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降りみ降らずみ…

                ナナカマド

 玄関を出ると、暗い空から雨が降っている。それも、かなり激しい。部屋に戻りトレッキングシューズに履き替え、防水ヤッケを羽織る。このごろ、何かにつけて根気が続かなくなった。雨を理由にウォーキングを休むと、そのままずるずると止めてしまいそうだ。ここが頑張りどころだ。
 降ってはいても、気温は比較的高い。通気性の高いゴアテックスのヤッケだが、1時間も歩くと下着が汗ばんできた。このところ運動で汗を掻くことが少なかったので、却って気持ちが良い。久し振りの雨で、畑の作物や沿道の植物も心做しか生き生きして見える。雨の中、いつもより1周多く歩いて2時間10ふんにウォーキングを終わる。ヘソ曲がり? そうかもしれない。…一風呂浴びている間に、雨が止んでいた。なんだ、天気のほうがヘソ曲がりだった。

 買い物に出ようとしたら、また降り出した。秋というと秋晴れを連想しがちだが、気象統計では秋はむしろ雨が多い。毎年9月中旬から10月中旬までは一種の雨期になる。秋の長雨とか秋霖(しゅうりん)と呼ばれる。そのほか秋黴雨(あきついり)とか、秋驟雨(あきしゅうう)、といった呼び方もある。夏のはじめに黴(かび)を生やすようなじゅめじめした雨を黴雨(ばいう)秋時雨と言い、秋に降る同じような雨が秋黴雨。ただし読み方が違う。ちなみに夏の「ついり」は「入梅」と書いて文字通り梅雨いりのことである。驟雨(しゅうう)は俄雨(にわかあめ)のことで本来は夏の季語であるが、秋を冠して秋の季語としている。冬の季語である時雨(しぐれ)秋を付すのも同じ遣り方である。

      なにもかも
      捨ててきたのに
      振り返る涸沢に
      ナナカマドは
      血の色

 突然だが毎年この季節になると、穂高涸沢のナナカマドが見たくなる。たとえ一泊でもいい道路が閉鎖される前に登りたいが、問題は天候。7時の予報を聞くと、若い気象予報士が言う。「今週は降りみ降らずみの天気が続くでしょう」―やはり駄目か。

「降りみ降らずみ」は、いい言葉だ。話は跳ぶが、世阿弥の『忠度』の「カケリ」の仕舞の部分に、この言葉が出てくる。平忠度が岡部の六弥太に討たれる回想場面―「…六弥太心に思うよう。痛わしやかの人の御死骸を見奉れば。その年もまだしき。長月頃の薄曇り。降りみ降らずみ定めなき。時雨ぞ通う村紅葉の。錦の直垂はただ世の常によもあらじ。いか様これは公達の。御中にこそあるらめと御名ゆかしき所に。箙をみればふしぎやな。

            (写真は穂高涸沢のナナカマドの紅葉)
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by 杜の小径  at 19:08 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

妻の忌日

               野菊

        手のぬくみ
        のこる
        野菊が
        妻への
        手向け

 今日は妻の祥月命日。午後から娘の車で墓参に…。お彼岸に供えた花が未だ枯れずに残っていた。彼岸のときは娘一家が全員揃ったが、今日は旦那がブラジル出張、下の孫 旬平は学校があって欠席、上の孫だけが来てくれた。旬平は未だ幼かったし男の子だから、家内への思い出も薄いのかもしれない。上の孫 真由子は俗に言う“おばあちゃん子”で、来る度に十分以上墓の前で掌を合わせている。それに反し娘の真理芽はドライだ。小銭が無いので花代の一万円を渡すと、お釣りをさっさと自分の財布に入れてしまう。更に「今日は”イーチャン“に美味しいものを奢って貰いなさい」と孫を嗾ける。どんな育てられ方をしたのか、親の顔がみたい。(親はオレだった)

 家内が逝って8年になるが、いつも私の周りに風のように寄り添っているように思える。一口に「愛」という言葉では表せない、静かに見守られている感じである。唯物論者の私が事あるごとに墓参りに訪れるのは、そのせいかもしれない。






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by 杜の小径  at 22:23 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

田中鐡男君を悼む

              フヨウ

   白く咲くことに疲れて白芙蓉(杜)

 盟友 田中鐡男君が逝ってしまった。先日、ご遺族だけで密葬を済まされ、11月9日に友人が集って「偲ぶ会」を開くことになった。彼とは学校は違ったが、大学時代から兄弟のように付き合ってきた。学習院大学在学中は弁論部の部長を努め、全日本大学雄弁連盟の幹事として活躍された。百㌔を超える巨体で性格も豪放だったが、細かいところまで気を配る繊細な神経も持ち合わせていた。出身は三重県で父親が工兵隊の師団長だった関係で大学時代は父親の旧部下という家に寄宿していた。われわれ貧乏学生の中では金回りの良い方だったので、金に困ると彼を呼び出した。それが何処でも深夜でも必ず駆け付けてくれた。それほど友情に篤い男だった。
 若い頃から映画が好きで願い叶って日活に入り(もちろん俳優ではない)、副社長にまで上り詰めたが、労働組合に社を乗っ取られて日活を去った。そのとき暫くウチに来ないかと誘ったが、「母校学習院の顧問をやることにした。安部能成さん以来の顧問だ」と相変わらずの意気軒昂ぶりで安心した。ところが父兄の間から「学習院顧問がポルノ映画を作っていた前日活副社長では困る」という声が出て、1年で退職した。彼の人脈の広さは驚くほどで、その後はセコム相談役、福岡ドーム副社長などを歴任した。
 こんなエピソードもある。私の教え子のお嬢さんが結婚することになり、結婚式に招かれた。来賓のテーブルで隣り合った紳士に挨拶され、名刺を交換すると「イチケン株式会社秘書室長」とある。確か田中君がそんな名前の会社に務めが変わっていたと記憶していたので、「お宅にタナカテツオという人は未だいますか。でかい男ですが…」と聞いてみた。
すると「それは私どもの会社の会長でございます。今日の新婦は田中会長の秘書をしておりました」という返事が返ってきた。帰宅後に電話すると、「えっ、そうだったの。あなたが来ると判っていたら重役会なんか放り出して行ったのに…」と彼も、その偶然に驚いていた。結局、イチケン会長が彼の最後の職場となった。
 学生時代に話を戻すと、私が学生連盟の第20代に委員長、田中君が第21代の委員長を努めてくれた。私の前が酒井清(立教大・後に横浜アカデミー理事長、日本秘書協会理事長)、副委員長藤波孝生(早大・後に衆議院議員・内閣官房長官)、山本卓也(慶大・後に弁護士)は既に逝き、私の時の副委員長岡市侑(中大・後に電通役員)も故人となり、今また田中鐡男君が先に逝ってしまった。哀切限りない。惜しまれる人は早く逝く。私は少し長く生き過ぎたかなぁ。






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by 杜の小径  at 12:07 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

彼岸花考

              ひがんばな

 
     彼岸花の
     土手
     離(さか)りてゆきぬ
     陽も
     人も
 
 彼岸花は寂しい花である。高麗川の広大な群生地を見たときでさえ、そう思った。今朝、ウォーキングの途中で見た二株、三株の花は猶更であった。好きかと聞かれれば、好きとは答えられない。「家の中に持ち込んでは行けない。触ってもだめ」―幼いころ母から言われた言葉が、今も耳に残っている。そのせいかもしれない。

 20年ほど前、私が主宰する「にほんごの会」で方言分布のサンプルとして彼岸花の異称を調べたことがある。
 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、天蓋花、火焔草、野松明(のたいまつ)、豚饅頭などの異称は千を超えていた。曼珠沙華はサンスクリット語 manjusaka の音写とも謂れ、彼岸花同様に仏教との関係を窺わせる。天蓋花、火焔草、野松明は花、豚饅頭は球根の形からきた名前であろう。その他、地方に行くに従って不吉な名前が増える。死人花(しびとばな)、葬式花、墓花、地獄花、幽霊花、剃刀花、厄病花、狐花、狐の松明(たいまつ)、狐の㞍拭い、他に毒花、手腐り、痺れ花、舌曲り、捨子花、歯抜け草など、不思議な名前も目立つ。殆どが有毒性を示す名前だ。捨子花は花(子)が咲くときに葉(親)が居ない意味、歯抜け草は「葉抜け草」の変化か。

 土手や畔に多いのは、アルカロイド系の毒を持つので土手や畔を荒らすモグラ、野ネズミを防ぐために人為的に植えられたもの。昔は土葬だったので遺体が動物に荒らされないように埋葬後に彼岸花を植えたようだ。一連の不吉な名前も先人の知恵を表すと見ることもできる。
鍾馗水仙(しょうきすいせん)と呼ばれる品種もあるが、黄花に限られる。どうやら園芸用に作出されたもののようだ。古代は「壱師(いちし)の花」と呼ばれていたようで万葉集に次の歌がみられる。

   路(みち)の辺の 壱師の花の 灼(いちしろ)く人皆知りぬ わが恋ふる妻
                                     (柿本人麿)





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秋茜、そして彼岸花

      アキアカネ    210921.jpg


 上京中の「南の風」高原さんと水光苑で昼食。10月に福岡市民芸術祭で行う講演に備えて、九州地区の短詩界について予備知識を仕入れる。昼酒が廻るにつけ、話題はどうしても「五行歌の会」K主宰に及ぶ。数年前、放漫経営が祟って印刷代の未払いが数ヶ月分に及び倒産に瀕した。当時、副理事長だった高原さんが中心になってカンパを募り漸く危機を乗り切ったが、経営が軌道に乗ると自分の弱みを握られている理事連中が邪魔になり、全員を会から追放した。剰さえ黒枠で囲んだ絶縁状を会員にばら撒いたという。私も筆舌に尽くし難い卑劣な姦計で会を追われた一人だ。才能も無く品性下劣な男が、どうして主宰の地位に居られるのか不思議だ。まあ、文学結社の主宰というより新興宗教の教祖みたいなものだろうというのが、二人の一致した感想だった。まあ、それはそれとして、当日は詩歌の本質について易しく話すことにしたい。少し飲み足りなかったが91歳になられる彼のご母堂が寂しがられるだろうし、折しも今日は敬老の日、早くケーローということになった。

 彼と別れても火の点いた怒りがおさまらない。独りで飲み直すには未だ陽が高過ぎる。マンションの管理人が高麗川の彼岸花を見てきたという話を思い出し、そのまま池袋経由で高麗川へ。此処の巾着田は全国に知られた彼岸花の名所。蛇行する高麗川の流れが巾着形(Ω)に見えることから名付けられた。数年前に近くの日和田山からの眺めで、この謂われを納得した。今日は時間が無いので駆け足で回る。7世紀に高句麗が唐と新羅の連合軍に滅ぼされたとき大勢の高句麗が日本に亡命してきた。その人たちが大きく湾曲した高麗川を利用して、この地を開墾して田を作り稲作を伝えたと言われている。今は田んぼは殆ど無く、観光用の彼岸花やコスモスがうえ植えられている。

 
   流水に添ひ且つ離(さか)り 秋茜(杜)
   
   早く生(あ)れ 淋しからずや秋茜(〃)
  
   素戔鳴(すさのお)を囲みし野火か彼岸花(〃)

   堂守は高麗人(びと)のすゑ彼岸花(〃)

「あいあい橋」の下で、この秋はじめての秋茜を見る。近くの高麗神社は渡来人の長(おさ)で高麗王朝の血筋をひく玄武若光が祀られている。実はその子孫の高麗さんとは小学館で一緒に仕事をした仲だが、今日は時間が無くて立ち寄れなかった。

 帰宅すると、教え子の娘さんから敬老の日の贈り物が届いていた。包を開けると、立派なガウンの上に「東京のおじいちゃんへ」と書いた小さな紙切れが載っていた。






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by 杜の小径  at 02:55 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

昨日のつづき

       てらやま     さかぐち
     会うだけと
     決めていたのに
     出がけには
     足袋を脱ぎ
     爪を剪る

 不倫な関係は、もう清算しよう。最後のデートはプラトニックな愛を貫いて、清い思い出だけを遺しておこう―健気に心を決めたのに女心の哀しさ、出がけには無意識に甘い抱擁を期待して足の爪を剪っている。女の業(ごう)を描いた切ない作品です。実は、これ私の旧作なんです。断っておきますが、私は歴とした男性です。(笑)これを発表したときは、「男が女の歌を作るなんて…」という声も少なからず聞こえてきましたよ。そんなとき私は、「じゃあ、船橋聖一が『芸者小夏』を書いたのがオカシイの?」とだけ言っておきました。小説では虚構が当然とみられるのに日本の短詩(短歌、俳句、五行詩)では、なぜ“I”(私性)を絶対視するのでしょう。不思議です。

 さて、昨日のブログで美雨さんの thesis をご紹介しましたが、その一つが「…語彙も特別な経験もない私は、小説の中で主人公の人生を疑似体験し、歌を作る」でしたね。以上に書きましたように、私は美雨さんのお考えに大賛成です。文学の他のジャンルのように、五行詩(歌)に於いても、大いに疑似体験を作品化すべきだと思います。ここで、昨日「本歌取り」で登場してもらった寺山修司に再登場してもらいましょう。

   亡き母の真赤な櫛で梳くきやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり

   新しき仏壇買いに行きしまま行方不明のおとうとと鳥

 二つとも寺山の作品です。ところが当時、寺山の母は未だ生きており、弟などは居なかったのです。彼は伝統的短歌では必須とされた”I”(私)を捨て、虚構の中に新しい詩境を求めたのです。寺山が逝って26年、フランス文学者・桑原武夫が「第二芸術論」で俳句を例に挙げて日本の伝統的な短詩形の権威主義、閉鎖性、因習性を論破してから62年経ちました。しかし日本の短詩は、その体質を全く変えていません。文学結社、特に新興結社は文学としての矜持を失い、桑原が指摘したように茶の湯、生け花、踊りの家元のような存在になり下がっています。いや、それらは厳しいお稽古があるだけ未だマシで、中には指導さえ放棄して単に集金マシンになってしまった結社さえあります。哀しいことです。

 実は私は、桑原の第二芸術論よりも、その後に書かれた坂口安吾の「第二芸術論について」のほうに興味があります。60年前に結社の状況を見通したような文章です。指導を放棄した主宰を新興宗教の教祖のように崇め奉っている諸兄姉にぜひ読んで欲しいです。一部を紹介しておきましょう。

「(前略)第一芸術、第二芸術、あたりまへの考へ方から、見当のつきかねる分類で、一流の作品とか二流の芸術品とかいふ出来栄えの上のことなら分るが、芸術に第一とか第二とかいふ、便利な、いかにも有りさうな言葉のやうだが、実際そんな分類のなりたつわけが分らない言葉のやうに思はれる。むろん、俳句も短歌も芸術だ。きまつてるぢやないか。芭蕉の作品は芸術だ。蕪村の作品も芸術だ。啄木も人麿も芸術だ。第一も第二もありやせぬ。俳句も短歌も詩なのである。詩の一つの形式なのである。外国にも、バラッドもあればソネットもある。二行詩も三行詩も十二行詩もある。
 然し日本の俳句や短歌のあり方が、詩としてあるのぢやなく俳句として短歌として独立に存し、俳句だけをつくる俳人、短歌だけしか作らぬ歌人、そして俳人や歌人といふものが、俳人や歌人であつて詩人でないから奇妙なのである。外国にも二行詩三行詩はあるが、二行詩専門の詩人などゝいふ変り者は先づない。変り者はどこにもゐるから、二行詩しか作らないといふ変り者が現れても不思議ぢやないが、自分の詩情は二行詩の形式が発想し易いからといふだけのことで、二行詩は二行の詩であるといふことで他の形式の詩と変つているだけ、そのほかに特別のものゝ在る筈はない。俳句は十七文字の詩、短歌は三十一文字の詩、それ以外に何があるのか。日本は古来、すぐ形式、型といふものを固定化して、型の中で空虚な遊びを弄ぶ。然し流祖は決してそんな窮屈なことを考へてをらず、芭蕉は十七文字の詩、啄木は三十一文字三行の詩、たゞ本来の詩人で、自分には十七字や三十一字の詩形が発想し易く構成し易いからといふだけの謙遜な、自由なものであつたにすぎない。けれども一般の俳人とか歌人となるとさうぢやなくて、十七字や三十一字の型を知るだけで詩を知らない、本来の詩魂をもたない。俳句も短歌も芸術の一形式にきまつてゐるけれども、先づ殆ど全部にちかい俳人や歌人の先生方が、俳人や歌人であるが、詩人ではない。つまり、芸術家ではないだけのことなのである。然し又、自由詩をつくる人々は自由詩だけが本当の詩で、韻のある詩や、十七字、三十一字の詩の形式はニセモノの詩であるやうに考へがちだけれども、人間世界に本当の自由などの在る筈はないので、あらゆる自由を許されてみると、人間本来の不自由さに気づくべきもの、だから自由詩、散文詩が自由のつもりでも、実は自分の発想法とか構成法とか、自由の名に於て、自分流の限定、限界、なれあひ、があることを忘れてはならない。だからバラッドやソネットをつくつてみようとか、俳句や短歌もつくつてみたいとか、時には与へられた限定の中で情意をつくす、そのことに不埒のあるべき筈はない。十七文字の限定でも、時間空間の限定された舞台を相手の芝居でも、極端に云へば文字にしかよらない散文、小説でも、限定といふことに変りはないかも知れないではないか。芥川龍之介も俳句をつくつてよろしい。三好達治も短歌も俳句もつくつてゐる。散文詩もつくつてゐる。ボードレエルも韻のある詩も散文詩もつくつてゐる。問題はたゞ詩魂、詩の本質を解すればよろしい。主知派だの抒情派だのと窮屈なことは言ふに及ばぬ。私小説もフィクションも、何でもいゝではないか。私は私小説しか書かない私小説作家だの、私は抒情を排す主知的詩人だのと、人間はそんな狭いものではなく、知性感性、私情に就ても語りたければ物語も嘘もつきたい、人間同様、芸術は元々量見の狭いものではない。何々主義などゝいふものによつて限定さるべき性質のものではないのである。
 俳句も短歌も私小説も芸術の一形式なのである。たゞ、俳句の極意書や短歌の奥儀秘伝書に通じてゐるが、詩の本質を解さず、本当の詩魂をもたない俳人歌人の名人達人諸先生が、俳人であり歌人であつても、詩人でない、芸術家でないといふだけの話なのである。

               (写真:左から寺山修司、坂口安吾)




   




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by 杜の小径  at 22:49 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

美雨さんという歌人

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   夢物語に
   心残して
   白い月
   明ける空に
   同化してゆく

 これは関西在住の歌人美雨 さんの作品、久しぶりに私のホームページ「杜の小径(http://homepage3.nifty.com/morinokomichi/ )の中の「杜のギャラリー」に投稿して下さったものです。明けてゆく空に同化していくような有明の月に、作者自身の想いを仮託した味わいのある作品です。ここ数年間に二度しかお合いしていませんが、作品を通して真摯な生きざまが伝わってくる方です。そんなことで時どき彼女のブログを拝見するのですが、先月次のような興味深い書き込みがありました。

>…小説や詩、その他、読み物があれば何でも読む。その中に偶然、自分と波動の合う言葉をみつけると懐かしい友に会ったような気持ちになる。

>…語彙も特別な経験もない私は、小説の中で主人公の人生を疑似体験し、歌を作る。

 最初の記事に私は共感することを伝え、日本の詩歌には伝統的に「本歌取り」という手法があることを書かせていただきました。
 「本歌取り」とは優れた古歌や詩の語句、発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧です。例えば新古今集い載る式子内親王の「しるべせよ跡なき浪に漕ぐ舟の行方も知らぬ八重の潮風」は古今集の藤原勝臣の「白浪の跡なき方に行く舟は風ぞたよりの しるべなりけり」を本歌として作られています。また、藤原定家の新古今集所載の「駒とめて袖打ち払ふ蔭もなし 佐野の渡の雪の夕暮」は、万葉集の長忌寸奥麻呂(ながのいみきおきまろ)の「苦しくも降りくる雨か三輪の崎 狭野の渡に家もあらなくに」を本歌取りした作品です。
 和歌だけではありません。『奥の細道』の平泉の箇所に「国破れて山河あり城春にして草青みたり」という一節がありますが、これは明らかに杜甫の『春望』から「国破れて山河あり 城春にして草木深し」を本歌取りしたものです。
 短歌と俳句のコラボしたような本歌取りもあります。以下の短歌をご覧下さい。

   マッチ擦る つかのまの海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや

 これは寺山修司の代表作です。次に下の俳句二句をご覧下さい。
   
    一本のマッチをすれば湖は霧

    めつむれば祖国は蒼き海の上

 これ、寺山の句ではありませんよ。全く別人の、1940~50年代に活躍した富沢赤黄男(かきお)の句です。即ち寺山は赤黄男の俳句を下敷きにして、この名歌を作ったのではありません。これだけではありません。彼は同じ手法を使って18歳のとき『短歌研究』新人賞を取っているのです。こんな調子です。カッコの中が下敷きにしたと思われる俳句と作者です)。
 
  向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わずば自己なき男(人を訪はずば自己なき男月見草―中村草田男)
 
  わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る(わが天使なるやも知れず寒雀―西東三鬼)

  わかきたる桶に肥料を満たすとき黒人悲歌は大地に沈む(紙の桜黒人悲歌は地に沈む―西東三鬼)

  莨火を床に踏み消して立ちあがるチェホフ祭の若き俳優(燭の灯を莨火としつチェホフ忌―中村草田男)

  莨火を樹にすり消して立ちあがる孤児にさむき追憶はあり(寒き眼の孤児たの短身立ちあがる―秋元不死男)

 これは、ほんの一部。受賞作50首の殆どが、この調子でした。盗作ではないかとい批判に対し同誌編集長の中井英夫は、この連作を「本歌取りだ」と言って支持したのです。主催誌の編集長として止むを得ない発言だったでしょう。寺山自身は平静を装っていましたが内心ではかなりショックを受けたようで、やがて彼は次の歌を遺して短歌の世界と訣別し、演劇の世界へと旅立って行くのです。

   わが捨てし言葉は だれか見出さむ 浮巣の日ざし流さるる川

   ピーナッツを さみしき馬に食わせつつ いかなる明日も貯えは せず

   大いなる夏のバケツに うかべくる わがアメリカと 蝶ほどの夢

 この事件がきっかけになったわけでもないでしょうが、それ以後、絵画や音楽などの芸術作品でもオリジナル作品へのリスペクトから意識的にそのモチーフを取り入れたものを本歌取りと呼ぶようになりました。

 私は五行詩(五行歌)を志す方に申し上げたい。ご自分の詩域を広げるために「本歌取り」の手法を採り入れることに賛成ですが、それは先人の作品への深いリスペクトを伴うもので、且つ詩趣において先人を超えるものでなければならない…と。(つづく)






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細る月

             みかづき

   三日月に見え見失ふもの あまた(杜)
   
   酒の客 灰皿の客 月細る(〃)
 
   なにもかも忘れたき朝 残り月(〃) 

 いつも通り午前4時に家を出る。今日から長袖のシャツにした。それでも涼しいというより、うそ寒い陽気である。ピッチを上げて体を温める。明朝からはパンツも長めにしたほうがいいかな。夏の間、暁暗の中から聞こえていたヒグラシの声はもう無い。代わって叢に集く虫の声が囂しい。野川河畔に出ると東の空、地平線寄りに金星を従えた上弦の月が輝いていた。月齢は幾つくらいだろうか。40分コースの2周目にかかるころ、月は中天に移動し、4周目が終わるころには月影が消えていた。東の空を放物線を描くように移動したようだ。

 帰ってからニュースを見る。午前3時に初登院一番乗りを果たした民主党の三宅雪子議員が映されていたる。彼女の頭上にも、三日月が輝いていた。
 天文図鑑で月齢を調べると、26だった。20日の日曜日が新月となる。不思議なことに気付いた。月齢26の日は天変地異や凶事が多い。戦後の主なものを挙げると…三河地震(1945)、東京大空襲(〃)、熱海大火1,015戸消失(1950)、米、ビキニ水域で水爆実験。第5福竜丸被爆(1954)、アインシュタイン死す(1955)、チリ南部大地震(1960)、ペルー北部大地震(1970)、三島由紀夫、自衛隊市ヶ谷総監室で割腹自殺(〃)、イラン南部大地震(1972)、三宅島噴火(1983)、日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故(1983)、NY株式市場大暴落「魔の月曜日」(1987)、英・チャールズ皇太子とダイアナ妃、離婚(1986)。

 折しも今日は、鳩山新政権スタートの日。こうしたジンクスを吹き飛ばすような気概を期待したい。





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by 杜の小径  at 22:42 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

酔談酔筆にしては硬い話

                ウイスキー

 長いあいだ政治記者をやってきた友人と、自宅で飲む。お互いに弱くなったなぁなんて言いながら、朝までに彼が持参したロイヤル サリュ-トを空にしてしまった。彼を送り出してから3時間ほど寝たが、まだ頭の芯ガズキズキしている。やっぱり弱くなったんだ。
 政界の裏話など面白い話を聞いたが、オフレコの話題が多く詳細を公開出来ないのが残念だ。二日酔いの頭で振り返ると、酔談の中にも捨てがたい話も幾つかあったように思う。
 彼は言う。自民党員の中にも個々に話すと、才能もあり人格的にも優れた人物が沢山いる。それなのに何故つぎつぎに暗愚なリーダーしか出ないのか、何故そうした事態を許してきたのか―その原因はいろいろあろうが、彼は主因として個性をスポイルしてしまう「組織」の不可思議な力を挙げる。いったん組織に属すると、日本人は批判力を失って単なる組織の一員と化してしまう。それは、寄らば大樹の陰といった打算だけでは割り切れない異様な心理状態だと言う。

 公明党の話も出た。政教分離とかいうことより、その母体となっている創価学会の強大な組織力が話題の中心だった。創価学会は何故か信者数を世帯数で公表しており、2007年発表で827万世帯。家族全員が信者とすれば3000万人近くになり、ちょっと信じられない。
 文化庁の宗教年鑑によると、信者数は神道が1億700万人、仏教が8900万人、キリスト教が300万人、「その他」の宗教が1000万人いる。これらの中で団結力と政治的進出では創価学会が際立っている。そのエネルギーの源は神格化された池田大作名誉会長である。2002年、創価学会は会則を変更して彼に、「永遠の指導者」という称号を与え、名実共に独裁体制が確立された。私が毎月通う信濃町駅周辺から外苑東通りの左門町交差点までの主要地域は創価学会関連団体で占領されている。それを見る度に組織の力に驚く、と言うより恐怖感さえ覚える。

 私は一時期、ある文芸結社に所属したことがある。主宰は東大出を看板に会員を集めていたが、その知的レベルは最低で、作品にもみるべきものは皆無だった。入会して間もなく彼の講演を聞いて私は絶望した。支離滅裂、その知識は中学生以下で終わりまで聞くに堪えなかった。例えば「私は聖徳太子の信奉者だ。あの時代、漢字が読めて漢文を解したのは太子以外にはいなかった」などと得々として話すのである。聖徳太子の生年は詳らかではないが凡そ574年~622年とするのが定説。一方、漢字は応神天皇(在位270年~310の時代に伝来したというのが定説。聖徳太子の時代より百年も早い。また、稲荷山古墳から発掘された鉄剣には、次のような長文の漢文が金象嵌(きんぞうがん)されていた。
辛亥年七月中記、乎獲居臣、上祖名意富比垝、其児多加利足尼、其児名弖已加利獲居、其児名多加披次獲居、其児名多沙鬼獲居、其児名半弖比 (表)
其児名加差披余、其児名乎獲居臣、世々為杖刀人首、奉事来至今、獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時、吾左治天下、令作此百練利刀、記吾奉事根原也(裏)
【大意】「私の祖先は代々、杖刀人の首を務めてまいりました。私は獲加多支鹵大王に仕え、天下を治めるのを補佐してきました。そこで辛亥年七月に、これまでの輝かしい功績を剣に刻んで記念とします。」
銘文中の「獲加多支鹵大王」は、日本書紀の大泊瀬幼武(オオハツセワカタケ)天皇、すなわち21代雄略天皇となる。彼の在位は456年~479年で、聖徳太子より百数十年前だ。
 その時代既に一地方で漢文が遣われているのに、なぜ聖徳太子の時代に太子しか漢字をしらなかったと言えるのか。
そうした彼の放漫経営で、会は倒産に瀕した。幹部たちが集まってやっと再建したが経営が安定すると、苦境を助けた幹部全員を会から追放してしまった。多くの会員が主宰を見限って幹部と共に会を去った。しかし、今もって会に留まるばかりか主宰のシンパとなっている人もいる。個人的にはなすと聡明で理性的な人なのに、「組織」からは離れられないのである。不思議な心理である。

 政治学者で東大教授の姜尚中(カン・サンジュン)さんが、「衆愚」について語っている。個人的に話していると聡明で理路整然としているのに一旦組織の中に入ると、聡明さも理性もその中に埋没してしまって、別人のように変貌してしまう。いや、変貌させられてしまう。
 彼は在日韓国人二世で、はじめ永野鉄男を名乗っていたが、早稲田大学在学中、韓国文化研究会(在日韓国学生同盟)に参加して韓以来、現在の名前に変えた。彼は韓国の学生運動に参加するなかで客観的な視点の大切さを体得したという。彼は日本民族を悲劇的戦争に巻き込んだ独裁者の出現を、「組織の持つ不思議な力」に淵源があると解き明かす。彼の醒めた眼は、我々の忘れている視点に気付かせてくれる。例えば彼が2006年11月25日の世界海外韓人貿易協会で行った講演で、次のように話している。「北朝鮮核問題や拉致問題を取り上げて北朝鮮を批判する、日本の世論を変えねばならない。在日同胞たちが過去に日本に連れて来られたことに対しては何も言わず、冷戦時代の拉致ばかり話すというのは矛盾したことだ。私は横に横田夫妻がいても、これを言うことができる」と。その論旨を100%しじするわけではないが、私たちが忘れていた視点ではる。








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by 杜の小径  at 23:55 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

硬いオクラ―ヴェランダ農園便り

 オクラ花 オクラ タカツメ
 
 播種が遅れたため苗がひ弱で、成長が危ぶまれていたオクラ。丹誠の甲斐があって、今月はじめから花を付け始めた。アオイ科だけにフヨウにそっくりな黄色い花だ。6株のうち日当たりの良い場所の2株が、相次いで実を付けた。八百屋で売っているのと同じ実が(当たり前だ)天に向かって育つのは感動的。今夕そのうちの5本を採って天麩羅にした。ところが…繊維が噛み切れないほど硬い。もっと早く収穫しなければいけなかったようだ。
 4株のタカノツメは、たいへん元気だ。こっちは青いうちから収穫して新鮮な辛味を賞味してきたが、次から次へ実が増えるので食べきれない。ここ数日、赤く色づく実が目立ってきた。完熟したら「一味」を作ろう。

   一日の命の終わりオクラ閉ず(杜)

   葉隠れに天を指しをりオクラの実(〃)

   爪磨ぎて何に挑むかたかのつめ(〃)







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by 杜の小径  at 19:47 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

懐かしの「風紋」

              あ

 昨日の朝日新聞・東京判に懐かしい記事が載っていた。三鷹市を中心に朗読会を続けている原きよさんが、太宰治の生誕百年を記念して太宰ゆかりの酒場で作品の朗読会を開くという。林さんという方は存じ上げないが、ゆかりの酒場というのは吾が青春の舞台の一つである。
 酒場の名前は「風紋」。この店はママの林聖子さんが50年近く前に始めた店で、亡き母富子さんは太宰の「水仙」や「グッド・バイ」のモデル。聖子さん自身も「メリイクリスマス」の中に少女「シズエ子」として登場している。そんな関係からか、この店には作家、詩人、舞台芸術家などがいつも猬集していた。
 檀一雄も常連の一人で、私がこの店を知ったのも先生に連れられて行ったのが最初だった。客が十人も入ると一杯になるほどの小さな店で、ママの他には「くろちゃん」と呼んでいた若い女性ともう一人。二人とも素人っぽい女性だった。檀先生は近くに在った「眉」というクラブかご自宅で飲まれた後、仕上げをするように風紋を訪れることが多かった。店に入ると客席には座らず、決まってカウンターの中に入って勝手に料理を作られた。まるでご自宅のように振る舞われるので、ある日酔った勢いで「ご自分の店みたいですね」と尋ねると、私の意図を察して、「違う違う」と初めて富子さん、聖子さんが太宰作品のモデルだった経緯を話して下さった。

 檀先生が逝って40年、吾が青春の日々もセピア色の霞の中に消えつつある。そんな中で図らずも蘇った懐かしい記憶。新聞によると風紋での朗読会は来月8日午後7時からに行われる。第一部では原さんがゆかりの「メリイクリスマス」を朗読、第二部では聖子さんが「魚服記」を披露されるという。チャージは2000円(1ドリンク付)。ご一緒して下さる方がいれば、当日の飲み代は二次会も含めて私めが負担します。(笑)






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by 杜の小径  at 03:18 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

面映ゆい出来事

             くさ
 
  詩友の一人から最近刊行された鷹羽狩行さんの著書『新俳句鑑賞』(梅里書房刊)を贈って戴いた。同書の中に「秀句佳句」として、私の作品が載っているということだった。鷹羽さんは現代俳人協会の会長で,「狩」を主宰する傍らNHKラジオで俳句講座を担当されている俳壇の第一人者。私の作品が そうした方の著作に秀句として取り上げて戴いたことは光栄だが,些かの戸惑いもある。というのは、私は俳人ではない。私は様ざまな形の詩を作っているが、既成の短歌、俳句、五行詩などのフォルムに捉われてはいない。私の作品ファイルには一行詩から多行詩まで雑多な作品が混在している。要するに私は詩人ではあっても、歌人とか俳人ではない、と自分では思っている。
恐らく私が一行詩として発表した作品が、鷹羽先生のお目に止まっのであろう。それにつけても作品を一旦発表した以上、どこでどんな方の目に止まるか判らない。作者は自分の作品に責任を持って,推敲に推敲を重ねた完全なものを発表しなければならない、と改めて思った次第である。参考までに同書に掲載されていた拙作と、その評文の要約を紹介させて戴く。

  「木道の先も木道 草もみぢ」 ― 村瀬杜詩夫 作

【鷹羽狩行評】 尾瀬か蓼科のようなところ。湿原の草花を愛でやすいように木道が設えられている。それが切れたと思ったら、また次の木道があらわれた。人がどっとくり出す夏とは違って、「草もみぢ」であることが、人もまばらになった湿原風景と、秋のさわやかな季節感を表出しています。






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by 杜の小径  at 22:25 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

十六夜月

               いざよい

 昨日に続いて、また月の話です。「月並みだ、月だけにアキがきたよ」なんて言われそうだなと怖れつつ…。
 
 今朝も月が綺麗でした。そう思って見るからでしょうが、微かに痩せた姿で近くに一刷の雲を配した姿は なかなか風情がありましたよ。
 最近はゆっくりと月を眺めるといったことがありませんでした。私個人で言えば脚を痛めて山へ登らなくなったからです。山では他に眺めるものが無いから、ビバークでは雪で沸かした珈琲を飲みながら月でも眺める以外にやることがないんです。(笑)まあ、これは冗談としても人工照明が溢れた都会では、なかなか夜空を見上げる機会が少なくなっています。更に言えば身辺の些事に関わって、空を見上げるような心の余裕を失っていたのではないかと思います。坂本九ちゃんが逝って24年、もう一度「上を向いて歩こう」を自戒を込めて思い出したいものです。

   悲しみは 星のかげに
   悲しみは 月のかげに
   上を向いて歩こう
   涙が こぼれないように
   泣きながら歩く 一人ぽっちの夜

 昔から十五夜の翌日の月は十六夜(いざよい)と月と呼んで特別な気持ちで眺めてきました。「いざよい」の語源は古代の「いさよい」です。進退を躊躇うといった意味でしょうか。だんだん大きくなった月が満月(望月)となり、さあ、これから欠け始めるという日の月に対する微妙な気持ちが籠められています。

 月は古くから多くの物語に登場します。ギリシャ神話の月の女神は元々セレネであるが、後にアルテミスやヘカテと同一視され、月が満ちて欠けるように3つの顔を持つ女神とされるようになりました。日本では月に兎が棲むと信じられてきましたが、古代中国では月の模様を兎の姿とみる見方があり、月のことを玉兎(ぎょくと)と呼んでいます。中国だけでなくタイには月の町と呼ばれる県があり、その県章には月と兎が描かれています。これら月と兎との由来はインド仏教説話集ジャータカからとみられます。

 最後に私の好きな『荒城の月』(土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲)を紹介して終わります。

   春高楼の 花の宴
   巡る盃 影さして
   千代の松が枝(え)分け出でし
   昔の光 今いずこ

   (中略)

   天上影は 変わらねど
   栄枯は移る 世の姿
   映さんとてか 今も尚
   ああ荒城の夜半の月





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by 杜の小径  at 12:01 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

秋は曙…

     つき1     つき

 書斎の椅子をオットマン付きのものに替えたら、そのまま椅子で寝込む癖がついてしまった。今朝も気が付いたら、椅子の上で眠っていた。部屋干した洗濯物のためにクーラーを除湿に切り替えておいたせいか、喉が渇いて午前3時に眼が醒めた。窓を開けてヴェアンダに出るとすぐ、西南の中天に懸かる月が目に入った。周りに雲が無いのか輪郭のくっきりした切り紙を貼り付けたような月だ。

 いつもより少し早いが、4時前に家を出る。歩き出しても月はついてきた。フレームの無い暁暗の空に浮かぶ月は、いっそう大きく見える。月齢は幾つくらいだろうか。(帰ってから調べたら、月齢は昨日が14,7、今日が15,7、まさに満月であった)。月だけでなく“明けの明星(金星)や獅子座α星アルタイルなども、はっきり見える。清少納言は曙は春がいちばんと書いているが、私は秋から初冬にかけての曙が好きだ。濾過された大気に包まれた万象が透明になり、それが自分の身内に沁み込んでくるような感じがする。

              つき2

 最近は新小金井街道から野川沿いのプロムナードに入り、上流の暗尾根橋で折り返すコースを回る。1周が約30分かかる。2周目が終わるころ、東の稜線が薄薔薇色に染まってくる。晴れていればだが、これがまた美しい。この時刻だとジョガーの姿も殆ど見られないから、ウォーキングに軽いジョギングを交えながら自分のペースで歩くことができる。4周を終わるころ、星はもちろん、月の姿も消える。
 約2時間のウォーキングを終えると、薄らと汗ばむ。1時間かけてゆっくりと入浴してから朝食。これが最近のスタンダードな朝の日課だが、幸い体調は80%を維持している。左膝が完治すれば100%だが、そうなると また山へ行きたくなるので、このくらいが丁度いいのかもしれない、








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by 杜の小径  at 12:00 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

あいさつ

                  あさやけ

  新涼や淹れて ひとりに余る珈琲

 4時に家を出る。暁暗が少し濃くなったような気がする。短パンと反袖シャツでは肌寒いほど。東経大下の小径にかかっても、いつもなら聞こえるヒグラシの声が聞こえてこない。早朝は殊更に秋を感じる。5時。久しぶりに朝やけを見る。未だ雲は残っているが、それがアクセントになって却って美しい。最初の2周ぐらいは殆ど人影を見ないが、5時半を過ぎるとジョガーがぽつぽつ現れる。山男の習慣が身についているから、私は擦れ違う度に必ずおはよう」と声を掛ける。反応は様ざま、丁寧に挨拶を返す人もいるし全く無視する人もいる。なかには近づく前に走路を車道に逸らして、こっちと逢わないようにする人もいる。それは、それでいい。ジョギングに熱中したい人にとって、挨拶など面倒と思うのも無理からぬことだ。ただ、人が多くなると、誰に挨拶したか判らなくなる。これが困るから早く家を出て、あまり人が出ないうちに引き上げることにしている。

 こきん  kokinchan_withC.jpg  きんた
  
 挨拶といえば、今月から市の主唱で「安全・安心あいさつ運動」が始まった。「安全・安心あいさつ」って どんな挨拶なのかよく判らないが、もっと解らないのは市民に大きなブルキのバッジ(写真左)を送り付けて、外出のときは これを胸に付けよという神経。この運動に当たって市内在住のアニメ監督の宮崎駿さんにデザインお願いしたという「こきんちゃん」というキャラクター(写真中央)が描かれている。正直言って、これが可愛くない。それに、これにそっくりなユル・キャラ「きんた」が既に加西市にある。(写真右)こちらは酒呑童子を退治した金太郎らしいが、「「こきんちゃん」の出自はよく判っていない。だいいち直径5㌢もあるブリキのバッジなど、子どもでも付けないだろうに…。とにかく、うちの「こきんちゃん」には暫く抽斗の奥でおねんねしていてもらう。ごめんね




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by 杜の小径  at 11:32 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

九月の旦

              ススキ

   一稿を了へて燠(おき)めく石榴割る(杜)

   芒もつ人と行き逢ふ崖(はけ)の道(〃)

 月末がデッドラインの原稿を書きあげたら、夜が明けた。原稿を送るため外へ出ると、雨は上がっていた。道端に残る水溜りが、夜来の雨の激しさを語っている。ポストに手を伸ばしたとき水溜りに踏み込んで、靴がびしょ濡れ。一旦家に戻って靴を履き替えてからウォーキングに出る。
 余談になるが時間外に速達便を出すには「EXPAk500」が便利だ。予め厚手のボール紙の封筒を500円で買っておくと、ポストから速達便が出せる。A4サイズで200枚くらいの原稿は楽に入る。書類や書籍だけでなくちょっとした物も入るから、忘れていた誕生祝をこれで送れば翌日には届く。

 朝が早いと、虫の声が聴こえる。季節の移ろいは虫や草木がいちばん敏感なようだ。暁暗が薄らぐとヒグラシが鳴き始める。この蝉は一斉に鳴くことは少ない。ひとつが鳴き止んでから、次がカナカナカナと鳴き始める。6時を過ぎるとミンミンゼミが鳴き出す。この蝉は陽が高くなるにつれて、ますます囂しく鳴く。

   雷同もありて蝉声高まりぬ(杜)

 この季節は野鳥が少ない。そんななかで夜明けのカルガモだけは元気だ。薄暗い川面から、とつぜん大声を挙げて飛び立つ。日中は葦や蒲の間に隠れて姿を見せない。
 野川の遊歩道ではフヨウ、アメリカツユクサ、オシロイバナが、河川敷にはオオマツヨイグサ、ススキ、ネコジャラシが盛りである。

                なし


 2時間のウォーキングを終えて帰宅すると、そのまま転た寝。2日続きの徹夜で些か疲れているようだ。ブザーで起こされると、宅急便が届いた。川崎の義姉から「幸水」が送られてきた。家内が逝って既に7年、いまだに気に掛けてくださるお気持ちが嬉しい。気付けば窓外は既に夕闇。雨雲が厚い。また雨が近いようだ。

   ヴェルレーヌ読みつつ垂らす梨の皮(杜)






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