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三月尽(さんがつじん)

                 ヒメギフチョウ

    旅終へて また旅恋ふる 三月尽(杜詩夫)
   
    旅のわけ 問ふ人もなく 弥生尽( 〃 )
   
    旅鞄に 中也一冊 春惜しむ   ( 〃 )
 
 尽とは月末のこと。したがって三月尽は三月末を表す。弥生尽、惜春、春惜しむは、いずれも同類の春の季語である。
 今月も、よく旅をした。山梨、浜名湖、豊川と延べ十日間家を空けた。四月も旅に明ける月となる。中でもいちばんの楽しみは白馬・八方尾根の旅。冬鳥と夏鳥が混在する季節で、アトリ、レンジャク、ベニマシコ、ミヤマホオジロなどに逢えるだろう。植物ではカタクリ、フクジュソウ、カンアオイ、ウスバサイシンなどが見られる。運が良ければ「春の女神」と呼ばれる天然記念物のヒメギフチョウにお目にかかれるかもしれない。この蝶はウスバサイシンに産卵し、成虫になるとカタクリの花から吸蜜する。

 私の旅は一人旅が多い。山へ登るときは安全のためである。独りだと撤退を決断し易いのと、若いころアンザイレンしていた岳友を喪ったこともあって単独行に決めた。単なる旅行にしても観光地を好む人もいれば、あまり人に知られていない田舎を好む人もいる。日常生活でも趣味嗜好の細部には個人差がある。例えば一口に花好きと言っても、園芸種、山野草など好みは様々である。考えてみると、映画を観たり食べ歩きするのも独りが多い。気を遣ったり話題を探すのが苦手なのである。付き合ってくれるメッチェンが居ないせいでもある。

 旅が好きですかと問われて、嫌いですと答える人は殆ど居ない。人は何故そんなに旅を好むのだろう。―人間は農耕文化になってから一箇所に定住するようになったが、魚獣を追い掛けたり木の実を食べていた狩猟時代は旅が生活の全てだった。その gene が遺っているのかもしれない。
 私個人は、読書が旅好きを助長したようだ。小学生のころ、兄の持っていたデフォーの『ロビンソンクルーソー』を貪り読んだのが最初かもしれない。いま、書架を見回しても旅に関するものが多い。芭蕉の『奥の細道』などは勿論だが、太宰治の『津軽』や永井荷風の『ふらんす物語』、外国ものではヒュー・ロフティングの『ドリトル先生航海記』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』まで、私にとってはも紀行文学の側面を持っていた。特殊なものでは東山魁夷の画集『北欧旅想』、荒木経惟の写真集『センチメンタルな旅」なども、この範疇に入る。

 情報と交通の発達、ハイテクとITの進歩は旅を便利・快適にさせてくれた。しかしグローバル化は世界のモノカルチャー化を加速させ、異文化に触れた時の「驚き」を失わせてしまった。例えば空間的にロシアの旅をしても、私はもう大した驚きや新しい感動は期待できないだろう。それよりも異文化の衝突が大きなテーマであるロシア文学を読んだ方がよっぽど旅らしい旅ができるのではないかと考えてしまうのである。ロシアに限らずあらゆる文学作品には、その舞台である土地の上で人々が何を感じ、考え、行動したかが描かれており、現代の旅では伝わってこないものを感じることができる。―と、言いつつも私は来月も旅に出かける。

        4月のスケジュール

 4月2日~ あきるの市周辺の里山と野鳥・野草の観察
 〃 4日  阿修羅展(国立博物館)
 〃 5日~ 韮山市、北杜市(わに塚桜、神代桜の桜観察と薮内美術館訪問)
 〃 10日~ みずくき書道会社中展
 〃 13日  麹町倶楽部有志と同社中展へ
 〃 15日~ 白馬・八方尾根方面(野鳥、ヒメギフチョウ、早春の山野草観察)
 〃 20日~ 奈良・大和路
 〃 25日~ 人間ドック入り

        (写真は、逢えるかもしれないヒメギフチョウ)
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by 杜の小径  at 06:10 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

Ryo-kaさんのジャズ・ライブ

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 久しぶりにジャズ・ボーカリストのRyo-kaさんに招かれ、国分寺のランバンブンジバーで開かれたライブへ行く。これまでは主に両国、浅草などの下町を中心に活躍していて、この街でのライブは初めて。彼女はNYで活躍中の桐生ナブ子さんのお弟子さんで、桐朋学園教授の桐生トシ子さんや太田寛二さんの指導も受けている。今年の1月に来日したCOUNT BASIE ORCHESTRAの公演の際は一日違いでお会いできなかった。昨年の六本木ライブ以来だから、ほぼ1年ぶりの再会。彼女もマネージャーをしているご主人の両太さんもお元気そうだった。
 
 第1部はジャズのスタンダードナンバーと、お客さんのリクエスト曲を軽妙なトークを交えてこなしていく。歌が一段と良くなり、ステージマナーも堂々としている。
 
 第2部は懐かしの映画テーマ曲が中心。ポピュラーな名曲ばかりで、お客さんの拍手も次第に高まる。
チャップリンの映画「モダンタイムズ」のテーマ曲(インストルメンタル)である「スマイル(Smile)」でスタート。
 特に印象に残ったのは1942年製作のアメリカ映画「カサブランカ」のテーマ曲「It Had to Be You」。懐かしかった。"It had to be you It had to be you I wandered around and finally found somebody who " (君だったんだ、探していたのは…)のフレーズは古典中の古典であり、フランク・シナトラのメドレーナンバーでもある。

 ラスト・ソングは「「Bye Bye Blackbird(バイバイ ブラックバード)」。マイルス・デイヴィスの演奏でお馴染の名曲を情感豊かに歌いあげた。NY留学の成果が出て英語の発音も素晴らしかった。帰りのタクシーで思わず歌詞を口ずさんでいた。少し飲み過ぎたようだ。

   Pack up all my care and woe
   Here I go, singing low
   Bye bye blackbird

    (写真:左から会場、Ryo-kaさん、ご主人の両太さんと一緒に)


               ◇◇◇お知らせ◇◇◇
     
     4月からの「杜の小径」文芸塾々生若干名を追加募集しています。
    テキストによって作文の基本を学んだあとで、エッセイ、短歌、詩、
    五行詩、俳句など、各自の希望コースについて添削指導を行います。
    経費は無料です。但し「五行歌の会」同人及び会員の方は入塾できま
    せん。そちらで指導を受けて下さい。
      ご希望の方は、エッセイは400字程度、短歌、五行詩、俳句などは
    作品3点を添えて下記にお申し込み下さい。

     〒184-0014 東京都小金井市貫井南町1-19-16-206 村瀬方 
                                       文芸塾宛





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by 杜の小径  at 23:27 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

もの言えば…

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    物言えば 唇寒し 秋の風(芭蕉)

 この句には前書に「座右の銘、人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ」とある。1955年刊の『評解名句辞典』(創拓社)によると、「話に興ずると、とかく人の悪口を言ったり、自慢に陥ったりして後で自己嫌悪を感じるものだ。そういう時のわびしい気持ちを秋風の感じと詠んだ句である」とある。著者は学習院の麻生磯次元院長だが、こちらは千葉県山武市生まれだから麻生総理とは無関係のようだ。(念のため)
 ついでに引用すると、兼好法師の『徒然草』には「... おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず」とある。意味は、「思ったことを口に出さないと腹が膨らんだようで気持ちが悪い。それで筆に任せて書くのだが、元々が取るに足らない物書きだから取捨選択することもないし、人に見せるものでもない」といったことになろう。
 諺にも「口は禍いの門」「言わぬが花」「沈黙は金」「雉も鳴かずば撃たれまい」など、饒舌を戒めるものが多い。まあ、喋るより黙っておれということだろうか。

 そうは言っても、沈黙を守るということは簡単ではない。芭蕉にしても兼好にしても、そう言いつつ生涯を文人で通している。文芸を方便(たつき)としているためでもあろう。
 私は編集者として多くの作家に接してきたが、生きてゆくために作品を書くということは厳しいことである。私の知る限りでも有名作家の何人かが、若い頃は方便のために筆を執っている。瀬戸内寂聴は売れない頃は三谷晴美とか三谷佐知子の名前で少年少女向けの物語を書いていたし、梶山季之は梶謙介のペンネームで小学館の学年誌に寄稿していた。
 1950年代に『文芸春秋』『週刊新潮』など、いわゆる出版社系の週刊誌が続々と刊行されると、無名時代のの梶山季之、黒岩重吾、岩川隆、それに詩人の関根弘などがいわゆるトップ屋として記事を書いていた。豊田行二(本名・渡辺修造)は学生時代からの知り合いだが、、「示談書」で直木賞候補になりながら生活のために感能小説を書きまくり、とうとうポルノ作家で生涯を終わってしまった。しかし文筆に携れるのはまだ良いほうで、水上勉が洋服の行商をしたり、草野心平が居酒屋を経営していた話など、下積み時代の苦労話は掃いて捨てるほどある。この時代のもの書きにとって<物言えば唇寒し>などと言っておれなかったのである。
 
 もの書きがペンを執り続けるのは、生活の為ばかりではない。冒頭で、もの書きは業(ごう)であると書いたが、もの書きという人種には、生まれ付きの業(ごう)があるのかもしれない。止めようととしても止められぬのが業である。苦労したうえで作家として名を成したのは一握りの人だけで、その何十倍かの人たちは無名のままに終わっている。それでも、その人たちは何らかの形で「もの書き」に拘り続けながら生きているに違いない。先日の麹町倶楽部で、N子さんがご自分の作品に関係もあって朝日新聞の或る記事をコピーして配られた。それは朝日歌壇に投稿し何度も入選した一ホームレスに新聞社が住所を教えて欲しいと呼びかけたところ、本人から「今は未だ名乗り出たくない」と返信があったという記事だった。この人などは紛れもなく業に取り憑かれた一人であろう。方便、暮らしのためなら歌など投稿するより空き缶の一つでも余分に集めたほうがいいだろうに。それができないのが業である。

     花冷えや もの書かざるは飢えに似て(杜詩夫)

 この業というヤツは厄介で、人間の生きざまも変えてしまう。私の友人に某有名大学の教授がいる。既にかなり高名な作家でありながら定年後に名誉教授になれなかった。彼自身はもう宮仕えはしたくないと笑っているが、理由は判っている。彼が在職中に全大学の労働組合の委員長をしたことを大学当局に睨まれたからである。委員長就任時にこのことを予想したが私は止めなかった。彼もまた業に取り憑かれた一人だったから…。或る意味で文学を志す者はバカである。上品に言い換えると世渡りが下手である。適当に妥協して生きればもっとうまくいくだろうに、それができない。私自身、誰に頼まれたわけでもなしのにボランティアで文芸の通信塾をやっているが、指導が下手だ。ここでお世辞のひつつも言ってやれば喜ぶだろうと判っていても、それができない。駄目なものは駄目という一線がどうしても崩せない。これも業である。他の場合でも「もの言えば唇寒し」と判っていても、無用な一言を発して、唇どころか風邪をひいてしまうことも度々なのである。周りは迷惑かもしれないが、私自身はそうした生きざまに悔いは無い。

 さて書き終わって、この日記にどんな写真を入れようかと困った。思いついたのが日光東照宮の神厩舎に掲げられた左甚五郎作と伝えられる三猿像。3匹の猿はそれぞれ耳、口、目を手で覆っている。聞かザル、言わザル、見ザルというわけである。いかにも日本人が考えそうな語呂合わせに思えるが、実は原典は『論語』。その一節に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿動」(礼にあらざるものを視るなかれ、聴くなかれ、動(おこなう)なかれ)とある。英語ではこの三猿を"Three wise monkeys"(3匹の賢い猿たち)と訳している。さて、「見ざる聞かざる言わざる」が果たして正しい生き方かどうかは、それぞれの方の判断にお任せすることにしたい。


                   




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春が届く

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 夜来の小雨が続いていて、気温も10℃を下回っている。数日前にはコートも着ないで外出したのに、一昨日からは一旦仕舞い込んだ冬用のオーバーを引っぱり出している。TVで予報士さんが「三寒四温の季節ですね」と言っていた。この言葉は冬の季語で、桜の咲く頃には遣わない。それを成程と聞き過ごしているんだから異常気象と言うほかはない。
 
 北杜市の薮内正幸美術館から「開館五周年記念展」の招待状が届く。これも春の便りでる。この付近には実相寺の神代桜、わに塚の江戸彼岸桜、神田(しんでん)の大糸桜など桜の名所が多い。毎年、美術館を訪ねたついでに桜巡礼をするのが楽しみになっている。この辺は交通の便が悪く、日野原駅でタクシーを雇い、ぐるりと一周してから小淵沢駅で降りることになる。ほぼ半日の行程だが、駅前の井筒屋で食べる絶品の鰻が十分に疲れを癒してくれる。昨年は、そのあと小海まで足を伸ばし、高原美術館内にある詩友・Aさんのレストランに寄ってきた。今年は長野に回ってみたいが、伊那・高遠にするか松本方面にするか未だ迷っている。いずれにしても、これからの天候次第である。

 雪山の寒さは平気なのに、都会の寒さは苦手だ。だいいち厚着をして歩くのが億劫である。で、ついつい部屋に閉じ籠ってしまうことになるが、小人が閑居してお茶ばかり飲むわけではない。ほかのものも飲む。肴も摘む。
 あゝ、また3㌔はリバウンドしたかなと憂鬱になっていると、玄関のチャイムが鳴った。宅急便は一宮市郊外に住むE子から。鮎の干物、橡(とち)餅、野蒜(ひる)、蕗の董、蕗味噌などが詰まっている(写真)。野蒜と蕗の董は自宅の庭で採れたものだという。橡餅は橡の実を灰汁でアク抜きして餅に搗き込んだもので、焼くと膨らんだチョコレート色の肌から仄かに木の実の香りが立ってくる。野蒜は生のまま蕗味噌を付けて齧る。葉の部分は軽く茹でてから酢味噌で和える。木曽川の鮎は先日K子が送ってくれた天竜川の鮎より小振りだが、遠火で炙ると独特の香りがする。将に香魚の名に相応しい。春の香りを満喫していたら、鬱な気分も消し飛んでしまった。E子もA子も昔の教え子。A 子は先日、天竜川の鮎と鮎の白子で作った貴重なウルカを送ってくれたばかりである。この二人に限らず昔の教え子たちが交々に季節の果物や野菜、お茶、土地の名産などを送ってくれる。 

 Yさんから五行詩16篇が届く。久しぶりの作品である。その都度拙評をしているが、それを保存しておいて行き詰まったときに見て下さるという。私はあまり褒めない。むしろ厳しい。真摯に作品に向き合うと、どうしても厳しい口調になってしまう。それが不満なのか足が遠退いた人もいる。そんななかでYさんのように仰って下さるのは嬉しいことである。だから、これも春の便り。酔い醒めを待って心を籠めて詩評を書く。







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by 杜の小径  at 10:27 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

麹町倶楽部例会

風神
 
 町田事務局長がお身内のご不幸で欠席されたほか、今月は欠席者が多く総勢17名。司会は前回一席の酒井映子さん、朗読は欠席の柳瀬丈子さんに代わって小杉淑子さん。一席は自由詠が範子さん、題詠が酒井映子さん。人数が少ない分たっぷりと時間をとって活発な歌評が交わされ、充実した歌会となった。
 久しぶりに二次会に出席して痛飲、楽しく酔うことができた。一席作品は以下の通り。

【自由詠 一席・範子さん】
  
  無人バスかと
  覗いてみれば
  園児たちの頭が
  しいたけのように
  並んでいた

【題詠/口 一席・酒井映子さん】
  
  風神が
  袋の口をいっぱいに
  開けている
  もう誰の手にも負えない
  春の嵐

               (イメージ写真:俵屋宗達の風神図)





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by 杜の小径  at 12:03 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

花 はな ハナ

 コブシ  白木蓮  125548637_62fe141030.jpg


 お中日に墓参。供花はいつものように妻が好きだったスイトピー。冬季には予め花屋さんに頼んでおくのだが、手に入らないときもある。そんなときはピンクの似たような花で勘弁してもらっていた。その罪滅ぼしもあって、この日はいつもの倍くらいの花束にしてもらう。花屋の女将さんが、それじゃあ花挿に入りきらないわねと花瓶を貸してくれた。数日したらお掃除のついでに回収するからご遠慮なくと言う。
 多磨霊園は桜の名所で、花どきには見物の人で賑わう。この日は桜は未だ蕾で、苑内には拾㍍を超える白木蓮、辛夷の大木があちこちで花をつけていた.両者は花の形が似ていて区別がつけにくい。が、遠くからだとすぐ判る。花が小さく霞んだように見えるのが辛夷である。
 帰宅して裏庭を覗くと、白木蓮が見事な花をつけていた。灯台元暗しである。枝垂れ桜は未だ蕾が固い。枝垂れ桜と言えば、近くに名所がある。いつもバードウォッチングに出かける二枚橋の上流、野川の両岸に枝垂れ桜が植えられていて、花季には川面が見えなくなるほど。あと一週間もすればご紹介できると思う。その頃には歩いて数分の新小金井街道のヤマザクラも満開になるだろう。
 この街には小公園が多い。約二㌔圏内に十以上あり、それぞれにモクレン、ハナミズキ、ケヤキ、サクラなどの名前が付いている。私の処からバス停二つ先の五丁目にサクラ公園がある。散歩のついでに寄ってみると満開で、ヒヨドリ、メジロが盛んに花を啄んでいた。同じソメイヨシノでも開花に遅速があるようだ。

 先月末に家政婦さんがツボサンゴなど数種類の草花を植えていってくれた。そのなかの一つが一輪だけ花をつけた。ピンクの可憐な花だが、私には名前が判らない。窓際のクモマグサは、もう一か月も咲き続けている。ピンクの覆輪がとれて白花になってしまったが…。ベニシグレダイコンは花が終わり、最初のものは種を付けている。ミツバは茎の部分が木質化したが数回の摘葉に耐えて元気に若葉を出している。ニンジンも元気。果たして花を付けてくれるかどうか…。

     (写真:左から霊園のコブシ、裏庭のハクモクレン、小公園のサクラ)





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by 杜の小径  at 06:47 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

三月最後の旅

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 短い旅の終わりに見る富士山は見事だった。新幹線新富士駅を過ぎるまでの僅かな時間だったが、車窓いっぱいに迫る山容はいつ見ても美しい。ところで、私は静岡県の生まれだが、富士山を懐かしいとか誇りに思ったことはない。その点は鹿児島県人が桜島を見たり福島県人が磐梯山を眺める気持ちとは、かなり違っている。車窓の富士山も静岡駅辺では赤石山系の山々に視界を阻まれて見ることはできない。まして私の生れた佐久間はもっと奥、天竜川の中流域だから富士山など見えるはずもない。恥ずかしながら私が富士山を初めて見たのは、大学受験のために上京した折であった。以来、東海道を列車で通るときは、いつも山側に席を取って富士山を眺める癖がついてしまった。そして暫し、富士山も海も見ることなく過ごした少年時代をほろ苦く思い起こすのだった。
 
 富士山を眺めてこんな想いに駆られるのは、久しぶりに小学校の同窓会に出たせいかもしれない。なにしろ私にとっては小学三年生以来の再会だった。幹事のK君が一年時の集合写真を持ってきてくれたが、友人は勿論、自分がどれかも判らなかった。  
  
      境涯は
      問わず語らず
      再会の友と
      ただ
      杯を傾ける

  これは昨年、二十年ぶりに旧友と再会したときの心境を詠った五行詩だが、この夜ばかりは勝手が違った。最初のうちこそ互いに遠慮してぎことなかったが、酒が回るにつれて佐久間弁丸だしの悪餓鬼に戻っていた。中学校長を歴任した後、現在は手広く茶園を経営しているKは恋女房との馴れ初めを声色入りで披露した。特殊溶接の技術を活かして介護用浴槽を製作しているWは奥さんを亡くした寂しさからフィリピン・パブの若い女性に数百万円入れ揚げ、息子と嫁から吊るしあげられたと笑いながら話す。それを聞いた木工工場主のYは、中小企業向けに受けた融資三百万円を競艇で三日間でパーにしたことがあったと自慢気に吹聴した。まるで競うように若い頃の懺悔話をするのも、現在が幸せなんだからだろう。この日の出席はクラスメートの約半分。十名近くが故人となり、」残りは自分か連れ合いが病気で出席できないということだった。まさに人生は様々である。
 
 翌日は東海道線で豊橋へ。駅まで高校同期のGが出迎えてくれる。京大出の遣り手の弁護士だがガチガチの保守派。此処には高校の先輩で慶応元教授のKがいるが、二人の相性が悪い。何年か前に三人で飲んだときに些細なことで、あわやという雲行きになったことがある。以来、二人を一緒にしないようにしている。「寿月」でご馳走になる。
 
 夜は豊川に出て妙巌寺(通称・豊川稲荷)に泊まる。この寺には若い頃、知客寮(しかりょう)に入って修業の真似事をしたことがある。方丈の福山諦法老師とは旧知だが、現在は大本山・永平寺の管主を兼務されていてお留守だった。飛竜頭、胡麻豆腐、もずくなどの精進料理が懐かしい。

 帰途、原宿で降りて積雲画廊で開催中の漫画家・岩本久則(いわもときゅうそく)さんの個展へ。今日が最終日だった。氏は環境保護、バードウォッチング、ホエールウォッチングでも知られ、特に鯨の保護に力を入れている。ナチュラリストH氏と一日違いで会えなかったのは残念だったが、居合わせたW教授と渋谷へ出て「駒形どぜう」で久闊を叙する。慌ただしい旅だったが、忘れ得ぬ思い出を残すことができた。

       (写真:左から同窓会、豊川稲荷本殿場、岩本久則さん)









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ある同級会

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 月曜から、また旅に出る。(股旅ではない again の意味である)今度の旅の目的は浜名湖々畔で開かれる同級会に出席するため。と言っても、そんじょそこらの同級会ではない。之繞付き、曰く付き、なにしろ小学校3年以来の同級会である。
 私の生れ故郷は長野県境に近い静岡県の佐久間だが小学3年生の途中から愛知県へ転校しているので、佐久間小学校の同級会へは一度も出席したことがない。ところが、先日とつぜん同級会の通知が送られてきた。追い掛けるように教え子のK子から電話があり、「驚いたでショウ、わたしが住所を教えたんだがネ」と言う。語尾のショウが尻上がりなのは長く名古屋に住んでいるからだ。大学受験に失敗した私は、たった1年だけ田舎の小学校で代用教員をしたことがある。K子はそのときの教え子で、ご主人とも親戚のように親しくしている。先日も鮎が食べたいと言ったら、小型冷蔵庫ほどもあるクーラーボックスに大量の鮎、ウルカ、鹿刺しなどを入れて送ってくれたばかりだ。このK子の姉が佐久間に嫁いでいて、実は送られてきた鮎も旦那が其処で釣ってきたものだという。
 ある日、K子が姉さんと昔話をしている中で私の名前が出た。すると脇にいた姉さんの旦那が、「村瀬先生って幾つぐらいかね」と聞いた。「私より十歳上よ」とK子が答えると、じゃあ転校した村瀬クンかもしれないということになり、話を進めると全てが符合した。なんと、K子の姉さんのご主人が私の同級生だったのである。…これが、とつぜん同級会の通知が届いた経緯である。

 それにしても、私のことを覚えているのだろうかと不安がよぎる。思案の末に、思い切って「通知」に名前の出ている幹事のHさんに電話をしてみた。
「ぼくのこと、覚えていますか」
「覚えているがネ、頭のいい子だったで」(ホントに、そう言ったのだ)
「Hさんって、下平だっけかネェ」(こっちも佐久間弁になる)
「違う、違う。わしんチは駅前だわいネ」
「あゝ、籠屋の…?」
「違うわいネ、鍛冶屋だがネ」
「あっ、鍛冶屋のアッちゃんかネ」
「そうだ、そうだ。待っとるでネ、きっと来ておくれんョ」
 たちまち、イガクリ頭のガキ大将の面影が浮かんできて、私の不安は消し飛んだ。

 このところ旅が続いて床屋に行っていない。ちらりと副級長だった色白で八千草薫に似たS子の面影が浮かんだ。(当時、八千草薫なんて居なかったちゅうの)―とにかく髪だけはさっぱりしておこうと、行きつけの床屋へ予約を入れる。ホテルには夕方までに着けばいいから、出がけに立ち寄っていこう。ところが…、明日は休みです。と言う。また、ちらりとS子の顔が浮かんだ。「じゃあ、今から行くよ。やってくれる?」「6時までにいらっしゃれば何とかします」…。

 床屋を出たら、とっぷりと暮れていた。家を出るとき珍しく暖かだったのでコートで来たのが失敗だった。寒い。大事を控えて(大袈裟だ)風邪でも引いてはと四谷左門町の「G」へ寄る。熱燗を頼むと、マスターが「おめかしで、おデートですか」(デートに、おを付けるな!)「ウン、明日はウン十年ぶりに初恋の人と、おデートだ」―癪に障るからコッチもおを付けたらマスターのヤロー、「まさか!」と言や~がった。ドドっと傷ついたけど、今夜は怒らない。と、いうわけで、また(股に非ず)しばらく留守にします。






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師・檀一雄を偲ぶ旅―能古島・瀬高・柳川

454.jpg檀一雄現在の寺の庫裏

 一面に広がる菜の花畑の背景に、博多湾の碧い海が光っている―数日前に見たNHKのライブそっくりの光景を目の前にして思った。 そうだ、あれを見た瞬間に、ここ能古島へ来ることを私は心に決めていたのかもしれない。ポケットから磁石を取り出して方位を確かめた。この景色は在りし日の檀一雄が眺めたものである。私は眼前に広がる景色に重ね合わせながら、檀が遺した文章を心の中で反芻していた。

「能古島の展望台から四顧すると、私の一生のそれぞれの時期がほとんど一望のうちに、アリアリと見えてくる。南には、青春時代を送った博多の町並みが横に長く伸びている。西には、律子を死なせた小田の浜が、太郎を肩車にして歩いた長い道がすぐそこに見えている。つまり、能古の山頂から四方を眺め回すと、私の生涯のほとんど全部の出来事が、はっきりと指差しながら点検できる」― 

 檀は1974年に能古島に自宅を購入し、月壺洞(げっこどう)と名づけた。その翌年に悪性肺腫瘍のため九州大学病院に入院。病床で「火宅の人」の最終章「キリギリス」を口述筆記で完成させたが、これが檀の最後の仕事となった。それから間もない1976年1月2日に世を去る。享年63歳の若さだった。能古島に滞在した2年間に檀はしばしば、この展望台に足を運び短い生涯を振り返っていたのであろう。
 糸島半島西の浦・小田の海辺を見霽かす自然探勝路の脇に、辞世の句を刻んだ檀一雄文学碑が建っている。小田浜は妻律子が闘病生活を続けた思い出の地である。陸軍報道班員として従軍した檀が敗戦で帰国したとき、律子は腸結核に罹っていた。彼女の希望で海の見える西浦村小田(現・福岡市西区)の波左間スエ方の2階に間借りする。ここでの痛ましい闘病と献身的な看病の1年間は、後に直木賞受賞作となった『リツ子・その愛』『リツ子その死』に詳しく記されている。

     モガリ笛
       幾夜もがらせ
         花二逢はん

 モガリ笛とは虎落笛のことで冬の季語。烈風が竹垣や電線などに触れてヒューヒュー鳴ることをいう。この句には様々な解釈がなされている。その中には下句に「二」という漢数字が遣われているところから、二は二人、即ち奥さんのほかに愛した女性を指すというものもある。しかし私は死期を悟った檀がゼイゼイと咳き込む自分の苦しい息を虎落笛に喩え、あと幾夜か苦しめばあの世で律子に逢えるという気持ちを詠んだと解釈したい。
 毎年5月の第3日曜日、この句に因んだ花逢忌(かほうき)が、この文学碑の前で催される。帰途、西の浦・小田浜までタクシーを飛ばしたが、人気のない浜辺に檀の痕跡を探すことはできなかった。

 翌日、みやま市瀬高町小田平田の善光寺を訪ねる。此処は律子の遺骨を片手に3歳足らずの長男の太郎を肩に負った檀が、沖の端の実家などを転々とした後に辿り着いた場所。親類の地元郷土史家・村山健治の紹介で、この寺の庫裏の荒れ果てた屋根裏部屋に逗留することになる。僅かな自炊道具と煎餅蒲団だけという悲惨な生活だったが、自然環境は暫し貧窮の苦しさを忘れさせた。当時のことを短篇小説『帰去来』の一説から窺うことができる。
―「部屋からの眺望は素晴しかった。筑後平原の一望の櫨(はぜ)が序々に紅く染まっていき太郎と二人、心ゆくばかり、眺め暮らした」―

 話は前後するが能古島の旧居跡に「つくづくと櫨の葉朱く染みゆけど下照る妹の有りと云はなく」という歌碑が建っている。櫨(はぜ)の木が真っ赤に色づいてきたが、今その下に佇んで自分に見せてくれ。最愛の妻は逝って悲しく切ないという意味である。この歌は善光寺で作られたもので、この境内に建っていてこそ相応しい。いま寺苑には児童文学者与田準一の書「壇一雄逍遙の地」の碑と「リツ子・その愛」が此処で書かれた旨の碑が、筑後平野を見渡せる静かな広場に建てられている。檀は律子の死で生きる望みを失っていたが、師の佐藤春夫や前記与田などの励ましで再び筆を執り、作家として復活を果たす。

 檀一雄を偲ぶ旅の最後の宿は柳川の「御花」。此処は柳川藩主立花氏の別邸だったところで、檀もしばしば訪れており、有明の珍味は檀の食エッセイ『わが百味真髄』でも取り上げられている。檀の墓は藩主立花氏の菩提寺・福厳寺に在る。妻・律子も此処に眠っており、彼女に対する檀の想いの深さが偲ばれる。檀は「火宅の人」のモデルとなった女優の入江杏子や“小森のおばちゃま”こと小森和子など多くの愛人と浮名を流し最後の無頼派文士と言われたが、結局は最初の妻・律子の許へ帰って行った。
 どの資料を見ても檀一雄の生地は山梨県となっているが、実質的な故郷は柳川である。繊維工業試験場技師という父の職業の関係で各地を転々とした。4歳くらいまで東京の下谷で暮し、5歳から6歳まで福岡の鳥飼、7歳から 9歳まで久留米市の野中、その後10歳から16歳まで栃木県の足利と親の転勤のたびに、あちこち移動していた。10歳の時に母親の家出により3人の妹は、柳川の白秋生家の隣の祖父母の家に預けられていた。お正月が近づくと、檀自身も父親と一緒によく柳川に帰省していた。白秋の生家は酒造業で現在も記念館として保存されているが、檀の祖父母の家は痕跡をとどめていなかった。
 柳川市の川下りコース沿いに檀一雄文学碑が建っている。碑には「ムツゴロ、ムツゴロなんじ佳き人の潟の畔の、道をよぎる音ささやきたるべし、かそけく、寂しく、その果てしなき想いのきゆる音」と有明潟のムツゴロウの歌が刻まれていた。(

  (写真:小田浜より能古島を望む、辞世の句碑、『リツ子・その愛』を書いた善光寺の庫裏)

 今度の旅で、私の笈中には檀の『風浪の旅』(山と渓谷社)が忍ばせてあった。映画「火宅の人」で主要テ―マ部分をなす松阪慶子演じる行きずりの女性トクコは、この本の中の「小値賀(おじか)の女」という短編を切抜きしたものである。小値賀は五島列島の地名で、できれば其処まで足を伸ばしたかったが今回は時間切れ。次回を期したい。

 来週から、再び旅に出ます。







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by 杜の小径  at 06:03 |  日記 |  comment (12)  |   |  page top ↑

お知らせ & お願い

                2009_0309_084413-IMG_0163.jpg

 明日から旅に出ます。ほんとうは今日からの予定でしたが急な用事ができて、出発が明日になりました。特に目的のある旅ではありません。本格的な桜の季節が始まる前に、好きな場所を心の赴くままに歩いてきます。毎年のことです。週末に予定したワークショップがあるので一旦帰宅しますが、再びすぐ旅に出ます。延べ半月近くになるでしょう。旅の途次、特にご報告するようなことは無いと思います。むしろ無いことを望んでの旅なのです。万が一、何かおもしろいことに出逢いましたら、後で纏めてご報告します。一応、ノートパソコンは持参しますが、書き込みはできないと思います。ご了承ください。

 パソコンといえば困ったことが起きました。今月の初めに新しいものに買い替え、全部をバックアップしたつもりでしたが、住所録だけが滅失していました。今年は服喪中で年賀状も戴いていないので、その復旧をどうしたものか途方に暮れています。洵に厚かましいお願いですが、心ある方はご住所をメールでご一報戴けないでしょうか。お願い申し上げます。






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by 杜の小径  at 09:42 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

楊静(Yang Jing)コンサートへ

   楊静さん    中国琵琶    2009_0308_145123-IMG_0143.jpg

 狛江エコルマホールで行われた楊静(Yang Jing)のコンサートへ。この企画に関わっている書家で俳人でもある田坂州代さんのお招きによるもの。楊静さんは中国河南省出身で、現在スイスに住んでいる中国琵琶奏者。作曲家の三木稔さんに見出され、氏の作曲した「源氏物語」のアメリカ公演で主演したのを契機に世界的に才能を認められ、現在はヨーロッパを中心に活躍している。三木稔さんが住んでいる狛江市が音楽の街つくりを目指して「夢コンサート2009」を開催するに当たり、恩師の誘いで特別ゲストとして参加したもの。

 亀茲舞曲(シズカ楊静作曲)は、新疆ウイグル自治区にあるオアシス都市『クチャ』を描いた曲らしい。クチャはシルクロードの歴史でも他に類を見ない程古代から非常に音楽が盛んで、そのレベルは他の国と比べても最高級であったらしい。あのシルクロードを渡った高僧として知られる玄奘三蔵も、「亀慈国(クチャ)の管弦伎楽は他の諸国からもはるかに優れている。」 と絶賛したと伝えられている。昔も今もクチャはシルクロードきっての音楽の都としてその名を知られている。楊静さんの作曲・演奏も、その名に恥じない素晴らしいものだ。NHK特番『シルクロード』に出てきたクチャの街の様子が、頭の中に蘇って来るようであった。

 それにしても中国琵琶は凄い! 三木氏の解説によると、日本の琵琶と違い、發(ばち)を使わずまるでフラメンコギターのように指(右手の全ての指先にプラスチック製のピックをはめている)を駆使し、単音を中心としたソロ演奏する。
 フレット(日本では柱という)は日本の琵琶のそれよりはるかに多く30フレットもあり、ローポジションから相当なハイポジションまで満遍なく弾き分けている。時折絶妙なタイミングでハーモニクスを入れたりもする。トレモロが多いが、それも人差し指と中指の2本指だけによるもの、それに薬指をくわえた三本指によるもの、人差し指だけによるホルタネイドピッキング(ダウン、アップと上下連続でピッキングすること)など、様々である。驚いたのは左手の人差し指、中指、薬指で一番下の弦を開放(何処も押さえない、という意味)でトレモロし、同親指で2,3,4番目のハイポジションでメロディーを弾くものである。そればかりではない。左手で同じく一番下の弦を開放でトレモロし、右手でボディを叩いたりなどもする。私はギターをやっているが、私が知っている限りでこういうトレモロはギターでは未だかつて一度も見たことはない。私の隣席に母親に連れられた二人の小学生がいて開幕までは騒ぎ回っていたが、楊さんお演奏が始まると石のように沈黙して聴き入っていた。腕白坊主どもさえ黙らせるほどの神技だったと言えよう。アンコール曲は「ワタシ、日本ト オ酒ダイスキデス」と片言の日本語で挨拶して即興の「お酒」を演奏。曲中に「黒田節」のメロディを挿入して聴衆の拍手を誘う茶目っ気もある。久しぶりに心から感動した演奏会であった。

 「夢コンサート2009」の他の出演者は以下の皆さん。。
   三塚幸彦・大河内淳矢・戸川藍山(尺八)
   木津陽介(クラリネット)
   渡辺文子(ピアノ)、
   名古屋木実(ソプラノ)、
   牧野眞弓(ピアノ)
   渡辺正子箏アンサンブル、イズミ・スウイング・オーケストラ
   特別ゲスト 三木稔(作曲家)

   (写真:楊静さんと三木稔さん、演奏する楊静さん、アトラクション演奏)

   *お知らせ―明日から、また旅に出ます。しばらくブログを休みます。









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by 杜の小径  at 22:44 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

季節のことば補遺―マンサク

まんさく ベニバナマンサク

 四日のブログ「エナガの寝ぐせ」のところでミツマタについて触れ、「春の訪れを待ちかねたように咲くので万葉集ではサキサクと詠まれている。先咲くの意である」と書きました。これについて、「先ず咲く」が語源の花はマンサクではないかという ご質問がありました。
 その通りです。「先ず咲く」が東北地方の訛りで「まんずさく」と呼ばれたと考えられています。『草木図説』(飯沼慾斎著・画 1856年刊)にも「まづ咲くの意ならん」と記してあります。他の花に先駆けて咲くということから東北の一部では福寿草をマンサクと呼んでいる処もあります。そもそも古代の植物名は必ずしも現代の名前とは一致していないことが多く、例えば万葉集ではキキョウをアサガオと詠んでいます。

 水原秋桜子に「まんさくや小雪となりし朝の雨」という句があるように、寒い地方では雪の中でマンサクの花を見ることも珍しくありません。私が先月はじめに東京湾の野鳥公園を訪れたときには観察路にベニバナマンサクが咲いていましたが、もう散ってしまったでしょう。ベニバナは異種で、普通は黄色い花です。紐状の花がびっしり付いた様子が稔った稲に似ているところからマンサクと呼んだという説も有力です。漢字表記も一般に満作となっています。
「金縷花や帽を目深に中学生」(展宏)―この句のように、俳句では金縷花と書いてマンサクと読ませています。縷は細い糸のことで、花を金糸に見立てたものでしょう。中国伝来の言葉で正確にはシナマンサクを指しますから一般には遣わないほうがいいでしょう。金糸で思い出しましたが、河合雅雄に「マンサク」という随筆があります。今日は、その一節を紹介しながらお別れしましょう。

 早春にいち早く咲く花、それがマンサクだ。夜のうちに白く薄化粧した雑木林に、やわらかな朝日が光りを投げかけると、立ち並ぶ裸形の木々につつましく金粉を散らして春のさきがけを告げる。短冊形のちぢれた四枚の金箔を、糸でしばって葉脈にくくりつけたようなかぼそい花が数個、体を寄せ合って寒風に凛々と揺れる。
 林床にはカタクリが紫の褥を敷き、春の精さながらにギフチョウが舞う。金箔の根元を臙脂色にぼかし、マンサクは小意気なしつらえを工夫していても、蝶は見向きもしてくれない。いや、大柄な花模様が覆いかぶさるのは不釣り合いで、ごま粒の小虫たちのささやかな蜜の宴こそ似合わしい。

(写真:左からマンサクの花、ベニバナマンサクの花)






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by 杜の小径  at 05:33 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

季節のことば―啓蟄(けいちつ)

              ヒキガエル

   啓蟄や書架這ふ蟻の行き止まり(杜詩夫)

 きょう五日は二十四節気のひとつ、啓蟄。難しい漢字だが最近は春の訪れを表すことばとしてテレビなどでも盛んに取り上げているから、KMの麻生さんでも読めるだろう。
 啓はひらく、蟄は冬籠り中の虫のことだから、啓蟄は暖かくなって地虫などが地中から這い出して来ることをいう。俳句では人気のある季語で、これを遣った秀句も多い。「地虫出づ」「地虫穴を出づ」、「蛇虫穴を出づ」、「蟻穴を出づ」、「蜥蜴出づ」などの類語がある。

   啓蟄の雲にしたがふ一日かな(楸邨)
   啓蟄の空をゆすりて桂川(南草)
   東山はればれとして地虫出づ(草城)
   蛇穴を出てまぎれなき女人かな(柊花)
   とかげ出て腹温めをり座禅石(京子)

   啓蟄の蟇(ひき)
   落日に真向かいて
   あるいは
   我よりも
   深き想い(五行詩―杜詩夫)





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by 杜の小径  at 12:00 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

エナガの寝ぐせ

       ミツマタ  enaga-queue0803.jpg

 昨日は野川の源流、国分寺跡の真姿の池まで足を延ばしたが、今日は下流に向かって二枚橋まで歩く。水面近くまで枝を垂らした花に逢う。梅だ。加賀、豊後などの品種は既に花季を終えたが、薄桃色の枝垂れ梅は今が盛り。遊水池近くに淡い黄色の花が咲いていた。地味な花で危うく見過ごすところだったが、近づくとミツマタだった。この木は枝が必ず三つに分岐するため、この名が付けられた。漢字では三又とか三股と書かれることが多いが、正しくは三椏、椏は木の枝分かれの意味である。春の訪れを待ちかねたように咲くので、万葉集では次の例歌のように「サキサク」と詠まれている。「先咲く」の意である。

「春されば先ずさきさく(三椏)の幸くあらば後にも逢わむな恋ぞ吾妹」(柿本人磨呂)

 二枚橋を渡って野川公園北口からバード・サンクチュアリに入り、今日の目的であるエナガを探す。カワセミやオオルリなどの華麗な野鳥もいいが、小さなエナガは私の最も好きな野鳥のひとつだ。全長は14㌢ほどでスズメより少し小さい程度だが、その半分以上は尾羽根だから体自体は8㌘ほどしかない。日本でいちばん小さい鳥はキクイタダキで体重は5㌘ほど。その次に小さいのがエナガだ。ちなみにスズメは20㌘前後である。
エナガの巣作りは早くから始まり、先月には巣材の羽毛を口いっぱい咥える姿が観られた。エナガの巣は袋状で外装はコケをクモの糸で綴った独特の作りで内装には他の鳥の羽毛や動物の毛を大量に敷き詰め、木の股などにくくり付ける。

 ジュルリ、ジュルリという特徴のある鳴き声が聞こえる。長い尾羽でバランスをとりながら小枝の先に逆さまにぶら下がり、昆虫やクモを捕食している。こんなアクロバットのような動きができるのはエナガだけである。
 居た! やっと目的の一羽を見つけた。首が痛くなるのを我慢しながらエナガのサーカスを追い掛け続けたのは、この一羽、尾羽根に寝ぐせのついたエナガを見つけためだった。壺状の巣の底に卵を産むから、抱卵すると尾羽の先が寝ぐせがついたようにくるりと曲がる。この調子だと、あと半月も待てば雛が見られるだろう。いつの間にか霧雨が降り出し、風がひときわ冷たくなった。が、心の中には温かなものが吹き過ぎて行った。
 エナガは抱卵も子育ても雄雌が共同で行い、時として卵を産まない雌がヘルパーとして子育てを手伝うという珍しい習性がある。そのお話は、いずれ次の機会に…。

        (写真:左からミツマタの花、寝ぐせのついたエナガ)









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ある日記

                2009_0303_112920-IMG_0142.jpg


 しばらく日記を書かなかった。三河万歳の源流を調べるために愛知県三河地方を旅していたこともあるが、大きな理由は日記を書く意欲が萎えてしまったことにある。怖くなったと言ったほうがいいかもしれない。きっかけは、ある男が自分で主宰する文芸雑誌12月号に掲載した日記を読んだことである。些か旧聞に属するが、私の目に触れたのは最近だった。私は同誌の同人ではないが、期せずして二人の同人からコピーが送られてきた。一人は悪筆の見本だからと、他の一人は書かれた内容に憤慨してのものだった。読み始めたが不愉快になって途中で止めてしまった。そんなに嫌ならさっさと辞めればと思うのだが、人の心は解らない。この男が昨年の夏に自作を特集したときも数人の人から、あまりにもひど過ぎると泣き言を言ってきた。たしかにひどい代物だったが、幹部同人の中には絶賛した御仁もいたそうだから、もはや文芸結社というより新興宗教のような集団と化しているのであろう。教祖サマの御託宣なら支離滅裂でも誰一人文句も言わず拝読しているのであろう。

 さて、お前はどうなんだと言われる前に言うが…私も自分のブログに日記めいた駄文を発表してきた。私の場合は友人から、訪れる人も居ない辺境のブログと揶揄されるほどの存在で、数千人(たぶん)の同人を擁する大結社の主宰サマとは比ぶべくもない。が、以て他山の石としたい。私は日記のすべてを公開しているわけではない。なるべく当たり障りの無い野鳥や山野草などのことを書くようにしているが、時には筆が奔ってしまうこともある。―いったい私は何のために日記を公開しているのだろう。その ignificant が判らなくなった―というのが現在の心境である。





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