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啓蟄、料峭、そして春愁

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明日は啓蟄(けいちつ)、二十四節気のひとつに当たる。啓は開く、蟄は閉じ籠るの意味で、暖かくなったので冬籠りしていた虫たちが穴から這い出してくるということ。なかなか含蓄のある語で俳句では春の季語とされているが、日常的に遣われることは少ない。
 同じように日常生活では死語となってしまった語に料峭(りょうしょう)がある。料はものごとの程度を表す語。峭は本来は崖ということだが、転じて厳しいという意味を持つ。この二つが合わさって料峭となると、なんと春になっても肌寒く感じる風という意味になる。リョウショウした? (オヤジギャグでごめん)

 虫だって穴から這い出すんだから人間サマが部屋に籠っているわけにはいかない。(ほう、感心! で、どこへ行くの? 北アルプス? )いや、ヴェランダへ。 (≧∇≦)ノ
 
風は冷たいが降り注ぐ陽の光はすっかり春のものだ。先週、古い植木棚を解体して捨てたので、清廉な住人に相応しくヴェランダが明るく清潔になった。ちなみに清廉の廉は値段が安いという意味だが、清が付いて清廉となると心が清らかで私欲が無いという意味になる。(薀蓄はモウイイヨ!)そのとき水仙の株分けをしたのだが、時季が遅かったので今年の開花は諦めていた。ところが…なんと小さな花が一輪だけ咲いているではないか。(写真上)持ち主の乱暴な扱いにもめげず、必死の思いで花を咲かせたのであろう。その健気さに思わず胸が熱くなった。
下側の葉っぱだけの写真は何に見えるだろうか。実はミツバである。いつも芽を摘んでいれば新芽が伸びて、もっとミツバらしくなっただろうが…私はこれを一度も食用にしたことがない。最初は食べるために買った根ミツバだったが、葉の部分にグザリと包丁を入れたとき急に、俺はなんて残酷なことをしているんだろうと思った。で、根の部分をプランターに植えておいた。1週間ほどして、それが小さな芽が出しているのを見つけたときは驚いた。一生懸命生きようとする姿に感動した。以来、食べることなくせっせと水をやって育ててきた。だがミツバを食べないわけではない。ミツバを軽く炒めてから御飯に混ぜる菜飯が好物だから、時どき八百屋で買ってくる。その度に根の部分を植えるからミツバのプランターがどんどん増えてしまう。右の写真の上部に白く見えるのは1週間ほど前に植えた最新のミツバである。この調子でいくと、遠からず我が家のヴェランダはミツバに占拠されることになる。このことが私にとって目下、最大の春愁である。(イミガ チガウッチュウノ!) ドテッ (*゚ω。)ノ
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by 杜の小径  at 22:51 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑
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