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色無き風を求めて

            ススキ

 昨夏は渥美半島・伊良湖岬に始まり、蓼科、天竜・伊那谷、福島・山形と八月の半分以上を旅で過ごした。一昨年も三宅島、天竜川、長野・山梨の美術館巡り、八尾の風の盆、安曇野と殆どを旅で過ごした。ところが今年の夏は、殆ど何処へも出掛けなかった。それだけ暑さが厳しかったということにしておこう。 
  
     無色風何処在 <色無キ風を探シニ行コウ>     杜詩夫 
溽暑燼余万慮忘<溽暑の燼余 万慮を忘る>アンマリ暑クテ思考停止ダ
聊不得眠凭淨几<聊か眠るを得ず 淨几に凭る>眠レナイノデ起キテ机ニ向カウ
机上詩稿向誰語<机上詩稿 誰に向かって語らん>然シ心開キ詩ヲ語ル友モイナイ
謂無色風何処在(思えらく色無き風何れの処にか在る>色無キ風を探シニ行コウ

     file5.jpg

   色の無き風を探して越中路

   坂多き八尾色無き風とほる

   踊り果て色無き風の吹き過ぎる

   白山の風しらじらと踊りの輪

 色の無い風がどんなものか、説明するのは難しい。古歌にも類歌を拾うことができるが、いずれも秋風の透明感、寂寥感、或いは悲傷感を表すものである。
  
   吹き来れば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな(紀友則)
  
   物思へば色なき風もなかりけり身にしむ秋の心ならひに(久我太政大臣雅実)

 紀友則の歌は『古今六条』に載るもの。中国で秋を白とする五行説から秋風を素風と呼んだことに拠るのであろう。久我雅実の歌は『新古今集』所載だが「堀川院を悼む」という前詞がある通り、悲傷感に満ちた歌である。
 話は跳ぶが北陸加賀の粟津温泉から山代温泉へ向かう途中に、那谷寺という古刹がある。この境内に芭蕉の句碑が建っている。
         
   石山の石より白し秋の風

 芭蕉は平泉を訪ねたとき杜甫の「国破山河在 城春草木深…」という詩を踏まえて『夏草や兵どもが夢のあと』と句を詠んでいるようの漢籍への知識が深い。この句も素風を踏んで作ったものであろう。往時の面影は無いだろうが、八尾の帰りに寄ってみたい。出来れば永平寺へ回って久し振りに福山諦法老師ともお会いしたい。
 
 例によって行き当たりばったりの一人旅ですが、できれば都塵に塗れた心をちょっとだけ洗い清めてこようと思っています。一応NPCは持参しますが、書きこみはできないでしょう。暫くのご無沙汰になります。みなさま、ご機嫌よう。
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