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by 杜の小径  at --:-- |  スポンサー広告 |   |   |  page top ↑

人間探求の俳人 加藤楸邨

 7月3日は楸邨忌、俳人加藤楸邨 の忌日である。戒名の智楸院達谷宙遊居士から達谷忌ともいう。
 楸邨が俳句を始めたのは比較的晩く、25歳を過ぎてから。最初からホトトギス派の写生主義を嫌って『馬酔木』を主宰する水原秋桜子の門を敲く。37歳のときに『寒雷』を創刊、主宰となる。楸邨は「真実感合」を唱え、人の内面心理を詠むことを追求してきたことから中村草田男、石田波郷らと共に「人間探求派」と呼ばれる。その名付親は山本健吉である。
 昭和14年、『俳句研究』が行った加藤楸邨、中村草田男、石田波郷、篠原梵の「新しい俳句の課題」という座談会で、司会の山本健吉の問いに楸邨は「俳句における人間の探求」が四人共通の傾向であると答えた。このこと以来「人間探求派」と呼ばれ、彼らも「人間的存在の真実」の表現を追求していくことになる。
『寒雷』からは前日のブログでも触れた金子兜太をはじめ、森澄雄、藤村多加夫、古沢太穂、田川飛旅子、石寒太、今井聖など多彩な俳人が育った。その多さから、門下を楸邨山脈という。

 私事になるが、私が「日本の短詩形の中で最もポエジーを持ち、現代詩に近いのは俳句」と感じたのは、次のような楸邨の作品に触れたときである(カッコ内は掲載句集)。特に、冒頭の鰯雲の句にショックを受けた。当時の私はデカルト以来の近代的自我というものに疑問を持ち始めていた。理性とか文明というものでは救い得えない人間の魂―その中心に「ひとに告ぐべきことならず」が在るのではないかと、このフレーズに啓示のようなものを感じた。それは私が短歌と訣別した一因ともなったが、結局、私が俳人の道を歩むことはなかった。

   鰯雲人に告ぐべきことならず (『寒雷』)

   寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃 ( 〃 )

   長き長き春暁の貨車なつかしき (『穂高』)

   隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな (『雪後の天』)

   雉子の眸のかうかうとして売られけり (『野哭』)

   鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる (『起伏』)

   木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ ( 〃 )

   落葉松はいつめざめても雪降りをり (『山脈』)

 楸邨は、東京世田谷区九品佛の浄真寺にある「加藤家之墓」に、妻で俳人の知世子と共に眠っている。何の飾りも無い普通の墓だが、傍らに「落葉松はいつめざめても雪降りをり 楸邨」「紅の花枯れし赤さはもうかれず 知世子」と刻まれた句碑が建つ。

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