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季節の花―アザミ

              コピー ~ ノアザミ

 あざみ濃し 想い杳けし貴船道(杜)

 貫井神社の近く、野川に沿って「野の花」という茶房がある。姉妹でやっていて、数種類の野草茶を客の好みに応じ器を替えて出すのが珍しい。注文すれば玄米ご飯に山野草の菜を添えて出してくれる。今日は、玄関脇に鉢植えの野アザミが置いてあった。
「珍しね、最近は、とんと見なくなったのに」と、入口の花を顎でしゃくってみせた。
「あゝ、あれ。姉ちゃんが、高尾山から盗んできたのよ」 和服を着た妹が、そう言ってからクククと笑った。アザミは好きな花である。ぷっくりした萼と紫の花に野趣があり、触った棘の痛みさえ思い出に残る。
 
 むかし、女性の編集者と京都へ旅した。取材が終わると、川床料理が食べたいと言うので四条河原に出る。ところが鴨川は薄汚く濁っており、川床は本流から離れたコンクリートの掘割の上に設えられていた。「ここは、もういけまへん。貴船がよろしゅうおまっせ」と言う運転手の薦めで、そのまま鞍馬へ向かう。貴船川の川床は川すれすれに作られていて、手を伸ばせば清冽な流れに届く。葦簀張りの天井越しに白い山百合が揺れていた。
「ここで泊まっちゃおうかな」…流れに浸した手をひらひらさせながら女が呟くように言った。…翌朝、彼女が未だ眠っているうちに近くを歩いてみた。宿の向かいが貴船神社への登り口になっていて、赤い鳥居が建っている。途中まで登ってみたが庭下駄では無理。引き返す参道の脇に、朝露を含んだ野アザミが咲いていた。女性は、間もなく同じ社の編集者の許へ嫁いでいった。以来、二度と逢うことはなかった。

 話は前後するが、学生時代に霧ヶ峰八島高原に旅したときもアザミとの出逢いがあった。一面に咲き乱れるアザミの中に、大きな自然石に「あざみの歌」の歌詞が刻まれていた。作詞は地元出身の横井弘。後になってこの曲を聴き、哀愁に満ちたメロディがいっぺんに好きになった。

   山には山の 憂いあり
   海には海の 悲しみや
   まして心の 花園に
   咲きしあざみの 花ならば

 かなり前からアザミの精をテーマにした小説を書いてみたいと思っている。実は中年の男女が主人公の現代物を書き上げたが友人から「風の盆恋歌の焼き直しみたいだ」と酷評されてボツにした。今は上代を舞台に構想を練り直しているが、もっと時代を遡るかもしれない。その準備のついでに万葉集を調べてみたが、私の知る限りではアザミの歌は1首も見つからない。あるいはキキョウヲをアサガオと詠んだように、違った名前で呼んでいたのだろうか。ご存じの方がいたら教えて欲しい。

 ただ、記紀の中にはそれらしい記述がある。垂仁天皇の巻に妃の名前として「アザミ」が出てくる。垂仁天皇には7人の妃がいたとされるが、その一人に「アザミイリヒメ」がいる。これは『古事記』では「阿邪美伊理毘売」と表記しているが、『日本書紀』では「薊瓊入媛」で、薊の文字が遣われている。これだけではアザミと結び付ける根拠はうすいが、実はもっと興味深いことが判った。
 この薊瓊入媛と同じ皇妃の真砥野媛(まとのひめ)も丹波の豪族で、先の妃、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の妹にあたる。そのほか7人の妃のうち6人は丹波または山城の出身者で、大和の出身者は唯一人に過ぎない。そして、唯一大和出身の狭穂媛(サハジ姫)も後に兄と共に垂仁によって焼き殺されている。こう見てくると、当時の出雲王朝と大和王朝の関係や政略結婚のドラマチックな実態が浮かんでくるようだ。

  その人の過去は問ふまじ 花薊(杜)
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