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 短夜―私の好きな句

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    書きかけし詩あり書斎の明け急ぐ(杜)

 夏至が近付くと、北半球では昼がだんだん長くなる。と、なれば夜が短くなるのは当たり前のことだ。だが「短夜」には、そうした理屈では説明しきれない独特の感慨が籠められている。同じ意味の季語に「明易し」「明急ぐ」がある。私は伝統的俳句に馴染めず、俳句もどきの作品は作っても自ら一行詩と呼んでいる。殊に「亀鳴く」とか「卯の花腐し」といった難解な季語に抵抗感が強い。だが、季語の中には日本人でなければ解らない、味わい深いものも少なくない。「短夜」「明易し」なども、その例である。俳句が生まれる前から日本人は短夜に格別の想いを抱いていたようで、万葉集にも次のような作品が見える。
   ほととぎす来鳴く五月の短夜も ひとりし寝れば明かしかねつも(作者不詳)
 
 短夜をテーマにした句では、竹下しづの女の忘れられない作品がある。

   短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉(すてっちまおうか)
夏の夜に乳を欲しがって泣く赤児にてこずって、いっそ捨ててしまおうかという、何とも荒っぽい作品に見える。が、脇に並んだ「乳ふくます事にのみ我が春ぞ行く」の句を読むと、作者の切ない想いが伝わってくる。この句を見ると杉田久女の「足袋つぐやノラともならず教師妻」の句が連想される。二人とも九州生まれで、どちらも教師に嫁いでいる。文学に高い志を抱きながら現実には薄給の教師妻として生活に追われる女の哀しみが胸に迫る。
しづの女は福岡の名主の家に生まれ幼にして古典、漢詩を学んだが、俳句を始めたのは30歳を過ぎてからだった。『ホトトギス』同人となってから頭角をあらわし、やがて学生俳句連盟の機関誌『成層圏』を指導する。この中から前衛俳句の巨匠、金子兜太など多くの俊英が巣立った。

 心に残る短夜の句として、次の作品を挙げておきたい。

   短夜の綴ぢし わが稿 とぢぬ稿
 これは鷹羽狩行の作である。彼は俳句の評論、実作の第一人者、加えて俳人協会会長として多忙を極めている。夏の短い夜を徹してやっと書き上げた原稿。だが、書かなければならない原稿は未だ残っている。白々と明け初める窓を眺めている物書きの溜め息が聞こえてくるようだ。

   明け易し硯離れぬ使い墨
 これは狩行の師に当たる秋元不二雄の作品である。戦時中の言論弾圧、横浜事件に連座。獄中吟に「独房に林檎と寝たる誕生日」「歳月の獄忘れめや冬木の瘤」などがある。
 さて上掲の句は、明け易い夏の夜を読んだものである。昔の文人は筆を常用した。それも墨汁ではなく、硯で磨る墨。静かに墨を下ろしながら稿の構想を纏めたのであろう。明け方ともなれば墨の膠質が乾いて硯に張り付いてしまう。この句にも短夜に稿が捗らぬ物書きの哀感が漂っている。

    短夜や纜ぬれて草の中
 最後は前掲の不二雄の師匠に当たる島田青峰の句を挙げておこう。彼も不二雄らと共に治安維持法に問われて逮捕される。牢内で喀血して釈放されるが、翌日亡くなった。
作品中の「纜」は「ともづな」と読む。
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by 杜の小径  at 21:42 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑
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