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ムジナの噺

         たぬき      あなぐま

 ぽかぽか陽気に誘われ、野川を下って二枚橋まで歩く。主な目的は先日見かけたエナガの巣を見つけることだった。エナガは巣が完成すると外側にクモの糸で苔を貼り付けてカムフラージュするので、木々の新芽が伸びてくると見つけにくい。今のうちに在り場所を突き止めておきたかったが果たせなかった。
 帰りは野川の右岸、崖(はけ)の道を辿る。先日のブログで、大岡昇平が寄寓していた
冨永家の門が取り壊されたことを書いた。気になっていたが現場は青いシートに覆われ、工事の進捗状況は判らなかった。この家の右側に、「崖の道」から直角に延びる土地の人がムジナ坂と呼んでいる急峻な坂がある。昔の資料では両側に鬱蒼と木が茂って、いかにもムジナが棲みそうな雰囲気だが、現在では坂の上にマンションなどが建って坂も石段に変わっている。文学散歩で訪れる人のためにか、「ムジナ坂」と記したステンレス製の標識が建てられているのだが、今日見ると、その二箇所に大きな穴があいている。もうムジナはとっくに居なくなっているだろうが、そのうち坂の名前さえも忘れられていくのだろう。

 昨日、NHKの『ダーウィンが来た!生きもの新伝説「潜入!アナグマの地下迷宮」』を観た。内容は省略するが、最後の部分で気になるコメントがあった。日本にも昔からアナグマが生息していた。ただタヌキ と酷似しているのでアナグマと認識されていなかっただけ。地域によっては、これをムジナと呼んでいた―概ねこんな話だった。と、すると「ムジナ坂」に棲んでいたのはアナグマだったのだろうか。この話を聞いたら「武蔵野夫人」もびっくりすることだろうな~。

 びっくりついでに…、実は私の専攻は法律。六法全書を枕に暮らしたこともある。さて、法律を勉強した人なら誰でも知っている「狸・貉(むじな)事件」という判例がある。大正13年に栃木県下で禁猟期に狸を捕らえた男が逮捕された。男は狸は禁猟の対象だが貉は違うと無罪を訴えたたが、一審では動物学では狸と貉は同じであると有罪とした。ところが大審院(今の最高裁)では無罪となった。理由は動物学上はそうであっても、「同じ穴の貉」という言葉が存在するように、狸と貉が同一の動物であることが社会通念化しているとは言えない。即ち「事実の錯誤」として故意責任阻却が妥当であるとして無罪を言い渡した。

 ところで、私はムジナを漢字で「貉」と書いたが、皆さんがPCで変換すると、たぶん「狢」と出る。が正しくは「貉」である。どっちでもいいことのようだが、そうでないと困ることがある。漢字構成の左側の部分を偏というが、その一つに「豸」がる。私など学生時代は読み方が判らないから「ノ・ツ・ケモノ偏」と呼んでいたが、正しくは「ムジナ偏」である。だからムジナは「狢」ではなくて「貉」でないと困るのである。

           (写真:左からタヌキ、アナグマ)
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by 杜の小径  at 03:29 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

チョッと嬉しいこと

コピー ~ エナガ羽 チョコ 002 コピー ~ クモマグサ

 某誌から「独歩と武蔵野」という小文の依頼を受けた。もちろん、武蔵野を独り歩きするわけではない。独歩とは国木田独歩のことである。『武蔵野』は「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れりと自分は文政年間にできた地図で見たことがある。…」で始まる。が、彼が実際によく歩いたのは三鷹から小金井にかけての玉川上水の一帯である。文学碑や彼の名を冠した橋も残っている。今日は野川を下って武蔵野公園に出、桜橋経由で三鷹まで歩く。目的を持って歩くと新しい発見もあり、面白いものが書けそうだが、この話は後日改めて…。今日の「ちょっと嬉しいこと」は別の話である。

 武蔵野公園のシラガシの林を歩いていると、エナガを目撃した。いつもはシジュウカラ、コゲラなどと混群でいるのに、今日は一羽だけ。スコープで覗くと白い羽毛を咥えている(写真:左)。どうやら巣作りを始めたらしい。エナガは繁殖期を迎えると群れから離れてカップルとなる。ところで、エナガをご存知だろうか。体長は14㌢ほどだが、その半分以上が尻尾でスズメよりも小さい。その姿が柄の長い柄杓(ひしゃく)に似ているのが名前の由来である。羽毛やクモの巣で上手に楕円形の巣を作る。雛が生まれると餌をたくさん集めなければならないので、体の小さいエナガは他の鳥よりも早く繁殖に入る。これからの観察が楽しみになった。これが、今日最初の「ちょっと嬉しいこと」。

 帰宅してポストを見ると宅急便の再配達伝票が入っていた。差出人は水原亜矢子さん。届けられたクール便を開けると、ホテルオークラ特製の生チョコレートが入っていた(写真:中央)。水原さんは水原秋桜子先生の姪で、書家で俳人。私は俳人ではないが彼女の主宰する俳誌『久珠』同人の知の紹介で、昨年初めてお目にかかった。そのとき偶々秋桜子の話が出て、忽ち意気投合したという次第。甘味は苦手な私だが、ビターの利いた生チョコは格別の味。チョコっとどころではない嬉しいことであった。

ヴェランダの植木に水をやろうとしたら、クモマグサ(雲間草)の花が咲いていた(写真:右)。昨年根分けした株が蕾を持ったのは知っていたが、こんなに早く咲くとは思わなかった。実は、これは野生のクモマグサではなく園芸品種である。
野生のものは高山のガレに生えている。平地で育てるのは難しい。せめて雰囲気でもと園芸品種を求めたのだが、冬越しは初めてのこと。これが三つ目の「ちょっと嬉しいこと」である。






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by 杜の小径  at 19:10 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

春一番

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  午後から風が強くなった。日本海を通過する900 mbar台の低気圧に向かって南風が吹き抜ける。立春後に初めて吹く春の疾風(はやて)を春一番と呼ぶ。こんな日は家に籠もっているのが普通だろうが、私の場合は違う。大風や大雨の日は地が騒ぐ。

   稿半ば
   土降る窓に
   ものの怪舞う
   乃公も
   いざ野に出でん

 フード付のヤッケに身を固めて出たが、黄砂を雑えた風の強さは想像以上だった。少しでも風を避けるために、池の上通りを真っ直ぐ進んで「崖の道」を目指す。これは「ハケの道」と読んでいただきたい。その訳は大岡昇平の『武蔵野夫人』の冒頭部分に手際よく説明されている。

「土地の人はなぜそこが「はけ」と呼ばれるかを知らない。・・・・・中央線国分寺駅小金井駅の中間、線路から平坦な畠中の道を二丁南へ行くと、道は突然下りとなる。「野川」と呼ばれる一つの小川の流域がそこに開けているが、流れの細い割に斜面の高いのは、これがかって古い地質時代に・・・古代多摩川が、次第に西南に移って行った跡で、斜面はその途中作った最も古い段丘の一つだからである。・・・」

 これは60年近く前の文章だから、現在の風景とは全く違う。大岡が「畠中の道」と書いた辺りは両側にびっしりと家が建ち並んでいる。貫井神社の裏山などには巨木の雑じる森が残っているが、急峻な崖の上まで家が建てられ、道に沿った地下部分は車庫となっている。先月13日のブログにも書いたが、大岡が寄寓して『武蔵野夫人』を執筆した富永次郎宅も崖を崩して改築中だった。東京経済大学の敷地の斜面には緑が残っているが崖の道を挟んだ反対側には巨大な学生専用のマンションが建築中である。
 
   ◇身のうちの翳ふき飛ばす春一番
   ◇霾や崖より高くビル建てり

風はますます強くなってきた。貫井トンネルを潜って滄浪泉園(そうろうせんえん)へ向かう。波多野古渓の別荘として建てられ、現在は東京都が管理している。崖に沿って巨木が茂る幽邃の別天地である。大岡は、この辺りを次のよう書いている。
「斜面を飾る高い欅や樫の下を自然にうねる道には、ひっそりとした静けさが領していた。静寂は時々水音によって破られた。斜面の不明の源泉から来る水は激しい音を立てて落ちかかり、道をくぐって、野川の方へ流れ去った」

 大岡が「斜面の不明の源泉」と述べているのが、実は園の最低部にある湧水池である。池畔には樹齢百数十年の飯桐が聳えており、毎年燃えるような赤い実をつけるが今は小鳥に食べ尽くされていた。園内を逍遥のあと、国分寺街道へ出て一里塚に向かう。
 
   春疾風奔る
   崖の道
   竹、
   竹どうし
   寄り合ふ

 一里塚は古代に武蔵府中(現府中市)から上野厩橋(現前橋市)に至る東山道武蔵路の古跡で、府中から一里の距離を示す。現在、塚は無く地名だけが残っている。国分寺跡の真姿の池からの湧水が野川に合流する地点でもある。時どき訪ねるゴルフ練習場へ寄り、喫茶室で一服。歩行中は吸わないから、家を出て2時間近く煙草を吸っていなかった。
 
 東八道路経由で帰途に就く。途中、D2に立ち寄って薔薇の苗を求める。ホワイトシンフォニーという大輪の白花。旅が多いので花類は悉く枯らしてしまって、ハーブ類とアイビーしか残っていない。友人からガーゼを使った留守中の給水法を教えて貰ったから、今度は大丈夫だろう。苗、鉢、肥料でⅩ㌔を超える。専用土壌は後刻に回す。

   ◇葉無くても瘤たくましき薔薇の苗

    (写真:昭和26年講談社刊の『武蔵野夫人』初版、右は崖の竹薮))





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スイートピー

                コピー ~ suitopi-1

 今日は妻の誕生日。彼女が好きだったスイートピーを携え、会いに行く。冬の間は手に入らないから似た花で勘弁して貰っていたが、誕生日にはやっと間に合った。と言っても未だ店頭には出回っていないので、予め花舗に連絡して仕入れて貰う。全部を好きだった淡いピンクのものにした。毎年のことである。
 なぜスイートピーが好きなのかは聞きそびれたが、彼女自身がこの花のように可憐で美しい人だった。服飾デザイナーという職業のせいか年齢より若い装いをしていたので一見華やかで派手な印象を与えたが、性格はむしろ内気で控え目な人だった。私が好きな花は山野草、なかでも高山植物で、園芸品種にはどんなに華麗でもあまり興味が湧かない。が、スイートピーだけは別である。私自身も、いつの間にか此花を好きになっていた。

 彼女の誕生日は、いつも建国記念日だから(あたりまえだ)、覚えやすい。彼女の名前は紀三代という。生まれたとき産院の隣の小学校から「君が代」が流れてきた。それを聞いた父親が、咄嗟に付けた名前だという。もちろん当時は建国記念日ではなくて、紀元節といった。戦前は国の四大祝典の一つで、全国の学校で式典が行なわれ「君が代」と「紀元節」の歌が斉唱された。「雲に聳える高千穂の高嶺おろしに草も木も靡き伏しけん大御代を仰ぐ今日こそ楽しけれ」で始まる「紀元節」は、私たちの世代には懐かしい歌である。
 
 なぜ紀元節かというと、この日が日本の紀元元年に当たるというのである。『古事記』と『日本書紀』によると、今から2669年前の1月1日、大和の橿原宮で神武(じんむ)天皇が初代天皇の位に就いたとされる。明治政府は天皇を中心とした国家支配の正当性を内外に誇示するために、正式に日本国の歴史として制定した。その直後に太陽暦が採用されたので旧暦の1月1日を新暦に換算して現行の2月11日とした。戦時中は、キリスト生誕で始まる西暦より日本の紀元(皇紀と呼んでいた)のほうが660年も古いと威張っていた。こうした国家観が大和民族優越論となり八紘一宇思想となって、やがて挑戦、台湾、中国東北部(満州)などへの侵略へと繋がっていった。

 どうも私のブログは理屈っぽくていけない。(わかっていたら止めなさい)と家内の声が聞こえるから、ぼつぼつ結論に入る。現代では神武東征は日向の豪族の長、神倭伊波礼琵古命(かんやまといわれひこのみこと…古事記)もしくは神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと…日本書紀)が東へ攻め上がって大和一帯の豪族を征服したというのが定説になっている。まあ、どこの国にも国家の起源に関する神話や民話はあるから、『古事記』や『日本書紀』を神話として読むことに吝かではない。ところが世の中には未だこれらを「歴史」として読ませようとする人種がいる。そもそも紀元節を、建国記念日と呼称を変えても意味は同じである。こんなところにも、折あらば歴史を逆回転させようとするアナクロニズムの臭いがしてならない。





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by 杜の小径  at 20:14 |  日記 |  comment (6)  |   |  page top ↑

小さな春

   ハイク 016   ハイク 018   ハイク 013

 半月前にキッチン・アートのことを書いた。と言っても、ゲイジュツ的で高尚な話ではない。切り取った野菜の蔕(へた)を水に浸けて、芽を出さしただけのことである。特にキャプションを付けて紹介するほどのことではないが…。立春が過ぎても、このところ東京は雪こそ降らないが寒い日が続いている。せめて、小さな春の便りをお届けしたい。
 前回は葉を毟られた貧相なミツバを紹介したが、こんなに立派になった。(写真左)ヴェランダに植えたものが芽を出し始めたので、窓際族のコイツは難を免れている。ニンジンは髭根がびっしり生えたので、ワイングラスから一号枡に移した。枡の中はむろん水である。(写真中央) 圧巻はベニシグレダイコン。ご覧のように可憐な5弁の小花を10個あまり咲かせた。(写真右) 成長が早いだけに最も多く水を欲しがる。旅に出るときは別の容器に水をいれ、そこからガーゼで水を補給するようにしている。

 この小さな緑たちの photosynthesis によって室内に増える酸素量は、おそらくnano~ の単位だろう。明日は妻の誕生日。小さな花が好きだった彼女のために紅時雨大根の花を持っていこう。

    窓際に芽ぶくものあり陽の匂ひ
 






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登美子さん受賞―NHK俳句大会

                ハイク

今朝、教育テレビを点けたら、NHK全国俳句大会の発表が行なわれていた。知人の宮崎登美子さんが入賞されていた。おめでとう。

    青空を ぶっちぎりては袋掛

 彼女は相模原市にお住まいで、手広く農業をされている。この句は自家果樹園での梨の袋賭を詠まれたのであろう。時どき果物や野菜に添えて、自作の作品を送って下さる。昨年末のものには次のような句があった。

    擦れ違ふ人に藍の香 十三夜
    これと言ふ幸は無けれど 茸汁
    寒鯉の捌かれてゐて 目の澄めり
    北窓を開けば 風の待ってゐし

NHK俳句大会では、やはり知人の友田しげをさんが、十年ほど前に次の作品で大会賞を受賞している。

    父の忌と母の忌の間の大暑かな

 ちなみに私のやっているのは伝統俳句ではない一行詩なので、NHK俳句大会に応募したことはない。





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ある会合

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 昨日、お台場のホテル日航で不思議な会合が開かれた。上座には民主党党首 小沢一郎と麻生内閣の経済財政大臣 謝野 馨。二人ともにこにこしているところをみると、忙中の癇で、人目を忍んで囲碁の手合わせか。なにしろ小沢はアマ六段、与謝野は七段の腕前だ。2007年10月のTV公開対局では与謝野ガ惜敗しているから、今日はそのリベンジか。それにしては両者の間に碁盤が無い。そのうえ参会者の顔触れが…。外務省の高官、各国のCommonwealth Office に学者、外交評論家、メーカー、商社マンetc.で、報道関係者は一人も居ない。メンバーはゴツイが、全員が個人の資格で参加している。実は草の根(民衆)レベルで外交を考えようという集まりなのである。

 タネを明かすと、この会合は「草の根交流センター」の例会。この会が発足したきっかけは、『中浜万次郎資料集成』(慶應義塾大学教授 川澄哲夫著)の刊行であった。これは1990年に雪書房制作 発行発売小学館という形で刊行され、私が総合プロジュースに当たった。この本を見て感動した小沢一郎氏が、草の根レベルの外交研究会として発足させたのである。
 万次郎は土佐の漁師で、14歳のとき出漁中に遭難し、米国捕鯨船のジョン・ハウランド号に救助された。その後、ウイットフィールド船長に連れられてアメリカに渡り、高等教育を受けて帰国した。帰国後、幕末の日本で米国の文化や英語に精通した唯一の日本人として、外交文書の翻訳や通訳、東大の前身となる開成学校の教授などを務め、日本の開国に貢献した。その功績を顕彰しながら民衆レベルの外交の大切さをアピールしようというものである。一方で我が国の英語教育についても提言している。万次郎の英語は土佐なまりで、発音が上手とは言えなかった。しかし、日米外交交渉の舞台では堂々と通訳し、日本の存在をアピールした。ところが現在の英語教育は、日本語よりも英語の早期教育を優先するなど本末転倒の事態が起きている。万次郎のように必要に応じて必要な勉強をすれば、だれでも英語を話すことは出来る。その点に再考を促してきている。

 沢一郎は風貌が硬派で愛嬌が無いため業師とか豪腕というイメージが強いが、実像はシャイで私欲の無い男である。かつて自民党を出て新生党を旗挙げしたとき行動を共にした一人が現民主党最高顧問の渡部恒三氏。一夜、彼を囲んで飲んだことがある。酔いに任せて失礼な質問をしてみた。「あんたは早稲田、小沢は慶応だし歳も若い。何で彼を担いだの?」―彼は真顔で答えた。「今まで何百人もの政治化を見てきたが、一度も嘘をつかなかったのは小沢だけだった。だから、ワシは小沢について行く」(もちろん会津弁だった)

 いま、慶應義塾大学出版会で、ジョン万次郎を助けた米国捕鯨船員の航海日誌『ジョンファウランド号の航海日誌』の刊行準備が進んでいる。前記 川澄教授と私の共訳で、既に入稿も了っている。この原書をantiquarian book market で発見し、私財を投じて買い求めたのも小沢一郎氏である。
 話が横道に逸れた。会議では先ず川澄氏が話題になった。氏は定年後に体調を崩して豊橋に隠棲していたが、4月から教壇に復帰する。昨年、「20キロ減量したよ。体調も言い」と電話があった。聞くと、私の総長ウォーキングに刺激されて、毎日2時間以上歩いたという。「じゃあ、今に良いことが起こりますよ」と返事しておいたが、その直後に教壇復帰を知らせてきた。問題は禁酒、禁大食、ウォーキングが、いつまで続くかだが…。その他に生臭い話は一切無し。多少あっても secrecy は紳士の約束だからブログには書けない。どうしても聞きたい方は一席設けることだね。但し報道インサイダーは駄目だよ。
 






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by 杜の小径  at 00:42 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

内村剛介さん逝く

内村剛介さん コピー ~ ヒクロウ 025 コピー ~ ヒクロウ 021

 電話で起こされる。珍しく娘の真理芽からだった。
「内藤さん、亡くなったの、知ってる?」
「えっ、知らない」
「今朝の新聞に出ているわよ。いま、まなみさんには取敢えず電話しておいたけど…」
「今月、初雪の降った日にブログで内藤さんのことを書いたばかりなんだ」
「そう。虫が知らせたのかね」
 内藤さんとは、ロシア文学者、評論家、詩人の内村剛介さんのこと。ご長女のまなみさんと娘とは暁星幼稚園と同系の小学校の同級生で、今でも付き合いがあるようだ。これで、私が師と呼んだ方は全てこの世からいなくなった。

 内村さんは関東軍情報部の嘱託をしていた関係で終戦後11年間、ソ連の収容所に抑留された。帰国後は大手商社の部長を勤められる傍ら内村剛介のペンネームで多くの著書を執筆された。後に北海道大学、上智大学の教授もされた。抑留中にマルクスの『Das Kapital』(資本論)を原書で通読され、根っからの社会主義者だったが、ソ連の政治体制には終始批判的な立場をとっていた。私は草野心平さんの『歴程』を通じて知り合い、『マーシャの日記』刊行に当たって格別のお力を戴いた経緯は、9日のブログに記した通りである。
 実は内村さんの手許には獄中に在った11年間に奥様と交わされた膨大な書簡が残されている。生前、内村さんは、「どちらかが亡くなったら、これを公にしたい」と仰っていた。いま訃報に接し、その件に何らかの形で私の微力を尽くしたいと考えている。
 私の書架には内村さんの殆ど全部の著書が並んでいる。その全てがサインをして恵贈して下さったものだ。突然のことで、思い出を記す心の余裕が無い。ただ、ご冥福を祷る。

【著書】
・呪縛の構造( 現代思潮社)   
・生き急ぐ スターリン獄の日本人( 三省堂新書、講談社文芸文庫)
・わが思念を去らぬもの (三一書房)
・独白の交錯 対話集 (冬樹社)
・ソルジェニツィン・ノート (河出書房新社)
・流亡と自存 (北洋社 )
・愚図の系譜 (白馬書房)
・信の飢餓 評論集 (冬樹社)
・幕末は終末 歴史対談集 (新人物往来社)
・ナロードへの回帰 (二月社)
・初原の思念 (白馬書房)
・妄執の作家たち (河出書房新)
・科学の果ての宗教 講談社学術文庫 19
・ロシヤ風物誌 西田書店 1977
・ドストエフスキー 人類の知的遺産 51 講談社 1978
・失語と断念 石原吉郎論 思潮社 1979
・ロシア無頼 高木書房 1980
・わが身を吹き抜けたロシア革命 五月書房 2000
・見るべきほどのことは見つ 恵雅堂出版)
・内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせく-私の二十世紀 (恵雅堂出版)
・われらの内なる反国家 大沢正道共編 (太平出版社)
・だれが商社を裁けるか (高木書房)
【翻訳】
・マーシャの日記 私は語らずにはいられない マーシャ・ロリニカイテ (雪書房)
・エセーニン詩集 (弥生書房)
・文学と革命 第1-2 トロツキー (現代思潮)
・鹿とラーゲリの女 ソルジェニツィン 染谷茂共訳 (河出書房新社)
・ロシヤ文学と実存 ミハイロ・ミハイロフ (紀伊国屋書店)

   (写真:左から遺影、著書の一部と内村さんのサイン)







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by 杜の小径  at 14:56 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

「鬼も内」―優しい鬼も居る

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 豆撒きで「福は内、鬼は外」と叫ぶ家ばかりではない。中には「鬼も内」と言うところもある。苗字が鬼頭、九鬼、鬼塚などの家では「鬼も内」である。東京千駄ヶ谷の鬼子母神では「福は内、鬼も内、悪魔外」と叫びながら袋に入れた豆を撒く。
 鬼に関する諺は実に多い。一部をあげると…「鬼に金棒」「鬼の目にも涙」「鬼も十八、番茶も出花」「鬼の居ぬ間に洗濯」などなど…。どれも鬼は恐ろしいもの、怖いものといった諺ばかり。しかし民話や童話に出てくる鬼には、意外に心の優しいものが多い。私が小学館Pの『あるふぁべっと』に連載した『日本の民話』の中に、こんな話がある。
 むかし、出羽の国の田舎に赤鬼と青鬼が住んでいたが、いつも隣村の黒鬼にいじめられてばかりいた。村人がそれを憐れんで助けると、鬼たちはお礼に自分の目を片方ずつ刳り抜いて村人に渡した。一つは天気が判り、もう一つは水の在り場所が判る目だった。その年から村は豊作が続いたので、村人は鬼の目神社を建てて鬼たちを祀ったという。今でも山形県山辺町に鬼の目という集落があり、節分には勿論「鬼は内」と叫んでいる。
 埼玉県嵐山町の鬼鎮神社の由緒は悲しい。ある日、村の鍛冶屋に旅の若者が訪ねてきて弟子入りを頼んだ。ちょうど忙しい時期だった弟子にすると、若者は寝る間も惜しんで働いた。鍛冶屋には美しい娘がいた。ある日、若者は親方にお嬢さんを嫁にくれないかと頼んだ。親方は、「一夜で百本の刀を打て。もし出来たら願いを聞いてやる」と答えた。素性も判らない者に大事な娘はやれないと、絶対に出来そうも無い無理難題を言い付けたのだ。    
 夜がきて、若者は刀を打ち始めた。その早いこと。十本、三十本、五十本と積み上げられていく刀を見て、親方は心配になった。親方はそっと家を脱け出すと鶏小屋に入り、無理に鶏を鳴かした。若者は夜が明けたと思い、落胆のあまり死んでしまった。親方が工場を覗くと九十九本揃った刀の脇で、鬼の姿に戻った若者が死んでいた。さすがに可哀相に思った親方は神社を建てて鬼を祀った。これが鬼鎮神社の由来である。
 有名な童話では浜田廣介の『泣いた赤鬼』がある。誰もが知っている人間の大好きな赤鬼、青鬼のお話である。今でも街のどこかに「人間のみなさん、友達になって下さい」という鬼さんの貼紙があるに違いない。私たち人間が、それを見る目を失くしてしまっただけだ。昔の人たちは鬼を怖れながらも、一方ではちゃんと鬼たちと仲良くしてきた。その証拠が屋根に在る。古い家の切妻に必ず付いていた鬼瓦。あれは病気、火事などの厄災が家に入って来ないように鬼に張り番を頼んでいるのである。「鬼は外」などは、とんでもない。鬼は仲良くするものだったのだ。

 

 




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春は明日から―今日は節分

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「フクワ~ウチ、オニワ~ソト」…この声は誰にとっても懐かしい。この日ばかりは、どんなに大声を出しても叱られることはなかった。だからドキドキしながら「豆まき」を待った。そう、「豆まき」である。 節分とか追儺(ついな)とか難しいことは知らなかったが、豆を撒いて鬼を追っ払うのだということは何となく判っていた。

 正月を新春と言うから、節分や追儺(豆撒き)は当然春の行事だと思っている人が多い。ところが歳時記の春の部を探しても出てこない。これらは冬の季語である。翌日の立春で
寒(かん)が明け、やっと春となる。そもそも追儺というのは宮中行事で、本来は大晦日にやっていたもの。ただし豆は撒かなかった。四つ目の仮面を付けた儺(な)が桃の木の弓で葦の矢を放って鬼を追い払ったらしい。
 ところで、私のブログは理屈っぽいというので評判が悪い。それは自分でも判っているから、面白くなかったら読み飛ばしていただいて結構だ。だが、断っておくがこれから先は、どんな資料や辞書にも出ていないことである。全て私の考証と推理に拠るものである。だから間違うこともある。まあ、資料を丸写しにしたエセ薀蓄よりはましだろう。

 追儺を厄難を追い払うことと読解している人が多い。たしかに「儺」という字は「難」という字に似ている。しかし、この文字に厄難という意味は無い。ニンベンの右側、つまりツクリの難は、単に「ダ」または「ナ」という音を表しているに過ぎない。「儺」とは、リズミカルに調子よく歩くことである。後世になって儺の字面が難に似ているところから、エセ学者どもが追儺を勝手に厄難を追い払うと解釈したのであろう。じゃあ、本当の意味は何か…古い中国に「佩玉之儺」という言葉がある。佩玉とは貴人が帯に挟む宝玉で、これが鳴るようにリズミカルに歩くのが佩玉之儺である。このことから推して、7世紀ころ宮中で行われた追儺とは、佩玉を鳴らして踊る厄払いの舞踊ショーのようなものではなかったろうか。

 鬼の語源は隠(おに)、つまり正体が不明なまがまがしいものというのが定説になっている。赤い顔で鼻が高い巨人。魔術を操るところから天狗と共に先進文化を持った漂流民ではないかという説もある。青鬼は南方系の漂流者ということになる。
  と言えばスタンダードなスタイルは角と虎皮のパンツである。陰陽道では丑寅(東北)の方角を鬼の出入り口として鬼門と呼んだ。京都の東北に当たる比叡山に延暦寺を建てたのも厄除けのためである。もうお判りだろう。丑寅(牛虎)だから角と虎皮のパンツである。誰が考えたか知らないが、発想が単純である。








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by 杜の小径  at 18:25 |  日記 |  comment (4)  |   |  page top ↑

一月逝く

   のがわ 009   のがわ 005   3f80d9b022463f0c.jpg

 夜来の雨が止んで薄日が射してきたので、武蔵野公園まで歩く。怪我をしてから十三ヶ月、左膝の痛みは一進一退を続けたまま。通販で求めたサポーターもサイズが合わないのか使い心地が悪いので今は外している。やっぱり外科へ行ってみようか。 この公園は、都内の公園や街路に植える木の育苗園を兼ねているので立木が多い。この季節、花は少ないが寒林ならではのさっぱりとした美しさがある。ネームプレートの貼られた裸木を、ゆっくりと観て回る。

    欅
    白樫
    百日紅
    みな裸なり
    われも亦
  
 悉く葉を落とした疎林は、野鳥を観察し易い。強い風に吹き飛ばされる礫のように飛来した小鳥の群れが、忽ち飛び来たって忽ち飛び去る。その多くはシジュウカラ、ヒガラ、エナガなどの混群である。オオタカなどの天敵が近づくと一羽が鋭い警戒音を発して群れに知らせる。自衛のために群れをつくっているのである。その彼らにも、間もなく別れのときがやってくる。暖かくなり繁殖期が来ると、それぞれがカップルとなり群れは崩壊する。いちばん小さなエナガは今月半ばには抱卵を始めるだろう。

    囀りの高きは
    別れの近きこと
    裸木に
    群れる
    小鳥の無心

 今年の一月は、あっという間に過ぎた。昨年は元日登山で怪我をして三が日は信州の病院で過ごし、五日からは都内の病院に入院した。それでも、それなりの思い出は残っている。今年は飲んでばかりいたような気がする。週末ま予定が無い。冬の京都にでも行ってみようか。とにかく旅がしたい。

    風吹けば風に躓き寒鴉

 寒とは言っても、あと二、三日のことである。節分が過ぎれば寒が明ける。それにしても寒い。風がいっそう強くなった。いつの間にか陽が翳って、また氷雨がちらつき始めた。ヤッケのフードを上げても寒気が突き刺さってくる。二枚橋の袂で、自販機から温かな紅茶を求めて飲む。野川河畔の木にハシブトカラス群れていた。

    一羽、二羽、三羽
    みな
    飢えているのか
    眼差遠き
    寒の鴉






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by 杜の小径  at 04:22 |  日記 |  comment (8)  |   |  page top ↑
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