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夏は詩人の啾くときか

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 退院して半月が過ぎた。友人が、予後は如何ですかと気遣ってくれる。そのたびに、順調ですよと答えてきた。事実、どこも痛くないし、或る友人は血色もいいし少し太ったみたいと言うほど。が、不安が無いわけではない。ひと口に言って、根(こん)が無くなった。長いものが読めなくなった。夜でも昼でも、数頁読み進むと眠ってしまう。それだけではない。仏教では感覚作用の根源を根と謂うが、たしかに詩が創れなくなった。不思議なことに詩が創れないと、他人の詩も読めなくなる。詩を読むためには作者の波動にサイクルを合わせなければならないが、最近は何時の間にか字面を追っている。

 それでも、眠れない夜は睡眠薬代わりに詩集を繙くのだが、…光太郎さんも心平さんも、何でこんなに、頁一杯に文字をばら撒くの。あんなに好きだったあんた方だったのに、最近は散弾銃で撃たないで鋭いライフルの一発でやってくれと、思ってしまう。やっぱり予後は順調でないのかもしれない。

  黒い海はいつしか消えた。
  火の車。
  黒い海と黒い空との一と色の
  ただその黒さ。

 心平センセイ、これだけで充分です。「眼が醒めたとき。あたりはいちめん森としていた。もやのようなもののなかにきこえるのはおやじだな。後片付だな。と思った瞬間。まぶしい光がぱっと来た。……」その後に続く矢鱈と句点の多いブンショウは、もう私には読めないのです。歴程祭の余興ではいつもバッカスを演じ、ほんとうに酔っぱらっていたお姿が懐かしいデス。私はもう、詩が読めなくんったようです。

  雀はあなたのように夜明けにおきて窓を叩く
  枕頭のグロキシニヤはあなたのように黙って咲く

  朝風は人のやうに私の五体をまざまし
  あなたの香りは午前五時の寝部屋に涼しい
 
 光太郎先生、嘗てわたしはあなたの「亡き人に」に涙を流しました。でも今夜は、いっぱいいっぱい出てくる「あなた」という文字に躓いて後が読めなくなっています。

  算数の少年しのび泣けり夏(三鬼)
  水底は卯月明かりや鴎の死(苑子)
  わがつけし傷に樹脂噴く五月来ぬ(夕璽)
  みづからを啄む孔雀ゐて五月(狩行)

 夏の詩には、なぜか哀しいものが多いデス。詩人という人種は赤々と燃える暖炉の脇で熱い酒を飲まないと、迸る恋の歌、生の詩は書けないのでしょうか。夏は腹の白いナメクジのように、黒い木陰で軀からだから唾液を流しながらのたうつだけなのですか。それとも、夏は詩人の啾くときなのでしょうか。

   夜に逢ふ人もゐなくて琵琶を剥く(杜)
   詩集燃す火の赫々と五月逝く(〃)

 
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by 杜の小径  at 05:04 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

多佳子忌

  橋本多佳子
    雨しとど花みな白し多佳子の忌(杜)

5月29日は橋本多佳子の忌日である。はじめは大した関心も無かったが、好きな俳人杉田久女の弟子ということで読んでいるうちに、その叙情的、主情的な瑞々しい句風にだんだん惹かれていった。
 彼女自身は東京の生まれだが、嫁いだ橋本豊次郎が小倉に櫓山荘を新築し其処に移り住む。ここで生涯の師となる杉田久女と知り合い、俳句の手ほどきを受ける。
 余談になるが、小倉と言えば松本清張を思い出す。彼は小倉に縁のある文人をテーマにした短編小説を書いていた。43歳のとき、森鴎外の 『小倉日記』 の偽作を題材とした 『或る小倉日記伝』 を書き、芥川賞を受賞した。その翌年、今度はやはり小倉に住んでいた杉田久女をモデルとした短編小説 『菊枕』 を著した。あまり知られていないが、晩年の短編に橋本多佳子をモデルにしたと思われる『花衣』を書いている。この中には羽島悠紀女という名前で多佳子と思われる女流俳人が登場する。多佳子の夫、久女との係わり合い、夫の死後大阪に出て山口誓子に師事するという経歴も、ほとんどそのまま別名の登場人物、シチュエーションを置き換えて語られている。実を言うと真剣に多佳子の作品を見るようになったのは、この短編を読んでからである。

 多佳子の夫が小倉に建てた櫓山荘は、里見、久米正雄、宇野浩二など多くの著名人や文化人が訪れ、小倉の文化サロンとなっていた。彼女が久女と出会ったのも此処で、大胆かつ華麗な多佳子の俳句の原点にもなっている。現在、建物は無いが平成18年に櫓山荘公園として整備され、一般に開放されている。この公園には「櫓山荘跡」の碑が建てられ、二人の句が刻まれている。句は「谺して山ほとゝぎす ほしいまま」(久女) 「乳母車 夏の怒涛に よこむきに」(多佳子)。
 以下に多佳子の当季に因んだ秀句を紹介しておく。

   北庭に下りて得たりし蝸牛
   袋角指触れねども熱きなり
   いたどりの一節の紅に旅曇る
   いそがざるものありや牡丹に雨かかる
   旅の手の夏みかんむきなほ汚る
   花栗に寄りしばかりに香にまみる
   敷かれたるハンカチ心素直に坐す
   死が近し翼を以て蝶降り来
   手にとりて死蝶は軽くなりにけり
   旅了らむ燈下に黒き金魚浮き
   花椎やもとより独りもの言はず

      (写真:左から橋本多佳子、在り氏日の櫓山荘、記念の句碑)











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by 杜の小径  at 18:20 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

「本日天気晴朗なれども浪高し」

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 昨日今日、朝鮮半島から日本にかけての一帯は高気圧に包まれ晴朗な好天であったが、北朝鮮の原爆実験に続く短距離ロケットの発射で、国際情勢は俄かに風雲急を告げている。将に「本日天気晴朗なれども浪高し」である。日本議会は満場一致で北朝鮮非難の決議を行った。その直前、自民党では防衛族の議員から、この際、北朝鮮の核基地を攻撃できる態勢を整えるべきだという威勢のよい発言がなされた。北朝鮮の挑発的行為を封じ込めるために、日本が国際世論に同調して非難決議をすることは結構だが、この機に便乗して徒にナショナリズムを煽り、再軍備へと舵を着る切ることはもっと危険ではないだろうか。

 今日が5月27日であることに、歴史の因縁のようなものを感じる。104年前の今日5月27日、連合艦隊司令長官東郷平八郎から大本営へ短い電報が入った。―「敵艦見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども浪高し」 ―これによって日本の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊との間で日本海海戦の火蓋が切られた。歴史に残るこの電文を起草したのは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公で連合艦隊の参謀だった秋山真之であった。

 対馬海峡を縦隊で東進してくるバルチック艦隊に遭遇した連合艦隊は、とつぜん艦隊を横に転回させた。世に言う東郷ターンである。このT字形戦法は前進してくる敵の先頭艦に砲火を集中できるメリットはあるが、敵前に両手を広げて立つようなデメリットもある危険な戦法だった。結果的にはこれが成功して、日本の連合艦隊は大勝利を得る。
 同年12月20日、戦時編成だった連合艦隊は解散した。その際、前記秋山真之が作成し、東郷提督が読み上げた「連合艦隊解散の辞」は、次の言葉で締めくくられていた。「…神明はただ平素の鍛錬につとめ戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より直ちにこれを奪ふ。古人日く、勝って兜の緒を締めよ、と。」
 これに感動した米大統領ローズヴェルトは全文を翻訳してアメリカ陸海軍に配布している。36年後、日本海軍が今度はアメリカと戦い、敗れ去ったのは歴史の皮肉だろうか。
 連合艦隊の旗艦だった三笠は、その後記念艦となり、現在も横須賀にその雄姿をとどめている。
    
          (写真:海戦中の三笠。東郷の右側に立つのが秋山参謀)





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by 杜の小径  at 23:05 |  日記 |  comment (6)  |   |  page top ↑

ヒロくん

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「先生、下呂へ行くマイ」―玄関を入って来るなり、ヒロくんが勢い込んで言った。マイは文語形では「まじ」となり、普通は否定、禁止の推量を表す助動詞である。江戸っ子は訛って「メエ」と発音する。いずれにしても、「下呂へは行きません」という意味。ところが佐久間弁では「行きませんか?」ということになる。こっちも佐久間の生まれだからツーカーで意味は解る。前回来たときに下呂温泉で開かれる同級会に一緒に行かないかと誘われていた。
 ヒロくんは同級生ではない。家政婦代わりに来てくれる教え子の旦那である。腕のいい仕立職人なんだが最近は量販の大型メーカーに押されて、あまり仕事が無いらしい。親分肌の男で洋服屋の組合や町会の世話役をしたり、月に2,3回はゴルフに出かけるなど、けっこう優雅な暮らしをしている。運転手代わりに奥さんを送ってくるのだが、アイロン掛けから水回りの修理、盆栽の世話までしてくれる。もちろん私のワイシャツから洋服、コートに至るまで彼の手製である。材料からデザインまで一切を彼に任せているのだが、時どき困ることもある。和服用のコートを注文したときは、これくらいのものは着て下さいよと、ベビー・アルパカの生地を何処からか仕入れてきた。それはまだいいとして、裏地が歌麿の浮世絵だからフォーマルな場所へは着て行けない。

 その彼が、私を同級会に誘ったのには訳がある。実は一昨年、蒲郡温泉で開かれた彼らの同級会に私も出席した。迂闊にもヒロくんの「K先生も来るよ」の一言に引っ掛かってしまった。私が大学受験に失敗して1年だけ久根鉱山で代用教員をしていた頃、いつの間にか私の下宿に土地の若者たちがクラシックのレコードを聴きに来るようになった。そのメンバーの中に地元の中学で国語を教えていたKさんが居た。信じられないかもしれないが女性には奥手で、それに受験一途のときだったから個人的に付き合うことはなかったが、色白で理知的な面影は二十歳の若者の心に浅からぬ印象を残していた。
「えっ?」…ドキドキする気持ちを抑えて「しばらくです」と声を掛ける私に、Kさんが怪訝な表情を見せた。見兼ねたヒロくんが「久根の小学校の村瀬先生ですよ。いつもレコード聴きにいらしたでしょ」と助け船を出してくれたが、結果は更に悲惨なことに。「済みません。ワタシ、覚えて無いんですのよ」…この一言で私の独りよがりの夢はいっぺんに吹き飛んだ。

「あの時はキミの口車に乗って恥をかいた。二度と行くもんか」と怒る私に、「あのあと話したら、郵便局の隣の職員住宅に行ったような気がすると言ってたよ。今度は思い出すかもしれんから行こうよ」とヒロくんはしつこい。「あ~あ、先生の初恋も終わりだね」と奥さんのミチヨがにやにや笑っている。こいつら夫婦で面白がっているなと思うとよけい腹が立ってきた。「ゼッタイに行かない!」私はきっぱりと宣言した。
 
 二人が働いている間、私は何もしない。邪魔だから手伝うなと言う。この日もテレビで大相撲を見ていた。その間に冬物の着物の汚れを拭き取って箪笥に仕舞い、夏物と入れ替えてくれる。羽毛布団も圧縮袋に入れ、軽い夏掛けに替えてくれた。「来月はアメリカから孫が来るから、たぶん一回しか来れないよ。あんまり汚さないでね」―例によって捨て台詞みたいな言葉を残して帰って行った。口は悪いが有難い二人ではある。





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by 杜の小径  at 03:53 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

 短夜―私の好きな句

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    書きかけし詩あり書斎の明け急ぐ(杜)

 夏至が近付くと、北半球では昼がだんだん長くなる。と、なれば夜が短くなるのは当たり前のことだ。だが「短夜」には、そうした理屈では説明しきれない独特の感慨が籠められている。同じ意味の季語に「明易し」「明急ぐ」がある。私は伝統的俳句に馴染めず、俳句もどきの作品は作っても自ら一行詩と呼んでいる。殊に「亀鳴く」とか「卯の花腐し」といった難解な季語に抵抗感が強い。だが、季語の中には日本人でなければ解らない、味わい深いものも少なくない。「短夜」「明易し」なども、その例である。俳句が生まれる前から日本人は短夜に格別の想いを抱いていたようで、万葉集にも次のような作品が見える。
   ほととぎす来鳴く五月の短夜も ひとりし寝れば明かしかねつも(作者不詳)
 
 短夜をテーマにした句では、竹下しづの女の忘れられない作品がある。

   短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉(すてっちまおうか)
夏の夜に乳を欲しがって泣く赤児にてこずって、いっそ捨ててしまおうかという、何とも荒っぽい作品に見える。が、脇に並んだ「乳ふくます事にのみ我が春ぞ行く」の句を読むと、作者の切ない想いが伝わってくる。この句を見ると杉田久女の「足袋つぐやノラともならず教師妻」の句が連想される。二人とも九州生まれで、どちらも教師に嫁いでいる。文学に高い志を抱きながら現実には薄給の教師妻として生活に追われる女の哀しみが胸に迫る。
しづの女は福岡の名主の家に生まれ幼にして古典、漢詩を学んだが、俳句を始めたのは30歳を過ぎてからだった。『ホトトギス』同人となってから頭角をあらわし、やがて学生俳句連盟の機関誌『成層圏』を指導する。この中から前衛俳句の巨匠、金子兜太など多くの俊英が巣立った。

 心に残る短夜の句として、次の作品を挙げておきたい。

   短夜の綴ぢし わが稿 とぢぬ稿
 これは鷹羽狩行の作である。彼は俳句の評論、実作の第一人者、加えて俳人協会会長として多忙を極めている。夏の短い夜を徹してやっと書き上げた原稿。だが、書かなければならない原稿は未だ残っている。白々と明け初める窓を眺めている物書きの溜め息が聞こえてくるようだ。

   明け易し硯離れぬ使い墨
 これは狩行の師に当たる秋元不二雄の作品である。戦時中の言論弾圧、横浜事件に連座。獄中吟に「独房に林檎と寝たる誕生日」「歳月の獄忘れめや冬木の瘤」などがある。
 さて上掲の句は、明け易い夏の夜を読んだものである。昔の文人は筆を常用した。それも墨汁ではなく、硯で磨る墨。静かに墨を下ろしながら稿の構想を纏めたのであろう。明け方ともなれば墨の膠質が乾いて硯に張り付いてしまう。この句にも短夜に稿が捗らぬ物書きの哀感が漂っている。

    短夜や纜ぬれて草の中
 最後は前掲の不二雄の師匠に当たる島田青峰の句を挙げておこう。彼も不二雄らと共に治安維持法に問われて逮捕される。牢内で喀血して釈放されるが、翌日亡くなった。
作品中の「纜」は「ともづな」と読む。





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by 杜の小径  at 21:42 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

季節のことば―安居

             の永平寺安居

 日本語には同じ表記でも、読み方や意味の異なる場合がある。安居もその一つ。これを「あんきょ」と読めば、安らかに暮らすこと。「やすい」と読むのは高知県北部の安居渓谷、大阪市天王寺区に在る安居神社、或いは人名など固有名詞に多い。

 今日、季節のことばとして取り上げる安居は「あんご」と読む。仏教か俳句に関心のある方以外には馴染みの薄いことばである。日本では陰暦4月16日から7月15日までの間、僧侶が托鉢などに出ないで一堂に籠って修業することを言う。本来はサンスクリット語のバルシャーバーサの訳で、雨または雨期を意味する。この時期は万物が成長・発育し、生物が子どもを孵したり産んだりするから出歩いてそれを妨げないようにという釈迦の教えに基づくと言われる。雨期の長いインドでは遊行(外での修業)に適さないという理由もあったようだ。その証拠に禅宗の大本山永平寺では豪雪で外出できない冬期に安居を行う。これを冬安居とか雪安居と言う。これらは、もちろん冬の季語。

 安居という季語には夏行(げぎょう)など類語が多い。夏断(げだち)は安居の間、僧や信徒が酒肉を断つことであり、この時期に書く書を夏書((げがき)、この時期に咲く花を夏花(げばな)と呼ぶ。

   湯葉の香の一椀賜ふ安居かな(時彦)
   夏行堂うしろの山を樵(こ)る日かな(零余子)
   夏断せむ我も浪花の世ぞ恋し(句仏)
   ひらがなの母にまゐらす夏書かな(静雲)
   胸許へ風を宥して夏花摘(希伊子)
   白々と障子しめあり冬安居(落葉女)
   若き僧の剃り跡あをし雪案居(杜詩夫)

          (写真は永平寺の安居法要)





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by 杜の小径  at 16:25 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

歩いてシラン―そして、白秋

   北原白秋 

 足が弱くなった。左膝の痛みは無くなったが、頓に脚力が落ちた。アイロニックに言えば、入院生活は病気を治しても体を悪くする。三度の食事をベッドまで運んでもらうような生活は、肉体だけでなく精神からも活力を奪う。凡そ600万年前からヒトは直立二足歩行を始めたのだが、生物の進化の歴史から見ると一瞬のことに過ぎない。僅か1か月の入院で忽ち先祖返りして歩くことを忘れてしまうらしい。で、恐る恐る木から下りて二足歩行を始めたご先祖さまの初心に戻ることにした。

 その一歩は国分寺駅までの往復。逸る気持ちを抑え、意識的にゆっくりと歩く。太腿の裏側に張りを感じたが膝の痛みは無い。喫茶店でウインナーCを飲みながら、ささやかな達成感に浸る。(これで、今日のブログはオシマイ)

 と、いうわけにもいかないので、話題を求めて殿ケ谷戸庭園に立ち寄る。此処は植物の個体数は少ないが種類が多く、季節の花を見ることができる。いま咲いているのはスズラン、シラン、シライトソウ、エビネ、シャガなど。いずれも好きな花だが、今日はシランを糸口に何か話題を探してみよう。どんな話に展開するか私にも判らない。
 
 シラン(紫蘭)は名の通り紫の花を付ける蘭。すらりと伸びた花茎に上向きに咲く姿は、柳腰の佳人のようで愛らしい。楚々とした姿に似ず乾燥や過湿にも強く、どんな土にも適応できる。そのせいか東京辺りでも、ごく普通に見られる花である。

   紫蘭咲いて いささかは岩のあはれなり(白秋)
 
 白秋が俳句を作っていたのを、ご存じだろうか。彼は詩人(詩集『邪宗門』など)、歌人(歌集『桐の花』など)、作詞(「からたちの花」「城ヶ島の雨」など)、童謡(「あわて床屋」など)、民謡(「ちゃっきり節」など)で知られるが、たった1冊だけ『竹林清興』という句集を遺している。紫蘭の句もこの句集からだ。ほかに、こんな句もある。
 
   光りかけた時計の表 梅若葉いま
 
 この句では梅若葉が季語だが、実は柿若葉、椎若葉、樫若葉という季語はあっても、「梅若葉」の季語はない。梅は花が第一だから敢て梅若葉を割愛したのであろう。それを承知で梅若葉を遣ったところに、白秋の詩人としてのセンスが感じられる。 その他の句も以下のように金子兜太顔負けの前衛的な作品ばかりである。
   
   初夏だ初夏だ郵便夫にビールのませた
   ビールだコップに透く君の大きい影
   桜は白いビールの空函がたくさん来た
   つくしが出たなと摘んでゐれば子も摘んで

 白秋は室生犀星を相手に「俳句は形が短いだけに、中身も児童の純真さが欠かせない」と語っている。白秋の口語自由律俳句は、こうした信念に裏打ちされているのである。
 こうした思想は詩作にも引き継がれ、永井荷風が「日常語と句点を遣った斬新な手法」と激賞した以下のような六行詩も作っている。

   あかしやの金と赤とがちるぞえな。
   かはたれの秋の光にちるぞえな。
   片恋の薄着のねるのわがうれひ
   「曳舟」の水のほとりをゆくころを。
   やはらかな君が吐息のちるぞえな。
   あかしやの金と赤とがちるぞえな。
 
 なお、童謡にも次のような「夕焼けとんぼ」という五行詩がある。

   大きな、赤(まァか)い蟹が出て、
   藺草(いぐさ)をチョッキリちょぎります。
   藺草の中から火が燃えて、
   その火が蜻蛉(とんぼ)に燃えついた。
   蜻蛉は逃げても逃げきれぬ。

 ところで、前掲の句集『竹林清興』は、白秋の手で出版されたものではない。1947年、即ち白秋が他界した5年後に彼の高弟・木俣修の編集によって上梓された。木俣はこれだけでなく白秋没後は白秋主宰の短歌雑誌『多摩』の編集を引き受け、やがて師の衣鉢を受け継いで自身が主宰する雑誌『形成』を創刊する。
 私事になるが私は中学生の頃から木俣が選者だった中日歌壇に投稿していた縁で、上京後は高井戸の木俣宅に暫く寄寓して『形成』の編集の手伝いをした。以来三十数年に亘って親しく薫陶を受けた大恩人である。
  
           (写真:左から北原白秋、シラン、木俣修)

 






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嗚呼 カタツムリよ

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     蝸牛の木の瘤となり安らけし(杜)

 蝸牛は夏の季語。普通はカタツムリと読むが、音数を整えるためにデンデンムシ、デデムシ、時にはクワギウ(旧仮名)と読む場合もある。上掲の句はデデムシと読んでいただきたい。目の前にカタツムリを見て作った句ではない。彼らがお出ましになるのは、1か月くらい先、アジサイが咲くころだろう。

 きのう魚屋の前を通ったら変わった形の貝が並んでいた。ホラガイを小さくしたような格好をしているが、先っぽがもっと尖っている。タグにはトウダイツブガイと書いてある。そう言えばツブガイにも似ている。先が灯台みたいに尖っているから漢字では灯台螺貝と書くのだろうななどと勝手に想像しながら、とにかく、それを買って帰った。一応ツブガイと書いてあるから、似た味はするだろう。実はツブガイは私の大好物。鮨屋でも握ってもらうのは8割方これである。あのコリコリした歯応えが堪らない。
 さすがに初物を生食する勇気が無いので、塩茹でにする。蓋が固くて身を引っぱり出すのに苦労する。いちばん美味しい肝の部分を残しては何にもならない。遂にはニッパーで挟んで少しずつ貝を壊し、1時間後にやっと舌に運ぶことができた。想像した通りの食感と味であった。

 前置きが長くなったが、この貝を調理しながらふっと蝸牛を連想したのである。ついでに告白すると、私は蝸牛を食べたことがある。学生時代に山村工作隊と称して農民の啓蒙運動をした。こう言えば格好がいいが、実は田舎に行けば食べ物にありつけるというのが本音だったかもしれない。宿や食事を提供してくれるシンパなどは少なく、夜は神社で寝て、腹が空けば山菜に味噌を付けて食べた。先輩から「カタツムリはフランス語でエスカルゴと言うんだ。最高の料理だぞ」と教えられ、焚火の灰て焼いて食べた。“若きウエテル”たちは、とんでもないことをしたものだ。

 そんなことがあったせいか、蝸牛が好きである。断っておくが、もう食べてはいない。あの沈黙と孤独の姿が好きなのである。かなり前に蝸牛の五行詩を創ったことがある。数十年前に私の胃袋に消えた蝸牛たちへの挽歌である。ああ

   かたつむりは 泣かない
   悲しみ いっぱい
   殻に詰め
   黙って
   どこかへ捨てに行く

          (写真:左からトウダイツブガイ、カタツムリ)

 









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懐かしの染太郎

             
 浅草の三社祭を見る。わざわざ見物に出かけたわけではない。正確に言うと三社祭にでくわしたのである。退院してから何処へも出なかったので「ちどり屋」で浴衣でも買おうと浅草へ出てみた。地下鉄を降りて雷門近くに来ると神輿の渡御とぶつかった。春名に「地下鉄を出るより三社祭かな」の句があるが、まさに同じ状況だ。祭好きには奇貨だろうが、私は観光化した祭は好きでない。人混みを縫うようにしてやっと所用は果たしたが、観音様まではとても辿り着けそうにない。罰当たりを覚悟で参詣は中止。

 久し振りに染太郎に寄ってみることにする。田島町(現西浅草)で70年以上続くお好み焼きの老舗である。この店、そんじょそこらのお好み焼き屋とは格が違う。「風流 染太郎」という店名の名付け親は高見順。彼の『いかがなる星の下に』に出てくるお好み焼き屋「惣太郎」は「染太郎」がモデルである。また、俗に無頼派と呼ばれた作家の溜まり場になっていた所で、坂口安吾などは此処に寝泊まりして原稿を書いていたという。酔っぱらった安吾が火傷をしたという鉄板が今でも残っている。私がこの店を知ったのは学生時代。檀一雄先生の紹介だった。檀は太宰の文学碑除幕式に同行したとき理無い仲となった女優 入江杏子とはじめは山の上ホテルで同棲するが、後に浅草千束町のアパートに住み替える。その頃のことである。太宰がこの店に来たとは聞いていないが親友の檀や弟子の田中英光が入り浸っていたから、たぶん太宰も常連だったと思われる。後年、田中は三鷹禅林寺の太宰の墓前で睡眠薬服用のうえ、手首を切り自殺している。会ったことは無いが、開高健、野坂昭如、瀬戸内寂聴、林真理子なども、染太郎の常連だったと聞いている。

 さっそく観音様の罰が当たった。やっと染太郎に辿り着くと、なんと無情にも玄関に「本日は臨時休業」のビラ。仕方が無いので田原町へ戻って「やっこ」に寄る。混んでいたが女将さんが二階に席をとってくれた。病院食で油切れした体には、硬めに焼いた鰻が格別の味だ。流れて来る祭囃子を聞いていたら、零雨の「荷風なし万太郎なし三社祭」という句が浮かんできた。それに触発されて、小生も箸袋に一句。

   檀 太宰 安吾も遥か三社祭(杜)






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by 杜の小径  at 02:24 |  日記 |  comment (4)  |   |  page top ↑

小さな花に迎えられて

 ジャガイモの花 
 1か月ぶりの帰宅。ヴェランダに出るとジャガイモの花が咲いていた。薄紫の可憐な花だ。先月、ビニールの空き袋に土を詰め、種芋を埋めて並べておいたもの。花をそのままにしておくと芋が育たないのではと思い、可哀相だが切り花にする。
 ジャガイモの陰にちらりと見える赤とピンクの花はツボサンゴとオキザリス。どちらも家政婦さんが植えていってくれたもの。途中で2回ほど水遣りに帰宅してはいるが、それにしても植物の生命力は凄い。放っておいても時季が来ればちゃんと花を付ける。

 一部の方にはお知らせしましたが、「信濃」への旅というのは、実は信濃町のK大病院への入院でした。注腸検査をメインにした人間ドック、数日で退院する予定だったので敢てお知らせしませんでした。ところが小さなポリープが見つかったので、それを切除したついでに、眼科、整形外科(左膝)などの治療も受け、ついつい長くなってしまいました。
 しばらくは温泉にでも行って、のんびり過ごします。今度はホントです。

          (写真:左からジャガイモの花、ツボサンゴ、オキザリス)

 





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by 杜の小径  at 14:08 |  日記 |  comment (6)  |   |  page top ↑

矢車の音

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   おろされて仄かに温し紙の鯉(杜)
   
   矢車や時に哀しき音を立て(杜)
 
 カラカラと懐かしい音を聞いた。長いあいだ留守にしていたので風を入れようと、昨夜は衣桁部屋を兼ねた寝室の窓を開けておいた。外に出てみると、隣のヴェランダに鯉幟が飾られてあり、カラカラというのはその矢車の音だった。私が入居した当時は若いお嬢さんがお父さんと二人で住んでいたが、いつの間にかお父さんは居なくなっていた。ある朝、赤ちゃんの泣き声がするので、あゝ、結婚されたんだなと思った。お子さんは、どうやら男の子だったらしい。

 鯉幟には、ほろ苦い思い出がある。小学校3年のとき先生から、鯉幟について説明してくださいと、とつぜん指名された。五月五日の男の子の節句に飾る紙で作った鯉の形の幟ですといったようなことを答えたと思う。私が答え終ると同時に、クラス中が笑い声に包まれた。私には、なぜ笑われたのか判らなかった。が、その笑いに軽蔑と憐憫が含まれていることは敏感に感じ取って、私は恥ずかしさで顔が真っ赤になった。先生が、「そうです。鯉は元気のいい魚だから男の子が丈夫に育つように鯉の幟をかざるんですよね。今は布で作っていますが、昔は紙で作ったのですよ」とフォローしてくれたが、私はずっと下を向いたままでいた。そのころ私は天竜河畔の田舎から都会の小学校へ転校したばかりで、布で作った鯉幟など、見たことも聞いたこともなかった。担任の名前さえ思い出せないのに、なぜかこのシーンだけは鮮やかに心に焼き付いている。

 そういえば来週の日曜日は母の日である。結婚して間もないころ、妻が母の家を訪ねてカーネーションの花束を贈ったことがある。まあまあ、有難うよと母は笑顔で受けて取ったあと一瞬の間をおいて「でも、こんな綺麗なお花は年寄りには勿体無いがね」と、ちょっと照れたような表情を見せた。田舎育ちの母が庭で故郷の山野草を育てているのを知っていたが、そのことは妻には告げなかった。その母も、妻もとうの昔に逝ってしまった。

   母の日や野花の好きな母なりき(杜)
   
   カーネーションあまた抱くも幸薄く(杜)

 ところで、今日からまた暫く留守にします。当分、ブログも休むことになります。訪れる人も居ない辺境のサイトですが、一応ひと言お断りしておきます。





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by 杜の小径  at 06:16 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

ご無沙汰のお詫び

                   噴水に佇つ 待ち人のあるごとく(杜)

 ご無沙汰していますが、お変わりなくお過ごしですか。1週間ほどのつもりで出かけた「信濃」への旅でしたが、ついつい帰宅が遅れてしまいました。郵便物のチェックなどのため土・日を利用して一旦帰宅しましたが、週明けには再び「信濃」に戻ります。格別な用事も無いのですが、この機会に静かな処でじっくりと自分と向き合ってみたいと、柄にも無いことを考えています。

 無沙汰を続けたので、沢山の方から安否を気遣うメールを戴き恐縮しています。中には二度三度とメールを頂戴した方も居り、心が痛みます。PCを使えない場所ですので事情ご賢察のうえ、どうかお許し下さい。少し落ち着きましたら、それぞれの方に詳しい経緯をお話しするつもりでいます。 

   筍の創口白く売られけり(杜)





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by 杜の小径  at 05:12 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑
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