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嗚呼 カタツムリよ

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     蝸牛の木の瘤となり安らけし(杜)

 蝸牛は夏の季語。普通はカタツムリと読むが、音数を整えるためにデンデンムシ、デデムシ、時にはクワギウ(旧仮名)と読む場合もある。上掲の句はデデムシと読んでいただきたい。目の前にカタツムリを見て作った句ではない。彼らがお出ましになるのは、1か月くらい先、アジサイが咲くころだろう。

 きのう魚屋の前を通ったら変わった形の貝が並んでいた。ホラガイを小さくしたような格好をしているが、先っぽがもっと尖っている。タグにはトウダイツブガイと書いてある。そう言えばツブガイにも似ている。先が灯台みたいに尖っているから漢字では灯台螺貝と書くのだろうななどと勝手に想像しながら、とにかく、それを買って帰った。一応ツブガイと書いてあるから、似た味はするだろう。実はツブガイは私の大好物。鮨屋でも握ってもらうのは8割方これである。あのコリコリした歯応えが堪らない。
 さすがに初物を生食する勇気が無いので、塩茹でにする。蓋が固くて身を引っぱり出すのに苦労する。いちばん美味しい肝の部分を残しては何にもならない。遂にはニッパーで挟んで少しずつ貝を壊し、1時間後にやっと舌に運ぶことができた。想像した通りの食感と味であった。

 前置きが長くなったが、この貝を調理しながらふっと蝸牛を連想したのである。ついでに告白すると、私は蝸牛を食べたことがある。学生時代に山村工作隊と称して農民の啓蒙運動をした。こう言えば格好がいいが、実は田舎に行けば食べ物にありつけるというのが本音だったかもしれない。宿や食事を提供してくれるシンパなどは少なく、夜は神社で寝て、腹が空けば山菜に味噌を付けて食べた。先輩から「カタツムリはフランス語でエスカルゴと言うんだ。最高の料理だぞ」と教えられ、焚火の灰て焼いて食べた。“若きウエテル”たちは、とんでもないことをしたものだ。

 そんなことがあったせいか、蝸牛が好きである。断っておくが、もう食べてはいない。あの沈黙と孤独の姿が好きなのである。かなり前に蝸牛の五行詩を創ったことがある。数十年前に私の胃袋に消えた蝸牛たちへの挽歌である。ああ

   かたつむりは 泣かない
   悲しみ いっぱい
   殻に詰め
   黙って
   どこかへ捨てに行く

          (写真:左からトウダイツブガイ、カタツムリ)

 




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