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by 杜の小径  at --:-- |  スポンサー広告 |   |   |  page top ↑

さらば! オグリキャップ

   日高に生まれた
   葦毛の野生が
   一条の光芒を遺して
   朔北の原野に消えた
   さらば! オグリキャップ
 
 2010年7月3日午後3時、北海道新冠町の優駿スタリオンステーション
 いつものように午後の放牧を終えたオグリキャップは、馬房に戻ろうとしていた。
 夜来の雨で濡れた芝の感覚が、彼に有馬記念の重馬場の記憶を呼び覚ました。
 思わず両脚に力を込めた。その瞬間、ガキッと不気味な音が低く響く。
 老いたオグリキャップには、もはや500㌔を超える体重を支える力は無かった。
 右後肢が無慙に折れ曲がっていた。
 骨折したサラブレットの運命は、彼自身がいちばんよく知っていた。
 搬送車の中、獣医がかざす太い注射器が午後の光で鈍く光った。
 薄れゆくオグリの意識の中で、栄光と挫折の25年が浮かんでは消えていく。

 1985年3月27日の午前2時、日高の牧場で1頭の仔馬が生まれた。
 仔馬は立とうとして大きくよろめき、前へ倒れた。前脚が大きく外向していた。
 調教師は健康に育つように「ハツラツ」と名付け、必死で矯正削蹄をした。
 何とか歩けるようになったが母馬の乳が足りず、2歳までは痩せ馬だった。
 岐阜県美山町の育成牧場で過ごすころには、見違えるように元気になる。

 1987年5月19日、岐阜県笠松競馬場から「オグリキャップ」の名前でデビュー。
 初戦こそ2着だったが、その後は重賞を含めて連勝を続ける。

 地方競馬で12戦して優勝10回、2着2回という戦績を引っ提げ中央競馬へ移籍。
 初戦のベガサスステークスでは、第4コーナーからスパートをかけて優勝。
 続く毎日杯も、第3コーナーで最後方から捲り優勝。
 地方競馬出身の馬が連勝を続けたので、オグリ人気は一気に高まった。
 それまで競馬には無縁だった主婦やOLまでが、ターフに詰めかけた。
 彼女たちは「オグリギャル」と呼ばれ、一つの社会現象となる。
 オグリのぬいぐるみは1年間で160万個、60億円を売り上げ、競馬グッズの嚆矢となった。

 ところが、オグリはクラシック登録をしていなかった。
 これが無いと、どんなに強くても皐月賞、ダービー、菊花賞に出場できない。
 “幻の三冠馬”に世間の同情が集まり、中央競馬会も規約を改正する。
 しかし、5歳時の酷使が祟って次第に成績が振るわなくなる。
 天皇賞では6着、ジャパンカップでは11着と惨敗し、周囲も引退を決断する。
 引退レースは、有馬記念と決まる。

 1990年12月23日 有馬記念。中山競馬場は177、792人の観衆で埋まる。
 オグリは前々年の有馬記念を制しているが前年は5着、下馬評は低かった。
 鞍上に武豊を置いてスタート。直線一気の追い込みで優勝。有終の美を飾る。

 新冠の広大な放牧場に、一陣の夕風が吹き過ぎた。
 名馬オグリキャップが再び嘶くことはなかった。

 悲報が伝えられると、岐阜県笠松競馬場のオグリの銅像前に献花台が設けられた。
 4日には、名馬の死を悼む大勢のファンが訪れ、花束や人参を供えた。
 
   オグリキャップよ
   北天の馭者座に憩え
   主星カペラの輝くとき
   わたしは
   きみを思って哭く

 
*お知らせ―PCの具合が悪くて写真がアップできません。写真をご覧になりたい方は、mixi のブログをご覧ください。 
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