FC2ブログ
 

もの言えば…

              コピー ~ yun_3556

    物言えば 唇寒し 秋の風(芭蕉)

 この句には前書に「座右の銘、人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ」とある。1955年刊の『評解名句辞典』(創拓社)によると、「話に興ずると、とかく人の悪口を言ったり、自慢に陥ったりして後で自己嫌悪を感じるものだ。そういう時のわびしい気持ちを秋風の感じと詠んだ句である」とある。著者は学習院の麻生磯次元院長だが、こちらは千葉県山武市生まれだから麻生総理とは無関係のようだ。(念のため)
 ついでに引用すると、兼好法師の『徒然草』には「... おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず」とある。意味は、「思ったことを口に出さないと腹が膨らんだようで気持ちが悪い。それで筆に任せて書くのだが、元々が取るに足らない物書きだから取捨選択することもないし、人に見せるものでもない」といったことになろう。
 諺にも「口は禍いの門」「言わぬが花」「沈黙は金」「雉も鳴かずば撃たれまい」など、饒舌を戒めるものが多い。まあ、喋るより黙っておれということだろうか。

 そうは言っても、沈黙を守るということは簡単ではない。芭蕉にしても兼好にしても、そう言いつつ生涯を文人で通している。文芸を方便(たつき)としているためでもあろう。
 私は編集者として多くの作家に接してきたが、生きてゆくために作品を書くということは厳しいことである。私の知る限りでも有名作家の何人かが、若い頃は方便のために筆を執っている。瀬戸内寂聴は売れない頃は三谷晴美とか三谷佐知子の名前で少年少女向けの物語を書いていたし、梶山季之は梶謙介のペンネームで小学館の学年誌に寄稿していた。
 1950年代に『文芸春秋』『週刊新潮』など、いわゆる出版社系の週刊誌が続々と刊行されると、無名時代のの梶山季之、黒岩重吾、岩川隆、それに詩人の関根弘などがいわゆるトップ屋として記事を書いていた。豊田行二(本名・渡辺修造)は学生時代からの知り合いだが、、「示談書」で直木賞候補になりながら生活のために感能小説を書きまくり、とうとうポルノ作家で生涯を終わってしまった。しかし文筆に携れるのはまだ良いほうで、水上勉が洋服の行商をしたり、草野心平が居酒屋を経営していた話など、下積み時代の苦労話は掃いて捨てるほどある。この時代のもの書きにとって<物言えば唇寒し>などと言っておれなかったのである。
 
 もの書きがペンを執り続けるのは、生活の為ばかりではない。冒頭で、もの書きは業(ごう)であると書いたが、もの書きという人種には、生まれ付きの業(ごう)があるのかもしれない。止めようととしても止められぬのが業である。苦労したうえで作家として名を成したのは一握りの人だけで、その何十倍かの人たちは無名のままに終わっている。それでも、その人たちは何らかの形で「もの書き」に拘り続けながら生きているに違いない。先日の麹町倶楽部で、N子さんがご自分の作品に関係もあって朝日新聞の或る記事をコピーして配られた。それは朝日歌壇に投稿し何度も入選した一ホームレスに新聞社が住所を教えて欲しいと呼びかけたところ、本人から「今は未だ名乗り出たくない」と返信があったという記事だった。この人などは紛れもなく業に取り憑かれた一人であろう。方便、暮らしのためなら歌など投稿するより空き缶の一つでも余分に集めたほうがいいだろうに。それができないのが業である。

     花冷えや もの書かざるは飢えに似て(杜詩夫)

 この業というヤツは厄介で、人間の生きざまも変えてしまう。私の友人に某有名大学の教授がいる。既にかなり高名な作家でありながら定年後に名誉教授になれなかった。彼自身はもう宮仕えはしたくないと笑っているが、理由は判っている。彼が在職中に全大学の労働組合の委員長をしたことを大学当局に睨まれたからである。委員長就任時にこのことを予想したが私は止めなかった。彼もまた業に取り憑かれた一人だったから…。或る意味で文学を志す者はバカである。上品に言い換えると世渡りが下手である。適当に妥協して生きればもっとうまくいくだろうに、それができない。私自身、誰に頼まれたわけでもなしのにボランティアで文芸の通信塾をやっているが、指導が下手だ。ここでお世辞のひつつも言ってやれば喜ぶだろうと判っていても、それができない。駄目なものは駄目という一線がどうしても崩せない。これも業である。他の場合でも「もの言えば唇寒し」と判っていても、無用な一言を発して、唇どころか風邪をひいてしまうことも度々なのである。周りは迷惑かもしれないが、私自身はそうした生きざまに悔いは無い。

 さて書き終わって、この日記にどんな写真を入れようかと困った。思いついたのが日光東照宮の神厩舎に掲げられた左甚五郎作と伝えられる三猿像。3匹の猿はそれぞれ耳、口、目を手で覆っている。聞かザル、言わザル、見ザルというわけである。いかにも日本人が考えそうな語呂合わせに思えるが、実は原典は『論語』。その一節に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿動」(礼にあらざるものを視るなかれ、聴くなかれ、動(おこなう)なかれ)とある。英語ではこの三猿を"Three wise monkeys"(3匹の賢い猿たち)と訳している。さて、「見ざる聞かざる言わざる」が果たして正しい生き方かどうかは、それぞれの方の判断にお任せすることにしたい。


                   
スポンサーサイト








※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 16:37 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑
Comments
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

杜の小径

Author:杜の小径

杜のMENU
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
カウンター