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詩人たちの愚痴

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 毎夏、蓼科で開いていた短詩形ジャンルのワークショップが、昨年に続き中止になった。中心的存在だった内村剛介さんの急逝が直接的な原因だが、詩人連中に活力が無くなったのが本当の原因だ。今後のことを相談するために横浜中華街の北京飯店に有志が集まったが、出るのは愚痴ばかりで稔りの少ない会合に終わった。

 集まった16名のうち、プロの詩人は一人もいなかった。プロというのは原稿料と印税で生活しているという意味である。参会者の中に短歌と俳句の結社の主宰が数名いたが、これは詩で食っているとは言えないだろう。これは需給の原則からも当然のことだ。いま東京でも相当大きな書店でなければ詩のコーナーは無い。全国の書店数をかりに2万店とすると、詩のコーナーを設置している店はおそらく300店程度だろう。詩は商品となり得ない現状である。
 文学賞でも詩はマイナーで、詩の芥川賞と呼ばれる「H詩賞」をはじめ「高見順賞」「中原中也賞」「小野十三郎賞」などがあるが、一般の人には殆ど知られていない。当然ながら詩を発表する機会も少ない。小説を発表する場は、ちょっと数えても「オール読物」「文学界」「群像」「すばる」「小説現代」「SFマガジン」「ミステリマガジン」「小説推理」「鳩よ!」「週刊小説」などなど。ところが詩の場合は「現代詩手帖」「ウエイストランド」「詩学」「ユリイカ」程度で、この狭い門を潜れる人は極めて少ない。

 現在、詩を志す人の殆どはアマチュアで、所属結社に会費を払って作品を発表している。
その数はむしろ増加しており、表面的には活性化しているが、クォリティーの上ではかなりでベル・ダウンしているというのが参加者たちの多数意見だった。伝統的な短歌、俳句の場合は主宰の人物や作品を敬愛して弟子が集まるケースが多く、指導体制もそれなりに出来あがっている。ひどいのは新興短詩形、例えば五行歌などで、実作経験も理論も無い人間が支部の代表やワークショップの講師を務めている。五行歌関係者の話だと技巧的に未熟でも朴訥に心情を吐露するのは救いがあるが、最近は訳の判らない奇矯な、 insane な作品を作る輩が目につくという。しかも、そうした駄作を(なんだか解らないが素敵だ)などと持ち上げるバカがいる。彼は数年前、某地方美術館で3年間もピカソの絵を逆さまに展示したと謂う例を挙げ、日本人は訳の解らないものを有難がる人種なんだよね、と苦笑していた。長老のK氏がぽつりと言った。「詩三百、一言以て之を蔽う、曰く、思い邪なしは既に死語。詩は死、deathじゃよ」―洒落を言ったつもりらしいが、誰も笑わなかった。


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by 杜の小径  at 22:03 |  日記 |  comment (4)  |   |  page top ↑
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