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イタドリ抄

コピー ~ いたどり 
 
   虎杖(いたどり)を噛めば杳けし幼き日(杜)
 
 幼時を草深い田舎で過ごしたので、イタドリに関わる思い出が多い。額に残る傷痕はイタドリを採ろうとして崖から転げ落ちたときのものだ。こんな大怪我は別にして、ちょっとした切傷くらいはイタドリの葉を揉んで血止めにした。これはどの地方でもやっていたらしく、イタドリの語源をイタミトリ(痛み取り)とする説もある。
 筍に似た若芽は噛むと酸っぱい味がして、田舎の子には格好のオヤツだった。都会で暮らすようになってもその味が忘れられず、春先の登山や渓流釣のときには必ずイタドリを採ってきた。結婚早々のころ妻が真剣な顔で、もうイタドリは持ち帰らないでと言う。訳を訊くと、市のゴミ蒐集係が大量の葉や皮を見て、「この家はよほど困っているらしい。草を食っている」と話し合っていたという。それ以来、葉や皮は山に捨ててくることにしたが、イタドリ採りは止めなかった。ちょっぴり苦い、いや酸っぱい思い出である。
 
 独り身になってからも、「イタドリ狂い」は続いた。何年か前、麹町倶楽部の皆さんと高知へ旅行した折、名物の青空市場でイタドリを見つけた。婆さんが筵の上に並べて、それだけを売っていた。イタドリが商品になることを初めて知った。聞けば高知ではキンピラ風に炒めて食すると言う。全部買うから宅急便で送ってくれと頼むと、それはやったことが無いと素っ気ない。たしかにイタドリを買い占めて宅急便で送る客は滅多に居ないだろう。だが、ここで諦めては男が廃る。(大ゲサ…)道路の向かい側で凸ポンというミカンを売っている親父に「それ一函買うから一緒に、あのイタドリも送ってくれ」と頼み込む。はじめは驚いたようだが婆さんと顔見知りらしく、苦笑しながら「いいよ」と言ってくれた。段ボール一杯のイタドリをキンピラには出来ないから二日がかりで塩漬けにし、半分は自宅の冷凍庫へ。残り半分は嫁いだ娘に渡した。彼女は親に似ず出来の悪い娘だが、イタドリ好きだけは遺伝したらしく喜んで取りに来た。

 先日の白馬行では道の駅でタラの芽やギョウジャニンニク、コシアブラなどは手に入れたが、イタドリにはお目にかかれなかった。そこで今日は、予てから目をつけたおいた場所へイタドリ狩りに…。丸々と太ったのを折るとポキンと音がする。あの音は快感だ。幼児語でイタドリをスカンポと呼ぶのは、この音からきているのだろう。スイバをスカンポと呼ぶ人もいるが、あれはポキンと音がしないから誤りだと思う。
予想以上の収穫で処理に夕方までかかった。時間があれば他の調理法もあるが、明後日からまた旅に出るので取り敢えず全部を塩漬けにした。だが、私もイタドリ党に入りたいという奇特な方のために、特別な我夢流レシピを一つだけ紹介しておこう。

 貴方はルバーブを食べたことがありますか? 漢方で言うダイオウ(大黄)のことで、『赤毛のアン』には、ルバーブゼリー"rhubarb jelly"が出てくる。東京では荻窪と吉祥寺の自然食品店グルッペや青山の紀ノ国屋スーパーなどでしか売っていない高級野菜なんですよ。実はイタドリで、このルバーブ以上に美味しい高級ジャムが作れるのです。
作り方は簡単。①先ず茎を茹でてから30分ほど水にさらす。②次にザクザクと2~3センチの長さに切り、砂糖を加えて煮る。③茎がクニャクニャになれば出来上がり。このジャムに牛乳を注ぎながら混ぜていくと、牛乳がイタドリの酸味でみるみるうちにヨーグルトのように固まっていく。一度試して下さい。

 ところでイタドリを漢字で虎杖と書くことは知ってましたか? 僕はむかし俳句を齧っていたから春の季語として知ってはいたが、字源の意味は解らなかった。鼠を捉らえ損なった猫が足を挫き、イタドリの杖をつくならともかく虎の杖にしては小さ過ぎるとバカなことを考えていました。(汗)
 ところがところが、天下に隠れなき才媛と云われた清少納言が、同じことを考えていたのですゾ。『枕草子』に、「みるにことなる事なきもの、文字に書きてことごとしき」ものの一つに、「いたどりはまいて、虎の杖と書きたると、杖なくともありぬべき顔つきを」と書いている。即ち見た目には格別な事がないのに、文字に書くと大げさなものになる例に虎杖を挙げ、虎は杖がなくてもよさそうな顔をしていると書いているのある。実は虎杖とは漢名で「杖」は茎、「虎」は若い芽にある紅紫色の斑点が虎のまだら模様の皮に似ていることを指しているのである。仮名文学では紫式部と双璧をなした清少納言さんも、漢字のほうは疎かったのかな。旦那の摂津守・藤原棟世は漢学の素養も極めた教養人。寝屋の睦言のついでに「ねぇ、あなたちょっと教えて」と言えば良かったのに…。いつの世でもプライドの高過ぎる女性は扱いにくいということだろうか。

 明後24日早朝から再び旅に出て、帰宅は月末か来月早々の予定です。それまで皆さま、ご機嫌よろしゅう。改天見 再見再会(カイティシェン ツアイシェンツアイフォウ)

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by 杜の小径  at 22:09 |  日記 |  comment (3)  |   |  page top ↑

山恋い

             山恋い

 白馬から戻って未だ三日も経っていないのに、私は、もう次の山行きを考えている。山と言っても脚が完治していないのでピークを極めるのは難しい。麓から白く輝く山頂を仰ぐだけでいい、山肌を吹き下りてくる冷たい風に触れるだけでいい。まあ、言ってみれば「山恋い」、叶わぬ恋に胸を焦がすようなものだろう。神保光太郎にこんな詩がある。今の私の心境だ。

   山を降りて
   背嚢(リュック)を絆いた夜
   私はもう
   再び山に帰りたくなってゐた
   壁に
   陳(なら)んでゐるかずかずの書物も
   みんな
   昨日までくらしてゐた山の貌(かたち)となって
   私を呼ぶのであった
   (後略)

 これまで何十回となく山へ行ったが、今回は或る意味で忘れ得ぬ思い出となった。ロッジでは皆が一緒に食事をするのだが、夜食が終るころ電灯が消され、赤い蝋燭が灯された。とつぜん歌いわれ出した「Happy birthday」。昼間、何気なく洩らした「今日は僕の誕生日」という一言を聞いた同宿舎の提案で密かに誕生祝いを計画してくれたらしい。蝋燭は使いかけの古いもの。ケーキ代わりに信玄餅が一つずつ配られた。名前さえろくに知らない間柄なのに…皆さんの行為に感激した私はマスターに酒を頼み、返礼として于武陵の詩を井伏鱒二の訳と共に吟じた。人前で詩を吟じるなど、嘗て無かったことである。

  勸君金屈卮,(君に勧むきんくつし)
  滿酌不須辭。(満酌辞するをもちいず)
  花發多風雨,(花ひらいて風雨多し)
  人生足別離。(人生別離るるに足る)

  この盃を受けてくれ
  どうぞ、なみなみと注がしてくれ
  花に嵐の例えもあるぞ
  さよならだけが人生だ      

「さよならだけが人生だ」は名訳である。一期一会こそ人生だと、最近つくずく思うようになった。そうした意味で、柳瀬丈子さんの作品は心に残る佳作である。

  明日は もう
  此処を
  発とう
  自分の匂いが
  淀んできた

 人は「自分の匂いが淀んできた」ことに、なかなか気付かない。或る日、それに気付いて愕然とするのは未だ良いほうで、死ぬまで気付かない人が多いだろう。自分の匂いが淀まないためには一期一会で生きるしかない。人間の絆を断つことである。『人間の絆』と言えばサマーセット・モームに、こんな文章がある。

「人生も無意味なら、人間の生もまた空しい。生まれようと、生まれまいと、生きようと、死のうと、なんのそれは意味もない。生も無意味、死も無意味・・・・あたかも絨毯の織匠が、ただ彼の審美感の喜びを満足させるためだけに、あの絵模様を織り出したように、人もまたしのように人生を生きればよいのだ。ひっきょう人生は、一つの絵模様に過ぎない。特にあることをしなければならないという意義もなければ、必要もない。すべては彼自身の喜びのためにすることだ。・・・・フィリップは、幸福への希求を棄てることによって、彼の最後の迷妄を振り捨てた」(中野好夫訳、新潮社)

 彼が何歳のときにこうした境地に達したのかは知らないが、信仰を持てない私のような人種にとって一つの救いであるかもしれない。とは言うものの、「友を捨て、恋人を捨て、汝独り落莫たる荒野に立て」というショウペンハウエルの言葉に感動しながらも、翌日には寂しくなって友人に電話して飲み屋に誘う私である。「山恋い」が精一杯で、とても人間の絆は断ち切れそうもない。





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by 杜の小径  at 07:22 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

居谷里(いやり)湿原

ホソバサイシン  

居谷里湿原も二度目の訪問。若い頃に長野県教育委員会が主催した自然教育指導者講習会で参加したことがある。当時のことは殆ど思い起こせないが、初めて見たヒメギフチョウだけは忘れられない。当時既に、この蝶の食草ホソバサイシンが絶滅しかけていた。探し回って1株だけ見つけたが、時期が早いせいかヒメギフチョウにはお目に掛かれなかった。

 ツルウメモドキ、ハンノキ、イソノキなどの中で一際目立つのがカスミザクラとハナノキ。二つとも遠くからは薄く霞んだように見える。前者は淡墨色、後者は薄紅色に…。カスミザクラは幹に特徴があり、横縞が入っている。ハナノキは梢部分に花が付いていて目立たないが近づいてみると小さな花が可憐だ。

 帰途、渡辺さんが「エムオだ」と叫ぶ。指さす枝にマヒワが止まっていた。エムオとはM尾の意味、即ちマヒワの尾が魚のようにM型に切れ込んでいるということだった。また一つ利口になった。やはり自然観察には優れたガイドが必要だ。

 大峰高原の展望台から北アルプスの眺望を楽しんだ後、焼きカレーで遅い昼食を摂り、大町駅まで送っていただく。渡辺さんと再会を約して「あずさ26号」に乗る。

        (写真:左からホソバサイシン、カスミザクラ、ハナノキ)








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by 杜の小径  at 05:11 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

姫川源流へ

2009_0417_074630-DSC_0147.jpg
 
ポォーポォーというフクロウの鳴き声で目が覚めた。窓の外は未だ暗い。渡辺さんの話ではロッジに隣接する湿原林の奥にフクロウが棲んでいるということだ。もう一度寝ようとするがお腹が空いて眠れない。このところ一日三度の食事を一種の義務感で摂っていたが、久しぶりの空腹感である。1日7,8㌔のトレッキングのせいだろう。気持ちがいい。
 1時間ほどしてから1階のリビングルームに下りてみる。暁暗の中で動くものがいる。シラカバの幹に金網で縛りつけた脂身にアオゲラがしがみ付いている。見ると直ぐ横の雪折れしたシラカバにもアオゲラが止まっている。前に来たのが食べ終わるのを待っているらしい。なかなかお行儀がいい。突然、樹林の梢を黒い影が走った。目を凝らすとリス。給餌台近くの木につかまったまま暫くじっとしていたが、人の気配を感じたのか再び梢を伝って何処かへ消えた。

 今日は車で姫川源流へ向かう。車がカラマツの林に入ったとき茶色の影が樹間を横切る。はじめはネコかと思ったが、一瞬立ち止まって振り返った姿はキツネだった。渡辺さんによるとキツネなどは珍しいことではなく、昨冬は親と逸れたカモシカの仔がロッジに迷い込んで来たという。そういえば途中に「熊が出ます。注意して下さい」という看板も出ていた。

 優しい名前に反して姫川は暴れ川だ。随所に大規模な崩落の痕が見られる。旧千国街道の面影を残す北小谷やダムサイトに車を停めて、ミヤマキケマン、アズマイチゲ、フユノハナワラビ、イワハタザオ、ホソバサイシンなどのほか、漸く綻び始めたエドヒガンザクラ、オクチョウジザクラなどを観察する。

 姫川源流域に入ると目に付くのはフクジュソウの群落。30年前に訪れたときは初夏で、腰まで伸びたフクジュソウを掻き分けるようにして源流に近づいたが、現在は木道が整備されて、軽装の女性がスケッチブックを広げていた。こんな処にも時代の変化は著しい。水源は一面に茂ったバイカモの間から清冽な清水が滾々と湧き出ていた。あの暴れ川の源流がこれかと、ちょっと不思議な感慨に襲われる。水源一帯に帰化植物のクレソンが茂っていたのが些か興醒めだったが…、30年前には無かった光景だ。
 隣接する親海(およみ)湿原にも木道とチップを敷いた遊歩道が設えられ歩き易くなっていた。ミズバショウ、ザゼンソウのほかにミツガシワの新芽が湿原を埋めていた。これが白い花を付ける6月ころ、もう一度訪れてみたい。

 夕方ロッジに戻ると、給餌台の陰からテンが顔を出していた。今日の温泉はSさんが白馬大雪渓直下の「おびなたの湯」へ案内して下さった。木流川に沿った湯は10㍍ほどの岩盤から源泉が流れ落ち、脱衣場の横が直ぐ露天風呂で白馬連峰の残雪を眺めながらの入浴は最高の気分だった。

              (写真:左からアオゲラ、リス、キツネ)








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by 杜の小径  at 05:03 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

落倉湿原と風切地蔵

風切地蔵 2009_0415_141026-IMG_0335.jpgミズバショウ群

木崎湖、青木湖の周辺には落倉湿原、居谷里湿原、唐花見湿原、親海湿原など多くの湿地群がある。最初に訪ねたのは栂池の落倉湿原。ここはミズバショウ、ザゼンソウ、リュウキンカなどの水生植物が見ごろで、数は少ないがショウジョウバカマも可憐な姿をみせていた。
 
 私には、この湿原の入口近く、旧千国(ちくに)街道沿いにひっそりと立つ古ぼけた地蔵に関心があった。その名は風切地蔵。風害や疫病除けの地蔵と伝えられる。実は風切地蔵は他にもある。一つは白馬岳に連なる小蓮華山の山頂、もう一つは鬼無里に近い古街道の柄山峠に在る。落倉の地蔵は小蓮華山の地蔵を背にして、真っ直ぐ柄山峠を向いている。脇に建つ由来説明にも両者を結んだ線上に落倉の風切地蔵が建てられていると書いたある。この線で結界を形作っているお陰で、昔から風水害や冷害などが少ないと伝えられている。おもしろいのは地蔵の向きと冬至との関係で、小蓮華山から落倉、柄山峠の風切地蔵の方向は方位角118度で、 これはちょうど冬至の太陽が昇ってくる方向となる。つまり、小蓮華山から地蔵峠を結ぶ直線では、その上に位置しているポイントからは、同じライン上の南東方向のポイントは冬至の日の出の方向に一致しているというわけ。冬至は古代の太陽信仰では、 その日に太陽が死に、翌日、再生して生まれ変わる日とされる。こうしたところにも農民の祈りの深さが読み取れる。僅かな耕地で命を繋いできた農民たちは風 害、冷害に対して、ただ祈るしかなかったのである。この湿原の中央には立派な大山祇(おおやますみ)神社が祀られている。この神の使いは山犬(日本狼)である。狼が人間を襲わないように、また熊、猪、猿などから農作物を守ってくれるように、狼にさえ祈りを捧げてきたのである。
昼は渡辺さん推薦の店「山人」で名物の蕎麦を食べる。

(写真:左から風切地蔵、大山祇神社、ミズバショウの群落)





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by 杜の小径  at 04:52 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

白馬紀行―花と野鳥を尋ねて

           白馬三山

 この季節に中央線に乗ると、車窓から春の移ろいを観ることができる。東京を出るとき散り始めていた桜は諏訪辺りでは満開。塩尻峠をトンネルで抜けると、未だ五分咲きの桜が目立つ。左手に青木湖が見えるようになると、線路脇には残雪が堆く、桜は蕾のままである。
白馬駅に降り立つと、青空にくっきりと白馬、杓子、鑓ヶ岳の白馬三山が浮かんでいる。そこから眩いほどの陽光が降り注いでいるのに、襟元を過ぎる風は刃物を当てられたように冷たい。

「いらっしゃい。お疲れさまでした」
 今回の旅のベースキャンプとなる「夢の山小屋 にほめの一歩」のご主人渡辺浩平さんが車で出迎えていて下さった。彼は白馬岳直下の落倉高原でロッジを経営する傍ら、毎月季節に合わせた自然観察会を催し、自らガイドを努めている。「夢の山小屋」というのは彼が自分で付けたキャッチフレーズで、実際は個室に浴槽、トイレを備えた立派なペンションである。
 車が高原地帯にかかったところでアトリの大群に出逢う。車窓からレンズを向けると、「小屋に着けば焼き鳥ができるくらいいるよ」と、相変わらず口が悪い。久しぶりの訪問だがマンサクとダンコウバイが咲く門や、ハンノキ、ヤチダモ、シラカバ、カラマツなどに囲まれた佇まいは以前と少しも変わっていない。
 二階の個室に荷物を下ろしてから一階のリビングでマスター自慢のコーヒーをいただく。彼は此処でロッジを拓くまで自由が丘で喫茶店をやっていたのでコーヒーの味は一流。

 林に面したロッジの窓は総ガラスになっていて、裏庭に接した湿原が一望できる。ミズバショウ、リュウキンカが咲いていて、野鳥の囀りが絶え間なく聞こえてくる。夕飯までの数時間に窓から観察できた野鳥は十種類近かった。
 各室に浴槽が、地下には男女別の大浴場もあるが、せっかく温泉のメッカにきたのだから、できれば温泉へ行きたい。ところで同宿者は東京の野鳥の会の皆さん12名。その中のSさんはスキーと自然観察が趣味で大型のキャンピングカーで奥さんと共に全国を回っておられる。今回も車で来られたので、滞在中は自ら運転して倉下の湯とか白馬温泉へ連れていって下さる。姫川に注ぐ松川のせせらぎを聞きながらの露天風呂は、旅の疲れを癒してくれる。

         (写真は白馬三山。左から鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳)





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by 杜の小径  at 04:44 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

季節の花―ハナミズキ

HANAMIZUKI.jpg ハナミズキ白 ハナミズキ秋

  
 立川発7時54分の「あずさ3号」に乗るためには、国分寺駅に7時半までに着かなければならない。いつもより早くベッドに入ったのがいけなかったのか、なかなか寝付かれない。何時ころだろうと、TVを点ける。午前2時を回っている。NHKで「にっぽん 木造駅舎の旅」というのをやっていた。大分県日田彦山線の夜明駅。駅名は当駅開設当時に存在した日田郡夜明村にちなむ。「夜明」の地名は、焼畑開墾地であることから最初は夜焼(よやけ)と付けられたが、「焼」の発音を嫌って夜開(よあけ)、夜明(よあけ)の順で改字されたことによる。一時は縁起の良い駅名だと鉄道ファンが訪れたが駅名ブームが去ると1日の乗降客は数十人しかいないと、切符売りを兼ねる駅前の雑貨屋の老夫婦が嘆く。夜明駅の紹介は終ったが夜明けは遠い。このまま眠らずに夜明けを待つことにしよう。
 
 浴室のスイッチを入れて戻ると、インターバルで東京周辺の花巡りで大宮公園のハナミズキを紹介しており、バックに一青 窈の「ハナミズキ」が流れていた。

  空を押し上げて
  手を伸ばす君 五月のこと
  どうか来てほしい
  水際まで来てほしい
  つぼみをあげよう
  庭のハナミズキ
 
 空を押し上げるように咲くピンクのハナミズキ。私がこの花の名前を初めて知ったのは、大学を出て法務省に務めた頃である。毎朝、有楽町駅で降りて晴海通りから桜田門に向かうのだが、途中で日比谷公園を抜けるのが近道だった。有楽門から公園に入ると直ぐ左手に心字池があり、その傍の薄暗い木立の中にハナミズキが1本立っていた。2㍍足らずの薄汚れた木だったが、脇に立派なプレートが建っていて、花の名前と謂れが記されてあった。明治の終わり頃、当時の東京市長尾崎行雄がサクラの苗木をワシントン市に寄贈した返礼として贈られたという。その後何年もこの前を通ったが、この木が花を付けているのを見かけた記憶が無い。それほどアン・ポピュラーな花木だった。 
 
 後に結婚して所沢市に住むようなったとき、街の至る処でハナミズキを見かけるようになり、新興の街並には花水木通りまでできた。いま住んでいる小金井市にも街路樹にハナミズキを植えた通りがある。この花がこんなに持て囃されるようになったのは、ここ20年くらいの間ではなかろうか。
 
 約100年前にアメリカから贈られたとき、木の名前を何と訳そうか困ったそうだ。英語では dogwoodと言う。木の皮を煎じて犬のノミ退治に使ったことに拠るらしいが、まさか
「犬の木」とは呼べない。日本に自生するヤマボウシと同じ仲間だからとアメリカヤマボウシということになった。このヤマボウシは、ミズキ科の日本固有の花木で、中央の丸い、 花穂を坊主頭に、4枚の白い花びらを白い頭巾に見立て、比叡山延暦寺の山法師(僧兵)に
擬えて付けられたもの。
 ミズキの仲間にはトサミズキ、ヒュウガミズキなどがあるが、ぼつぼつ旅支度にかからなければならない。続きは何れ改めて…。

        (写真:左からハナミズキ赤花、同白花、秋のハナミズキ)






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by 杜の小径  at 05:13 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

社中展続報

      2009_0413_180840-DSC_0090.jpg       2009_0413_170812-DSC_0079.jpg

 10日から神楽坂のAYUMI GALLERYで開かれている寺本一川さんが主宰の「みずくき書道会」の社中展(心の言の葉・春の創作書展)が盛況である。一川さんの広い人脈も然ることながら、毎日会場で行われる長筆を駆使して立ったままで席書するパフォーマンスが評判を呼んで、通りすがりのギャラリーも多い。
今日は麹町倶楽部の皆さんや「南の風」高原伸夫代表も福岡から駆け付けて下さった。

(写真左は会場風景。右は一川さんの作品「貫」、太筆2本を握って書いたもの-)







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by 杜の小径  at 01:32 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

季節の花―アザミ

              コピー ~ ノアザミ

 あざみ濃し 想い杳けし貴船道(杜)

 貫井神社の近く、野川に沿って「野の花」という茶房がある。姉妹でやっていて、数種類の野草茶を客の好みに応じ器を替えて出すのが珍しい。注文すれば玄米ご飯に山野草の菜を添えて出してくれる。今日は、玄関脇に鉢植えの野アザミが置いてあった。
「珍しね、最近は、とんと見なくなったのに」と、入口の花を顎でしゃくってみせた。
「あゝ、あれ。姉ちゃんが、高尾山から盗んできたのよ」 和服を着た妹が、そう言ってからクククと笑った。アザミは好きな花である。ぷっくりした萼と紫の花に野趣があり、触った棘の痛みさえ思い出に残る。
 
 むかし、女性の編集者と京都へ旅した。取材が終わると、川床料理が食べたいと言うので四条河原に出る。ところが鴨川は薄汚く濁っており、川床は本流から離れたコンクリートの掘割の上に設えられていた。「ここは、もういけまへん。貴船がよろしゅうおまっせ」と言う運転手の薦めで、そのまま鞍馬へ向かう。貴船川の川床は川すれすれに作られていて、手を伸ばせば清冽な流れに届く。葦簀張りの天井越しに白い山百合が揺れていた。
「ここで泊まっちゃおうかな」…流れに浸した手をひらひらさせながら女が呟くように言った。…翌朝、彼女が未だ眠っているうちに近くを歩いてみた。宿の向かいが貴船神社への登り口になっていて、赤い鳥居が建っている。途中まで登ってみたが庭下駄では無理。引き返す参道の脇に、朝露を含んだ野アザミが咲いていた。女性は、間もなく同じ社の編集者の許へ嫁いでいった。以来、二度と逢うことはなかった。

 話は前後するが、学生時代に霧ヶ峰八島高原に旅したときもアザミとの出逢いがあった。一面に咲き乱れるアザミの中に、大きな自然石に「あざみの歌」の歌詞が刻まれていた。作詞は地元出身の横井弘。後になってこの曲を聴き、哀愁に満ちたメロディがいっぺんに好きになった。

   山には山の 憂いあり
   海には海の 悲しみや
   まして心の 花園に
   咲きしあざみの 花ならば

 かなり前からアザミの精をテーマにした小説を書いてみたいと思っている。実は中年の男女が主人公の現代物を書き上げたが友人から「風の盆恋歌の焼き直しみたいだ」と酷評されてボツにした。今は上代を舞台に構想を練り直しているが、もっと時代を遡るかもしれない。その準備のついでに万葉集を調べてみたが、私の知る限りではアザミの歌は1首も見つからない。あるいはキキョウヲをアサガオと詠んだように、違った名前で呼んでいたのだろうか。ご存じの方がいたら教えて欲しい。

 ただ、記紀の中にはそれらしい記述がある。垂仁天皇の巻に妃の名前として「アザミ」が出てくる。垂仁天皇には7人の妃がいたとされるが、その一人に「アザミイリヒメ」がいる。これは『古事記』では「阿邪美伊理毘売」と表記しているが、『日本書紀』では「薊瓊入媛」で、薊の文字が遣われている。これだけではアザミと結び付ける根拠はうすいが、実はもっと興味深いことが判った。
 この薊瓊入媛と同じ皇妃の真砥野媛(まとのひめ)も丹波の豪族で、先の妃、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の妹にあたる。そのほか7人の妃のうち6人は丹波または山城の出身者で、大和の出身者は唯一人に過ぎない。そして、唯一大和出身の狭穂媛(サハジ姫)も後に兄と共に垂仁によって焼き殺されている。こう見てくると、当時の出雲王朝と大和王朝の関係や政略結婚のドラマチックな実態が浮かんでくるようだ。

  その人の過去は問ふまじ 花薊(杜)





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by 杜の小径  at 05:51 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

社中展―シャチュウテン

              瓢箪徳利

 寺本一川さんが主宰の「みずくき書道会」の社中展(心の言の葉・春の創作書展)が、今日から15日まで神楽坂のAYUMI GALLERYでひらかれる。で開かれる。同時に一川さんの「墨象と五行歌展」も同じ神楽坂の毘沙門天裏のルパイヤード開催される。なお会期中は14:00から16:00まで一川さんのライブ・パフォーマンスが行われる。こちらの会期は5月30日まで。入場無料。

 同社中には歌人、詩人、ミュージシャン、写真家、工芸家、香道家など多彩な人たちが在籍しており、前衛書道を通じた交流を楽しんでいる。浪人の小生も下記のような五行詩1篇と一行詩5篇を出品している。

  ◇五行詩「別れ」       

  風花に
  峠越すもの
  越さぬもの
  別れにもあり
  永久とかりそめ

  ◇一行詩 「惜春」      

  ・惜春や まなぶた薄き 阿修羅天
  ・旅のわけ問う人もなく 春逝けり
  ・しぐれれば 時雨の匂い 石舞台
  ・遺されし者として踏む 桜しべ
  ・木下闇 入れば消えゆく 己が翳

 突然だが、シャチュウテンに似た言葉にコチュウテン(壺中天)がある。最初に断っておくが、これは社中展とは何の関係も無い話だ。単に発音が似ているというだけ…。
 
 これは中国の古い史書『後漢書』に出ている話。市の役人・費長房は高い楼の上から何回も不思議な光景を目撃する。毎夕、薬屋の老人が店が終ると、必ず店先に吊るしてある壺の中に飛び込んでいくのだ。或る日、費は意を決して老人に頼み、一緒に壺の中に入れてもらう。壺の中には立派な建物が建ち並び、美酒佳肴がいっぱいあり、費は老人と共に一刻の歓を尽くしたという。この故事から壺中天とは俗世とは異なった別天地、異世界を指す。またこれから転じて酒を飲んで、この世の憂さを忘れる楽しみを言うようになった。あれっ、こう書いていたら、何だかわが神楽坂書道会に似ているような気がしてきた。まんざら無関係な話ではなかったかもしれない。ほっ。
  
    死中有活。苦中有楽。忙中有閑。
    壺中有天。意中有人。腹中有酒。
                                        
(陰の声:社中展の写真を失敗したのでヘンな文章を書き足し、ヘンな写真で胡麻化したとみられる。筆者の猛省を促す)(筆者の声:ゴメンナサイ)






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by 杜の小径  at 23:39 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

春が逝く

  コピー ~ シダレザクラ  メジロ  2009_0408_133220-DSC_0046.jpg


 小金井の桜でいちばん開花が遅いのは、武蔵野公園に近い野川の両岸に植えられた枝垂れ枝。6日に訪ねたときは未だ五分咲きだったのに、今日は満開になっていた。ウグイスの声が近くから聞こえるが、姿は見えない。辛うじて花を啄むメジロをカメラで捉えることができた。
武蔵野公園の木々もだいぶ緑が濃くなってきた。ここは東京都の街路樹や公園用の木を育てる育苗園を兼ねているので、新緑の頃が美しい。名物の「くじら山」に未だ人影はなかったが、ムクドリのカップルが睦まじい姿をみせていた。野川に浮かぶカルガモもカップル、繁殖期が近いようだ。

 帰途は川床に下りて川に沿って歩く。ヒメガマやヨシは未だ枯れたままだが、タンポポ、オドリコソウ、オオイヌノフグリ、スミレなどが咲いている。ヨモギやイタドリも見られるが犬の散歩コースになっているので摘み草に適さない。前原小学校近くの水門で川床から上がる。この辺りのソメイヨシノも満開を過ぎ、プロムナードには花びらが絨毯のように散り敷いている。落下を手で掬って遊んでいる少女にカメラを向けると、小鳥のような瞳を返してくれた。

 去るものは美しくて哀しい。殊に桜は、盛りのときが華やかなだけに散り際の寂しさは格別である。野川が新小金井街道と交わる辺りでは風が強くて落花が華吹雪になり、川面には花筏が浮いていた。見上げればヤマザクラは既に葉桜となっている。春の逝くのは迅い。

        (写真:左から枝垂れ桜、花を啄むメジロ、花と遊ぶ少女)






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by 杜の小径  at 02:19 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

季節のことば―花祭

          灌仏会      アマチャ

  今日だけは みんないい子に 甘茶寺(杜)

 これだって立派な俳句だよ。だって、ちゃんと甘茶という春の季語が入っているもの。
 子どものころ花祭の前夜は、青竹で作った水筒を枕許に置いて寝た。夜が明けると、それを持ってお寺に甘茶を貰いに行く。お寺の義ちゃんは三つ歳上。僕にだけは甘茶を何度でも汲んでくれた。その代わり、夏になると甘茶の葉摘みを手伝わされた。花も葉もアジサイにそっくりだった。小学校3年で村を出た私が、その植物がアジサイではなくアマチャノキという別の植物だと知ったのは大人になってからだった。

 あの甘茶の味は、今でも忘れられない。甘茶だけではない。桑の実、椎、榧(かや)、猿梨、木苺、山桃、イタドリなどなどの味覚が幼い日の思い出と重なっている。自動販売機で好きなジュース類が簡単に買える現代っ子たちに、こんな思い出が残るだろうか。

 花祭が仏生会(ぶっしょうえ)の別名であるのは、ご存じの通り。仏、即ち釈迦の生れた日である。しかしキリストから1000年以上も早く生まれているから細部については曖昧模糊としている。伝承の違いなどから生存年代についても200年ほどの差がある。だいたいお釈迦さまという呼び方自体がおかしい。釈迦というのは部族名で彼の本名はガウタマ・シッダールタという(らしい)。

 生まれると直ぐ天地を指して「天上天下唯吾独尊」(宇宙の中で偉いのは俺ひとり)と叫んだというのだが…まあ、信仰の世界だからキリストの復活同様に門外漢がとやかく言うことではないかもしれない。

 考えてみると、私の生家は神官。その家の子がお寺へ甘茶を貰いにいったり、甘茶摘みを手伝ったりするのもおかしな話だが、それが出来たのも子どもなればこそ。子どもはみんないい子なのだ。刻、既に夜半を過ぎて灌仏の日なり。甘茶が無いので酒を飲む。

  酒飲めば 吾も善男 仏生会(杜)

       (写真は灌仏会とアマチャノキ)





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by 杜の小径  at 01:42 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

或る花物語

  ダイコンR   ショカツサイ   バス停

「これって、おかしいよ。違ってる」と私。
「いいのよ、それで。間違ってないわ」と妻。
 二人の前のテレビには連続ドラマ「だいこんの花」のタイトルが映り、バックには薄紫色の野菜の花が揺れていた。その花がダイコンの花じゃあないと言う私に、普段は口応えしたことのない妻が珍しく異を唱えた。私の田舎では「だいこんの花」は白かった。
「でも、東京では薄紫のもあるのよ」
 この「東京では…」にカチンときた。
「なんだ、都会人ぶって…」
 妻は何も言わずに茶を淹れに立った。もう40年以上も昔のことである。

 7年前に妻が亡くなった。墓まで歩いて行ける処に住もうと、今の処に越してきた。マンションの近くに大きな栗林があって、あの花が一面に咲いていた。土地の人に「何という花ですか」と聞くと、「だいこんの花ですよ」と言った。私は数本の花を戴いて、その足で妻の墓に手向けた。
 翌年、栗林にマンションが建つことになった。地元の自然保護団体などが反対したが、無駄だった。結局、1年後に十数階建の大きなマンションができた。玄関脇の大きなプレートには次のような文章が書かれていた。
「Rマンションでは、地域の皆さまに愛され続けてきた栗の木やハナダイコン、竹林を可能な限り保存しました。また、やむなく伐採された栗の木や竹林は共用部での再生使用と地元の小学校などへの還元という形で有効利用しました。周辺の自然環境と共生し、地元の皆さまのふれあいの場となれば幸いです」 

 私はその看板で「だいこんの花」が、正しくはハナダイコンということを初めて知った。ついでに調べてみると、原産地は中国で、ショカツサイ(諸葛菜)、ムラサキハナナ(紫花菜)、シキンサイ(紫金菜)、 ムラサキダイコン(紫大根)などの様々な別名のあることが判った。先ほど「正しくはハナダイコン…」と書いたが、正式な名称はオオアラセイトウと言うらしい。舌を噛みそうな名前で、漢字では大紫羅欄花と書く。アラセイトウは洋花のストックのことで、花がそれに似て大きいから大アラセイトウとしたらしい。これじゃあ子どもも覚えにくいだろうと、改名の話も出たようだが植物に造詣の深かった昭和天皇の「牧野(富太郎)が最初にオオアラセイトウの和名を付けているのだから、それでよいのではないか」という一言で据え置きになったと聞く。いかに天皇のお言葉でも、こんな名前が通用するはずもなく、学者以外でこの花をオオアラセイトウと呼ぶひとはいない。別名が多いのは、そのせいかもしれない。 

 話を戻す。市はマンションが完成すると、その前に「ハナダイコン緑地」という循環バスの停留所を設けた。ところが間もなくマンションの駐車場が拡張され、緑地は10坪ほどに縮小された。しかも僅かに残った緑地は鉄柵で囲まれ、頑丈な錠で閉鎖された。今日、緑地を覗いてみた。数本の枯れた栗の木の根元には雑草が生い茂り、数株のハナダイコンが淋しく風に揺れていた。





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by 杜の小径  at 01:18 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

わが街の桜

   小金井公園p 八重桜 広重の浮世絵

 私の処からいちばん近い桜と言えば新小金井街道、歩いて数分の距離である。ソメイヨシノとヤマザクラが混植されている。樹齢30年ほどだが、排気ガスのせいか年ごとに花数が減っている。殊にソメイヨシノの劣化が目立つ。
 この街での桜の見どころは、小金井公園(写真左)、玉川上水沿いなどたくさんある。中でも私のお薦めは野川河畔の枝垂れ桜。武蔵野公園脇の新小金井橋から上流へ約500㍍、両岸から垂れ下がる枝で川面が埋められるほどである。ところが昨日は未だ五分咲きで、いちばんよく咲いている場所でも、ご覧の程度である(写真中央)。

二枚橋を渡って野川公園に行くと、ソメイヨシノはほぼ満開だった。いつも言うことだが公園や街路樹にはヤマザクラのほうが適している。毛虫もつかないし、排気ガスにも強い。ソメイヨシノの樹齢は60~70年だから都内の名所と言われる処のソメイヨシノは、後数年の寿命である。いま全国で銘木と言われる根尾の淡墨桜、山高神代桜、三春の滝桜などは全てヤマザクラである。例外として弘前城内のソメイヨシノが100年を超しているが、これはリンゴの接木技術を援用したもの。もちろん古代から詩歌に詠まれたり、名所図会で紹介された桜は全てヤマザクラである。
 名所図会と言えば、小金井の桜は江戸時代から多くの絵師によって描かれてきた。中でも有名なのが歌川広重が『江戸近郊八景』で描いた「小金井橋夕照」(写真右)。また、芭蕉の紀行文にも次の記述がある。
「小金井橋は、小金井邑の地に傍うて流るるところの玉川上水の素堀に架すゆえに、この名あり。岸をはさむ桜花は数千株の梢を並べ、落英繽紛たり。開花のとき、この橋上より眺望すれば、雪とちり雲とまがひて、一目千里前後尽くる際をしらず。よって都下の騒人遠きを厭わずして、ここに遊賞するもの少なからず。橋頭、酒を暖め茶を煮るの両三店あり。遊人あるいは憩いあるいは宿す。春の夜はさくらにあけてしまへけり」(江戸名所図会)  








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季節の花―馬酔木(アセビ)

               アセビ
 
「この春、僕はまえから一種の憧れをもっていた馬酔木の花を大和路のいたるところで見ることができた。」…
 これは堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』の書き出し部分である。ここで質問。この中の「馬酔木」を、あなたはどのようにお読みになりますか? アシビ? それともアセビ? 実は私にも正確な答えは判らない。堀辰雄逝きて半世紀、彼に尋ねる術(すべ)もない。植物学上はアセビである。ただし伊藤左千夫が中心だった根岸短歌会の短歌雑誌、また水原秋桜子が自ら主宰する「破魔弓(はまゆみ)」を改題した俳句雑誌などは、いずれもアシビと読む。

 そもそも馬酔木という漢字字体が当て字である。葉や茎にアセボトキシンという有毒成分を含み,馬が食べると中枢神経が麻痺,酔ったような状態になったのがその名の由来という。

『万葉集』には、この花を詠ったものが10首ある。代表的なものを2首あげると…。
  
  池水に影さへ見えて咲きにほふ安之婢の花を袖に扱入れな(大伴家持)
  磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに(大伯皇女
 
 大伴さんは「安之婢」と表記しているので、どうやらアシビと読むようだ。ところが大伯の歌には井上通泰博士(宮中顧問官を務めた国学者で柳田國男の兄)が、こんなことを言っている。曰く「馬酔木はアシビと詠むべからず。アセミと読みて今のアセボの事なり。アシビと假字書にしたるは馬酔木とは別にて今のボケなり。」
 ますます判らなくなってきたが、馬酔木っはもともと別称が多く、標準和名のアセビの他にアセボ、アセミ、アシミ、アセブ、アシミノキ、バスイボクなどがあり、そのほかに麦飯花、麦花、毒柴、米米(こめごめ)など、『日本樹木方言集』には153もの方言が収録されている。まあ、馬が食べると酔って足がなえることから「足癈(あしじひ)」と呼ばれ、 次第に変化して「あしび」そして「あせび」となったというのが妥当な説であろう。ちな みに学名はPieris(ピエリス)。これはギリシャ神話の詩の女神「Pieris」の名前に由るもの。

 話が横道に逸れてしまった。対価を貰って原稿を書く場合は、プロだから編集者に原稿を渡すまでに数回の推敲を重ねる。が、今はクールダウンの為、やがて文章も詩も書かなくなる日の準備だから、はっきり言っていい加減である。そう思って読んでいただきたい。(閑話休題)

「そのなかでも一番印象ぶかかったのは、奈良へ著いたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英や薺のような花にもひとりでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅びとらしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、漸っとたどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見いだしたときだった。」…
 これは冒頭の『浄瑠璃寺の春』の続きである。この中で私が興味を覚えたのは「一番印象ぶかかった」という一節である。堀辰雄は馬酔木を印象深かった」とは書いても、「好き」とは言わなかった。実は、この花に対する私の気持ちにも似たところがある。小さな鈴のような花形、上質のチーズを思わせる花の色。決して嫌いではないが、好きだとは言い切れないのである。熟々考えるに、彼岸花に対してもこんな気持ちがある。両者とも有毒植物、私の気持ちの奥底に無意識に危険から遠ざかろうという防御本能が働いていたのかもしれない。浅ましいことである。





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by 杜の小径  at 02:58 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

 横沢入里山を歩く

横沢全景 ルリビタキ ウグイスカグラ

 拝島で五日市線に乗り換えると沿線の風景が一変する。車窓の北側に見えていた立川段丘が消えて、武蔵山系の山々が次第に迫ってくる。ケヤキ、クヌギ、コナラなどの梢で形成される稜線は未だ新しい緑こそないが、薄茶色の柔らかな輪郭が春の訪れを知らせている。
 これから訪ねるのは、あきるの市の横沢入里山。「入」とは関東地方の方言で谷戸(やと)、即ち谷の入り口をいう。横沢入は武蔵野段丘の最奥部、五日市丘陵とそれに囲まれた盆地とからなる地域で、雑木山に囲まれた谷地。棚田と湿地が広がり清冽な湧水が流れる里山である。大規模開発の危機を乗り越え、2006年に東京都で第一号の「里山保全地域」に指定された、いわば東京都最後の里山である。

 終点の武蔵五日市駅に着く。都心からは2時間近くかかるが癒しを求めて訪れる人が多いのか、駅とその周辺は意外に整備されている。街路樹は美しく刈り込まれたヤマモモ。自然のままの樹形にして欲しかったなあと見上げると、枝間に茶色の花が咲いていた。本来は暖地で生育する木なのに、懸命に花を付けている姿がいじらしい。
 駅の近くは道路も整備されているが、10分も歩くと林道に入る。車はもちろん駄目。人ひとりがやっと通れるほどの小径である。昨夜の激しい雨に洗われて狭い道の中央部は深く抉られ、砂利が流水の痕を残している。まるで川底を歩いているようだ。
道は尾根を目指す急峻な登り坂で、東側の深い谷はスギを中心にした深い樹林帯になっている。耳を澄ますとキクイタダキの声が聞こえる。日本でいちばん小さな野鳥で、針葉樹林帯を好む。望遠で写せたのは幸先がいい。途中に一箇所、湧水が溜まった池があり、トウキョウサンショウウオとアズマヒキガエルの卵を観察できたのもラッキーだった。

 尾根を登り切った処に標識があり、左 中央湿地、右 天笠山とある。天笠山まで往復する余裕はないので、真っ直ぐ横沢入の中央湿地を目指す。坂が下りにかかると針葉樹林が途切れて、道の両側はクヌギ、コナラなどの雑木が多くなり日当たりも良い。時々ルリビタキやツグミの姿を見かけるが、野鳥の出は予想したほど多くない。その代り道端にキジムシロ、タンポポ、ヘビイチゴなどの花が見られるようになり、珍しいテングチョウやミヤマセセリ、アカタテハなどの蝶が、まるで道を教えてくれるように後になり先になり現れる。周囲はしだいに明るくなり、頭上にはトサミズキやキブシ、ウグイスカグラなどの花が見られる。
 
 漸く横沢入に着く。ここの里山は宮田入、西沢入、草堂入、荒田入など七つの谷戸から構成され、谷戸の上流から水が湧出し、細流となって中央で一つの流れとなり、秋川に注いでいる。古くはこの水を利用して米作りが行われていた。一部は地元のボランティア団体が実験的な田作りをしているが、大半は休耕田というより荒廃した湿地帯となっている。
その一つ荒田入に沿う小道は、むかし特産の伊奈石を運んだ道で、上流には石切場跡もあるそうだ。

 湿地帯周にはアズマヒキガエル、トウキョウサンショウウオなどが生息し、タゼリ、ネコメソウの群落が見られ、周辺の里山はヤナギ、ミズキ、コナラなどの雑木林でリス、コゲラ、アカネズミなどの巣があったが姿は見られない。昼食を摂ったあとオオイヌノフグリとタンポポが咲き乱れる畔に寝転んで空を見上げると、雲ひつつない空の一点に、ゆっくりと輪を描くハイタカの姿。思っていたより野鳥や小動物の姿が少なかったのは、コイツのせいかもしれない。
もう一度尾根越えをする元気がなく、帰りは距離は長いが武蔵増子駅まで歩く。夏は谷戸を埋めるほどホタルが出るという。再訪の手だてを考えてみたい。

         (写真:左から横沢入里山、ルリビタキ、ウグイスカグラ)









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