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by 杜の小径  at --:-- |  スポンサー広告 |   |   |  page top ↑

山恋い

             山恋い

 白馬から戻って未だ三日も経っていないのに、私は、もう次の山行きを考えている。山と言っても脚が完治していないのでピークを極めるのは難しい。麓から白く輝く山頂を仰ぐだけでいい、山肌を吹き下りてくる冷たい風に触れるだけでいい。まあ、言ってみれば「山恋い」、叶わぬ恋に胸を焦がすようなものだろう。神保光太郎にこんな詩がある。今の私の心境だ。

   山を降りて
   背嚢(リュック)を絆いた夜
   私はもう
   再び山に帰りたくなってゐた
   壁に
   陳(なら)んでゐるかずかずの書物も
   みんな
   昨日までくらしてゐた山の貌(かたち)となって
   私を呼ぶのであった
   (後略)

 これまで何十回となく山へ行ったが、今回は或る意味で忘れ得ぬ思い出となった。ロッジでは皆が一緒に食事をするのだが、夜食が終るころ電灯が消され、赤い蝋燭が灯された。とつぜん歌いわれ出した「Happy birthday」。昼間、何気なく洩らした「今日は僕の誕生日」という一言を聞いた同宿舎の提案で密かに誕生祝いを計画してくれたらしい。蝋燭は使いかけの古いもの。ケーキ代わりに信玄餅が一つずつ配られた。名前さえろくに知らない間柄なのに…皆さんの行為に感激した私はマスターに酒を頼み、返礼として于武陵の詩を井伏鱒二の訳と共に吟じた。人前で詩を吟じるなど、嘗て無かったことである。

  勸君金屈卮,(君に勧むきんくつし)
  滿酌不須辭。(満酌辞するをもちいず)
  花發多風雨,(花ひらいて風雨多し)
  人生足別離。(人生別離るるに足る)

  この盃を受けてくれ
  どうぞ、なみなみと注がしてくれ
  花に嵐の例えもあるぞ
  さよならだけが人生だ      

「さよならだけが人生だ」は名訳である。一期一会こそ人生だと、最近つくずく思うようになった。そうした意味で、柳瀬丈子さんの作品は心に残る佳作である。

  明日は もう
  此処を
  発とう
  自分の匂いが
  淀んできた

 人は「自分の匂いが淀んできた」ことに、なかなか気付かない。或る日、それに気付いて愕然とするのは未だ良いほうで、死ぬまで気付かない人が多いだろう。自分の匂いが淀まないためには一期一会で生きるしかない。人間の絆を断つことである。『人間の絆』と言えばサマーセット・モームに、こんな文章がある。

「人生も無意味なら、人間の生もまた空しい。生まれようと、生まれまいと、生きようと、死のうと、なんのそれは意味もない。生も無意味、死も無意味・・・・あたかも絨毯の織匠が、ただ彼の審美感の喜びを満足させるためだけに、あの絵模様を織り出したように、人もまたしのように人生を生きればよいのだ。ひっきょう人生は、一つの絵模様に過ぎない。特にあることをしなければならないという意義もなければ、必要もない。すべては彼自身の喜びのためにすることだ。・・・・フィリップは、幸福への希求を棄てることによって、彼の最後の迷妄を振り捨てた」(中野好夫訳、新潮社)

 彼が何歳のときにこうした境地に達したのかは知らないが、信仰を持てない私のような人種にとって一つの救いであるかもしれない。とは言うものの、「友を捨て、恋人を捨て、汝独り落莫たる荒野に立て」というショウペンハウエルの言葉に感動しながらも、翌日には寂しくなって友人に電話して飲み屋に誘う私である。「山恋い」が精一杯で、とても人間の絆は断ち切れそうもない。
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