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煤逃げの記

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   年暮れぬ笠きて草鞋はきながら(芭蕉)
   ともかくもあなた委せの年の暮(一茶)

 年の瀬になると、これらの句を思い出す。芭蕉の句は『野ざらし紀行』所収のもので、長旅を重ねて故郷の伊賀に帰った折の作。一茶の句は五十歳で北信濃の柏原に帰郷し、妻を娶ったときの感懐である。芭蕉のほうが120歳も年上だから一茶のことを知る由もないが、両者のそれぞれに環境や境遇が表れていておもしろい。

 現代の俳人にも年の暮を詠んだものは多い。年の暮は「歳晩」、「年の瀬」、ちょっと洒落て「年歩む」、「年の果」などともいう。 

   灯の鋲の東京タワー年の暮(狩行)
   歳晩の雨あたたかき父の家(昭代)
   年の瀬の灯ぺちゃくちゃの六区かな(青畝)
   山の背に雲みな白し年の果(裕)

 残る日数が少なくなるというので「数へ日」、また年内ということで「年の内」、更に「行く年」、「逝く年」、「年過ぐ」などの言葉も遣われている。

   数へ日の紺の山より大鴉(直人)
   産土神に雀の遊ぶ年の内(宣子)
   行く年の硯を洗ふ厨かな(達治)
   山国や年逝く星の充満す(遷子)
   年過ぎてしばらく水尾のごときもの(澄雄)

 新米の船員が先輩に「もう直ぐ赤道が見えるぞ」と言われて、思わずデッキから身を乗り出して海底を覗き込んだという笑い話がある。この新米船員君のように、我々は年末年始の間に太い線でもあるように錯覚しているのではあるまいか。年が変わると言っても、自然がドラスチックに変わるわけではない。しかし考えてみると、365日で一区切りつけるということは人間の智恵でもある。1年間積もりに積もった悩みや苦しみを除夜の鐘で搗き飛ばしてから、新しい年を迎える。イマ風に言えばリセット、うまいリフレッシュメントである。

   煤掃きも煤逃げも無く独り酒(杜詩夫) 

 煤掃きは暮の季語で大掃除のことである。これもリセットには必要なセレモニーである。爺さんから子どもまで一家総出で大掃除をすることで身も心も迎春の準備が整うのである。ところが、どこの家でも親父はズルイ。口実を作って逃げ出し、馴染みの縄暖簾でちびりちびり。これが煤逃げで、ちゃんと傍季語になっている。ところで煤掃きにしても煤逃げにしても家族あってのこと。独り暮らしでは、暮も正月も普段と変わることはない。だから、小人閑居して駄文を書くという羽目になるのである。嗚呼…。次句の「託ち」は「かこち」と読んで戴きたい。

   行く年の速さ託ちつ蕎麦啜る(杜詩夫)
 


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by 杜の小径  at 22:41 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑
Comments

No title

 いつもながら軽妙なエッセイ、楽しく読ませていただきました。

 年末年始への思いは私も同感ですが、主婦の悲しさ、今から
家中の大掃除に奮闘いたしめす。

 末筆になりましたが、創作のご指導、有難うございました。
by 田嶋さなえ 2008/12/19 10:59  URL [ 編集 ]

No title

 さなえさん、とりとめの無い雑文にコメントを戴き、恐縮です。

 創作はなかなか良く書けていましたが、登場人物の関係が少し
複雑過ぎましたね。あそこにも書いておきましたように、もう一度
視覚的な構成図を描いて人物関係を整理してみましょう。
by 杜詩夫 2008/12/19 22:44  URL [ 編集 ]
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