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桜桃忌(太宰忌)

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太宰忌や三鷹を過ぎて雨となる(杜詩夫)
 
 今日6月19日は、太宰治を悼む桜桃忌である。この日を太宰の命日と思っている人が多いが、違う。彼が1948年(昭和23年)に玉川上水で山崎富栄と入水心中したのは6月13日で、二人の遺体が発見されたのが19日。この日は、奇しくも彼の誕生日だった。故郷の青森県金木町では、19日は忌日でなく生誕祭として偲ぶ会が行われている。
桜桃忌は同郷の親友、直木賞作家の今 官一により、太宰の最後の短編「桜桃」に因んで名付けられたもの。報道によると、今日も桜桃忌には墓のある三鷹・禅林寺には多くの太宰ファンが訪れたようだ。この寺には森鴎外の墓があり、太宰の希望でその向かいに予め墓所が決められていた。しかし、いざ葬る際には檀家の猛烈な反対があり、当時の住職の説得でやっと決まったという。

 太宰が逝って62年、玉川上水の二人が入水した辺りは街並も道路もすっかり整備されて昔日の面影はない。水面も鉄柵に阻まれて覗くことはできない。わずかに事情通だけに判る目印といえば、入水地点と道路を挟んだ反対側の歩道脇に赤茶けた色の自然石が建っている。遺族の意向で説明らしきものは一切無く、「玉鹿石(ぎょっかせき)青森県北津軽郡金木町産」とだけ記したプレートが添えられているだけ。金木町は太宰が生まれた町である。(写真:左から現在の太宰入水地点、玉鹿石)

 二人の遺体は、3日後に発見された。太宰のためには立派な寝棺が用意されたが、冨栄の遺体は父親が駆け付けるまでムシロを掛けて堤防に放置された。後に葬儀委員長をつとめた豊島与志雄(作家・法政大学名誉教授・日本芸術院会員)が「せめて近くの火葬場で一緒に」と提案したが太宰側の猛反対に遭い、太宰の遺体は近くの杉並堀の内火葬場で、富栄の遺体は遠く離れた田無の火葬場に老父一人付き添って行われた。太宰の生家は父が貴族院議員を務めた青森の名門 津島家。一方で葬儀の段取を担当した大手出版社側には、この事件で太宰のイメージを傷つけたくないという思惑があった。事件直後、この事件は冨栄による無理心中、もっと酷いのは冨栄による殺人説までが盛んに流布された。後に二人の遺体を結んであった赤い紐が密かに切断されたり、きちんと川岸に揃えて遺されていた二人の履物が太宰側の人の手で片付けられていたなどの事実が次々に暴露され、これらの風評が根拠の無いものであることが明らかにされた。(写真:山崎富栄)

 このとき生前の太宰と親交があった作家たちは、口々に冨栄の人格を傷つけるような発言をしている。ただ一人、太宰の親友だった檀一雄は「朝日新聞に連載中だった「グッド・バイ」が未完の遺作となった。奇しくもこの作品の13話が絶筆になったのは、キリスト教のジンクスを暗示した太宰の最後の洒落だった」とだけ言って、十数年後に『小説 太宰治』を書くまで、この件については口を噤んできた。同書は沖積舎、岩波書店など数社で刊行されているが、私の手許には審美社刊の初版が残っている。
 檀先生は山冨栄とは生前に何回も会われていて、三鷹の家にも度々訪れたことがあると言っておられた。彼女のことをレイジンと呼び、その家をレイジンの家と称されていた。もちろん麗人の意味であろう。冨栄の父は日本で初めて美容専門学校を開いた人で、彼女自身も京華高等女学校を卒業後、日本大学付属外語学院やYMCA などで英語を学び慶応大学教養課程も履修しており、戦災で焼けるまで銀座で美容院を経営していた。このことは檀 さんから聞いたのではなく、後日私が調べたものである。
 檀先生の お宅で例によってお酒を戴いているとき、太宰のことに話が及んだことがある。6月12日に鎌倉の川端康成さん宅に「終りの火」の原稿を届け、そのまま川端さん宅に泊まられた。たまたま太宰の話が出て、檀さんが「相変わらず三鷹の狭い家に住んでいます。そろそろ家でも買ったらいいのに」と言うと、川端さんは、「家は造らんでしょう。津軽の家がとても大きいそいじゃありませんか。造るならあれ以上の立派な家にしなければならないから、とても出来ないでしょうね」。川端さんはこう言って微かに笑われたそうだ。翌日は曽我の尾崎一雄宅を訪ねて、先日、太宰が訪ねてきたことを知る。尾崎はそのとき黙っていたが、あとで太宰が愛人の太田静子(『斜陽』のモデル)を同伴していたことを知ったという。(写真:左から『小説 太宰治』、檀先生ノサイン)

 太宰治』に筆でサインして下さった。帰って開いてみると、太宰の死の原因について「彼の文芸の抽象的な完遂の為である。文芸の創との成就である。彼の死を伝え聞いた総て野人々が、その事情を察知し感得しながら、さて、その死を語る際になると、日頃の見聞に馴れた世上の自殺風を附会していった。太宰の死は四十年の歳月の永きに亘って企画され、仮構され、誘導されていった彼の生、つまるところ彼の文芸が、終局に於いて彼を招くものであった。太宰の完遂しなければならない文芸が、太宰の身を喰らうたのである。」と書かれてあった。
 同書は「小説」とはなっているが、太宰との付き合いを事実に即して書かれており、太宰研究者には得難い資料だろう。最後は太宰の死の日の記述で終わっている。

 14日、石神井池畔の宿で「父子来迎」の原稿を書いていると、同宿していた真鍋呉夫が朝刊を持って慌ただしく飛び込んでくる。新聞は太宰が遺書を残し女連れで失踪したことを知らせていた。井伏鱒二や亀井勝一郎は「生きていると信じたい」という意の談話を載せていたが、私(檀、以下同じ)は「いや、駄目だ、今度ばかりは」と即断する。真鍋が「太宰さんのお宅に行きますか?」と言うのへ「生きて帰るなら行きたいが、死んだ太宰には会いたくない」と答える。
沛然たる雨が降って来た。石神井池に霧が立ちこめ、葦の青い肌を豪雨が伝い流れる。私は、新聞を膝に置きながら酒を呷った。酒を呷りながら太宰の思い出を辿った。そうしていると今度は駄目だという、はっきりとした愛惜の感動が波立った。それは私の部屋から真鍋の部屋へと、雨漏りの激しい廊下を渡っていく。わめくように、真鍋に言い聞かせるようにである。―「死んだ。今度は太宰は、はっきりと死んだ」―
 そのまま、私は夜明けまで訣別の詩を書き続けた。「小説 太宰治」は、次の訣別の詩「さみだれ挽歌」で終わっていた。

            さみだれ挽歌

 むかしわれきみと竝(なら)びて 書(ふみ)もたずそが手のうへに 質草のくさぐさうだき 銀杏生ふる朱門を入らず 学び舎(や)の庭に這入らず よれよれの角帽かむり いづこぞや大川端のおどろしき溝蚊(どぶか)のほとり いき鬻(ひさ)ぐをみなを漁り 酒あほりいのちをあほり かきゆらぐたまゆらの夜を たふとしとゐ寝ずてありき やがてわれいくさに問はれ 盃を交はさん友の つつがなく都に残り 目覚しや文のまことの 高きにもいや高き声 鬼神をもゆるがす不思議 世の人の賞(め)づるを聞きて うべうべとうべなひ去りぬ 旅を行き旅に逐(お)はれて さすらひの十年を経たり いかさまに国は破れて うつし世の妻焚(た)き葬(はふ)り きみをるといふを頼りに 東(ひむがし)の都に来(こ)しを 文書きのしばし忘れて 世のみなのうつろひゆける おもしろくをかしきさまを 思ふままに嗤(わら)ひ嘲(あざけ)り ひと夜また酒掬(く)みあはん それをしも頼みて来しを いかにせむおよづれとかも 君ゆきて水に沈むと 遅読(おそよ)みの一号活字 寝ぼけ眼(まなこ)こすり疑り 毎日や朝日読売 かきあつめ胡坐(あぐら)にふまへ うつしゑの薄れしすがた 見つつわれ酒を啖(くら)へば はや三筋あつき涙の たぎりゆき活字は見えず 早くしてきみが才(ざえ)知る 春夫師の嘆きやいかに よしえやしその悲みの 師の重きこころに似ねど わがなみだくろ土を匐(は)ひ さみだれのみだるるがまま 流れ疾(と)き水をくぐらん。良き友は君がり行きて 必ずやきみ帰るべし そを念じしぶかふ雨に 肝(きも)ぎらし待ちつつをらん 悪しき友ただわれ一人 十歳(ととせ)前君と語りし 池の辺(へ)の藤棚の蔭 四阿(あずまや)の板茣蓙(いたござ)の上に 葦葭(あしよし)の青きをみつめ そが上を矢迅(やばや)に奔(はし)る たしだしの雨垂(あまた)らす見て にがくまたからきカストリ 腸(はらわた)に燃えよとあほる 君がため香華(こうげ)を積まず 君がため柩(ひつぎ)かたげず 酔ひ酔ひの酔ひ痴れの唄 聞きたまへ水にごるとも
 
    池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる

 右短歌一首は伊馬春部に与へたる遺書の末尾に書かれし左千夫の歌ときき、そを借りてみだりに結ぶ。

           (写真:左から書斎の檀一雄、佐藤春夫邸の檀一雄)

*【追記】 長くなるので、この稿はここで一応の終わりとします。近いうちに檀先生からのお話などを交えながら、太宰の作品や太宰をめぐる女性について書きたいと思っています。村瀬杜詩夫)









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