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歩いてシラン―そして、白秋

   北原白秋 

 足が弱くなった。左膝の痛みは無くなったが、頓に脚力が落ちた。アイロニックに言えば、入院生活は病気を治しても体を悪くする。三度の食事をベッドまで運んでもらうような生活は、肉体だけでなく精神からも活力を奪う。凡そ600万年前からヒトは直立二足歩行を始めたのだが、生物の進化の歴史から見ると一瞬のことに過ぎない。僅か1か月の入院で忽ち先祖返りして歩くことを忘れてしまうらしい。で、恐る恐る木から下りて二足歩行を始めたご先祖さまの初心に戻ることにした。

 その一歩は国分寺駅までの往復。逸る気持ちを抑え、意識的にゆっくりと歩く。太腿の裏側に張りを感じたが膝の痛みは無い。喫茶店でウインナーCを飲みながら、ささやかな達成感に浸る。(これで、今日のブログはオシマイ)

 と、いうわけにもいかないので、話題を求めて殿ケ谷戸庭園に立ち寄る。此処は植物の個体数は少ないが種類が多く、季節の花を見ることができる。いま咲いているのはスズラン、シラン、シライトソウ、エビネ、シャガなど。いずれも好きな花だが、今日はシランを糸口に何か話題を探してみよう。どんな話に展開するか私にも判らない。
 
 シラン(紫蘭)は名の通り紫の花を付ける蘭。すらりと伸びた花茎に上向きに咲く姿は、柳腰の佳人のようで愛らしい。楚々とした姿に似ず乾燥や過湿にも強く、どんな土にも適応できる。そのせいか東京辺りでも、ごく普通に見られる花である。

   紫蘭咲いて いささかは岩のあはれなり(白秋)
 
 白秋が俳句を作っていたのを、ご存じだろうか。彼は詩人(詩集『邪宗門』など)、歌人(歌集『桐の花』など)、作詞(「からたちの花」「城ヶ島の雨」など)、童謡(「あわて床屋」など)、民謡(「ちゃっきり節」など)で知られるが、たった1冊だけ『竹林清興』という句集を遺している。紫蘭の句もこの句集からだ。ほかに、こんな句もある。
 
   光りかけた時計の表 梅若葉いま
 
 この句では梅若葉が季語だが、実は柿若葉、椎若葉、樫若葉という季語はあっても、「梅若葉」の季語はない。梅は花が第一だから敢て梅若葉を割愛したのであろう。それを承知で梅若葉を遣ったところに、白秋の詩人としてのセンスが感じられる。 その他の句も以下のように金子兜太顔負けの前衛的な作品ばかりである。
   
   初夏だ初夏だ郵便夫にビールのませた
   ビールだコップに透く君の大きい影
   桜は白いビールの空函がたくさん来た
   つくしが出たなと摘んでゐれば子も摘んで

 白秋は室生犀星を相手に「俳句は形が短いだけに、中身も児童の純真さが欠かせない」と語っている。白秋の口語自由律俳句は、こうした信念に裏打ちされているのである。
 こうした思想は詩作にも引き継がれ、永井荷風が「日常語と句点を遣った斬新な手法」と激賞した以下のような六行詩も作っている。

   あかしやの金と赤とがちるぞえな。
   かはたれの秋の光にちるぞえな。
   片恋の薄着のねるのわがうれひ
   「曳舟」の水のほとりをゆくころを。
   やはらかな君が吐息のちるぞえな。
   あかしやの金と赤とがちるぞえな。
 
 なお、童謡にも次のような「夕焼けとんぼ」という五行詩がある。

   大きな、赤(まァか)い蟹が出て、
   藺草(いぐさ)をチョッキリちょぎります。
   藺草の中から火が燃えて、
   その火が蜻蛉(とんぼ)に燃えついた。
   蜻蛉は逃げても逃げきれぬ。

 ところで、前掲の句集『竹林清興』は、白秋の手で出版されたものではない。1947年、即ち白秋が他界した5年後に彼の高弟・木俣修の編集によって上梓された。木俣はこれだけでなく白秋没後は白秋主宰の短歌雑誌『多摩』の編集を引き受け、やがて師の衣鉢を受け継いで自身が主宰する雑誌『形成』を創刊する。
 私事になるが私は中学生の頃から木俣が選者だった中日歌壇に投稿していた縁で、上京後は高井戸の木俣宅に暫く寄寓して『形成』の編集の手伝いをした。以来三十数年に亘って親しく薫陶を受けた大恩人である。
  
           (写真:左から北原白秋、シラン、木俣修)

 

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