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草城忌

日野草城

 日野草城(ひの そうじょう)は東京生まれの俳人。1956年の1月28日が忌日である。三高、京大時代から俳句を始め、『ホトトギス』に入る。忽ち頭角を現し8年後に同人となるが、しだいに虚子の主観を排除した没個性的な客観写生に徹する句風に疑問を抱くようになる。

 草城の俳句観を変える端緒となったのは、蕪村の次の一句だったと言われる。    

     お手討の夫婦なりしを更衣
 武家奉公の若い男女が道ならぬ恋に落ち、あわやお手討になるところを赦されて世に隠れるように暮らしている。衣替えの季節になって贅沢はできないものの、夫婦揃ってさっぱりとした季節の着物に着替えて小さな幸せを噛み締めているという句である。たった17文字で表現されるドラマに、草城は深い感銘を受ける。
 
 1934年、彼は『俳句研究』に新婚初夜を描いた連作「ミヤコホテル」を発表して俳句界を驚倒させる。勿論これはフィクションで、俳句の創作文芸化、近代化の狼煙だったのだが虚子の怒りをかい『ホトトギス』を除名される。このとき杉田久女も除名される。
 虚子は「新興俳句は病菌のようなものだ。除かねば蔓延して俳界が腐る」と言ったと伝えられるが、彼はそれに屈することなく、「師に対する弟子の道は、絶対従順と、師説を離れて発展進展を志す二つがある。私は後者を選びたい」と新傾向の俳句集団を糾合する『旗艦』を創刊して虚子に反抗する。しかし戦時色の深まるなか新興俳句弾圧により、『旗艦』指導者の地位を追われる。この裏には虚子の老獪な画策があったと見る人もいる。

 戦災、戦後の苦労を経て昭和24年『青玄』創刊。病苦のなかで清明な句を創り続ける。清貧の病床にありながら、自らの命と引き換えるかのように、温かく、いつくしみをもった穏やかな俳句を生み続け、昭和31年の今日、54歳でその生涯を閉じた。

  【日野草城代表句】

  春暁や人こそ知らね樹々の雨 (『草城句集(花氷)』昭和2)

  春の灯や女はもたぬのどぼとけ (同上)

  ものの種にぎればいのちひしめける (同上)

  ところてん煙の如く沈み居り (同上)

  春の夜やレモンに触るる鼻のさき (同上)

  南風や化粧に洩れし耳の下 (同上)

  枕辺の春の灯は妻が消しぬ (『昨日の花』昭和10)

  高熱の鶴青空に漂へり (『人生の午後』昭和28)

  切干やいのちの限り妻の恩 (同上)

  見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く (同上)
 
 
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by 杜の小径  at 02:35 |  日記 |  comment (1)  |   |  page top ↑
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