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鮓の話(1)―「つまむ」ということ


 俳句の世界で、鮓(すし)は夏の季語である。鮓を食べるのに季節は問わないはずだが、むかし馴れ鮓しか無かった頃は気温の高い夏のほうが熟成が早かったからだろうか。余談だが、甘酒も夏の季語である。熱い甘酒は冬のものだと思っていたのに、こっちのほうががもっと解らない。むかしは暑さ凌ぎに真夏に甘酒を飲んで、汗を出したんだそうだ。そうかと思うと、先日ブログで取り上げた七夕は秋の季語。ことほどさように現代生活と懸け離れた季語を墨守している伝統俳句には、些か問題があるようだ。
とはいうものの俳句には、廃れてしまった伝統や習慣を知るヒントになるものも多い。今日は、俳句を手掛かりに鮓の世界を覗いてみよう
 
  鮓つまむ床几の下は蝉の渓(青陽)
  
  鮓一つ つまんで神楽面つける(旭)

 今日は句の解釈は暫く措くとして、「つまむ」という語に注目して欲しい。鮓は「食べる」のではなく、「つまむ」ものなのだ。「つまむ」は、広辞苑によると「指先で鋏み持つこと」とある。これは江戸前と呼ばれる東京の握り鮓に限る話だが…、鮓はもともと腹一杯食べるものではなく、宴会などの帰りに口直しにちょっと「つまむ」ものなのである。「口直し」には、雰囲気を変えるという意味もある。改まった会食や洋式パーティーのあと馴染みの店で、好みの酒を軽く一杯。そんなとき、鮓屋は格好の場所だろう。
 はじめに断っておくが私がこれから書こうとするのは、鮓屋はこうある可きだとか、鮓は斯く食べる可しといった不遜なことではない。あくまでも鮓の歴史的考察とステータス・クオにつて、恐る恐る筆を執っているのである。(とても、そうは見えないが)…例えば どんな鮓屋を選ぶかについても、軽々には言えない。北大路魯山人や志賀直、吉田茂などが愛したという鮓屋の頂点に立つ銀座・久兵衛にしても今や鮓屋というより高級料亭で、店主との会話を楽しんだりする雰囲気は皆無である。一方、いわゆる鮓通から外道と見られている回転鮓もまんざら捨てたものでもない。家族連れ、それも子ども連れなどの場合は、むしろ普通の鮓屋より こっちをお薦めする。最近は名の通ったチェーン店なら、文字通り回転が早いからネタも新鮮なようだ。スイーツ類まであるから家族団欒には適している。結論的に言えば、自分の嗜好に従って懐具合と相談しながら自由に決めればいいことである。(写真:左から銀座・久兵衛、回転鮓)

 さて、「つまむ」とは本来食べ方のことである。最近は何処の鮓屋でも箸が用意されていて、客も当然のようにそれを使っている。が、本来は人差指、親指、中指で軽く持ち上げる。これが「つまむ」である。手順は①出された鮓を横にする。②シャリに中指を軽く当て、親指と人差指で持ち上げる。③ネタの先にムラサキ(醤油)を少し付ける。④ネタがシャリより先に舌につくように下側にして一口で食べる。こうすると先ずネタの味が口に広がりシャリは自然にほどけ、鮓の旨さを充分に味わうことができる。最近は職人も箸で挟んでもほどけないようにシャリを固目に握っているが、「つまむ」客には軽く握ってくれる。ネタがコバシラ、ウニ、イクラなどの場合はシャリの周りに細く切った海苔を巻いてネタがこぼれないようにする。これを軍艦巻と呼ぶが、この場合はネタを下にして食べることができない。ガリ(甘酢ショウガ)を刷毛代わりにしてネタにムラサキを軽く付けてから、ネタを上にして食べる。軍艦巻は、戦時中に前記の銀座・久兵衛の先代が考案したと謂われる。馴染み客の海軍将校が北海道土産のウニを持ちこんで「これで握ってくれ」と言われ、それに応じた苦心の作だから軍艦巻は海苔巻ではなく握り鮓の一種なのである。(写真。左から軍艦巻、コハダの職人技)

 食べる順序についても、昔は「玉(ギョク)で始めてカッパ(胡瓜)で〆る」と謂われた。ナマものは新鮮さだけが取り柄で職人の腕の振るいようが無い。そこで最初に玉子焼を食べて職人の腕前を見るという訳である。ところが最近は玉子焼も市場で仕入れるから、職人の腕は関係無い。これに代わるのはコハダである。これはコノシロの幼魚で酢〆の加減と皮の細工が難しい。これが完璧なら店構えは粗末でも一流と言える。コノシロは出世魚で、体調5㌢程度までをシンコ、7~10㌢をコハダ、12㌢以上はナカズミ、15㌢以上をコノシロと呼ぶ。コノシロになると骨が硬くて鮓ネタには向かない。丁寧に骨を抜いてから酢味噌和えにするくらい。カッパを〆とするのは、口中をさっぱりさせるのと、これで終わりという暗黙の意思表示とするため。この食べ方についても、あんまり拘るとイヤミになるから程々がいい。シンコ巻から始めても大トロで〆ても一向に構わないと思う。ただ、時によって良い気分になることもある。むかし、浅草で一見(イチゲン)の店へ入ったとき、はじめは若い職人が握っていたが途中でさりげなく親父に代わった。訳を訊くと「こいつは息子ですがね、お客さんのように鮓を知ってる方にゃぁ未だ任せられないんですよ」ということだった。べつに勘定を負けてくれたわけではないが、そのときはちょっといい気分だった。しかし冷静に考えると鮓屋にとって、こうした客は嫌な客かもしれない。口に出して蘊蓄をひけらかしたわけではないが、そうした感じを与えたことに冷汗三斗の思いだった。それ以来、鮓屋に入ったときは、むしろ「普通に食べる」ように努めている。皆さんも、この件(クダリ)は“生兵法は大怪我の元”の教材としてお読みいただきたい。(写真:左からギョクの握り、カッパ巻)

              ―お知らせ―

*「鮓の話」は折をみて、その歴史、地方の鮓、鮓用語などについて書いていきたいと思っています。皆さんの故郷とか旅先で見聞された珍しい鮓をご存知でしたら、ぜひお知らせ下さい。

*小生の個人サイト「杜の小径」は、いま調子が悪くて写真がアップできません。写真をご覧になりたい方は、 mixiのブログをご覧下さい。

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