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夏越(なごし)の祓い―水無月晦日

    ばら     ばら1

 夏越の祓いについては6月2日以降のブログに掌編小説「水無月」という題で3回に分けて書きましたので、詳述は避けます。要するに1年の折り返しに当たる6月の晦日に、神前で半年間の身の穢れを祓い災厄からの無事を祈る行事です。「大宝律令」で定められたと謂いますから1300年以上も続いていることになりますね。今夜は小生も信州土産の馬刺しを肴に、穢れを落とす夏越の祓いをすることにします。

 この日には水神の河童が山から下りてくるという伝承があり、牛や馬の無事を祈って川で水浴させたそうです。農家に牛馬が居なくなると共に、そうした風習も消えてしまいましたね。私が昨日、山から下りてきたのは全くの偶然で河童伝説とは関係ありません。尤も、だいぶ頭頂が薄くなり河童に似てはきましたが…。

 私事ですが、恒例に従い6月末を以て全く交流の無かった my mixi の方を整理させていただきました。ノミナルな関係に終わったことには、小生にも責任があること。お詫び申し上げます。思うに、小生のような「All Or Nothing」の人間は付き合いにくいのかもしれません。この歳になると、価値観や生きざまを変えることは難しいです。あゝ嫌だなと思われたら、勿論ご遠慮なく交友録からご削除下さいね。

 これも私事ですが、白馬から戻ったらバラが咲いていました。初めての花です。ご覧のようにお見せするのも恥ずかしいほど小さいちいさい花ですが、小生には宝石のように見えます。沈黙は時として人を傷つけますが、無言の花は何よりの慰めです。訂正、酒と同じくらいの慰めです。あっ、トマトも実を付けました。未だ豆粒ほどの大きさです。

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by 杜の小径  at 19:34 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

真夏の炉辺夜話

白馬2 シラネアオイ チングルマ

 立川駅で「あずさ26号」を降りた途端、夕方6時を過ぎたというのに熱気が全身を包む。昨日はもっと暑かったそうだ。これからが思い遣られる。
 招かれて、友人Hの白馬山荘で4日間を過ごしてきた。Hは出版社を息子に譲り、昨年から厳冬季以外は夫婦で白馬の山荘で暮らしている。標高1500㍍の山荘近くには未だ残雪が見られ、ミズバショウ、シラネアオイ、チングルマなどが咲いていた。朝夕の気温は10℃前後で、居間には薪ストーブが燃えていた。真夏に「炉辺夜話」とした所以である。

 山荘に滞在中の6月27日夜、何気なくNHKのドキュメンタリー「追跡AtoZ ― 暴力団を追い出せるのか 住民たちの闘い 」を見ていたら、日本弁護士連合会の三井暴力団対策委員長が出演していた。彼は20余年前、浜松駅前の暴力団事務所の撤去を求める住民運動を指導した弁護士で、運動半ばで暴力団に背中を刺され重傷を負った。当時の日弁連暴対委員長宮乾朗弁護士が同期だった縁で、同事件をモデルにした『『民暴の鷹―民事介入暴力と闘う弁護士の記録』を私の社から出版した。暴力団筋からの脅迫が相次ぎ会社は勿論、ゴルフ場にまでSPがついて来る騒ぎになったが、それが幸いしてか本はベストセラーになった。

「ちっとも変ってないなぁ」―Hも当時の経緯を知っているから、放送が終わると一頻り思い出話が続いた。
「健が西郷をやりたいと言うんだが、どう思う?」―話が一段落したところで、Hが呟くように言う。「南州か、言い出しっぺはきみだろう」―鹿児島生まれのHは熱烈な西郷隆盛の心酔者。彼が息子の健太郎君を唆したのはお見通しだ。
「まあ、ヒントを出したのは俺なんだがな…。『篤姫』で小澤征爾の息子が西郷をやってちょっと注目されただろ。それと鳩山の弟が総務大臣をクビになったとき、西郷の<政府に尋問の筋これあり>という言葉を引用して話題になった。直江兼続の次は西郷隆盛かもしれんぞ」―Hは優れた経営者だが、いささか思考に短絡的なところがある。「う~ん、話題にはなっているが、西郷については類書が多いからなぁ。金玉の皺の数まで書き尽くされているぞ」と私。奥さんはキッチンに立っている。男二人になると、忽ち話が下品になる。「そこでだ、あんたが健の相談に乗ってやってくれんか。あの部屋を提供してもいいぞ」。「そうそう、三食付きで、毎晩お酒も付けますわよ」と、席に戻った奥さんも調子を合わせる。遊びに来いと言われたとき何かあるなとは思ったが、こんな重大な話とは思わなかった。三食酒付きにつられて、ほいほいと返事できることではない。協力することに吝かではないが、結論は慎重に考えようということにして帰ってきた。
 
 その時にも話したことだが、最近の出版企画は少し安直過ぎるのではあるまいか。例えばNHKの大河ドラマが始まると、各社が争って主人公を取り上げる。『天地人』の場合、直江兼続に関する単行本は20冊以上、雑誌の特集に至っては100を超えるだろう。『天地人』は11月で終わり、その後は『坂の上の雲』、『坂本龍馬伝』、『江 ~姫たちの戦国』と、ラインアップが決まっている。今後の出版界の狂乱ぶりが見ものである。NHKや民放各社がドラマを制作する場合、娯楽的な要素を加味するために実際の人物像や歴史的事実を或る程度脚色するのは已むを得ないとしても、出版企画の視点は別でなければならないのではないか。ついでに一般人の歴史観についてもかなり誤解が多いことを話した。例えば鳩山邦夫氏が辞任の際に引用した<政府に尋問の筋これあり>にしても、彼は西郷が官を辞するときの言葉とし、マスコミもそのまま報道したが事実と異なる。
 西郷が征韓論に敗れて薩摩に戻ったとき、職を失った青年士族を案じて私学校を開いて教育したり荒地の開墾などに当たらせた。初代内務卿の要職に在った大久保利通は西郷の復権を警戒し、腹心の薩摩出身の大警視・川路利良に西郷暗殺を密命したと言われる。川路の放った密偵が私学校生徒に捕らえられ、その自白から西郷は竹馬の友、大久保の卑劣な意図を知った。「政府に尋問の筋これあり」は、西郷が背信の友、大久保に叩きつけた血涙の言葉なのである。
 
「幾たびか辛酸を経て志始めて堅し」、「敬天愛人」、「人を相手とせず天を相手とせよ」など西郷の遺した有名な言葉は、殆ど『西郷南州翁遺訓』に収められている。この本は西郷を慕う薩摩関係者によって編まれたと思っている人が多いが、実は山形の庄内藩々主だった酒井忠篤はじめ旧庄内藩士たちが書き遺したものである。戊辰戦争の時、庄内藩は最後まで官軍に抵抗を続けたが、結局は西郷が率いる官軍に降伏した。庄内藩の藩士や領民は報復を恐れて戦々恐々と官軍を迎えた。ところが鶴ケ岡城に進駐してきた官軍の兵は丸腰だった。官軍の総大将 西郷隆盛は、激しい戦闘の末に勝利し未だ興奮も覚めやらぬ兵士が乱暴狼藉を働くことがあってはいけないと、官軍の兵から刀や鉄砲を取り上げて入城させたのである。しかも西郷は庄内藩の武士達が誇りを失ってはいけないからと、逆に彼等には帯刀を許した。本来であれば敗者には勝者に対する憎しみが残るはずが、逆に敵軍の総大将である西郷隆盛に対する尊敬の念が高まり、ついには彼に私淑する者まで現れた。特に庄内藩の若者の中には、西郷隆盛の教えを直接請いたいと願う者が多く出るようになった。『西郷南州翁遺訓』は、こうした経緯で生まれたのである。

「<命も要らず名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり、この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業はなし得られない>も西郷さんの言葉だが、今の政治家には居ないようだなぁ」と、Hが嘆息と共に漏らした。僕も同感した。政治家に限らず、我々の身辺にも西郷のような人物は疎か、彼の心意気に共感する人さえ少なくなった。そればかりか権力に蝟集するシンパサイザーや、その手先となっている大警視・川路利良みたいな人間が多いというのが二人の共通した感慨だった。
 標高1500㍍には俗塵に塗れない別世界があった。嫌な人間には近寄らないことも、生きる知恵かもしれない。

     (写真は左から残雪の白馬連峰、シラネアオイ、チングルマ)









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枇杷熟れるころ

                コピー ~ 茂木枇杷

   夜に逢ふ人もゐなくて枇杷を剥く(杜)

 枇杷の実は、私にとってエキゾチックな果物である。田舎育ちの私が、初めてそれを口にしたのは結婚後のこと。最近の東京では「房州枇杷」が多いが、当時は長崎産の「茂木枇杷」が最上とされていた。長崎―出島―異人といった単純な連想からだろうか。

   枇杷啜る女の口の濡れにけり(杜)

 枇杷の実はまた、私にとってエロチックな存在でもある。産毛の生えた薄皮の感触、それをつるりと剥くと現れる濡れた果肉が何とも色っぽい。田舎では枇杷を植えると病人が絶えないという俗信があった。屋敷の外に2本の枇杷の木があったが野生だから実を付けても親指の先ほどの大きさで、とても食用にはならなかった。専ら葉を煎じて枇杷葉湯にしたり、葉を炙って膏薬代わりにしていた。だから初めて枇杷を口にしたときは、萎びた婆さんばかり見ていた少年が豊潤な女体に触れたような驚きがあった。枇杷の実は私にとって、美味な果物というより非日常の世界へ誘ってくれるdrug である。

   黒髪を
   持つが哀しと
   女が泣く
   枇杷の実の
   熟れるころ

   愛の痼(しこり)
   ひとつを
   胸に秘め
   夜の厨に
   枇杷を啜る

   あなたは 風
   わたしの砂丘に
   枇杷の実色の
   風紋を残して
   去る

   枇杷の葉湯
   きりりと沁む
   この身
   無数の創を
   持つごとく

   不毛のまま
   愛の終わる予感
   女は
   黙って
   枇杷を食む






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梅雨の晴間

              コピー ~ 雨のアジサイ

 梅雨の晴間を見計らって、散歩に出る。念のため撥水ヤッケを持参する。雨期にはアジサイが似合う。ただ、この花は咲き終わった花殻が枝先に残るので、老残を見るようで切ない。ツツジにも同じ趣がある。
 国分寺跡に着くころ、雨は本降りになる。雨の中を国分尼跡まで足を伸ばす。さすがに人影は無く、小鳥の声も聞こえない。雨の中を2時間近く歩き回って戻ったら、房州枇杷が届いていた。枇杷は種が大きい割に実が小さいが、非現実の世界へ誘うような不可思議な香りがある。嘗ては頬張ると立ち所に詩の二、三篇が浮かんできたものだ。

   不毛の愛
   不毛のままに
   終わる夏
   夜の厨に
   枇杷を啜る

   黒髪を持つが
   憂しと
   女が泣く
   枇杷の実の
   熟れるころ

 しかし最近は駄目だ。何を歌っても寮歌の節になってしまうから右脳が弱いのは判っていたが、近ごろは左脳も涸れてきたようで詩興が湧かない。雨の中を2時間歩き回っても丸々太った枇杷を食べても、一行詩数篇を物するのがやっとという体たらくだ。

   死蝶の生けるごとしや 梅雨晴間

   紫陽花や 青は傷つきやすき色

   礎石旧る 国分尼寺は葎の雨

   蝸牛(ででむし)や 声無きものは瘤となる

   鳴き足りぬ蜩に 余命いくばくや

   一稿を了へて 三粒の枇杷啜る





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by 杜の小径  at 23:23 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

御魂入(みたまいれ)

 あ4  あ6

 昨年末に亡くなった姉の奥つ城(墓)ができたので、出雲大社から権禰宜を招いて近親だけで御魂入(仏式では納骨式)を行う。場所の選定からデザインまで姪が取り仕切ったが、航空公園近くに在り、夏椿に囲まれた閑静な環境だ。未だ未整備だが、前庭部に故人の好きだった山野草を植えるという。生家が神職だったので遺言までして神式に拘った姉。「村瀬房江刀自之命」として旅立つことができて、さぞかし満足していることだろう。


   あ  あ1  あ2  あ3

 花ひらく

 先日、わかばさんから名前を教えていただいたガザニアが咲きました。白に近い黄色でした。他の株も蕾を持っているので、つぎつぎに咲くことでしょう。ツボサンゴま元気です。トマトは、やっと二つだけ花を付けました。タカノツメは未だですが、いずれ咲いてくれるでしょう。不思議なのは、同じ大きさの苗を植えたのに3本とも大きさが違うことです。人間と同じだなぁなどと思いながら、毎朝楽しみに眺めています。  








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by 杜の小径  at 20:25 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

桜桃忌(おうとうき)雑感

  禅林寺山門  dazai2.jpg  ougai.jpg

 あす6月19日は桜桃忌、太宰治の忌日です。忌日が季語になるのは俳人に限りません。4日後には国木田独歩の独歩忌、28日の芙美子忌は林芙美子の忌日です。武将の忌日が季語になる場合もあります。20日は本能寺で非業の死を遂げた信長忌、その10日後の30日が光秀忌です。

 太宰が逝って61年になりますが、桜桃忌には墓の在る三鷹・禅林寺に縁故者や太宰ファンが大勢集まって法要が営まれます。毎年のように雑誌や新聞が特集を組み、昨夜もNHKが「歴史ヒストリア」で太宰の特集をしていました。私は今日、吉祥寺で友人と会食する予定がありましたので、1日早く墓参りを済ませてきました。太宰の墓は禅林寺の森鴎外の墓の前に建っています。『花吹雪』の中に「この寺には、森鴎外の墓がある。(中略)墓地は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れない」という一節があり、その意を汲んで此処に墓が建てられのでしょう。
 
         (写真:左から禅林寺山門、太宰治の墓、森鴎外の墓)

    2009_0618_180018-DSC_0026.jpg   2009_0618_180222-DSC_0029.jpg

 人気作家だけに太宰に関しては公私にわたって語り尽くされた感がありますから、今更それを繰り返しても仕方がありません。今日は檀一雄さんや津島佑子さんから聞いた話を交えながら、皆さんがあまりご存じないと思われることを綴ってみましょう。檀は太宰が心を許した数少ない親友で、太宰が砂子屋書房より処女創作集『晩年』を刊行したときの世話をしたり、山岸外史、木山捷平、中原中也などと文芸誌『青い花』を創刊した時の仲間でした。そして何よりも太宰と「無頼」を共にし、彼の内面を誰よりも知り尽くした友人でした。その経緯は太宰の死後、鎮魂の作品として世に出した『小説 太宰治』に赤裸々に描かれていますので、ここでは名作『走れメロス』のモデルが檀一雄であることだけを記しておきます。津島佑子は太宰の次女で、第17回女流文学賞を受賞した『寵児』の出版記念会のとき初めてお目にかかりましたが、父の作品については芥川龍之介や谷崎潤一郎の作品を読むのと変わらないと表向きは醒めた感想を語っていました。太宰が亡くなったのは彼女が1歳の時でしたから、或いはこれが本音だったかもしれません。因みに長女園子は画家で、自民党の最大派閥、津島派の領袖・津島雄二の奥さんです。

 (写真:左から檀一雄の『小説 太宰治』とサイン、津島佑子の『寵児』とサイン)

   太宰入水の地  桃桜

桜桃忌、実は誕生日
 忌日といえば故人の命日、亡くなった日です。冒頭に例示した○○忌は、全て亡くなった日です。ところが太宰の場合6月19日は彼の誕生日で、亡くなった日ではありません。周知のように太宰は愛人・山崎富栄と玉川上水に入水心中しましたが、それは1948年6月13日で、19日ではありません。確かに赤い紐で結ばれた二人の遺体が発見されたのは6日後の19日ですが、忌日をその日に決めたのは他の事情があったようです。
19日早朝に2人の遺体が発見された時、太宰の遺体は数時間後に立派な棺に移され運ばれましたが、富栄の遺体は、午過ぎまでムシロを被せたまま堤の上に放置され、駆け付けた彼女の父・晴弘が1人で変わり果てた娘の遺体を引き取ったそうです。富栄は後に父の手で、文京区関口の目白坂の途中に在る永泉寺に埋葬されました。それだけでなく、入水した場所に下駄を引きずった痕があったことから、富栄が太宰を無理矢理道連れにしたと思われたり、富栄が太宰治を殺したと噂する者さえいたのです。後に違う場所から二人の下駄が揃えて置いてあったという新事実が明らかにされ、富栄の濡れ衣は晴らされました。こうした経緯から、二人が入水した13日を意識的に命日としなかったのかもしれません。なお桜桃忌は、彼の作品『桜桃』に因んで名付けらえたものです。二人が入水した地点には太宰の故郷、青森県金木町から贈られた玉鹿石が置かれていますが、心中云々の説明は書かれていません。
檀は前記『小説 太宰治』の中で、当然ながら心中が富栄の主導であることを否定し、太宰の自殺の原因を「私は疑いもなく彼の文芸の抽象的な完結の為である」と微妙な表現で記していますが、一方では朝日新聞に連載中だった遺作『グッド・バイ』が奇しくも13話で絶筆になったことに触れ、「キリスト教のジンクスを暗示した太宰の最後の洒落だった」という話もされていました。
富栄が太宰と知り合ったのは三鷹の「うどん屋」で太宰が声を掛けたのがきっかけでした。彼は学時代より自殺未遂、心中未遂を繰り返しましたが、その相手が娼婦や芸者だったのに比べ富栄は教養のある婦人だったそうです。檀は彼女を「三鷹の麗人」と呼んでおり、太宰の死の道連れにされた薄幸の女性とみていたようです。
  
      (写真:左から太宰入水地の玉鹿石、太宰の作品『桜桃』)

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太宰の視線の先は…
 左端は、一昨夜のNHK「歴史ヒストリア」でも度々放映された写真です。雑誌などにも何度も掲載されているので、ご存じの方も多いでしょう。沈鬱な表情の写真が多いのに、これは珍しく明るい表情をしています。いったい、太宰の視線の先には誰が居たのでしょう。この写真は太宰自身も気に入っていたようで、心中死する前に富栄宅に自らの仏壇を作り、この写真と富栄の写真を飾ってあったそうです。撮影したのは有名な写真家林忠彦で、場所は現在も銀座5丁目に在るバー「ルパン」です(写真右端)。実際は中央の写真のように後ろ姿の人物が一緒に写っているのですが、これをカットしたものが一般に流布されたのです。この後ろ姿の人物は坂口安吾で、太宰は彼と談笑していたのです。







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或る蕎麦屋の話

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 東樹さんから小学館ОB会の機関誌が送られてきた。昨年末亡くなられた相賀相談役(前社長)の追悼特集号だった。一昨年、最後にお会いしたとき、「今でも兎が食べてるようなもの食べてるの?」と聞かれた。現役のころ私は、山で採ってきたコシアブラ、タラの芽の天麩羅、ノビルの酢味噌和え、イタドリの塩漬けなどを作って、時どき社員に振る舞っていた。会社が小学館の分館内に在ったので、噂を聞いて来られたのかご招待したのか忘れたが、二、三回山菜食事会に参加されたことがある。そんなことを思い出した。

 三つ子の魂百までと謂うが、食べ物の嗜好は変わらない。冷凍庫には春に作ったイタドリの塩漬が満タンになっているし、ヤマゴボウ(アザミの根)の味噌漬もできている。日常の食事も今なら山ウド、葉ニンジン、焼きソラマメ、焼きナスなど質素なものが多い。稀に食する肉類は殆ど手料理だが鰻だけは外食、十日に一度くらい手近な吉祥寺の「宮川」か阿佐ヶ谷の「あづ満」に通っている。

 このところ都心に出たとき必ず寄るのが、神楽坂の蕎麦処「玄菱」。東西線の神楽坂が最寄駅だから多少遠回りになることもあるが、無理をしても寄ることが多い。16歳から蕎麦一筋という店主が「蟻巣」という石臼で挽いた本格的な手打蕎麦である。店は狭く個室も無いから接待には向かないかもしれない。メニューはいろいろあるようだが、私が注文するのは「田舎」。最近はお嬢さんが「あれですね」と、黙っていても「田舎」の二段重ねを出してくれる。これが黒くて太い。割箸くらいの蕎麦を啜るというより、一本一本噛み締める。昨日は栄養を考えて胡麻豆腐を注文したが、やっぱり食べ終わるのに苦労した。味は良いのだが口に入れたときの、ぐにゃりとした食感がなんとも我慢できない。

 ご主人が無口なのがいい。「いらっしゃい」「ありがとうございました」はお嬢さん任せで、店主は黙って蕎麦を打つだけ。こっちも黙々と蕎麦を食べ黙って帰る。これがいい。
 私は我儘な人間かもしれない。食事のときに限らず、饒舌な人と会っていると疲れてしまう。喋り続けないと間が持てない人より黙っていても気持ちの解り合える人が良いのだが、そんな我儘を叶えてくれる友人とはなかなか出逢えないものだ。
 
           (写真:玄菱の外観、ご主人、田舎蕎麦)





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風来坊

 フメイ1 フメイ ハゼラン

 未だ料峭の風が身に沁みるころ、彼女は名乗りもしないでふらりと遣って来た。追い出すのも可哀相と一宿一飯の情けを掛けてやったら、そのまま居ついてしまった。よく見ると薄緑に白い縞の入った衣装がなかなか粋で、『毛吹草』に謂う「雲の袖に覆輪掛くる霞かな」といった風情もある。或いは止事無き身分の姫かもしれないと思うのだが、シャイなのか図々しいのか殆ど口を利かないので、今もって出自が判らない。

 実は風来坊の訪問は、これが二代目。最初は一昨年、やはり突然にやって来て、そのまま居ついてしまった。夏になると小さな花を遠慮がちに付けるのだが、実はたいへんなお転婆で翌年にはヴェランダを占領するほどに増えてしまった。ブログに写真を出したら植物に詳しい友人がハゼラン(爆蘭)だと教えてくれた。熱帯アメリカ原産で、明治初期に渡来したという。居候のくせに寝坊助で午後3時ころでないと花を開かないから、別名を「三時花」というのだそうだ。

 種を蒔いた覚えはないので、おそらく時どき訪れる野鳥の落としたアレに混じっていたのであろう。植物の中には、種が小鳥によって運ばれるような仕組みになっているものもある。他の木に寄生するヤドリギは秋に赤い実を付け、レンジャクなどが好んで食べる。ところが地上に落されては繁殖できないから、種に粘液が付いていて木に張り付いて発芽する。草木は野鳥に実を提供する代わりに、その繁殖に手を、いや○○を貸してもらっているのである。

 ところで昨夕見ると、新しい風来坊が蕾を付けていた。どんな花が咲くか楽しみだが、またヴェランダを荒らし回るジャジャ馬ではないかという心配もある。身許に心当たりのある方がおられたら、ぜひ教えて戴きたい。

        (写真:左から新風来坊の全身と蕾、右端はハゼラン)







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梅雨入り

                秘仏

昨日、関西・九州地方に続いて、関東・東北地方も梅雨入りした。これで日本国じゅう誕生日だらけ。(nappy birthday ツユ) (汗!)
 暦のうえでは太陽の黄径が80度に達した日を入梅と謂うので、ほぼ暦通りである。梅雨を詠んだ秀句は多いが、私の印象に最も強く残っているのは次の作品。

  梅雨秘仏朱唇最も匂ひける(水原秋桜子)

 梅雨は黴雨とも呼ばれ心の中までじめじめするようで、あまり好きな人はいない。しかし作物を育てる農民や山野の植物にとっては恵みの雨であり喜雨である。物事には必ず功罪相半ばする両面があるということか。

  一島は喜雨片降りに草の丈(斎藤梅子)





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近事片々

                サギソウ

 検査の予約は9時だが、ラッシュを避けて6時に家を出る。受付が開くまで時間があるので構内のレストランで軽く朝食。
 
 太い注射器でアイソトープを入れたあと、ベッドに寝かされる。約30分―看護師に起こされるまで、ぐっすりと眠ってしまった。回を重ねると図々しくなる。初めてこの検査を受けたときは、かなりビビった。予め受診承諾書を提出するのだが、その一節に「数千人に一人の割合で死亡するこトがあります。ご了承ください」とある。万一のことを考えての文言だろうが、受ける身になると簡単に「ご了承」はできない。昨夏、一緒に検査を受けた中年の婦人は「実は春に受ける筈だったのですが娘が高校の卒業前だったので、今日まで延ばしてもらいました」と言っていた。誰でも怖いのだ。

 構内の「花喜多」でサギソウを求める。未だ花も蕾も無い。7月か8月頃になると、写真のような翔んでいる鷺そっくりの花を付ける。その清楚で凛とした姿が好きで毎年求めるのだが、育て方が下手で年越しさせたことがない。

 このところ碌なものを食していないので、昼食は「分とく山」へ寄る。麻布の店でなく新宿・伊勢丹内の出店。ここの7階「イートパラダイス」には、「星岡茶寮」「吉兆」などが並んでいて、比較的リーズナブルに名店の味を楽しむことができる。土鍋で炊いた鮑御飯と岩牡蠣の酢洗いが絶品だった。

【追記】 最近、病院のことを書くことが多いので、何か大きな病気を抱えているのではとご心配くださる方もいらっしゃいます。小さなポリープが見つかって内視鏡で簡単に処置しましたが、血中のカリウムが多い以外、血圧も血糖値も正常です。検査が多いのは自分から「この際、徹底的に検査してください」と申し出たからです。長い検査入院で体と気力が鈍ってしまったので、目下ウォーキングなどで回復に努めています。そんな訳ですから、他事ながらご放念ください。

 





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小さな花たち

ツボサンゴ花  イワチドリ  じゃがいも

 家政婦さんが植えてくれたツボサンゴが、二番目の花を付けた。細い花茎が20㌢ほどに伸びるので、最初の花は先日の強風で折れてしまった。外来種ということだが山野草のような楚々とした風情があって可愛い。なぜツボサンゴというのか図鑑で調べたら、「花(萼)の形を壷に、赤い茎や花を珊瑚に見立てたもの」とあった。解りにくいので英名で見たら coral bells(珊瑚の鐘)とあった。なるほど、よく見ると鐘の形をしている。これなら納得。壷形の花が紅いサンゴのように付くのが壺珊瑚の由来らしい。

 昨年、S子が送ってくれた野生蘭のイワチドリが1輪だけ花を付けた。枯らしたかと思っていたので嬉しい。さっそく浜松に電話してみたが留守のようだった。梨園の世話でもしているのだろう。

 ビニル袋で実験栽培したジャガイモは全滅した。袋に開けた穴が小さ過ぎて根腐れしたらしい。プランターに植えたものは見事に育って、薄紫の花を付けている。もう花を摘まない。芋は諦めて花と仲良くすることにした。

 今日は、アイソトープ検査。6時に家を出る。数千分の1の unlucky に遭わないことを祈ろう。

        (写真:左からツボサンゴ、イワチドリ、ジャガイモの花)








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by 杜の小径  at 04:17 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

ワカラナイ!

             1187845_s.jpg

 近ごろ、気になっていることがある。青汁ナントカというCMだ。一億杯突破の記念として特別価格で提供する。ただし、先着300人様まで。一人3箱に限らせていただきます、と言う。特別安く提供するというのだから「ただし」と例外・条件が付くのも尤もだと、まあ一応納得した。解らないのは、その後だ。「さらに、お申し込みの方にナントカ枕をオマケに差し上げます」と言う。「限らせていただきます」と言いながら、オマケを出すとは何事! だいいち、「さらに」という副詞は、こんなときには遣わない。『広辞苑』には、ちゃんと「一つの事が重ねて(類似の事を伴って)起こり、または時と共に程度を増すさま」と書いてあるぞ。ワカラナイ!

 最近のテレビを見ていると、耳触りな言葉を聞くことが多い。某局の女性アナ、「私、ナニゲに見ていたんですけど…」。―どうやら、特別な意図もなくという意味の「何気無く」のつもりらしが、こんな言葉は無い。相手の男性アナが注意するかと思ったら、「そうそう、僕もナニゲに見てました」だって。これでもアナウンサーか。 ワカラナイ!

 ある高名な政治評論家、曰く「政局は、これでデッドロックに乗り上げたね。先代の遺髪を継ぐべき立場を自覚し、早く汚名を挽回して欲しい」―どうやらロックを rock (岩)と勘違いしているらしい。ロックは lock(鍵)のこと。したがってデッドロックは暗礁じゃなくて「開かない鍵」のことなんだよ。次に「遺髪を継ぐ」じゃなくて「衣鉢を継ぐ」だろ。師から弟子に袈裟と托鉢用の鉢を渡した故事に拠るものだ。最後にもう一つ。汚名を挽回して、どうするんだ。「汚名を雪ぐ」だろ。どうしても「挽回」を遣いたいなら「名誉を挽回する」だよ。こんなおじさんが政治評論家だなんて…ワカラナイ!

 こんな言葉の混乱には、全く二の句が告げないよ。…えっ、間違ってる? 朗詠で二の句から急に高音になるので詠じ継げないという意味が語源だから「二の句が継げない」と言うのが正しい? なるほど ゴモットモ。あたい、バカになりたい~。






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by 杜の小径  at 16:35 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

武蔵野の湧水と花を巡る

滄浪泉園、湧水 貫井神社、湧水 殿ヶ谷戸庭園 湯水




 (写真は野川の源流。左から滄浪泉園、貫井神社、殿ヶ谷戸庭園の各湧水)

 地元でハケと呼ばれる国分寺崖線は、太古の多摩川によって形成された河岸段丘である。ハケから湧き出す豊富な湧水は野川となって東南に流れ、21キロの行程を経て世田谷区二子玉川付近で多摩川に合流する。今日はその主な湧水地を巡り、そこに咲く初夏の花々を尋ねてみたい。

    滄浪泉園  滄浪泉園


 拙宅からいちばん近い野川の源流は滄浪泉園(そうろうせんえん)。難しい名前は犬養毅元首相が付けたという。崖を巧みに使ってあり、最低部に湧水を溜めた池がある。池畔に聳えるイイギリの巨木が見事である。(写真は左から滄浪泉園入口、同園の湧水)

貫井神社 シャガ  2009_0226_143526-DSC_0098.jpg


 坂を下って暫く歩くと貫井神社に出る。神殿裏の注連縄を張った洞窟から滾々と清水が湧く出ている。『武蔵野夫人』の舞台となった場所である。薄暗い裏山にシャガが咲いていた。近くを流れる野川には仲良く遊ぶコサギとカルガモが見られた。(写真は左から貫井神社、シャガの花、野川風景)

 日立中研究  ビョウヤナギ

 国分寺駅から北西へ十分ほど歩いた処に日立中央研究所がある。実はこの中に野川の最大の水源があるのだが、普段は入ることができない。春秋2回だけ公開され、白鳥の浮かぶ湧水池を見ることができる。研究所と中央線の間に立派な遊歩道がり、沿道にハンカチノキ、ブラシノキなどが植えてあるが既に花季が過ぎた。いま見られるのはビョウヤナギの黄色い花くらい。(写真は左から日立中央研究所横の湯歩道、ビョウヤナギ)

姿見の池  カワセミ カルミア

 遊歩道が西武線のガードを潜った辺りに、姿見の池がある。この池には武蔵武士団の棟梁畠山重忠と恋ヶ窪宿の遊女夙妻(あさづま)太夫との悲恋物語が伝えられている。池畔の枝にカワセミが来ていた。付近は花木が多く、現在はカルミア、アセビ、ネズミモチなどが見られる。(写真は左から姿見の池、カワセミ、カルミア)

  歴史の道 1 武蔵国分寺公園 3 a href="http://blog-imgs-29.fc2.com/m/o/r/morinodiary/20090608052741ad5.jpg" target="_blank">蕎麦 山泉 2

 坂を上って府中街道を渡ると西国分寺駅。Tシャツの軽装だが暑い。駅前の喫茶店で小休止のあと、「歴史の道」を通って武蔵国分寺公園に向かう。この公園は花木が少なく、芝生の広場に巨木を配して緑陰をつくっている。木陰で30分ほど横になる。フリンジ・プラントとしてマボウシ ハナツクバネウツギが植えられていた。1本だけ桑の木があって赤紫の実が付いていたが、消毒剤が怖いので口には入れない。
 公園の近くの「山泉」へ寄って昼食。ここは蕎麦の老舗として名高い。久しぶりだが妙に水っぽくて美味しくない。そのせいか昼どきだというのに客が少ない。早々に食べ終わって国分寺跡に向かう。(写真は左から「歴史の道」、武蔵国分寺公園、蕎麦「山泉」

僧坊跡4の前 雑木林の道 5  真姿の池 6

 蕎麦屋の「山泉」を出てすぐ、第小学校の角を右折すると程なく国分寺の僧坊跡がある。未だ崖(ハケ)の上である。現在の国分寺と旧国分寺跡は崖の下に広がっているが、往時
の寺域は崖の上にまで及んでいたらしい。其処からは「雑木林の道」と名付けられた 急峻な坂道となる。坂を下り切った処に「真姿の池」が在る。(写真は左から僧坊跡地、「雑木林の道」、真姿の池)
 
   7 水汲み  8 子ども  9 画

 環境庁の「日本の名水百選」にも選ばれたており、溢れた水をポリ容器に詰めて帰る人が引きを切らない。その下流では小さな子どもが水遊びをしている。手を浸すと氷水のように冷たい。水は、人一人がやっと通れるほどの小径「お鷹の道」に沿って流れ野川に注ぐ。見上げれば巨木が空を覆い、木陰にはルナスビ シャガ ヤブカンゾウなどが咲いている。静かで涼しい陰でスケッチ・ブックを広げる人もいる。「お鷹の道」とは、かつてこの地が尾張徳川家の鷹狩の地であったことに因んで付けられたという。

国分寺碑 10 11 楼門 コピー ~ 12 天井 万葉植物 13-1 万葉 13-2 万葉13^3 跡 14 跡の2

 本堂前の楼門は天平の面影を残す木造二階建。文字も読み取れないほど古びた扁額や千社札に時代を感じる。
 寺内には万葉植物園がり、万葉集に登場する植物約160種(他に各植物約700種)が解説プレート付きで栽培されている。
 本堂の正面、歩いて数分の処に旧国分寺の遺跡がる。いま工事中で大半は青いシートが掛けられているが、公開部部の巨大な礎石から往時の国分寺の大きさが想像できる。(写真は左から国分寺碑、楼門2枚、万葉植物園3枚、旧国分寺跡の礎石2枚)









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by 杜の小径  at 05:32 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

卯の花腐し

             ウノハナ

 今日も雨。でも未だ梅雨ではないという。こんなときの雨を「卯の花腐し」といいます。「腐し」は「くさし」とは読みません。「くたし」です。卯の花まで腐らせてしまうような鬱陶しい雨の意味で、初夏の季語となっています。夏の雨には、「虎が雨」というのもあります。「虎が雨」は七月はじめ頃の雨ですから、その頃にお話しすることにしましょう。
「卯の花腐し」は、恐らく万葉集所載の次の歌に拠ると思われます。
 
卯の花を、腐(くた)す長雨(ながめ)の、始水(みづはな)に、寄る木屑(こつみ)なす、寄らむ子もがも(大伴家持)

 ちょっと難解な歌ですが、歌意は「卯の花を腐らせる長雨の流れる水に寄ってくる木屑のように、(私に)寄り集まってくれる娘さんがいたらなぁ」というもので、男心は千二百年の昔も今も変わらないようですね。奈良時代の歌人は卯の花が好きだったようで、万葉集には卯の花の歌が二十四首もあります。しかもそのうち十数首がホトトギスと組み合わせた歌です。そう言えば佐々木信綱作詞の『夏は来ぬ』も「「卯の花の匂う垣根に 時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ」と、ホトトギスと一緒になっていますね。ところが俳句には、卯の花とホトトギスがセットになった句はありません。俳句では作品中に季語を二つ以上遣うのは「季重なり」として好ましくないとしているからです。

 余談ですが、豆腐を作ったあとに出来る「おから」を卯の花と呼ぶのは、白い様子が似ているからです。京都の料亭などでは「雪花菜」(きらず)と優雅な名で呼んでいます。

    病み呆けて泣けば卯の花腐しかな(秀野)
    夜は筧はづす卯の花腐しかな(三冬子)
    卯の花や雨によく来る東慶寺(立子)
    母も唱ひしカチューシャの歌紅うつぎ(翔)
    家跡に卯の花咲くを見て去りぬ(杜)





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by 杜の小径  at 14:15 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

石塀の外に咲く花

 関東医療少年院 
 予後は頗る順調で、walking の距離も日毎に伸びている。今日は雨の合間を見て、久しぶりに府中まで歩く。道の良い池ノ上通りから東八道路に出るコースをとる。道沿いにアジサイ、ヤマボウシ、ミモサの花を散見。人家が密集した野川河畔は草花が多いのに、この辺はなぜか花木が多い。
 
 東八道路に面して、関東医療少年院がある。新緑の街に場違いな石塀が延々と続く。医療少年院とは、少年審判によって「心身に著しい故障がある」と判断された概12歳以上26歳未満の者を収容し、治療と矯正教育を施す施設。高い石塀の下に、近所の方がボランティアで草花を植えてある。シバザクラ、シラン、ニチニチソウなどが塀の裾を美しく彩っているが、中の少年たちが見ることはできない。

 帰途、ケイオーD2に立ち寄って、トマトの苗2本とタカノツメの苗3本を求める。入院中にジャガイモは半分枯れ、ミツバは全滅したので空いた鉢に植える。

          (写真:左からヤマボウシ、関東医療少年院、シラン)






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by 杜の小径  at 20:16 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

Short short story(掌編小説) 「水無月」(3)

        detail11_004.jpg   

 ホテルに戻って一汗流したあと、私はもう一度食事のために外へ出た。京都で泊まるとき、夕食は殆ど外で摂る。高名な料亭などには行かない。タクシーが向かうのは高瀬川河畔の小さな「おばんざい屋」。ここ「柊」は京都に住んでいた頃からの馴染みの店。ご主人は高級料亭Kの出身で、今でも幾つかの料亭へ仕出をしている。京都の茶屋には自家に板場を持たないで、料理は仕出で賄うところが多い。
「おばんざい」は番菜、日常的な副食のことで、関東のお惣菜に当たる。白木造りのカウンターに大皿に盛った番菜が並べられ、客はその中から好みのものも注文する。番菜は「ちりめん山椒」「小芋の揚出し」「炙り明太子」「茄子の浅漬」「冷奴」などの大衆的なものから「「甘玉葱とふぐの柚子南蛮」「鱧落とし(湯引き)」「鱧と冬瓜の鼈スープ煮」などという凝ったものまである。
「センセが東京へ行かはりなって主人もさびしがっていましたぇ」―主人は後ろ向きのまま黙々と鱧を捌いている。「京都は暑いですやろ、もう夏越(なごし)ですもんなぁ」―無口な主人に代わって、芸子あがりの女将さんが相手をしてくれる。小股の切れ上がった美人だが、何よりも正統京都弁を聞かれるのが楽しい。二人が結ばれた経緯については面白い話も聞いているが、今回は先を急ぐのでパス。

 夏越とは夏越祓のこと。一年の折り返しに当たる六月に犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、多くの神社で茅の輪潜りが行われる。これは茅草で作った輪を左回り、右回り、左回りと八の字に三回通って穢れを祓うもの。茅の輪の由緒については『釈日本紀』に記載がある。― 昔、貧しい生活をしていた蘇民将来という男が、一晩の宿を乞われて旅人(実は素戔嗚尊)を泊めてあげた。 旅人は彼の手厚いもてなしに心をうたれ、『蘇民将来の子孫であれば疫病から必ず守ってやろう』と約束し、更に腰に茅の輪を下げれば万厄を免れるだろうと告げた。こうした神話から茅の輪潜り神事が生まれ、多くの神社では「蘇民将来子孫守」とか「大福長者蘇民将来子孫也」などと書かれた六角の木柱のお守りや札が頒けられるようになったという。この夏越神事は全国の神社で行われるが特に京都が有名で、平安神宮、北野天満宮、貴船神社、上賀茂神社、松尾大社など洛内数十の神社で夏越祓いが行われる。なお、夏越祓には「水無月」という和菓子を食べる習慣がある。

 ホテルに戻ると、フロントに藍からのメッセージが届いていた。留守の間に訪ねて来たらしい。ホテルの用箋に、明日は駅まで送りますと走り書きしであった。メモのような短い伝言に藍の気持ちが籠められているようで、ちょっと心が痛む。
既に夜半を過ぎていたが、シャワーを使ってから藍に頼まれた原稿に掛る。先に紹介したような夏越祓の謂れに触れたあと、銘菓「水無月」の解説を纏める。

 「旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」と謂れ、室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていました。この日になると、御所では氷室(ひむろ)の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払いました。氷室とは冬の氷を夏まで保存しておく所で、涼しい場所の地下に作られた昔の冷蔵庫のようなものです。京都の北山には氷室という地名があり、今でも氷室の跡が残っています。昔はこの北山の氷室から宮中に氷が献上されたと『延喜式』に記され、宮中では氷室の氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったといいます。
 当時は氷室の氷を口にすると夏痩せしないと信じられ、臣下にも氷片が振舞われたようです。しかし庶民にとっては夏の氷はとても手に入りません。そこで宮中の貴族にならって氷を象った菓子が作られるようになりました。これが水無月です。水無月の三角形は氷室の氷片を表したもので、上の小豆は悪魔払いの意味を表しています。」

 翌朝もう一度目を通してから藍に渡そう。冷蔵庫を開けると、斎藤酒造の「一吟」が冷やしてあった。フロントの気遣いは嬉しが、この夜の酒は心做しかほろ苦かった。
illust53_thumb.gif(尾有り)→おわり

   
               (写真は茅の輪潜りと鱧の骨切り)
 





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by 杜の小径  at 15:53 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

Short short story(掌編小説) 「水無月」(2)

                京乃ぴょん」

 藍は、かつて私が務めていた大学の国文科の学生で、課外ゼミの短歌クラブに席を置いていた。五十名ほどの部員のなかで、目立つ学生が数名いた。藍もその一人だった。岡田という男子学生は東京に本部のある短歌結社の同人だったが、どんな歌を作っていたのか見たことはない。やたら理屈っぽくて、会詩にも難解な評論のようなものばかり書いていた。いっぱしの歌人を気どっていて、私の居ないところでは講義がつまらないと陰口をたたいているようだった。ところが私の前では卑屈なほど従順で、反抗的な態度は微塵も見せなかった。人物と才能はともかく、まあ目立つ存在ではあった。藍のライバルは萌子。母が俳句を作っているとかで、乙張の利いた歌が多かった。藍は「私は晶子。萌ちゃんは山川登美子や」と、はっきりライバルであることを認めていた。「ふ~ん、すると鉄幹は岡田君か」と聞くと、「嫌やヮ~、鉄幹は先生どすェ」とコケトリーに身を捩っておどけてみせた。藍は奔放な性格で、岡田のほかにも野球部のKや水泳部のキャプテンSとも色っぽい噂があった。
 藍は明るい性格で殊更に萌子を避けたりすることはなかったが、時として言動に萌子を見下すようなところが見られた。萌子の家も江戸時代から続いた京菓子の老舗で「筒井」という饅頭を作っていた。実は京菓子というのは京都以外の人の呼び方で、地元では上菓子(じょうがし)と呼ぶ。これは宮中や公家、寺社、茶の家元に納めたり祝いの席に納める献上菓子のことで、同じ菓子でも庶民が普段食べる饅頭などとは厳然と区別される。特別に意識しないまでも、藍には「御菓子司」としてのプライドのようなものがあったのかもしれない。
 
 藍の歌には、次のような大胆に性を詠ったものが多かった。その直截な表現はとても若い女子学生の作品とは思えなかった。彼女は賛辞を期待していたようだが私は敢て無視した。それには理由があった。

   吾が洞に今し血汐の溢るるを
        君待ち給え吾が血満つるを

   牡蠣という艶めくものを啜るとき
        吾が花芯にも蜜の溢るる

 岡田は私の前では下品ですねぇと散々に貶したが、藍は「岡田君から、藍は憧れの感能歌人だと言われましたぇ」と嬉しそうに報告した。
私がこの作品を無視したのには理由があった。最初に挙げた歌は、明らかに上野ちづこの「待って待ってわたしの洞から血が削る」の模倣だった。作者の正体は社会学者として著名な東大教授上野千鶴子である。二番目の作品は模倣と言うより上田五千石の「牡蠣というなまめくものを啜りけり」の改作だった。五千石は秋元不死男の『氷海』で鷹羽狩行や寺山修司らと同門。鬼才と謳われた俳人の有名な作品を堂々と盗用する大胆さに驚かされた。

 私はその後東京の大学へ転職したが、それまでの大学には講師として籍を残し月二回の集中講義を続けた。藍は卒業して間もなく自家の職人と結婚して家業を継いだ。藍とは京都へ来た折ときどき逢っていたが、彼女は自分の身辺のことは殆ど口にしなかった。これらは全て萌子から聞いたことである。萌子は「藍ちゃんは結婚しやはっても変わりまへんで。岡田はんとも付き合うていやはるようどすし、彼と同じ短歌会にも入らはったようどすぇ。」と話した。

「センセ、これから貴船へ行って川床料理でも食べへん。わてなら構いまへんでぇ…。」―辻花の狭い階段を降りながら、藍が囁くように言う。
「今日はホテルに戻る。調べものもあるし、きみに頼まれた原稿も書かなければ…。明日渡すよ」
藍は返事をしなかった。抜衣文から覗く白い項が、六月の陽を受けて白瑪瑙のように輝いていた。「やっぱり貴船へ行こうか」と危うく出かかった言葉を、私は慌てて飲み込んだ。(つづく)
 
         (写真:京都吉祥庵の「京乃ぴょん」饅頭)

(著者のことば―Short short storyとして書き出したから短く終らなければならないが、いざとなるとつい長くなってしまう。書き手が下手くそなのが最大の理由だが、ひとこと言い訳をさせて戴く。実はこれ、水無月や京都の風物について小説風に解説するのが主な目的でした。そうした意味では掌編小説と謂うより、蘊蓄小説と呼んだほうがいいかもしれない。ともかく次回辺りに完結しなければと思っています。)









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Short short story(掌編小説)  「水無月」(1)

            01-300.jpg

「お食べやす」―藍は、笹の葉を添えた菓子皿を五㌢ほど前に押した。
「けっこう。甘い物食べないの、知ってるだろ」―お茶だけでいいと言ったのに勝手に菓子を注文した女に、僕は少し腹が立っていた。
「これ、お食べやす」―こっちの思惑には無頓着に、女の声には否やを言わせぬ強引さが籠められていた。これは京菓子の老舗に いとはんとして生まれた藍の天性のものかもしれない。
 菓子は三角に切った外郎に小豆をのせた「水無月」だった。僕は小豆の部分を匙で掬い、ゆくりと口に運んだ。
「センセ、この水無月って六月の雅称ですやろ。歳時記で調べたら、梅雨があがって雨が降らんようになるから水無やと書いてありましたェ。ほんまやろか」
「そういう説もあるけど、僕はおかしと思う。その根拠になっているのは万葉集の「六月の地さへ割けて照る日にも我が袖乾めや君に逢はずして」という作者不詳の歌なんだ。意味は「六月の土が割れるほどの日射でも、私の袖は貴方に逢えない辛さで流す涙で何時も濡れています」というもの。この歌は、梅雨明けの「土さえ割れる」ほどの太陽の暑さをいっているわけで、雨が降らないといっているわけではないよ。」
「なるほどね。じゃあ「みなづき」としないで「水の月」としたらいのに…」
「(みなづき)を水無月と書くのは当て字で、(みなづき)の「な」は、現代の「の」にあたる連体助詞なんだよ。だから「みなづき」は「水の月」と読むのが正しいんだ。陰暦六月は田に水を引く月であることから、そう呼んだのだろう。「な」が格助詞という証左は港(みなと)→水な門、水上(みなかみ)→水な上、水底(みなそこ)→水な底などの例を見れば解るだろ」
「さすがやわァ。ところで、この水無月をウチでも売ろう思ってるの。センセ、水無月の解説書いて下さりません」―夏場は干菓子の売上が伸びないので、新しく京の夏の銘菓「水無月」を始めたいと言う。いつもは人目を避けるようにホテルへ直接訪ねて来る藍が、今日に限って甘味処の辻花で逢いたいと言った意味がやっと判った。(つづく)






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