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風生忌―老いと死を見詰めた俳人

   富安   富安風生句碑


    盆梅のはらりほろりと情かな(風生)

    九十五齢とは後生極楽春の風(〃)

 これらの句は、「ホトトギス」の元老 富安風生の辞世の句である。1979年(昭和54年)の今日、風生は95年の生涯を閉じた。訃報に接し枕頭に駆け付けた大野林火は、こんな感想を記している。

「明日知れぬ病床で、ひとひらふたひらと花を散らす梅を眺めやっている姿を思うと涙の湧くのを禁じ得ない。人生諷詠ということは究極のところ自らの命を見つめることに他なるまい。一木一草主義ということも、一木一草に自分の命を重ねることだ。この句では、はらりほろりと散る盆梅に風生先生の命が、さながらに重なっているといえるであろう。」

    むづかしき辭表の辭の字冬夕焼(風生)

 ホトトギス派の俳人はあまり好きではないが、風生だけは別格。52歳でキャリア官僚の頂点である逓信(後の郵政省、現総務省)次官に就くが、翌年にはあっさり退官して俳句三昧の生活に入る。その生きざまが、まことに潔い。俗臭芬々たる虚子などとは大違いだ。句風も花鳥風詠という虚子風の写生を超えて、軽妙洒脱、人間の存在に迫るような作品が多い。

    家康公逃げ廻りたる冬田打つ

 家康が三方ヶ原の合戦で武田軍に大敗し、命からがら逃げる途中に馬上で小便を漏らしたという話が伝わっている。この三方が原は風生の故郷に近く、現在は馬鈴薯の名産地となっている。また、以下のような作品は一茶を彷彿させる。

    ほつこりと はぜてめでたし ふかし甘藷(いも)

    よそを掃き ここを掃かさる散銀杏(ちりいちょう)
 
 風生作品のもう一つの特徴は、老いと死を見つめた優しさと冷徹さを併せ持った点である。以下は、その代表句の一部である。

    こときれてなほ邯鄲の薄みどり

    わが生きる心音トトと夜半の冬

    生きることやうやく楽し老の春

     わが老をわがいとほしむ菊の前

    身をもみて枯枝の影の苦しめる

    死を怖れざりしはむかし老の春 
     
 私事になるが、風生先生と私は不思議な縁がある。私は小学校3年の3学期から中学を出るまで愛知県豊川市で過ごした。一方、風生の生家は愛知県八名郡金沢村(現在の豊川市金沢町辺)で、私の家の近くだった。小学生のころ、俳句をやっていた母から「フウセイ先生の家は裏の坂を下りた牟呂用水の傍だよ」と聞いた記憶がある。後年、帰省の折に
牟呂用水の近くに「里川の若木の花もなつかしく」と刻まれた風生の句碑を見つけ、改めて母の言葉を思い出した。
 母としては偶々私の誕生日が風生と同じだったことや高校・大学の後輩だったこともあって私に俳句をやって欲しかったらしい。しかし、当時の私は母の気持ちを無視して短歌と現代詩の道を選んだ。

    畔を焼く火に母しのぶ風生忌(杜詩夫)

            (写真:風生と豊川市牟呂河畔の句碑)
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