組の場合あり)
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by 杜の小径  at 00:06 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

草城忌

日野草城

 日野草城(ひの そうじょう)は東京生まれの俳人。1956年の1月28日が忌日である。三高、京大時代から俳句を始め、『ホトトギス』に入る。忽ち頭角を現し8年後に同人となるが、しだいに虚子の主観を排除した没個性的な客観写生に徹する句風に疑問を抱くようになる。

 草城の俳句観を変える端緒となったのは、蕪村の次の一句だったと言われる。    

     お手討の夫婦なりしを更衣
 武家奉公の若い男女が道ならぬ恋に落ち、あわやお手討になるところを赦されて世に隠れるように暮らしている。衣替えの季節になって贅沢はできないものの、夫婦揃ってさっぱりとした季節の着物に着替えて小さな幸せを噛み締めているという句である。たった17文字で表現されるドラマに、草城は深い感銘を受ける。
 
 1934年、彼は『俳句研究』に新婚初夜を描いた連作「ミヤコホテル」を発表して俳句界を驚倒させる。勿論これはフィクションで、俳句の創作文芸化、近代化の狼煙だったのだが虚子の怒りをかい『ホトトギス』を除名される。このとき杉田久女も除名される。
 虚子は「新興俳句は病菌のようなものだ。除かねば蔓延して俳界が腐る」と言ったと伝えられるが、彼はそれに屈することなく、「師に対する弟子の道は、絶対従順と、師説を離れて発展進展を志す二つがある。私は後者を選びたい」と新傾向の俳句集団を糾合する『旗艦』を創刊して虚子に反抗する。しかし戦時色の深まるなか新興俳句弾圧により、『旗艦』指導者の地位を追われる。この裏には虚子の老獪な画策があったと見る人もいる。

 戦災、戦後の苦労を経て昭和24年『青玄』創刊。病苦のなかで清明な句を創り続ける。清貧の病床にありながら、自らの命と引き換えるかのように、温かく、いつくしみをもった穏やかな俳句を生み続け、昭和31年の今日、54歳でその生涯を閉じた。

  【日野草城代表句】

  春暁や人こそ知らね樹々の雨 (『草城句集(花氷)』昭和2)

  春の灯や女はもたぬのどぼとけ (同上)

  ものの種にぎればいのちひしめける (同上)

  ところてん煙の如く沈み居り (同上)

  春の夜やレモンに触るる鼻のさき (同上)

  南風や化粧に洩れし耳の下 (同上)

  枕辺の春の灯は妻が消しぬ (『昨日の花』昭和10)

  高熱の鶴青空に漂へり (『人生の午後』昭和28)

  切干やいのちの限り妻の恩 (同上)

  見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く (同上)
 
 





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by 杜の小径  at 02:35 |  日記 |  comment (1)  |   |  page top ↑

麹町倶楽部第119回歌会

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 毎月のように入会者が増えるので、会場は昨年末に続き和室大広間。柳瀬丈子さんが急用で来られなくなり、恒例の朗読がきけなかったのは残念だった。その代わり『南の風』代表の高原伸夫夫妻が参加して下さり、歌会終了後は newcomer の平井敬人君が弾き語りライブで会を盛り上げてくれた。長崎遠征を控えて諸兄姉の意気、夙に軒昂。こんなお転婆・腕白が大挙して押し掛け、ニシベさん大丈夫だろうか。宜しくお願いしますね。
 最後に…不慣れな司会で済みませんでした。アシストして下さった映子さん、感謝です。
 本日の成績は、以下の通り。(敬称は省略させて戴きます)

【自由詠】

  着古しの
  柔らかさって
  あのひとが
  手を通わせてた
  温かさ(一席 小杉淑子)

  林檎ひとつを
  かじりあう
  二人の中にも
  芯の残る
  淋しさがある(二席 松尾さやか)

  ほんとうに
  これでよかったのかと
  空を仰げば
  ふわり頬に
  雪のひとひら(三席 史緒)

  たぶん
  ものごとは
  とても単純なのだ
  見えない部分を
  補おうとしなければ(同点次席 渡邊加代子)

  せり出してきた
  お腹
  ひっこめて
  オフィスのドア−開ける
  仕事始め(同点次席 関口有美)

【題詠:流れる・流す】

  特に願いもなく
  サラサラと
  流れる日々に乗る
  これも
  幸せというのだろう(一席 渡邉加代子)

  通夜の後は
  クラス会に流れる
  懐かしさと想い出があふれる
  ごめんね ありがとう
  あえてよかった(二席 はなちゃん)

  木を植えるって事は
  この山に流れている
  永遠の一部に
  私の汗が
  触ったって事(三席 柳瀬丈子)

  川の流れに
  蓋をして
  車の流れを
  つくる
  あぁ 人間って(次席 小杉淑子)
                           以上






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by 杜の小径  at 02:25 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

近況

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 喪中だったため賀状を欠礼したところ、たくさんの友人から寒中御見舞いを戴いた。中には高校時代の恩師から私の近況を問い、細々とご自身の近況を記された書状もあった。そうか、喪中葉書を出したとき、戴いたときは改めて寒中見舞を出すべきだった―妻が逝って7年、そうしたしきたりにも疎くなっていた。寒明けまでにはお返事を出そうと思っているが、とりあえず近況を…。

 姉の葬儀と重なってキャンセルした人間ドックを、改めて申し込んだ。と、言っても直ぐというわけにはいかない。3ヶ月待ちで漸く4月24日から1週間を予約できた。実は昨年、肺ガンで逝った知人が多かったので、ぼつぼつ私の番かなと心配だった。主治医に無理にお願いして、とりあえず火曜日に胸部のCTスキャンをした。検査を終えて外来に戻ると、結果はもうCPUで送られて来ていた。Y先生がスクリーンを覗きながら「ガンも鉄砲もありませんよ」―この先生、私のが伝染したのか最近、下手なダジャレを言う。困ったものだ。と、いうことで結果は異常無し。ご心配下さった皆さま、他事ながらご放念戴きたい。

 旧臘の23日に「芽が出たぞ~♪」と題してキッチン・アートのことを書いた。そのうちのハカラメ(セイロンベンケイソウ)は移植が早過ぎたのか、残念ながら枯れてしまった。が、ニンジンとベニシグレダイコンの葉などは立派に育っている。右端の根ミツバの格好が悪いのは、何回も雑煮の薬味として葉を使われたせいである。
 困ったのはニンジン(左)とベニシグレダイコン(中央)である。両方とも白根が出ているから暖かくなったらヴェランダへ出してやろうと思っているが、まさかもう一度人参や大根が生えてはくるまい。それを思うと、小さな命を玩具にしたようで心が重い。





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by 杜の小径  at 08:41 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

久女忌(ひさじょき)

                 杉田久女

 きょう21日は、俳人 杉田久女(1890―1946)の忌日である。鹿児島県生まれ。本名赤堀久子。東京女高師(現・御茶ノ水大学)付属高女を卒業後、小倉中学美術教師 杉田宇内に嫁す。はじめは小説家を志すが兄の手ほどきで俳句を始める。

 1917年に初めて虚子が主宰する『ホトトギス』に投句。15年後に中村汀女らと共に同人となるが、2年後に理由も無く『ホトトギス』を除名される。女性だけの俳誌『花衣』を創刊したのが虚子の逆鱗に触れたとの説もあるが、その真相は謎のままである。このとき虚子は『ホトトギス』誌上に「従来の同人のうち、日野草城、吉岡禅寺洞、杉田久女を削除し…云々」と公告している。いずれも新進気鋭の俳人であるところから、虚子の門下への嫉妬によるという見方さえある。いずれにしても、このことがあってから久女の創作意欲は急速に衰え、遂に精神を病むに至る。結社主宰の偏見と独断が一人の天才を抹殺したのである。

 昭和21年の今日 午前1時30分、太宰府・筑紫保養院で、看取る人もなく57歳の生涯を閉じた。しかし彼女の人間主義と斬新な手法は、自ら虚子に絶縁状を叩きつけた水原秋桜子に引き継がれ、新しい俳句運動が起きる端緒となった。私個人も若き日、彼女の作品との出逢いで新しい詩境を拓くことができた。以下に久女の代表句を載せ、改めて薄幸の詩人の冥福を祷りたい。

   花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ

   紫陽花に秋冷いたる信濃かな

   谺して山ほととぎすほしいまま

   足袋つぐやノラともならず教師妻

   白妙の菊の枕をぬひ上げし

   鶴舞ふや日は金色の雲を得て

   風に落つ楊貴妃桜房のまま

   朝顔や濁り初めたる市の空

   ぬかづけばわれも善女や仏生会





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by 杜の小径  at 04:22 |  日記 |  comment (8)  |   |  page top ↑

野禽有情  

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 どうしても気になることがある。水曜日の野鳥観察会で、私は確かにクイナを見た。「クイナだ」という私の声に、近くにいた数人が駆けつけた。そのときには、鳥影は既に枯れたヒメガマの深い茂みに消えていた。真っ昼間にクイナが姿を現すはずがない、バンだろうというのが同行者たちの意見だった。予報では明日から雨になるらしい。愛機をぶら下げて、もう一度、武蔵野公園を訪ねた。

 野川を見下ろす土手に腰を下し、カメラをヒメガヤの茂みに向ける。土曜日ということもあって、普段より人出が多い。大きな望遠レンズを構える私に、何か居るんですかと大声で声をかけてくる人もいる。カルガモ、コサギ、バン、ハクセキレイは訪れるが、目的のクイナは姿を見せない。
 クイナは飛ぶ力が弱く天敵に襲われやすいので、半夜行性で警戒心が強い。昼間は殆ど人前に姿を現さず、暗くなってから水辺で餌を漁るから、漢字では水鶏と書く。そんなクイナを昼間、人出の多い公園の近くで探すのは無理かもしれない。待つこと2時間余。諦めて帰りかえたときヒマガマの叢に動くものがあった。急いでシャッターを切る。近付いてファインダーを覗くと、もう鳥影は消えていた。カメラは茂みに蹲る姿を捉えていたが、それがクイナかどうかは判然としない。(写真左) シャイなクイナをレンズの前に曝すのは諦めたほうがいいかもしれない。

 帰途、野川の畔のサクラの木に数十羽のスズメが群れていた。(写真中央) 中には数羽のコゲラやシジュウカラが混じっている。折から上空には2羽のオオタカが輪を描いて飛んでいた。スズメなどが何種類かで混群を形成するのは、おそらくオオタカなどの天敵から身を守るための自然の智恵からであろう。

 私の書斎には「スズメの木」と題した絵が掛けてある。むかし私の作品に挿絵を描いて下さったアリマ・ジュンコさんの作品である。(写真右) 夕暮れの畑の中にぽつんと立つ大木に集まる無数のスズメ―叙情に満ちた風景に惹かれて昨年11月の個展で求めたものである。今日、私は野川河畔で全く同じ「スズメの木」を見た。いま、改めてモノt-ンで描かれた絵を見ると、必死に生きる小さな命の哀しみが伝わってきた。






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by 杜の小径  at 17:10 |  日記 |  comment (4)  |   |  page top ↑

酔談酔筆事始め

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 正月になって、何種類かの同人誌、結社機関誌の新年号が送られてきた。その内容は現代詩、短歌。俳句など様々である。それらに目を通しながら、改めて結社というものについて考えてみた。
結社の一般的な定義は「特定の目的を達成するために何人かが継続的な結合関係を持つこと」である。英語では association ということになろうか。戦前までは主として政治的な目的で集まる集団を指し、治安維持法に於ける結社がその典型である。しかし、現代では文学的な集合体(Literary society)を結社と呼ぶことが多い。

 さて、この同人誌と結社とはどう違うのだろう。簡単に言うと、同人誌の場合は基本的に参加者が同格である。中心になって会をリードする個人若しくは複数の先達はいるが、主宰と呼ばれる人物は存在しない。一方、結社とは或る個人の作品、文学的理念を慕って集まった集団である。両者には画然とした外形的な違いもある。同人誌の場合、作品の掲載は殆ど順不同である。新人の作品が巻頭に掲載される場合さえある。これに対し結社では、常に主宰の作品が巻頭に置かれる。これは当然である。主宰は作品を通して、自分の文学的主張や傾向を明らかにする責任があるからである。掲載序列も厳然たる序列がある。先ず結社の同人になるためには最低でも3年、長い場合は10年以上を要することが多い。それまでは会員として主宰や幹部同人から厳しい指導を受ける。
 ところが極めて稀に、そうでない結社がある。主宰の作品は一般同人の中に紛れ込んでいて探すのに苦労するほど。一見いかにも民主的に見えるが、その作品を見れば本当の理由が判る。とても文学結社を主宰する人の作品とは思えないほどの質である。彼自身もそれが解っているから敢て巻頭を避けているかとさえ思われる。同人の巻頭作品は、その結社のを代表するものである。ところがそうした結社に限って目を覆いたくなるような作品がずらりと並んでいる。選者が詩の解らない人物だから当然であろう。そうした結社では当然ながら指導も添削も行われない。いろいろ理由を挙げているが、実際は主宰に指導する力が無いのである。こんな結社では何年在籍しても教えられることは皆無である。その代わりお金さえ出せば、入会と同時に同人になれる。だから肩書きの欲しい人や主宰のハッタリに満ちた大言壮語を有難く思う人には格好の結社であろう。その意味では新興宗教の団体に似ている。

 話題はがらっと変わるが、結社に於ける作品発表会について考えてみたい。これは普通、短歌などでは歌会、俳句では句会と呼ばれる。参会者が作品を持ち寄り、相互に点数を入れて優劣を競う。題を決めない自由詠(自由吟)の他に予め題を決めておく題詠(兼題・兼日題)を併せ行う場合がある。普通の場合、一応、参会者による投票結果が発表されるが、これはあくまでも「一応」で、参会者の最大関心事は司会者の特選に選ばれるかどうかにある。普通、司会者の席には主宰、若しくはこれに代わる経験・実力の持ち主が座る。だから、その人に選ばれることが名誉なのである。選が終わると司会者は入選作のどこが良かったかを話し、選外作については直すべき点を具体的に示し、添削する。参会者は歌会(句会)を通して自分の属する結社の方向性を具体的に勉強することが出来る。ところが「指導」が欠落した結社では司会は順番制か前回の高点者が勤める。会の傾向も点数の多寡を競うゲーム的なものになりがちである。したがって参会者は詩的インパルスよりも、いかに参会者にウケルかを狙って作品を出すようになりがちである。親しい者が一堂に会してワイワイ騒ぐという親睦会としては結構だが、文学的な意味は薄い。もし、そうした歌会なり句会しか知らない人がいたとしたら、本当の文学の修行はそうした場所では不可能であることを知り、自らの努力で研鑽を積む以外にあるまい。

 今日は小正月。仏壇のお供えを下ろして包丁を入れようとしたが固くて…。このところ乾燥した日々が続いているせいと思いたいが、実は二日酔いだ。昨日、野鳥の会の観察会会と新年会が終わったあと、有志7名と吉祥寺の居酒屋「I」へ繰り込んだ。私は初めての店だが、通の間では有名な店らしく、平日の4時過ぎというのにほぼ満席。濛々と煙の立ち込める雰囲気と焼き鳥の旨さにつられてビール、酒のほかに焼酎「源氏」のボトル2本。どうみても7人には多過ぎる。後はおぼろで、どうやって帰ったかも確りと覚えていない。こんな私が尤もらしく文学論でもあるまいが、まあ酔余の戯言とご寛恕いただきたい。

   (写真は昨日の観察会で写した自慢作? ダイサギ、アオサギ、バン)







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by 杜の小径  at 13:00 |  日記 |  comment (8)  |   |  page top ↑

崖(はけ)の道を歩く

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明日14日は久しぶりに地元で野鳥の会の観察会が行われる。会場は武蔵野公園と野川公園。下見を兼ねて両公園まで歩く。野川に沿って下り、小金井街道を横断して歩く。この二つの都立公園は野川に架かる二枚橋で接している。この一帯は浅間山公園、多磨霊園、神代植物公園、深大寺、国立天文台などと一体になって武蔵野の森をつくっている。
 先ず武蔵野公園に出る。ここは東京都の各公園や街路に植える苗木を育てる苗圃(びょうほ)をもち、散歩しながら木々の育成の様子を観察することができる。通称クジラ山と呼ばれる丘には約一万本のケヤキ・コブシ・サクラ、シラカシ・トウカエデなどが植えられており、武蔵野の面影を偲ぶことが出来る。
 二枚橋を渡って野川公園に入る。ここの前身は国際基督教大学のゴルフ場で、中央を野川が貫流し、更に東八道路が通って三つの区域に分かれている。道路の南側は芝生の広場が中心で、国分寺崖線に接した北側は豊富な湧水を利用した自然観察の場所となっている。一応柵に囲まれたバードサンクチュアリの中は昼間なら自由に出入りして野鳥の観察ができる。この中にはホタルの里もあるが、シーズンオフは立入禁止。
 帰途は国分寺崖線に沿った「崖(はけ)の道」を辿る。二枚橋の直ぐ上流付近は昔は崖の湧水を利用した水田のあった地域で、水田址の碑が建っている。現在は洪水の場合の遊水地だが普段はサイクリングコースになっていて、子どもたちがスケボーで遊んでいる。流水口には洒落たレリーフが飾られていて説明版を見ないと遊水設備とは判らない。
 二枚橋から二つ目の坂がムジナ坂で、大岡昇平はこの左側の冨永家に寄寓しながら『武蔵野夫人』を書いた。昔は古狸(ムジナ)が出るほど鄙びた坂だったが今は石段に変わり、冨永家も移築されたらしく古い門が取り壊されつつあった。そこから数十メートル先が、大岡の親友だった中村研一画伯邸。今は市が買い上げて美術館となり、崖を利用した庭園は「美術の森」として開放されている。
 中村美術館をすぎ、間もなく小金井街道という処に小金井の里の鎮守、小金井神社がある。祭神は菅原道真で明治までは天満宮と呼ばれていた。狛犬ならぬ牛の石像の脇で門松や古いお札を燃やす「どんど焼き」が行われていた。境内の奥まった場所に珍しい塚がある。電化製品の普及で不要になった石臼を山形に積み上げ、真ん中に小さな地蔵様が祀ってある。陽が落ちると風が出て寒くなった。今日の散策は此処でお終い。

(写真は左から武蔵野公園の並木、野川公園のバードサンクチュアリ、大岡昇平の友人中村研一美術館うらの美術の森入口)








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ぼくの成人式

              久根 010

 今日は「成人の日」。昔流に言えば元服の日である。以前は元服が旧暦1月15日の小正月に行われていたのに因んで1月15日と定められていた。現行の1月第二月曜日に変更されたのは2000年からである。今日は各市町村で新しく20歳になった青年を集めて、成人式が行われた。全国で133万人と言われる新成人たちは、どんな想いで成人式に臨んだのであろう。当然ながら私にも成人式の思い出がある。

 この写真は20歳のころの私。書斎の欄間から、いつも私を見下ろしている。啄木を気取ったキザなポーズをしているが、心は挫折感でずたずたに切り裂かれていた。この春、私は大学受験に失敗した。最難間と言われた大学だったから周囲の人たちは、さして話題にもしなかったが私自身は挫折感に打ち拉がれていた。自室に閉じ籠った私を自殺でもするのではと心配したのか、父が故郷の村長に手紙を書いて勝手に小学校教員の口を決めてしまった。

 私の故郷は天竜河畔の佐久間村(現在は浜松市天竜区佐久間)。小学3年の途中で転校したから実に10年ぶりの帰郷だった。私は村内の久根鉱山の在る地区の学校に配属された。
全児童数88名の小さな小学校である。父兄の殆どは鉱夫で、急峻な斜面に数棟ずつ連なった長屋に住んでいた。私には、その最下段、郵便局と医局に挟まれた地区では比較的高級な住宅が充てられた。静かな環境でという父の想いとは裏腹に不眠症に罹ってしまい、天竜川の水音が耳について眠られぬ日々が続いた。そんな中で迎えた成人式だった。幼馴染みも10年ぶりでは名前も顔も殆ど思い出せない。とうとう誰とも言葉を交わすことなく会場を後にした。暗くて辛い成人式の思い出である。

 そんな私を救ってくれたのは、純真な子どもたちだった。今考えれば乱暴な話だが、教室の教壇を取り払い、黒板を児童の背丈まで下げて落書は自由とした。時間割はやめ教科書も殆ど使わず、晴れている限り児童を森に連れ出して国語、理科、算数、社会などの教科を総合的に教えた。そんな私に校長は「基礎学力だけはつけてやって下さい」と言っただけで、黙って見守っていてくれた。
 
 1年後、私はリベンジを果たして志望校に合格した。暗い気持ちで赴任した大久根小学校を、後ろ髪を引かれる思いで後にした。たった1年間であったが、20歳の私に忘れ難い思い出をくれた1年となった。当時の子どもたちとは今も交流が続いている。昨年秋、浜松市の舘山寺温泉で開かれた同級会では、還暦を過ぎた子ども ? たちが「センセイ」を合唱してくれ、私は不覚にも涙を見せてしまった。






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感動のCOUNT BASIE オーケストラ

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 ジェームスから電話がかかってきた。彼は来日中の COUNT BASIE ORCHESTRA(カウントベィシー オーケストラ)のトランペッターで、友人の霧生ナブ子さんの旦那さん。来日の度に会っているが、ミュージシャンとしてはもとより人柄がnice guy で、すっかり意気投合してしまった。軽井沢、名古屋の公演を終えて、14日まで青山のブルーノート東京に出演している。

 今夜は三連休の中日ということもあって、200ほどの予約席は忽ち満席、立見が出る盛況だった。ナブ子さんが手配して下さったので、ナブ子さんのお弟子さんたちとワインを飲みながら優雅にコンサートを楽しむ。18人編成のビッグバンドがビル・ヒューズの軽妙なコンダクトで一糸乱れぬサウンドを聴かせる。しかもインターバル無しで演奏される本場のジャズに圧倒されっ放しだった。

 カウントベイシー オーケストラは、いまさら説明の必要がないほど世界的に有名なビッグ・バンド。今は亡きアメリカ音楽界の巨匠、ウィリアム・カウント・ベイシー(1904~84)が結成。ハートフルでウィットに富んだそのサウンドは独特のスイング感があり、世界各国で多くの観客を魅了してきた。その名に輝く「カウント」とは「伯爵」の意味。人種差別の激しかった当時のアメリカで、この呼び名を与えられたことからもベイシーの人柄とその音楽性の高さがうかがえる。
バンドは1936年カンザス・シティの「リノ・クラブ」での演奏がラジオ放送され、それを有名プロデューサーが聴いていたことが現在の地位をなす第一歩となった。ニューヨークに拠点を移した後もバンドの人気は米国内のみならず、世界を席捲するほどになった。不況時代も、イギリス王室からの招待で英国公演を実現し、日本では昭和天皇陛下へ表敬演奏を行うなど、ベイシー黄金時代を築いた。代表曲の『ワン・オクロック・ジャンプ』や『ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド』『シャイニー・ストッキングス』などはスタンダード・ジャズとして世界中で多くの人々に親しまれている。カウント・ベイシーがこの世を去った1984年までに、グラミー賞を17回受賞し、2度の「栄光の殿堂入り」を果たしている。

 公演終了後、霧生ナブ子さんの実家、霧生トシ子さん宅でパーティー。参加者はジェームスと彼の親友でサックス奏者のクリーヴ、ナブ子さんの弟でイタリア留学中のピアニスト貴之さん、香川からコンサートに駆けつけたナブ子さんの弟子のトモ子さん、金川くん。手料理担当はジャズピアノの大御所 大田寛二さんという豪華メンバー。今夜の東京は今季いちばんの寒さだったが、それを忘れるほどの感動を貰うことができた。ジェームス! そして霧生家の皆さん、有難う!!

【今夜の出演メンバー】
Bill Hughesビル・ヒューズ(コンダクター、トロンボーン)
Everett Greeneエヴェレット・グリーン(ヴォーカル)
Marshall McDonaldマーシャル・マクドナルド(リード・アルトサックス)
James Zollarジェームス・ゾラー(トランペット)
Cleave Guyton(asクリーヴ・ガイトン(アルトサックス)
Doug Millerダグ・ミラー(テナーサックス)
Doug Lawrenceダグ・ローレンス(テナーサックス)
John Williamsジョン・ウィリアムス(バリトンサックス)
Michael P. Williamsマイケル・P・ウィリアムス(トランペット)
William "Scotty" Barnhartウィリアム “スコッティ” バーンハート(トランペット)
Kris Johnsonクリス・ジョンソン(トランペット)
Clarence Banksクラレンス・バンクス(トロンボーン)
David Keimデヴィッド・カイム(トロンボーン)
Alvin Walkerアルヴィン・ウォーカー(トロンボーン)
Barry Cooperバリー・クーパー(トロンボーン)
Tony Suggsトニー・サッグス(ピアノ)
Will Matthewsウィル・マシューズ(ギター)
James Learyジェームス・レアリー(ベース)
Marion Felderマリオン・フェルダー(ドラムス)

    (写真はカウントベイシー オーケストラの演奏と開演まえのスナップ)





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バロック楽器のコンサート

   のがわ 074  のがわ 075  のがわ 073

 バロック音楽研究家 村原京子さんプロデユースのコンサート「楽器の饗宴で綴る―ピアノへの道」を聴く。村原さんは麹町倶楽部町田事務局長の義姉に当る方。本格的なホールの東急スクエア フィリアホールが満席の盛況。その中には麹町倶楽部赤井会長ご夫妻、ハマ風代表松本希雲ご夫妻、岡本まさ子さんはじめ大勢の五行歌人がいて、ちょっとした新年会の雰囲気だった・

 このコンサートではバロック音楽の代表曲を当時に近い古楽器で演奏し、近代的ピアノにまで発達する系譜を探ろうというユニークな企画。例えばT.トムキンズの「ファンタジー」はヴァージナルという鍵盤付き撥弦楽器で、D.ブクステフーデの「プレリューヅ」やC.P.E.バッハの「ソナタ」が真鍮片で弦を持ち上げて音を出すクラヴィコードという古楽器で演奏される。出演者は世界的な演奏家ばかりで、プロフィールは次の通り。(敬称略)

○村原京子8プロデユース、レクチュア)東京芸大卒業後、同大学大学院で西洋音楽史を専攻。幅広い音楽活動の傍ら電子楽譜のプログラムで日米特許を取得。鹿児島大学名誉教授。
○佐伯恵美(グラヴィコード)オランダ国立エンスヘデ音楽院、桐朋音楽大学卒。幅広い執筆・講演活動のほか、グラヴィコードとチェンバロ、オルガン中心の演奏活動を続けている。
○寶村いずみ(ヴァージナル、チェンバロ)鹿児島大学教育学部音楽家(ピアノ)卒。鹿児島女子短期大学講師を務めるほか、各種演奏会に主としてチェンバリストとして参加。
○山田 貢(ヴァージナル、チェンバロ)東京芸大卒業後、オーストリー政府留学生に選ばれ指揮法ヤチェンバロ演奏を学ぶ。来日著名演奏家と共演の傍ら30年以上に亘り東京芸大で後進の指導にあたる。岐阜聖徳学園大学名誉教授。
○竹ノ内博明(フォルテピアノ、ピアノ)英国王立音楽大学でォルテピアノ、ピアノのほか作曲を学ぶ。在学中にエリザベス皇太后薔薇杯のほか多くの賞を受ける。現在、世界各地で演奏会を展開中。英国王立音楽大学研究員。

(写真:左から古楽器クラヴィコード、同ヴァージナル、同フレンチチェンバロ)





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by 杜の小径  at 21:39 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

コンサートのWヘッダー

      青空

 今朝の東京は、昨日の雪催いの空が嘘のように気持ちよく晴れている。

 来日中のMr. James Zollar から電話がかかってきた。彼はCOUNT BASIE ORCHESTRA(カウントベーシー オーケストラ)のトランペッターで、いま青山のブルーノート東京に出演している。明日訪ねると約束する。

 今日は午後から青葉台フィリアホールで行われるバロック音楽研究家 村原京子さんプロデユースのコンサート「楽器の饗宴で綴る―ピアノへの道」を聴きに行く。ビッグ コンサートのダブルヘッダーで、心は今日の空のように晴々。コンサートの様子は後ほど…。


 




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by 杜の小径  at 08:41 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

初雪に想う

                   のがわ 072

 読書をしている首筋が寒い。結露を防ぐために細く開けておいた小窓を閉め忘れていた。外は氷雨。予報では夜明けころから雪に変わるだろうという。寒いはずだ。
 雪が降ると、必ず思い起こすことがある。出版社をやっていたころ、社名に因んで初めて雪の降った日には全社員が集まり酒を飲んだ。「雪やこんの」が社歌のようなもので先ずそれを歌い、あとは雪に纏わる歌を皆で歌いまくった。
 毎年、正月が来ると元社員からの賀状を見るのが楽しみだが、今年は喪中だから来ない。それでも昨年暮には大作君から新刊の『ドラえもんひみつ道具百科』が送られてきた。正月には藤村君がメールで近況を知らせてくれた。何年経っても、元社員のことは忘れられない。

 小学館の相賀徹夫前社長の招誘を受けて雪書房を立ち上げたとき相談に乗ってくれたのが詩人・評論家・ロシア文学者の内村剛介さんで、雪書房という社名を付けてくれたのも内村さんだった。私が師と仰ぐ数少ない一人である。ジャーナリストから出版への転身を不安がる妻を、「私が付いていますから…」と説得してくれたのも内村さんだった。そのころ三省堂が新書をスタートさせる計画があり、内村さんにも執筆の依頼がきていた。彼は私の前に一冊のロシア語の原書を置いて言った。「これは三省堂新書のために用意したものだが、これを村瀬さんに回そう」。それはナチに抑留されたユダヤ人少女の手記だった。
その日から一ヶ月、彼が翻訳口述するのを私が速記し、日本語化するという作業が続いた。ゲットーに冬が訪れ雪が降った。ナチの軍靴の跡も鉄条網も真っ白な雪に埋もれ、少女マーシャは一瞬だけ悲惨な現状を忘れて平和だったころを回想する…翻訳がこの箇所にきたとき内村さんが突然言った。「社名は雪書房にしようよ」。社名は、こうして決まった。完成した『マーシャの日記』は、記録的なヒットとなり、図書館協会の選定図書、中学校の副読本にも採用された。ちなみに内村さんはこの本を私に回したため三省堂へは『生き急ぐ』を書き下ろした。これはソ連の文学・思想を自分の抑留体験から解読、また現代日本への批判も行なったもので、今なおロングセラーを続けるほどの名著となった。内村さんはソルジェニーツィンがノーベル文学賞を受賞したときフランスのテレビで対談したくらいでマスコミの表舞台にはあまり出ない。北海道大学、上智大学の教授を歴任されたあとは静かに思索と著作の生活を続けられている。

 書架に初版本が残っていた。帯の推薦者名に師の檀一雄、木俣修両先生と並んで女優の丹阿祢谷津子さんの名がある。これは妹の丹波子さんに装丁をお願いした縁からである。。訳者の「あとがき」に、次の記述がある。

「…『マーシャの日記』の原書がモスクワから届いたが、読めないでいる。著者マーシャの伏目がちな写真は栄養失調の痕跡をとどめている。それは空腹で四段の階段さえ上れなかった、かの地での私の十一年余の獄中生活を思い出させる。読むのが怖いのではない、言葉の、活字の欺きが怖いのだ。だが、読みたい人は多いだろう。また、読まなければならない。いずれ誰かが訳すだろう。…私がこう語ったとき、詩人 村瀬杜詩夫が「私も読みたいひとりだ」と応じた。「ホンヤク国ニッポンがこの本を放っておきわけがない。そのうち読めるよ。僕にはこれを翻訳する気はない」と言えば、村瀬はいっそう頑固に、こう言うのだ。「私はあなたの訳で、この本が読みたい。マーシャと同じ体験をしたあなた以外にこれを訳せる人はいない。あなたが口述して、それを私が速記して纏めるという形なら…」。「実感できるからやりたくないんだよ」。「出版も私がやります」。 押し問答のあげく、私は折れ、口述にかかった。この訳本が出来た由来、いわば私事も記録にとどめておきたい。 内村剛介」
 
 この「あとがき」は少し事実と異なる。私の立場を気遣って、このように書いてくださったのであろうが、真相は最初に書いた通りである。
 雪にまつわる思いは更に続く。私はなるべく降りたての雪のように真っ白い心で生きたいと努めてきた。それは時として頑固で偏屈な性格となって現れ、しばしば周囲との調和を欠くことも少なくなかった。そんな自分の性格を省みるにつけても、多くの師、先輩、友人、後輩たちに恵まれた幸せを思わずにはいられない。

            (写真は『マーシャの日記』初版本)





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シモバシラ

         シモバシラ    霜柱

    大いなる しじまを秘めて 寒の杜(杜詩夫)

 今日は小寒、寒の入りである。この日から節分までの約1か月が寒と呼ばれ、寒さの最も厳しい季節となる。ところで東京は、さすがに気温は10℃前後と低いが昨年から晴天が続いている。冬曇の合い間に訪れる晴天を小春日と言うが、半月以上も晴天が続くと天変地異の予兆ではないかと心配になる。

 この7年間、一昨年の中国旅行を除いて毎年、穂高で越年してきた。久しぶりに東京で正月を過ごすことになって、どうも勝手が違う。今日になって やっと新しい手帳を求め、5日間を遡って記入しようとしたが、詳らかに思い出せない。元日はテレ朝の「朝まで生テレビ」に付き合って徹夜。人並みに雑煮を食べてから墓参。2日はコープの福引でチオビタドリンク1箱とケーキ2個を引き当てた。レジの小母さんが「独りでお節料理? 大変ね」と特別にどさっとくれた福引券のお蔭だ。3日、友人たちが来訪。小宴のあと所沢へ。4日5日、無為。
 この間、早朝の散歩は欠かさなかった。これには理由がある。散歩コースに、Yさんという山野草を育てているお宅がある。同好の誼で話を交わすようになった。ここの庭に数株のシモバシラが植えてある。ザクザクと踏みつける霜柱ではない。シソ科の植物である。秋に小さな花を付ける(写真:左)平凡な植物だが、冬の早朝に見事な変身を見せる。枯れた茎の根元に綿毛のような真っ白な氷の花を咲かせる。(写真:右) これは茎の維管束の中の水が凍って茎の外へと伸びだもので、それがこの植物の名前の由来でもある。気温や湿度が微妙に関係するらしく滅多に観ることが出来ない。今朝は、それを見ることができた。呼び鈴を押してYさんに知らせ、一緒に観察した。なぜこんなに大騒ぎするかというと、この霜の華は一度しか咲かないからである。一度これが出来ると茎の構造は壊れるので1年にたった1度しか見られない。

 昨年末以来ブルーな日々が続いたが、福引の当選とシモバシラが観られたことで多少気分が晴れた。単純と言えば単純である。差し当って10日まではスケジュールが真っ白。しばらく東京を離れようかと思う。

    ここからは ひとり行く道 霜柱(杜詩夫)






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鎌鼬(かまいたち)

             武相荘ツバキ

    あるまじきことの起こりて鎌鼬

 鎌鼬という現象をご存知だろうか。寒気の厳しい冬、とつぜん皮膚の一部が鋭い刃物で切り裂かれたように傷付けられることがある。現代では空気中に生じた真空状態に因るものと説明されているが、田舎では、鋭い爪を持った姿の見えぬ鎌鼬という妖獣の仕業と信じられていた。以前は天竜川流域だけのことと思っていたが全国的な現象らしく、鎌鼬は冬の季語として歳時記にも載っている。

 子どものころ、木枯しが吹くと風の又三郎に逢いたいと思い、雪が降ると雪女は何処からくるだろうかなどと空を見上げた。しかし姿を見せないで、いきなり人を傷付ける鎌鼬だけは憎らしく思った。温暖化のせいか田舎でも鎌鼬現象はあまり見られないと聞くが、ネット社会では姿を隠したまま人を傷付ける卑劣な鎌鼬が横行している。

 私が某文学結社を離れるに当って、捏造された中傷記事がバラ撒かれた。同じ手段で結社を追われた人は私の知る限りでも十指を下らない。その中には倒産に瀕した結社を救った功労者も少なからず含まれていた。彼は表には出ない。あるとき怪文書のコピーを送って卑劣な行為を糾弾したところ、「私は知らない」と答えた。くの一のような女を使って罠を仕掛けたり、ネット操作に精通した男を使って陰湿な攻撃を仕掛けてくる。相手にするなという友人たちの忠告に従って、私はこれまで沈黙を守ってきた。が、執拗に繰り返される攻撃を、これ以上放置しておくわけにはいかない。後輩の弁護士たちが法的に戦う資料も揃えてくれている。
 
 戦うに当っては、身辺を身軽にしておきたかった。取りあえずミクシー関係の整理をした。一定期間を区切って、比較的新しくミクシーになられた方は誰彼の区別無く整理させていただいた。断腸の想いである。苦衷をお察しいただいて、お許し願いたい。

    白く咲くことに疲れて冬椿
 
 






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