FC2ブログ
 

崖(はけ)の道を歩く

   武蔵野公園    のがわ 038    tokyo3980.jpg

明日14日は久しぶりに地元で野鳥の会の観察会が行われる。会場は武蔵野公園と野川公園。下見を兼ねて両公園まで歩く。野川に沿って下り、小金井街道を横断して歩く。この二つの都立公園は野川に架かる二枚橋で接している。この一帯は浅間山公園、多磨霊園、神代植物公園、深大寺、国立天文台などと一体になって武蔵野の森をつくっている。
 先ず武蔵野公園に出る。ここは東京都の各公園や街路に植える苗木を育てる苗圃(びょうほ)をもち、散歩しながら木々の育成の様子を観察することができる。通称クジラ山と呼ばれる丘には約一万本のケヤキ・コブシ・サクラ、シラカシ・トウカエデなどが植えられており、武蔵野の面影を偲ぶことが出来る。
 二枚橋を渡って野川公園に入る。ここの前身は国際基督教大学のゴルフ場で、中央を野川が貫流し、更に東八道路が通って三つの区域に分かれている。道路の南側は芝生の広場が中心で、国分寺崖線に接した北側は豊富な湧水を利用した自然観察の場所となっている。一応柵に囲まれたバードサンクチュアリの中は昼間なら自由に出入りして野鳥の観察ができる。この中にはホタルの里もあるが、シーズンオフは立入禁止。
 帰途は国分寺崖線に沿った「崖(はけ)の道」を辿る。二枚橋の直ぐ上流付近は昔は崖の湧水を利用した水田のあった地域で、水田址の碑が建っている。現在は洪水の場合の遊水地だが普段はサイクリングコースになっていて、子どもたちがスケボーで遊んでいる。流水口には洒落たレリーフが飾られていて説明版を見ないと遊水設備とは判らない。
 二枚橋から二つ目の坂がムジナ坂で、大岡昇平はこの左側の冨永家に寄寓しながら『武蔵野夫人』を書いた。昔は古狸(ムジナ)が出るほど鄙びた坂だったが今は石段に変わり、冨永家も移築されたらしく古い門が取り壊されつつあった。そこから数十メートル先が、大岡の親友だった中村研一画伯邸。今は市が買い上げて美術館となり、崖を利用した庭園は「美術の森」として開放されている。
 中村美術館をすぎ、間もなく小金井街道という処に小金井の里の鎮守、小金井神社がある。祭神は菅原道真で明治までは天満宮と呼ばれていた。狛犬ならぬ牛の石像の脇で門松や古いお札を燃やす「どんど焼き」が行われていた。境内の奥まった場所に珍しい塚がある。電化製品の普及で不要になった石臼を山形に積み上げ、真ん中に小さな地蔵様が祀ってある。陽が落ちると風が出て寒くなった。今日の散策は此処でお終い。

(写真は左から武蔵野公園の並木、野川公園のバードサンクチュアリ、大岡昇平の友人中村研一美術館うらの美術の森入口)



スポンサーサイト








※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 22:19 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

ぼくの成人式

              久根 010

 今日は「成人の日」。昔流に言えば元服の日である。以前は元服が旧暦1月15日の小正月に行われていたのに因んで1月15日と定められていた。現行の1月第二月曜日に変更されたのは2000年からである。今日は各市町村で新しく20歳になった青年を集めて、成人式が行われた。全国で133万人と言われる新成人たちは、どんな想いで成人式に臨んだのであろう。当然ながら私にも成人式の思い出がある。

 この写真は20歳のころの私。書斎の欄間から、いつも私を見下ろしている。啄木を気取ったキザなポーズをしているが、心は挫折感でずたずたに切り裂かれていた。この春、私は大学受験に失敗した。最難間と言われた大学だったから周囲の人たちは、さして話題にもしなかったが私自身は挫折感に打ち拉がれていた。自室に閉じ籠った私を自殺でもするのではと心配したのか、父が故郷の村長に手紙を書いて勝手に小学校教員の口を決めてしまった。

 私の故郷は天竜河畔の佐久間村(現在は浜松市天竜区佐久間)。小学3年の途中で転校したから実に10年ぶりの帰郷だった。私は村内の久根鉱山の在る地区の学校に配属された。
全児童数88名の小さな小学校である。父兄の殆どは鉱夫で、急峻な斜面に数棟ずつ連なった長屋に住んでいた。私には、その最下段、郵便局と医局に挟まれた地区では比較的高級な住宅が充てられた。静かな環境でという父の想いとは裏腹に不眠症に罹ってしまい、天竜川の水音が耳について眠られぬ日々が続いた。そんな中で迎えた成人式だった。幼馴染みも10年ぶりでは名前も顔も殆ど思い出せない。とうとう誰とも言葉を交わすことなく会場を後にした。暗くて辛い成人式の思い出である。

 そんな私を救ってくれたのは、純真な子どもたちだった。今考えれば乱暴な話だが、教室の教壇を取り払い、黒板を児童の背丈まで下げて落書は自由とした。時間割はやめ教科書も殆ど使わず、晴れている限り児童を森に連れ出して国語、理科、算数、社会などの教科を総合的に教えた。そんな私に校長は「基礎学力だけはつけてやって下さい」と言っただけで、黙って見守っていてくれた。
 
 1年後、私はリベンジを果たして志望校に合格した。暗い気持ちで赴任した大久根小学校を、後ろ髪を引かれる思いで後にした。たった1年間であったが、20歳の私に忘れ難い思い出をくれた1年となった。当時の子どもたちとは今も交流が続いている。昨年秋、浜松市の舘山寺温泉で開かれた同級会では、還暦を過ぎた子ども ? たちが「センセイ」を合唱してくれ、私は不覚にも涙を見せてしまった。






※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 01:10 |  日記 |  comment (6)  |   |  page top ↑
プロフィール

杜の小径

Author:杜の小径

杜のMENU
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
カウンター