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男性軍完敗、女性軍乾杯! 麹町倶楽部例会(135回)

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 赤井さんが奥様の13回忌で欠席、川崎、水野両画伯も、お仕事の関係で欠席された。残念だったのは柳瀬丈子さんが、風邪で急に休まれたこと。いつも流麗な朗読を聞かせて下さる彼女の存在の大きさを、改めて思い知る。前にも書いたと思うが、私は各作品を目で辿りながら柳瀬さんの朗読を聞く。リサイター(朗読する人)の息継ぎと改行が一致しないときは改行が間違っているのである。朗読はセレモニーでもパフォーマンスでもない。詩作を勉強する得難いチャンスなのである。この機会に「柳瀬朗読」の意義と、それを毎月聞くことの出来る幸せを改めて考えて欲しいものだ。
 欠席の目立つ例会だったが、女性陣の活躍が際立ち入賞は全員女性。中でも髪型を変え23歳ほど若返って登場した映子ちゃんは気合十分で、見事に自由詠一席。前回一席で司会を担当した道子ちゃんは、趣深い作品で1点差の題詠二席。特筆すべきは横浜組の範子ちゃん。きみちゃんの妖艶な花二輪。目立ったのはスパンコールの光るドレスだけでなく、お二人揃って三席入賞でした(パチパチ)。二次会での活躍ぶりは言うも更なりで、紹興酒を呷ること水の如し。あゝ、横に座るんじゃなかった。宴酣に至るや、きみちゃんが手品師のようにパック詰した山菜を出し始める。ウドのクルミ和え、ウド皮のきんぴら、フキの青煮、ワラビ、アザミの煮〆…。後は忘れました。詳しくは彼女の入賞作品をご覧あれ。あの殆どを手料理して持ってきたの~デス。(きみちゃん、この次はもっと甘さを抑えてネ)

 成績は以下の通り。(敬称略)
【自由詠】
 閻魔大王の
 生前仕分け
 無駄の多い
 一生だった と
 言われちゃうかな(一席:酒井映子)

 早立ちの
 リュックの脇の
 握り飯
 貰っていきます
 宿のぬくもり(二席:浜畑祐子)

 消してやる!
 と 殺し屋気分で
 アドレス削除の
 キーを押す
 チョッピリ胸を痛めながら(三席:範子)

 影のない細い坂道
 簾をかかえて
 女が上る
 五月
 風が雲を追い越した(次点:下平紀代子) 

 繭が腐り
 蒟蒻が腐り    
 母も病みて
 少年Kに
 長かりし 雨期(同:村瀬杜詩夫)  

 人気のない部屋の
 戸を開ける
 昔飼っていた鳥は
 こんなところで
 私をっていたのか(同:渡邊加代子

【題詠/五月、皐月】
 先輩の後ろで
 ペコリと頭を下げた
 新入社員は
 五月人形のような
 目をして(一席:関口有美)

 心の奥に
 潜む硬質なもの ひとつ
 また ひとつと
 剥されてゆく
 五月の光に(二席:町田道子)

 うど、みず、ばんけ
 たらの芽、木の芽
 蕨、蓬、行者大蒜
 薊、片栗、二輪草
 五月に食べた山の味(三席:田中きみ)

 自転車の
 君の背中を
 木漏れ日の、丸く
 丸く追いかける
 五月(同点三席:浜畑祐子)

 こもり勝ちな妹を
 ベランダに誘う
 さわやかな風が全身を撫でる
 「お昼もここで食べましょ」
 五月の或る日(次点:稲泉幸子)
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by 杜の小径  at 09:50 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

二つの展覧会

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 詩友の「つねちゃん」こと川崎常子さんから「第106回太平洋展」のチケットを戴いていたが、旅や雑用に追われて未だ拝見していない。予報は雨だったが、毎月午前中に行く一川会を午後二時に変えて戴いて六本木の国立新美術館を訪ねる。主催の太平洋美術会の前身は日本で最初の洋画団体「明治美術会」(明治22年発足)で、同35年に「太平洋画会」と改称し、昭和32年に太平洋美術会と名称を改めて現在に至っている。今回は、その創立記念公募展ということで、新美術館のメイン・フロアに百号級の大作が数百点展示されている。

          2010_0519_115940-DSC_0477.jpg

 力作が並ぶ中でも、常子さんの作品『蓮の連鎖』はひと際異彩を放っている。百号のカンバスを二つ繋いだ双曲仕立の屏風の趣。画面の左に散りかけた蓮の花、右に蜂巣形の実が描かれているが、背景は渾然として一つに繋がっている。全体がモス・グリーンの色調で統一され、中央部分に散らした白い気泡状のタッチが利いて、まるで深い水底のような静けさを湛えている。最近の常子さんは蓮をモチーフにした作品が多いが、その内包するものは年ごとに深化しているようだ。昨年は枯蓮を何点か拝見したが、今回の出品作は それらとは明らかに違う。世代を超えて受け継がれていく“命”を描こうとされているのだろうか。見る人をして深い想いに誘う重厚な作品であった。「太平洋展」は、5月24日(月)まで。(最終日はam 10;00よりpm15:00まで)

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 同じ国立新美術館で開かれている「マン・レイ展―知られざる創作の秘密―」を見る。
マン・レイ(1890~1976)は前衛的写真家として有名だが、彼のダダイズムの原点となった絵画、彫刻、オブジェなどに優れた作品を遺している。約400点に及ぶ展示物からモダンアートの先駆者 マン・レイの秘密に触れられるかもしれません。私がいちばん惹かれたのは、やはりパリ時代に愛人だった”モンマルトルのキキ“を撮った作品。記録する為だけの手法だった写真を芸術の域まで高めた男の息遣いが聞こえるようでした。

              テマリバナ

 一川会へ行く前に、神楽坂の「玄菱」で遅い昼食を摂る。薄暗い店内に入った途端、和服の美人から声を掛けられた。眼を凝らすと、なんと画家の水野ぷりんさん。タクシーでワンメーターほどの処にお住まいだそうで、「一川会の人たちが此処で昼食を撮ることが多いと聞いていたので、もしや一川さんに会えるかと思って…」と仰る。教室にお誘いしたが、約束があるということでお帰りになった。
 小生の今日の「墨遊び」は自作の一行詩、「罠といふ美しきもの蟻地獄」と「白く咲くことに疲れて手毬花」。手毬花は白アジサイに似たスイカズラ科の花。(写真)







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by 杜の小径  at 22:45 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

花逢忌

                   だん5

 能古島で開かれた花逢忌に出席するため博多へ。檀一雄が逝った翌年から始まった花逢忌も、今年で34回を数える。いつもの九州大学男性合唱団・chor-akademie に新しく中村学園大合唱団の学生が加わり、故人が好きだった「茶摘」「我は海の子」「ミカンの咲く丘」などの献歌が行われた。檀はポルトガルが好きで1970年11月より72年2月までサンタ・クルスに滞在したことがり、海を見下ろす高台には「落日を拾ひに行かむ海の果」という句碑も建っている。今年はオンが同じだというので故人が愛飲したというポルトガル・ワイン「ダン」で乾杯し、長男で料理研究家の太郎さんと女優・エッセイストのふみさんが碑にワインをかけた。
 会場の文学碑前に集まる顔触れも大きく変わり、檀先生を直接識る人の数は年ごとに少なくなっていく。晩年を過ごした旧宅 月壺堂も昨年取り壊され、その跡に長男の太郎さんが新しく家を建てて移り住んでおられる。
 月壺堂は無くなり集まる人も変わったが、能古島から見渡す景色は昔のままだ。檀は竟の住処を能古島に定めたことについて、次のように述懐している。

「能古島の展望台から四顧すると、私の一生のそれぞれの時期がほとんど一望のうちに、アリアリと見えてくる。南には、青春時代を送った博多の町並みが、横に長く伸びている。西には、律子を死なせた小田の浜が、太郎を肩車にして歩いた長い道がすぐそこに見えている。つまり、能古の山頂から、四方を眺め回すと、私の生涯のほとんど全部の出来事が、はっきりと指差しながら点検できる」

 幼い太郎さんを肩車して歩いた檀の思い出を、作家・俳人で『評伝 火宅の人-檀一雄』の著作がある眞鍋呉夫さんは、次のように語っている。

 初めて会ったときのことが忘れられないんです。昭和21年の5月、福岡のわが家を訪て来てくれたときには、国民服にいがぐり頭で、幼い太郎ちゃんを肩車したまま、
「これが太郎。ぼくの首枷です」
と僕に言った。すると幼い太郎さんが
「なーん? チチ。いまなんち言うたと?」
檀さんは間髪を入れず、
「眞鍋のおじちゃんにね、太郎は父の首飾りですってそげん言うたとたい」
と答えていた。

 花逢忌を檀の命日と思っている人もいるが、それは違う。檀は1976年1月2日に九州大学付属病院で亡くなった。花逢忌は檀の辞世の句「モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん」に因んで、毎年5月の第二日曜日に、能古島の文学碑前で開かれる檀一雄を偲ぶ会である。
 この文学碑自体、檀自身は建立を渋っていたようだ。前記の眞鍋さんによると、晩年に友人たちが文学碑のことを話しているとき、黙って聞いていた檀が突然「そんなに文学碑を建てたいなら雲の上か氷山に建てろ」と怒鳴ったそうだ。檀の突然の怒りが単なるシャイな気持ちだけとは思われない。これは想像だが…『火宅の人』のヒロイン入江杏子との馴初めは太宰治の文学碑だった。昭和31年、青森で開かれたその除幕式に入江と同行し、二人は男女の仲になった。ふっと、そのことが頭をよぎったのではあるまいか。
 
 今月27日には「風の大会」で博多を訪れる。まさかそれまで居続けるわけにはいくまいが、花逢忌のあとは二、三日温泉にでも泊まって高千穂辺りをぶらつくつもりでいた。ところが月曜の午後大事な要件があるのを、すっかり忘れていた。已む無く大嫌いな飛行機で慌ただしく帰京する羽目となった。小人にも閑居の許されないときがある。嗚呼…。






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by 杜の小径  at 18:56 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

叶清游さんの闘癌歌集『大切な時間』

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 夕刻、散歩から戻ると郵便受けに分厚い書籍小包が届いていた。叶清游さんの歌集『―癌との戦い―大切な時間』だった。三回に及ぶ膀胱癌の手術…絶望と微かな希望の狭間で揺らめく気持ちが、叶さん独特の硬質な詩体で赤裸々に詠われている。5時間ほどかけて一気に読み終えた。実は明後日に博多湾の能古島で開かれる師・檀一雄先生の花逢忌に出席するため、今夕東京を発つ予定でいた。が、出発を延ばし私はいま、その読後感を書こうとしている。この感動を、どうしても今日のブログに残しておきたいと思ったから。

   愚問だと
   判っていても
   医師に聞く
   私に残された時間は
   どれだけか

 叶さんは「あとがき」で、「この歌集は、いつか訪れる別れの日の私からの<便り>」と書かれている。「残された時間」を医師が言うはずもなく、叶さんは次のような心境になる。

   まっしぐらに来た
   いま
   老いの
   時空で
   一呼吸する。

   明日が
   終焉の
   時としても
   今宵は
   静かなものだ

 叶さんの本名は和田静夫。社会党の重鎮として参・衆議院議員を経験し、将に「まっしぐら」に生きてこられた。しかし三回に及ぶ手術は人生の修羅場を経験してきた叶さんを、時には八十三歳の孤独な癌患者に戻してしまう。

   手の甲を眺める
   幾星霜を経た
   手の甲を眺める
   癌床に血脈の浮く
   手の甲を眺める

   癌除去後の体調の衰えが
   思考を妨げる
   同じ処に止まって
   一つの思いに明け暮れる
   此岸は迷いの里
 
   生きたい
   生きたい
   死にたくない
   死にたくない
   癌と向きあう

 ともすれば萎えようとする心を支えたのは、叶さんのバックボーンとなっている反戦の信念と新しい政治体制への期待だったのかも知れない。闘病詠の中に、こんな歌も散見される。

   硫黄島に
   戦死者の臓物を
   身に擦りつけ
   死体のふりする
   地獄絵図

   八月三十日は
   日暈が現れ 
   一票が
   白虹となり
   日を貫く

 *村瀬注:白虹とは太陽の周りに現れる日暈(ひがさ)のこと。「白虹日を貫く」は司馬遷の『史記』に見える言葉で、革命を指す。この歌は民主党の圧勝を詠ったもので、叶さんの博学ぶりと革新一筋に歩まれてきた信念の強さが窺える。
 さまざまな心の葛藤を乗り越えて、いま叶さんは透徹した悟りの境地に在るようだ。次の作品は、読む者をして崇高な気持ちにさえ導いてくれる。

   癌
   知れば知るほど
   死が近くなる
   この間(ま)こそ
   生きる場だ

   癌との戦いは 
   他者に委せられない
   私が
   私と
   戦う

 叶さんとは、吉祥寺歌会で数年間ご一緒だった。一口に言って温顔寡黙の士である。叶さんの先輩・鈴木茂三郎さんが学生時代に駆落ちした先が私の親戚の蒲郡千日寺だったという縁もあって、個人的にも可愛がって戴いた。また偶然にも現在ウイーンでピアニストとして活躍中の篤子お嬢さんが幼い頃、私の知人の桐生トシ子さんに教えを受けたことから叶ご夫妻と桐生さんのコンサートにご一緒したり、その篤子さんの凱旋コンサートにご招待戴いたりしたこともある。私が「五行歌の会」を離れてからも小生のブログ『杜の小径』をご愛読下さっていたようで、時どきお電話を戴いたりした。しかし迂闊にも、私は叶さんのご病気のことには全く気付かなかった。今にして思えば、あの電話はご病床からだったかも知れない。そう思うと慙愧に堪えられない。一日も早くご本復されることを心からお祈りする。
 
 この歌集を、できるだけたくさんの方に読んで欲しいと願っています。歌集をご希望の方は村瀬まで、ご一報下さい。僭越ながら先着二十名の方に謹呈致したいと思います。





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by 杜の小径  at 00:57 |  日記 |  comment (11)  |   |  page top ↑

 SINGIN' IN THE RAIN   

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 久し振りに鶴舞C.Cでプレイ。今月はじめ同C.Cで行われた女子プロの「サイバーエージェントレディストーナメント」をTV観戦しているうちに急に行きたくなった。メンバーの望月先生に電話すると早速ОK。ご本業は公認会計士だが、最近は実務を若い連中に任せて自分は最終的なチェックだけ。つまり普段は遊んでばかりいる(ようです)。70歳近くなると、こうゆう連中はゴロゴロいるからメンバーを揃えるのに事欠かない。後輩の弁護士Gもゴロゴロ組の一人だが、電話すると「ウイークデーですかぁ…、それに雨が降りますよよぉ」と、一応は気の無い返事。「何を言ってるんだ。若い連中に任せた方がクライエントも喜ぶぞ」と強引に誘う。残る一人は、奥さんと一緒に家事の世話をして貰っている小塩君。彼なら地理に詳しいし、運転の腕も確かだ。若いだけにテイ・ショットでいつも私を2、30ヤードほどオーバー・ドライブするのが気に食わないが…。

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 7時に小塩君が迎えに来る。首都高速から東関道に入るが、道は意外に空いている。9時前に現地に着くと、既に望月さんもGも来ていて、喫茶室でコーヒーを飲んでいた。二人は旧知で、これまでも何度か一緒にプレイしたことがある。スタートまで時間があるので、我々はレンジでドライバーの練習。

 
 鶴舞C.Cは名匠井上誠一の晩年近くの傑作と言われるコース。全体に競技性を追求したつくりになっており、メンバーの望月さんの解説によると、今回は女子プロのメジャー大会直後だけにラフも長く伸ばしたままで、アマチュアにはかなり難しい。特に残り130ヤード前後に多くのトラップを仕掛けてあり、残り140ヤード前後を残すように刻むか一発勝負でトラップ越えを狙うかの判断が難しいという。おまけに、スタート時は霧雨程度だった雨がだんだん本降りになってきた。不安で暗くなりそうな気持ちを救ってくれたのが、若いキャデイさん。モデルさんみたいに綺麗で、コースの説明も的確だ。気だてが良く、ラフや林に打ち込んだボールを探して右に左に走り回ってくれた。

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     (写真は横峯さくらがチップインバーデイを取った瞬間。鶴舞C.C提供)

プレイの内容は、敢て詳述しない。キャデーさんから女子プロのプレイぶりを聞きながら、楽しく一日を過ごした。ハイライトだけを紹介すると…、例えば8番のロングホールでは、キャデイさんが「ここは横峯さくらちゃんが、残り75ヤードをサンドウエッジで直接カップへ入れるイーグルをとった所ですよ」といった具合。張り切ったフォーサムの結果はWボギーが最高で、一人はOBという始末。15番ショートホールは池にガードされた140ヤードの打ち下ろし。水連の浮いた池を望むビュウが美しく、一見するとサービスホールに見える。「女子プロは9番くらいで打ってましたよ」とキャデイさんが言う。プロのテイ位置は10ヤードほど後ろ、それではと7番で打つと見事に池ポチャ。他の3人は何番を使ったか判らないが、次々に鯉の餌遣りショット。でも、キャデーさんはクククと笑ったあと「はい、元気出して前から打ち直しましょうね」と優しく励ましてくれた。まあ、全ホールが、こんな具合であった。

メンバーの望月先生のバースデー月ということで、昼食はヴィジターも含めて無料。おまけに生ハムとグラス・ワインまでついてきた。倶楽部も競争が激しくて、最近はいろいろなサーブスを考えている。
 私はハーフを回ったところでシューズがびしょ濡れ。乾燥室もあるが、だいぶ古くなっていたのでショップで新調する。いつも靴紐が解けて苦労するが、これは紐無しで踵部分のボタンを回すとワイヤーが締まって足にフィットするようになっている。快的だ。しかし午後のスコアは午前中より更に悪かった。やはり、ゴルフは道具ではないようだ。
 早く終わったので、車で45分ほどの勝浦に出て食事。土産は新鮮な鰹と筍。ゴルフの腕と口は悪いが、これはお互いさま。雨には祟られたけど気のいい友人と過ごせて、まあ、楽しい一日でした。昨夜は『SINGIN' IN THE RAIN』を聞きながら、ぐっすり寝ましたよ。










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朱鷺の詩―愛鳥週間に寄せて

               トキ

    大空を茜に染めた
    そのかみの
    朱鷺の羽音を   
    聞く
    松籟のなか   ■松籟=しょうらい

    風切羽を
    薄墨色に汚して
    佇ちつくす   ■佇ち=たち
    囚われし禽   ■禽=とり
    朱鷺

    生かされている命だから
    鳴くことを忘れ
    ただ
    胸毛震わす
    朱鷺よ

    滅びゆく
    運命と知るや   ■運命=さだめ
    小屋の中で    ■小屋=ケージ
    足細き朱鷺は
    天を恋う仕種   ■仕種=しぐさ

    万緑のなか
    ひとひらの
    羽
    宙にとばし    ■宙=そら
    朱鷺 交尾む    ■交尾む=つるむ

 きょうからバードウイーク(愛鳥週間)が始まる。それに付けても気になるのは朱鷺(トキ)の動静である。専門家が叡智を絞った放鳥計画のはずだったのに、テンにやられてしまうとは…。考えられない失態だが、今は責めまい。ここに掲げた詩は、これまでに幾度となく佐渡を訪ねた際の作品の一部。最後の一篇は私の願いを籠めたものである。
愛鳥週間というのは戦後直ぐから行われたもので、この種のキャンペーンでは最も古い歴史を持つ。そのお陰で多くの人が鳥に関心を寄せるようになったのは結構だが、問題が無いわけではない。私の住む街にハケ(国分寺崖線)からの湧水を集めた野川が流れていることは、このブログでもたびたび紹介している。清冽な湧水だから小鳥も多く、カルガモなどは一年じゅう姿が見られるので付近の人たちのペットのようになっている。それ自体は微笑ましいことだが、みんなでパン屑などを与えるものだから最近はすっかりメタボ鴨になってしまった。トキが抱卵した卵を自ら巣の外へ捨ててしまったのは、過剰な観察行動で朱鷺が神経質になったためと思われる。野鳥に限らず、野草、昆虫などについても、可愛がるというのは「そっと見守る」ことであることを理解して欲しい。

4インコ

 最近、野川の近くでインコの大群を見かけることは、先日のブログでも紹介した。先日、野鳥の会の仲間にこのことを話したら、東京ではインコの野生化が問題になっているということだった。特に有名なのは目黒区大岡山にある東工大キャンパスで、野鳥仲間では「東工大 インコ」と呼ばれ、これで検索できるそうだ。野生化したインコは数種類あるが、中でも多いのはワカケホンセインコらしい。原産国はインド、スリランカで、現地では農作物を荒らす害鳥として嫌われていることから安い価格で輸出され、日本にもペットとして大量に輸入されてきた。ところが鳴き声が大きくて近隣から苦情が出たり病原菌が心配されるなどから、捨てる家庭が増えた。その結果野生化が進み、特に多く生息している東京都では1965年から観察され始め、1985年現在では20ケ所以上の営巣地と800羽を越える個体が観察されているという。犬や猫と同様に、小鳥についても「最後まで面倒をみてあげる」という気持ちを忘れないで欲しい。






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新生『グラン パピエ』に贈る言葉

               ああああ

『グラン パピエ』という冊子が届いた。冊子のほかに1枚の振り込み用紙が同封してあった。改めて封筒を見ると、裏側に小さな紙が貼ってあり、次のような文章が印刷してあった。

 本誌を[謹呈]させて戴きます。
 身体の中にあふれる、まだ音価を持たぬ〈コトバ〉たちを表現するのに、実はもっともっと多様な方法があるように思えてなりません―
 さまざまな表現方法を取り上げていく中で、どこかの誰かにとっての心地好い方法が、偶然見付かるかも知れません。きっとそれは、あらたな表現者の誕生の瞬間なのでしょう。
 そんな瞬間を見続けていきたいと思っています。
 平成二十二年五月吉日                『グラン パピエ』発行人  

 奥付を見ると、発行人の欄に「ま のすけ」とあった。で、はじめて(あの、ま のすけさんが出されたのか)と合点した次第。これは創刊号つまり見本で、来月から隔月刊で本格始動するという。ま のすけさんとは麹町倶楽部でご一緒しており、彼の作品を通して知った「ことば」に関する普通の方とは違う感覚に敬意を持っている。その彼が新しい雑誌を創刊される。その心意気を壮とし、心からお祝いを申し上げたい。

 ここで見本誌に対する褒め詞を並べておけば無難だろうが友人(と私は思っている)としては、そうもいかない。はっきり言って、見本誌を見る限り前途に危惧を抱かざるを得ないのだ。すくなくとも、企画の大幅な手直しが必要ではあるまいか。首途に当たり言うべき言葉ではないかもしれないが、直言こそが友情だと信じて敢て…。三十数年本造りに関わってきた経験から言うと、このままでは数千万円の出血も予想される。そのくらいは覚悟のうえと言われるなら別だが、慎重のうえにも慎重な決断を期待したい。―微意を汲んで貰えれば幸いである。

昨夏、『あ・ら・まっのすけ』という袖珍版の五行歌集を戴いた。一口に言って、たいへん変わった歌集だった。装丁やタイトルも変わっていたが、各ページ書体を変えた編集手法にはド肝を抜かされた。歌集というより、まるで書体見本帳のようであった。奥付に「ブックデザイン ま のすけ」とあったから、ご自分で編集されたのであろう。或る意味で彼の才能を凝縮したような冊子だったが…。さて、では同じような詩集を出したいかと問われれば、私は即座にnoと答えるだろう。要するに彼の歌集だから、あの装丁・編集で良かったのだ。凝った装丁・編集という意味では、今回の『グラン パピエ』も同じである。ここで考えて欲しいのは前回は無料で配布した私家版だが、今回は対価を求める商品であることだ。不特定多数を対象とした「商品」の場合、奇を衒うような印象は避けるべきであろう。そこが、無償で配る私家版と異なる点である。
 一方で雑誌の内容には個性が無いように見受けられる。冒頭の「表紙のことば」に共同編集者の史緒さんの訳詩が載り、巻頭カラーページを、ま のすけさんの作品が飾っているので最初お二人の個人雑誌かと思った。言うまでもなく編集者は子、個人雑誌でないとしたら編集者は表に出ないほうがいいのでは…。
雑誌の方向性を決める執筆陣についても、何を目的に選ばれたのかはっきりしない。ジャンルが特定してないし公募欄があるから同人詩でもないようだ。実は執筆者16名中約半分は直接間接に私の知っている方だった。もし手近なところで間に合わせるといったお考えなら、個性ある新雑誌など望むべくもない。1ページ当たり10円(1冊850円)という対価に相応しい紙面構成をすべきであろう。
 本文の編集面にも大幅な改良が必要であろう。例えば水野プリンさんを「作品をお出し頂いた方」欄に絵師・絵本作家として紹介しているが、実際には挿絵扱いで作品の上にご自分の文章を載せている。これは、考えられないことである。絵本作家・水野さんは了承のうえなのであろうか。・
 雑誌の個性を占う公募欄に、唯一あるのが「自由律『題詠』」。<簡単にいうとお題を詠み込んだコピーライティングのようなもの>という説明があり、題詠例として「燐寸箱 長辺へにじり寄る春闘」などご自分の作品5句を揚げておられる。今後は、このような短詩を中心に雑誌を発行されるのだろうか。それにしては説明が抽象的過ぎて解りにくい。それに多くの人たちが、ま のすけさんが示された見本句のようなシュールな作品が出来るのだろうか。結局は、ごく一部の読者だけの投稿欄に終わってしまうという危惧もある。

 そして最も重要なことは、ま のすけさんに関してご本名、出自、経歴などについて全く明らかにされていない点である。私は彼と史緒さんを拙宅に招いていろいろ教えて貰ったり飲食を共にしたこともあるが、彼のことについては何も知らない。私の周辺の方に尋ねても、誰もご存知ない。一歌人としてなら私事を公表する必要は無い。だが、雑誌の発行者として金銭を扱い・編集責任者として作品を編集するとなると話は別である。たとえ概略でも実像を明らかにされたうえで、「俺について来い!」と進軍喇叭を吹いて欲しい。





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消えた子どもたち

               こいのぼり

   かごめかごめ かくれんぼ
   石けり 缶けり 
   どこ いった
   子どもどもが消えた
   「こどもの日」

 書斎のカレンダーに斜線を引こうとしたら、隅に小さく「こどもの日」と書いてある。迂闊にも、そのことに気付かなかった。テレビでも連休最終日のUターン・ラッシュは繰り返し伝えていたが、「こどもの日」のことは取り上げていなかったように思う。昔は端午の節句と呼んで、子どもがみんな待ち侘びたものだった。雛の節句に菱餅を貰ったお返しに、隣の節ちゃんを呼んで一緒に柏餅を食べた。カラカラという矢車の音が今でも耳朶に残っている。

  下ろされて覆う父と子鯉幟(狩行)
  雀らの海かけて飛べ吹流し(波郷)
  おろされて陽のほとぼりの五月鯉(三樹彦)
  少年の飛び込む音す菖蒲風呂(純子)
  軒菖蒲青き切っ先富士を指す(緑子)

 こんな光景も、もう見ることがなくなった。家庭で要らなくなった鯉幟は過疎の村に集められ、何百匹もロープに括られている。哀れなことだ。「こどもの日」は施行目的によると、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」こととなっている。こどもの人格、幸福とは何だろう。小さいときから塾に通わせて、競争社会を勝ち抜く戦士に育てあげることだろうか。子どもから子どもらしい生活を取り上げておいて、まるでその代償のように連休には贅沢な旅行に連れ回す。これが、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる」社会と言えるだろうか。

   運転手が
   母さんに呼ばれ
   電車が
   縄にもどる
   原っぱの夕暮れ(杜詩夫)

 こんな光景は、日本中どこを探してもみられなくなった。最近ある場所で二十歳台の青年の詩を読んで心が寒くなった。「冬の朝は生き地獄/布団から出るくらいなら/ああ、いっそこのまま/死んでしまいたい~」―この青年が特に軟弱とは思わない。普段は明るくて、言動も確りした好青年である。寝坊できないなら死んだ方がいい―これが今の青年の普遍的な実像なのである。端午の節句を復活して武者人形を飾れば、直ちに剛毅木訥な人間が育つわけではないが、なし崩しに伝統文化を失くしていくような社会の有り様に疑問を呈したい。
 総務省が今日発表した統計では、15歳未満の子どもの数は1,694万人で、昭和57年以来29年連続して減少しているという。日本は質的、量的の両面から子ども問題を真剣に考えるときであろう。





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by 杜の小径  at 03:51 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

さらば! 思い出の赤プリ

                   赤プリ旧館

 連休は殆ど家に居たが三日目ともなると、㞍が落ち着かない。ふっと思い立って久し振りに都心へ出る。いささか旧聞に属するが、赤プリの愛称で親しまれた赤坂プリンスホテルが来年3月で廃業するという。殆どが取り壊されるが歴史的建造物である旧館だけは残されるというのが、せめてもの救いである。
嘘か本当かは判らないが四万十川の天然鰻を出すというので、以前はときどき新館の「紀尾井」に立ち寄ったことがある。ふっとというのは、そのことを思い出したのである。旧館に寄ってみたかったがバーは夜しかやっていないので、新館地下の紀尾井で昼食をとる。連休特別メニューだという紀尾井膳を頼む。待つ間に、子もち昆布のアテで軽く一杯。どうも、こうした場所で一人酒を飲むのは間が持てない。料理は牛とお造りをメインに12点、味はまあまあだが、味噌汁に赤だしを使っているのがいい。
 
               梨本宮方子

 ところで、ホテルにどうしてプリンスという名前が遣われたか、訳をご存知だろうか。理由は、此処が嘗て“皇太子”のお住まいだったからである。但し日本の皇太子ではない。赤坂プリンス旧館は、最後の朝鮮王朝の王世子(皇太子)である李垠(イ・ウン)殿下の邸宅だった。1910年(明治43年)の日韓併合により朝鮮の李王家は日本の皇室に組み込まれたから、プリンスとしたのであろう。此処は、その李垠親王と結婚された梨本宮方子さまが新婚生活を送られた場所。方子さまは当時の皇族・梨本宮守正殿下の長女で、皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇)の后候補だったが、日韓併合に伴う政略で李垠殿下と結婚させられたもの。そのことが内定したとき方子さまは15歳、学習院中等部に在学中であった。大磯の別邸で朝日新聞の記事を見て初めてそのことを知り愕然としたと、後の回顧録に記されている。(写真:結婚直前の梨本宮方子さま)

            吉原幸子

 私事になるが、旧館は私にとっても忘れ難い思い出がある。もう半世紀以上昔のことになるが、旧館の中に「ネービー倶楽部」という会員制のバーがあった。ここは海軍予備学生で同期だった千宗室さん、佐治敬三さん、森下泰さんなどが起ち上げた倶楽部で、名前の通り原則として元海軍に縁のある者しか出入りできないことになっていた。ところが海軍に縁の無い私は自由に出入りし、そればかりか代金もまともに払った覚えが無い。というのはママ役が「歴程」同人の詩人・吉原幸子さんだったから。彼女は後に『幼年連祷』で第4回室生犀星詩人賞を)、『オンディーヌ』『昼顔』で第4回高見順賞を受賞。そして最後の詩集『発光』では第3回萩原朔太郎賞を受賞した大詩人だが、当時は気軽なお姉さんのように接してくれた。お兄さんがツバメ印レインコートで有名な三陽商会の社長という出自の良さもあって、性格がおっとりしている半面、感性は繊細。無垢で透明な眩しいような存在だった。思い出は尽きないが、その彼女も逝って10年になる。

             檀一雄

 赤プリ旧館と言えば、檀一雄先生のことも忘れられない。遺作となった『火宅の人』は完稿まで二十数年かかったがライフワークだけに遅々として筆が進まず、逃避するようにポルトガルに行く前の60年代後半はいちばん執筆に苦しまれていた時期だったようだ。当時は上石神井のご自宅のほか、冬は駿河台の山の上ホテル、夏は赤プリで執筆されていた。山の上ホテルでは歩いて10分ほどの私の事務所まで時どき出てこられ、気晴らしをされていた。夏に赤プリを使われたのはプールがあったからで、日中は殆どプールサイドで過ごされていた。そのころ執筆に行き詰まって苦しんでおられたとは後になって判ったことで、当時はそんな素振りは噯にも出されなかった。豪快に笑い、飲み且つ喰らわれた姿が忘れられない。
 赤プリよ さらば。思い出よ さようなら。








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by 杜の小径  at 18:30 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

美しくあれ 五月

                f0063065_18505641.jpg

     羽持つもの
     翅持たぬもの
     みな媾いて 
     五月
     美し

     万緑のなか
     ひとひらの
     羽
     宙(そら)にとばして
     鳥交尾(つる)む

 人間ドックから戻りました。アイソトープ検査をはじめ各種検査は全てクリアしましたが、一部の検査は残して予定より二日早く退院しました。どうしても個室がとれず、かなり重症の方と同室だったためです。残る超音波断層検査と脚部X線などは、10日に行うことにしました。
 留守中に家政婦さん夫妻が部屋を掃除しベッドメーキングまでしてあったので、久し振りにゆっくり眠れそうです。3月末の天竜川、先月はじめの木曽三川源流に続き白馬及び姫川・犀川源流へと旅が続いたので、連休は自宅でゆっくりします。
 5月は11日に鶴舞C.Cでゴルフ。ちょうど今、国内女子ツアー第8戦「サイバーエージェントレディスゴルフトーナメントが行われているコースです。テレビ観戦していたら急に行ってみたくなり、メンバーの望月先生に電話すると11日なら取れると言う。即決。以前、葛城C.Cで女子プロの公式大会の直後に同じピン・ポジションでプレイしたことがありましたが、今度は10日後だからそういうわけにはいかんでしょう。
月末は福岡で五行詩の「風の大会」があります。その前々週の16日が檀一雄先生の花逢忌ですので、一旦帰京して出直すことになると思います。いずれにしても、今月も旅の多い月になりそうです。





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