2009/05/30
夏は詩人の啾くときか

退院して半月が過ぎた。友人が、予後は如何ですかと気遣ってくれる。そのたびに、順調ですよと答えてきた。事実、どこも痛くないし、或る友人は血色もいいし少し太ったみたいと言うほど。が、不安が無いわけではない。ひと口に言って、根(こん)が無くなった。長いものが読めなくなった。夜でも昼でも、数頁読み進むと眠ってしまう。それだけではない。仏教では感覚作用の根源を根と謂うが、たしかに詩が創れなくなった。不思議なことに詩が創れないと、他人の詩も読めなくなる。詩を読むためには作者の波動にサイクルを合わせなければならないが、最近は何時の間にか字面を追っている。
それでも、眠れない夜は睡眠薬代わりに詩集を繙くのだが、…光太郎さんも心平さんも、何でこんなに、頁一杯に文字をばら撒くの。あんなに好きだったあんた方だったのに、最近は散弾銃で撃たないで鋭いライフルの一発でやってくれと、思ってしまう。やっぱり予後は順調でないのかもしれない。
黒い海はいつしか消えた。
火の車。
黒い海と黒い空との一と色の
ただその黒さ。
心平センセイ、これだけで充分です。「眼が醒めたとき。あたりはいちめん森としていた。もやのようなもののなかにきこえるのはおやじだな。後片付だな。と思った瞬間。まぶしい光がぱっと来た。……」その後に続く矢鱈と句点の多いブンショウは、もう私には読めないのです。歴程祭の余興ではいつもバッカスを演じ、ほんとうに酔っぱらっていたお姿が懐かしいデス。私はもう、詩が読めなくんったようです。
雀はあなたのように夜明けにおきて窓を叩く
枕頭のグロキシニヤはあなたのように黙って咲く
朝風は人のやうに私の五体をまざまし
あなたの香りは午前五時の寝部屋に涼しい
光太郎先生、嘗てわたしはあなたの「亡き人に」に涙を流しました。でも今夜は、いっぱいいっぱい出てくる「あなた」という文字に躓いて後が読めなくなっています。
算数の少年しのび泣けり夏(三鬼)
水底は卯月明かりや鴎の死(苑子)
わがつけし傷に樹脂噴く五月来ぬ(夕璽)
みづからを啄む孔雀ゐて五月(狩行)
夏の詩には、なぜか哀しいものが多いデス。詩人という人種は赤々と燃える暖炉の脇で熱い酒を飲まないと、迸る恋の歌、生の詩は書けないのでしょうか。夏は腹の白いナメクジのように、黒い木陰で軀からだから唾液を流しながらのたうつだけなのですか。それとも、夏は詩人の啾くときなのでしょうか。
夜に逢ふ人もゐなくて琵琶を剥く(杜)
詩集燃す火の赫々と五月逝く(〃)
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