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逝く年への想い

             とり


   逝く年の行く先あるがごとくゆく(杜)

 きょう一日で今年も終わる。天文・自然にはっきりした変化があるわけではないが、人は深い感慨をもって大晦日を迎える。逝く年への哀感と来る年への希望―このドラマチックな変化の一瞬は、今夜半に実感できる。NHKの『紅白歌合戦』が終わると同時にグワ~ンと除夜の鐘が鳴り、被さるように「新年、明けましておめでとうございます」というアナウンサーのナレーションが淡々と流れる。『紅白』の喧騒が瞬時に静謐な鐘の音に変わる演出は見事である。が、私自身は、この瞬間をあまり経験したことがない。テレビなどの電波が届かない、山小屋で越年することが多かったからである。今年は宿痾の脚疾が悪化して山籠りは諦めた。さて、どうやって大晦日を過ごそうかと未だに思案中である。
 有限の命を刻む現身にとって、「正月は冥土の道の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」と言った一休和尚の言葉が、いちばん正鵠を射ているように思われる。人は、その恐怖を忘れるために送年迎年の大騒ぎを繰り返しているのではあるまいか。こうした無常観をマゾヒスティックと笑うことは自由である。ならば「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と記した鴨長明、「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」と言った松尾芭蕉、更に『平家物語』の冒頭に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」と記した信濃前司行長なども自虐症候群の虜囚と断じなければならないが…。
 
 そうは言っても、昨日は玄関に小さな門松を飾り、パックのお供えも用意した。家内の生前は数日かけて三十種類ほどのお節料理を作って顰蹙を買ったものだが、近年は形ばかり。それでも勉が送ってくれた天竜川の天然鮎を使った昆布巻と蒟蒻の煮〆、栄子から送られた岐阜の富有柿と美智代が持参した蕪で作った柿膾、眞理芽から届いた数の子入りの松前漬などが完成した。これだけでも独り正月には十分過ぎる。娘の眞理芽以外は半世紀も昔の教え子たちの贈物である。お節料理ではないが名古屋の勝子からは、数日前に旦那が手作りの朝鮮人参酒を届けてくれた。たった一年の師弟の縁なのに、今も気遣ってくれる子どもたち(もう孫の居る齢だが)には、頭が下がる。

 午後、野川に沿って下り、武蔵野公園の疎林で冬桜や野鳥の群れを観て過ごす。


   師走の杜は 
   去ってゆくものばかり
   透明な光のなか
   ざわめきもなく
   冬桜 散る 

   二羽 五羽 三羽
   みな
   飢えているのか
   眼差遠き    ■眼差=まなざし
   師走の鴉たち

   大晦日の夜は
   禽になろう   ■禽=とり  
   話し相手は
   ブリキ細工の
   梟




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by 杜の小径  at 03:00 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

友の忌

さかい1 さかい さかい3

    交わりの淡からずして冬ざくら(杜)

    冬ざくら自然の供華を柵がこひ(〃)

    白つばき退きどき知りし為人(ひととなり)(〃)

 今日は、友人・酒井清の十年目の祥月命日。戸塚に在る菩提寺・妙秀寺へ墓参。敢えて敬称は付けない。生前から公私を通じて、お互いに「酒井」「村瀬」と呼び合ってきた。それは双方の家族は勿論、互いのフィールドでも公認のことであった。彼が逝って十年、墓前で「お前のような友を持てたことは幸せだった。有難う」と語りかけたことだった。
 彼は一代で幼稚園、中学、高校、専門学校を擁する一大教育コンチュエルンを築き上げただけでなく、秘書教育をライフワークとし、社団法人 日本秘書協会を創設して、その初代理事長を務めた。その業績を刻んだ墓誌を読みながら、彼が遺した一言が今更のように思い出された。彼が斃れた日、私が駆け付けた時には既に意識を失っていた。病室に運ばれた彼が最後に洩らした一言は「無念だ」だったと、弟さんから聞いた。彼が描いていた壮大な夢を私は知っていた。それだけに遺した一言の重さがいつまでも忘れられない。彼が生きていたら、日本の実務教育界はもっと違った形になっていたであろう。

 今日の墓参には酒井の秘書を長く務め、酒井家にとっても家族のような存在だった高橋さんが同行して下さった。帰途、食事を摂りながら、高橋さんがぽつりと言った。「理事長は村瀬さんが来て下さるのがいちばん嬉しいと思うわ。なにしろ人に話せないことも村瀬さんだけには話していたもの、良いことも悪いことも…」。

 今日はアメリカから帰朝中の次女の呂美と旦那のジェームスとの家族旅行があって、27日に墓参を済ませたとかで、墓前には新しい花が飾られていた。夕方、奥さんから「いま、お墓へ行ってきました。来て下さったんですね」と電話があった。墓前に供えた酒瓶を見て、こんなことをするのは私くらいだと気付かれたのであろう。

     (写真は中央は高橋さん、左右は墓苑に咲いていた冬桜と白椿)





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by 杜の小径  at 19:46 |  日記 |  comment (4)  |   |  page top ↑

帰る場所

            マツダ1

 BGM代わりに点けっ放しにしてあるTVから、聞き覚えのある声が…。画面には松田博司さんの顔が映っていた。番組表で調べると『ちい散歩』の中の「昭和風景―夢がある雑誌の付録」という番組だった。私は自他共に認める音痴だが、人の声を聞き分ける不思議な能力があるらしい。最近も初対面の方と話していて、出身地をぴたりと当てたことがある。と、いうわけで図らずも松田博司さんと久し振りに画面でお会いすることができた。正直に言って、お顔はだいぶ老けているが訥々とした語り口、そして何よりも皮製のハンチングを斜めに被ったモダンな雰囲気は昔のままだ。
 松田さんとお付き合いがあったのは私が現役の編集者だった頃だから30年も前になる。当時は亀戸天神の近くに住まわれていて、アトリエでの打ち合わせが済むと一緒に亀戸天神の藤の花を眺めたり、往時は駅前通りに軒を連ねていた「さくら鍋」屋に入ったりした。アイディアはもちろん、手先が器用でまるで魔法のように夢のある付録を考えて下さった。ドラえもんの秘密道具のいくつかも、松田さんの手によって子どもたちに届けられた。

   気づかずに
   落としてきたのだ
   そろそろ
   拾いながら
   帰ろう

 この詩は三日前の麹町倶楽部例会に、山碧木星さんが出された作品である。TVで松田さんとお会いしたとき、なぜか、この詩が思い出された。例会の席で私は、これに次のようなコメントをした。

 ―「気づかずに落としてきたものだ」には、いろいろある。人生の半ばで触れあった人、読んだ本、旅の思い出など…。私ほどの齢になると、ふっと昔読んだ本を読みたくなったり、触れ合った人ともう一度会ってみたくなる。さて、この作者は拾い集めたものを持って何処へ「帰ろう」としているのだろう。そして私は…。―

 思えば今年は、春に数十年ぶりに小学校の同級会に出席、秋には30年ぶりに大学の同期会に出、今月の4日には旧社員が集まりを開いてくれた。私もぼつぼつ、思い出という荷物を整理して帰るべき処を探すときが近づいたのかもしれぬ。

   土に還りたき埴輪に冬の雨(杜)
  
   帰る場所無くて小鷺の凍てしまま(〃)
 
   昏れ残るもののひとつに寒椿(〃)
   
   年の瀬の夜汽車乗る人降りる人(〃)





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by 杜の小径  at 14:11 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

町倶楽部定例歌会(第130回)&忘年会

こうじ1こうじ2こうじ3

 今年最後の麹町倶楽部定例歌会(第130回)が、22日麹町区民会館で開かれた。忘年会を控えていたので2時間余に圧縮されたが、酒井映子さんのツボを抑えた手際良い司会で充実した歌会であった。成績は以下の通り。(敬称略)

【自由詠】

   やがて
   その手で
   何を掴むの
   どんぐり三つ
   手に余る嬰(みどりご)よ (一席:村瀬杜詩夫)
         
   かわらに 腰かけ
   空を眺める 眉月に
   ねこが とびのり 
   のどを ならす
   冷え込んだ 夜のこと (二席:水野ぷりん)

   ボンジュール マダーム
   パードン メルシー
   と 声をかけながら
   パリの街を闊歩する
   四っつの言葉しか知らないのに (三席:範子)

【題詠・拾う】

   捨てたはずの
   記憶を
   近頃
   脳が勝手に
   拾ってくる (一席:船津健治)

   ビルの谷間
   たまに射す
   陽の光を
   拾い集めて
   南天の赤 (二席:清也)

   ポロリと落ちた
   ため息さえ
   拾おうと
   耳を狼のようにたてる
   気詰まりの会 (三席:範子)

 忘年会については詳報を避けたい。一席を取ったMが飲み過ぎて、皆が大騒ぎで介抱した。アイツはずるいから、ほんとうは酔ったふりをして美女軍団の介抱を受けていた疑いがある。おまけに帰途は自宅までM氏、Hさんにタクシーで送って貰ったという。本人の告白によると、自宅では零時半から翌朝6時まで浴槽で眠りこけたという。清く正しい(ホントカナ)麹町倶楽部の忘年会に一抹の汚点を残したMを糾弾したい。








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by 杜の小径  at 09:23 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

冬至の日 寒い日の詩(うた)

からす

 晴れた日は寒いというが、ここ二、三日の冷え込みは老残の身に堪える。気が付けば冬至だった。
三か月に一度の検眼のためK病院へ。瞳孔拡張剤を点眼したあと一時間ほど待たなければならない。髭でも剃ろうと「kinosita」へ寄るが、月曜日で休み。時間潰しに神宮外苑をぶらつく。池の鴛鴦もかたまったままで動きが鈍い。元気なのは鴉ぐらいで、野鳥の数も少ない。鳥も寒いのかな。
昼どきになったので四谷三丁目の「角萬」に寄る。ここの手打ち蕎麦はまあまあだが、体が冷えていたので初めて鴨南蛮を頼む。真鴨を使っているらしくダシが利いていて意外に旨い。ただ鴨肉が硬い。察するにダシを取るために長時間煮たのだろう。
 検眼の結果は異常無し。吉祥寺辺りで一杯とも思ったが、キラキラしたイルミネーションが点く前にと、真っ直ぐ帰る。あれは嫌いだ。それに、麹町歌会へ持参する手料理の仕上げも残っていた。その手料理だが…、茶会などでも京干菓子くらいならいいが甘い物が苦手な私は、餡物などを何回も出されると些かうんざり。そっと懐紙に包んで持ち帰る。それと同様で、退屈凌ぎに作る素人料理が皆さんに迷惑を掛けていたかもしれないな。どうも独りよがりは、私の悪いクセだ。そう気付いたら、無性に恥ずかしくなった。折しも年末、これを潮時に私の勝手な道楽は幕を下ろすことにしよう。

  子どもの数だけ
  柚子を浮かべた
  冬至風呂
  貧しくても
  母は優しかった

  冬の杜は    ■杜=もり
  去ってゆくものばかり
  透明な光のなか
  ざわめきもなく
  冬桜散る

  一羽、三羽、二羽
  みな
  飢えているのか
  眼差遠き    ■眼差=まなざし
  冬至の鴉たち

  鴉よ
  上を向いて翔べ
  疎まれることが
  おまえの
  アイデンティティだ

  鴉よ
  哭いているのか
  疎まれるものの
  眼は
  いつも濡れている 
 
  欅
  白樫
  花水木
  みな裸なり
  われも亦    ■亦=また
  
  歳末の
  藍窮まれる
  天のした    ■天=そら
  翔ぶ構えして
  風見鳥  

  冬至の夜は
  鳥になる  
  話し相手は
  ブリキ細工の
  梟

  津軽アイヤ節
  低く流せば
  書架寒し
  指にて探す
  日本農民詩史

  書架の隅っこに
  新しい絵を
  飾る
  なんと贅沢な
  私のクリスマス・イヴ

  暮れの旅鞄は
  小さめでいい
  思い出を
  捨てに行くだけの
  旅だ

  ことし最後の買物は
  新しい手帳
  ともかくも
  手つかずの明日を
  信じよう






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姉の一年祭

 コピー (2) ~ 2009_1219_121444-DSC_0108 コピー ~ 2009_1219_121541-DSC_0109 セメタリー所沢

 昨日は姉の一年祭。仏式だと一周忌に当たる。甥の英輝が航空公園駅まで出迎えてくれ、車で墓苑へ。昨日に続き気温は低いが、晴れていて風も無いので過ごし易い。セメタリー所沢は新しく作られた墓苑。墓が出来た5月には舗道の両側にミズキの花が咲いて、公園の中に居るような感じがした。そのときは姉の眠る一角は未だ墓が少なかったが、半年の間に敷地の半分以上が新しい墓で埋められていた。
 好天のせいか墓参の人が多い。神式の祭事が珍しいのか、立ち止まって禰宜の宣詞に聞き入っている人もいる。30代の若い禰宜だが、名刺には権禰宜の肩書がついていたから位は上らしい。葬儀の際の宣詞が解り易かったというので、姪の豊美が同じ神官をお願いしたという。「悲しいかな。人はひとたび神となれば行く川の流れのごとく再び帰ることなし。されど朝日昇れば房江刀自命の声聞こえ、夕日落つる頃その面影立ちて、村瀬家の万代尽きせぬ幸せを守る…」私も神官の家に生まれたからノリトは聞き慣れているが、伝統的な延喜式の宣命体と違って確かに解り易い。

 終わって新所沢の和風懐石「大地の恵み」で会食。予約の時間まで間があったので、私の旧宅を見に行く。庭の立木は全て伐られていたが、壁面の漆喰は塗り直したらしく新しくなっている。修理中らしく、玄関付近はブルーシートに覆われていた。人気が無いのを幸いに暫く懐旧の想いに耽っていると、隣家のSさんから声を掛けられた。上がって下さいと誘われたが、事情を話し再会を約して去る。近くのパイオニア本社工場も無くなり、周辺の畑も宅地に変わっていた。改めて、8年という歳月の長さを思った。

 会食後、義兄の自宅に戻って休む。家を建て替えるため、既に1年以上前から自宅近くにマンション2部屋を借りてあり、5月に来たときには大量の段ボールが用意されていた。いよいよ引っ越しが始まるかと来訪を遠慮していたが、家財の半分以上は未だ残されたまま。鉄筋3階建のビルにすると言うが、長男の英輝は既に自分の家があるので、そんな広い家を建てて親娘二人でどうやって住む気なのだろう。
 夜が更けたからと、英輝が車で家まで送ってくれる。彼のコレクションの落語を聞きながら帰る。英輝は無口で大人しく勝気な姉とはあまりウマが合わないようだが、長男らしく肝腎なところはちゃんと押さえて親父を扶けている。母のような存在だった姉の一年祭が無事に終わって、ほっとした一日だった。

             (写真:一年祭とセメタリー所沢墓苑の様子)








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寒梅忌―ある友を偲ぶ

kanbai600.jpg

    夫(つま)の忌の近づき八ツ手花盛る(芙美子)
 
 酒井芙美子さんから第53回大西行際の招待状に副えて、この句が送られてきた。彼女は『狩』同人の俳人で、親友・故酒井清君の夫人。現在は長女の樹里さん一家と横浜で暮らしている。長女のご主人は酒井が遺した高校の役員をされている。酒井は私にとって刎頸の友である。「芙美子さんの句を拝見したら、酒井に会いたくなりました。29日の忌日に墓参りに行きますよ」と電話する。「えっ、29日は呂美が旅行に連れていってくれると言うから居ないわよ。城司も雪芳の里帰りで中国に行くし…」「な~んだ、10年経つと冷たいもんだな。命日に誰も墓参りしないの?」「その代り27日に皆でお墓参りするわよ」「じゃあ、僕が代わりに行きますよ」「よかった、お願いするわ。お掃除はちゃんとしとくからね」
 と、いうことで電話を切ったが、一人でというのも心細い。思案していたら、チ-ンと電子レンジの切れる音がした。ご飯が炊き上がったようだ。そうだ、高橋さんを誘ってみよう。私が一人住まいを始めたとき、電子レンジでご飯が炊けるという小さな釜を贈って下さったのが、高橋さん。何だか、酒井が「おい、よしさんが居るじゃないか」と教えてくれたような気がした。直ぐに電話して、経緯を話す。「まあ、よく思い出してくれたわねぇ。行く、行く」と二つ返事が返ってきた。彼女は長く酒井の秘書を務め、仕事が終わると酒井を混えてよく麻雀卓を囲んだものだった。性格が男っぽくて、腕捲りしながら激しい麻雀を打っていた姿が思い出される。また公私に亘って酒井家とは親しく、芙美子さんとも仲良しだった。直ぐに芙美子さんに知らせると、「村瀬さんと、よしさんが来てくれたら主人もきっと喜ぶわ。後で私からもよしさんにお礼を言っておきます。と喜んで下さった。

 酒井とは朝日新聞がオレゴン大学式討論法で全日本学生討論会を主催したときも、NHKが「青年の主張」を企画したときも、常に最初から一緒に関わってきた。後に彼が第19代学生連盟の委員長となり、私が第20代の委員長となった因縁もある。当時、副委員長を務めた藤波孝生(早大・後に内閣官房長官)、山本卓也(慶大・後に弁護士)も既に故人となり、今度の墓参では私の後、第21代委員長を務めてくれた田中鐡男君(学習院・ニチケン会長)の逝去も報告しなければならない。あゝ、私だけが残されてしまった。(閑話休題)

 酒井とは私的にも兄弟以上の付き合いをしてきた。未だお互いに若かった頃、芙美子さんから切羽詰まった声で電話がかかってきた。酒井が血便を出したが、どうしても病院に行かない。何とかして欲しいと言う。当時、私の甥が慶大病院の内科医だったので一計を案じ、酒井に電話をした。「最近、体の調子が悪い。慶応病院の人間ドックに入るんだが一人では心細い。君も一緒に入院してくれ」ということで、二泊三日のドック入りをしたが、結果は酒井の血便は痔。囮で付き添った私の方に直腸ガンが発見されたという思い出もある。
 彼の次女呂美ちゃんが結婚するときも大変だった。アメリカへ留学中に恋人が出来た。相手はハーバード大学出身の弁護士だが、酒井が頑として結婚を許さない。実は長男の城司君は南京大学に留学後、アメリカのジョージワシントン大學に留学したのだが、中国留学中に知り合った中国人の雪芳さんと結婚していた。だから、酒井にしてみれば全部外国人に取られたしまうような気持ちだったのかもしれない。私は彼に言った。君が長男に城司(ジョージ)、長女に樹里(ジュリー)、そして次女に呂美(ロミ)と名前をつけたので俺が「ずいぶんバタ―臭い名前ばかりだな」と言ったら、君は何と答えた。「これからはインターナショナリゼーションの時代だ。世界に通用する名前でなくちゃあ」と言ったじゃないか。それが相手も見ないで呂美の結婚に反対するなんて。君を見損なったよ」―それから1か月後、酒井から電話が入った。「おい、会ったぞ。アイツ、俺の前に両手をついて、呂美と結婚させて下さいと涙を流したんだ。あんな男は今どき日本人でも居ないぞ」―もちろん結婚はOKとなったが、その脚本を私が書いたとは遂に知ることなく彼は逝ってしまった。今度の墓参で、このことを明かしたら彼は何と言うだろう。化けて出るかな。

 そうそう、彼の忌日を私は勝手に「寒梅忌」と名付けている。酒豪だった彼が特に好んだのが越後の銘酒「越の寒梅」だったから…。写真も、それに因んだものである。





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by 杜の小径  at 23:31 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

帽子展 蕎麦 金目鯛

たいよう いなか きんめ

 午後から、kikkoroさんの帽子展へ行く。会場は飯田橋、東京理科大学近くのパルスギャラリー。JRの駅から数分と聞いていたが、地形が複雑ですっかりオノボリサン状態になる。突然、異様な女性の集団に出逢う。十数人が舗路上に群れて、全員が減光フィルターを持って太陽を覗いている。いちばん奇麗なお嬢さんに近づいて(これは結果的なこと…)「日蝕ですか?」と声をかける。女性は困惑の表情を見せながら、「太陽と地球の距離を測っています」。それに続けて、距離の縮尺をナントカカントカト専門的な説明を始めた。困惑の表情は更に深まっている。その段階でハッと気付いた。場所は理科大学の前、学生が実験の最中だったのだ。時に正午過ぎ、20℃近い暑さの中で脇の下を冷たいものが流れた。
 探しあぐねて、kikkoroさんに携帯電話をかけるが不通。万策尽きて天を仰ぐと目の前にギャラリーの看板。会場で落ち合うことになっていた山碧木さんは未だ来ていなかった。30分ほど遅れて彼から電話が入る。やはり道に迷っているという。携帯で話しながら表にでると、目の前に彼が立っていた。二人とも山男、こんな調子だと、二人とも雪山では小屋の前で遭難するだろう。アブネ~。
 正直に言って、帽子のことはよく判らない。でも、才能に溢れた創造的作品に触れることは、ジャンルを問わず楽しいことである。ちょっと場違いな感じはしたが、私自身は充実した時間を過ごすことができた。

 終わって、山碧木さんとタクシーで神楽坂の「玄菱」へ。ここは日本蕎麦の隠れた名店で、中でも一押しは割箸ほど太い田舎蕎麦。彼も「蕎麦食い」のようで、この田舎蕎麦が気に入ってくれたようだ。

 帰途は東西線で中野に出、中央特快に乗り換えて国分寺で降りる。武蔵小金井駅の全面高架工事と南口の整備が完成、家からドア・ツー・ドアで駅へ直行できるようになってから国分寺駅にはご無沙汰している。1時間ほど書店などをぶらついた後、駅地下の食遊館へ。ここも久し振りだ。最初のお目当ては「へしこ」。
「へしこ」は鯖に塩を振って糠漬けにしたもので、越前地方の伝統的な郷土料理。名前の由来は、漁師が魚を樽に漬け込むことを「へし込む」と言ったことから、それが略されて「へしこ」となったという説が一般的。「くさや」とはまた違った味に嵌っている。次いで中島水産を覗くと、稲毛直送の金目鯛が入荷していた。朝からパンと蕎麦しか食べていないせいか、急にご飯と金目の煮付が食べたくなった。2尾をゲット。

 書くことが無いので、纏まりのない三題噺になってしまった。「へしこ」を見出しから省いたのは、「へのこ」と間違える方がいることを危ぶんだからである。

(写真:太陽観測中の女子大生、玄菱の田舎蕎麦、金目鯛の煮付)
*いずれも無くもがなの写真。ワカッテマス。






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朝焼け無情

野川 江之浦  朝焼け

 先月から旅がちの日々が続いたので、久し振りの早朝ウォーキング。寒い。風もあって、体感温度は5℃くらいだろうか。冬山用のヤッケを着る。フードト袖口にファーが付いているので鉄砲でも持たされたら、まるでエスキモーの狩姿だ。先月の南アルプス行で、今度は左足拇指を傷めてしまった。大きな絆創膏を二枚貼りしているが、速歩は無理。10分も歩くと、出がけに引っかけたマタタビ酒が利いてきた。(突然だが…)麹町倶楽部の赤井代表は、明日ホノルル・マラソンに出発とか。江之浦合宿では一日中メイテイ。帰途の車中でも奥田御大と二人で小田原名産の蒲鉾を肴に、ワゴンサービスのカップ酒を買い占めてしまったという噂も伝わっている。三日酔いのマラソンは大丈夫だろうか。足さえ故障していなければ小生が船で(何デカナ?)追い掛けて付き添ってあげたのに…。ところで赤井さんの奥さんは松竹新喜劇の井上恵美子さんという女優で、いま御園座に出演中。名古屋に住む教え子の田林さんからの電話によると、今日、楽屋に陣中見舞いに伺ったら、「あの齢でマラソンなんて心配で心配で…」と大粒の涙をポロリハラリ…だったとか。(ちと大袈裟かな)赤井さん、奥さんにあまり心配かけないでね。

 他人の心配をしているうちに、6時を回った。気が付くと東の空だ真っ赤に染まっている。東京では久し振りに見る朝焼けだ。寒気の厳しい冬の朝だけしか見られない。一昨日見たばかりの、江之浦の日の出を思い出した。続いて連想は、昨年見た白馬三山(鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳)のモルゲンロ-トへ飛ぶ。急に山へ行きたくなった。戻ってスケジュールを調べると12日のkikkoroさんの帽子展まで空白。山へ入るのは無理にしても、麓の「はじめの一歩」に泊まって白馬の朝やけを見ることにするか。そうだ、明日から天気が崩れるらしいから最初の一泊は安曇野温泉とし、ついでに近くのFさんの林檎園にも寄ってみよう。8時を過ぎるのを待って電話を入れると、思い掛けない返事が返ってきた。ご主人が夏からガンで入院、果樹園は人に借りて貰っているという。奥さんの重く沈んだ声から、病状の容易でないことが窺える。長男はいるが新興宗教に凝って家に寄り付かないという家庭事情を知っているから、遊山気分は一度に消し飛んでしまった。終日、Fさんのご恢復を祈って過ごす。

         (写真:左から野川河畔、江之浦、白馬三山の朝焼け)







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私の作品が素敵な絵に変身

              ぷりん

 最近、麹町倶楽部の会員になられた画家・水野ぷりんさんが、同氏の公式ブログ『ぷりん茶屋』で、私の作品を見事にイメージ化して下さいました。そのうえ過分なお言葉まで添えて戴き、たいへん恐縮しています。
 拙い作品も一流画家の手にかかると斯くも見事に変身するものかと、感じ入った次第です。些か面映ゆい気持ですが「馬子にも衣装」の典型として、ご覧いただければ幸甚です。

 水野さんのブログ『ぷりん茶屋』をご覧下さる方は、お手数ですがコメントをご覧ください。



  












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 江之浦合宿(麹町倶楽部)レポート

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     (写真:江之浦テラスからの眺望と舎前の参加者)

 麹町倶楽部有志による恒例の研修合宿が、5~6日伊豆根府川の江之浦テラスで行われた。今回は九州から奥田勇・絢子ご夫妻も参加して下さった。会場は相模湾を望む急峻な斜面の中腹、蜜柑園の真ん中に建つ。和様折衷の瀟洒な宿は玄関にレモンが、周りにミモザに似たインド産の大木などが茂っていた。ジョウブタキ、セキレイなど野鳥も訪れ、詩歌錬成の合宿所としては最適。奥田さんと私はいちばん南側の一室。総ガラス越しの視界の右端に蜜柑園が広がり、眼下に相模湾を望む。翌朝は正面の水平線から昇る赤な太陽をを拝することができた。

   2009_1206_111741-DSC_0135.jpg  2009_1206_122710-DSC_0150.jpg

 到着して直ぐ歌会が始まり、夕食後は奥田さんが工夫を凝らした五人五行歌、連歌もどきの合作遊びなどで時の経つのを忘れて興じる。もちろん卓上には和洋酒が林立。気の合った仲間どうしで至福の時間を過ごした。

  (写真:サンタと戯れる麹町の閨秀詩人たち、ヒルトンホテル前の参加者)

 翌朝は即席歌会で締め、帰途は近くのヒルトンホテルで茶話会。なかなか別れ難く、車で小田原に出て昼食を共にする。車を提供して下さった道子さん、映子さん、清也さん、有難う。歌会の成績は次の通り。(敬称略)

  冬潮が
  引き忘れた 
  緑藻の浜  ■緑藻=あおさ
  女ひとり 
  夢殻を拾う(村瀬杜詩夫・一席)

  光の中だけでは
  生きていけない
  深い眠りは
  闇からの
  おくりもの(関口有美・二席)

  三本立っていれば 
  三万円
  贈り主の名も麗々しく
  胡蝶蘭
  花に罪はないのだけど(酒井映子・三席)

  あたしたち
  ソロより
  群舞で踊り狂いたいの
  冬の嵐を待つ
  黄色いチュチュのいちょうたち(はなちゃん・同三席)
        
【即席題詠/江之浦】

  うらうらと
  陽だまりはもう
  春のよう
  みかんあかりが
  山肌にかがやく(関口有美・一席)

  朝が放った
  光の矢は
  みかん色
  大海原を
  江ノ浦 照らす(山碧木星・同一席)

  小鳥たちに
  促されて
  朝日が顔を出す
  光につつまれた
  江之浦の目覚め(町田道子・二席)

  神様が
  天からばらまいた
  黄金の粉を
  しっかりと受けとめた
  江の浦のみかんの木(奥田 勇・三席)

  海に向って
  流れこむように
  みかん みかん
  世に戦争など
  ないような(酒井映子・同三席)







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by 杜の小径  at 23:26 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

探鳥行&旧社員会

         コピー (2) ~ 2009_1204_110905-DSC_0025

 4日、地元の野鳥の会の皆さんと千葉県三番瀬及び谷津干潟へ探鳥ツアー。前々日に下見に出かけたときは強風で波も荒く、コチドリの群れが渚で餌を漁る以外は鳥影が少なく心配だった。ところが4日は小春日和で、海鳥の数も多く案内役の責任を果たすことができた。
 今回のバード・ウォッチングの目的は、東京湾の干潟に飛来する冬鳥のシギ類、チドリ類、カモ類を観察することですが、目玉は「本物のミヤコドリ」に出逢うことだった。

         ミヤコドリ    ユリカモメ

「名にし負はば いざ言問はん都鳥 わが思う人は ありやなしやと」―ミヤコドリと言うと『伊勢物語』に出てくる在原業平のこの歌が思い出される。意味は(お前さん、その名にふさわしい都の鳥というならば、じゃあ一つ尋ねてみよう。いいか都鳥よ、私の思う愛しいあの人は無事でいるだろうか)となりましょうか。これは業平が遥か離れた都(京都)を偲んで作った歌だが、誰か知らないおっちょこちょいが都を江戸(東京)と勘違いして橋の名を業平橋とか言問橋としたり、ミヤコドリを東京都の鳥にしてしまった。実は、ここでいうミヤコドリとはユリカモメのことで、本当のミヤコドリは別にいる。それは英名で 0yster catcher (牡蠣食い鳥)と呼ばれるチドリ目ミヤコドリ科の鳥のこと。頑丈な嘴で牡蠣などの二枚貝をこじ開けて食べるので、この名が付いた。一方,在原業平に詠われたミヤコドリはカモメ科のユリカモメである。今回は三番瀬の沖合10㍍の至近距離から10羽前後を観察、写真撮影にも成功した。「ららぽーと」で昼食後、観察場所を谷津干潟に移し、カワウ、コサギ、アオサギ、ダイサギ、カワセミの捕食、各種カモ類を観察した。 

         (写真:左が本物のミヤコドリ、右はユリカモメ)



                   雪書房の旧社員会
 
 探鳥会が終わってから、岩波書店地下で開かれる雪書房の社員会に駆け付ける。直行も考えたがトレッキングシューズに迷彩服で行くわけにもいかず、一旦帰宅した後、電車とタクシーを乗り継いでぎりぎりにセーフ。電話で話すことはあっても顔を見るのは8年ぶりという人も多い。元気な皆の顔を見て挨拶しながら不覚にも涙ぐんでしまった。自ら編集・制作会社を経営しながら、余暇にはご夫婦でサイクリングの各種大会に出場しているという橋森君、ご夫妻で編集・翻訳の世界で活躍されている大作君、編集・コンピュータの知識・技能を生かして活躍中の藤村、熊沢君、海洋写真の第一線で業績を挙げている加藤君、長く私の秘書を務めて下さった関さんも、余暇には山登りをしていると若々しい顔を見せて下さった。急な召集で参加出来なかった人の中には翻訳家の塚本哲司君、文春漫画賞を受賞した徳野雅仁君など、まさに多士済々。大いに飲み、語った懐かしく嬉しい一夜であった。







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