スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at --:-- |  スポンサー広告 |   |   |  page top ↑

鮓の話(2)― 俳句の中の鮓


   鮒ずしや彦根の城に雲かかる(蕪村)
   鮓をおす石上に詩を題すべく( 〃 )
   すし桶を洗へば浅き游魚かな( 〃 )
   寂寞と昼間を鮓のなれ加減( 〃 )

 萩原朔太郎は、最初の鮒ずしの句を次のように評している。「夏草の茂る野道の向うに、遠く彦根の城をながめ、鮒鮓のヴィジョンを浮べたのである。鮒鮓を食ったのではなく、鮒鮓の聯想から、心の隅の侘しい旅愁を感じたのである。「鮒鮓」という言葉、その特殊なイメージが、夏の日の雲と対照して不思議に寂しい旅愁を感じさせるところに、この句の秀れた技巧を見るべきである。」
 ここに出てくる鮒鮓は、彦根との関連から琵琶湖辺のものだろう。後の句も、「おす石」「すし桶」「なれ加減」から鮒鮓を詠んだと思われる。鮒鮓はニゴロブナという琵琶湖特産の鮒を塩漬けにしたうえで、ご飯も一緒に密封して1年、2年と漬けた馴鮓(なれずし)である。私は大好きで、時どき伏見の「納屋孫」から取り寄せている。しかし匂いが強烈で、独特の匂いはクサヤの数倍はあるので、思わず顔を背ける人も多い。稲作と共に東南アジアから伝わったものと見られ、タイにもプラ・ソームという似たような魚の保存食がある。

   磯山や さくらのかげの みさご鮓(暁台) 
 
 下五の「みさご鮓」は解説を要する。鮓屋の屋号ではない。「みさご」は鳥の名前である。鶚(ミサゴ)はは海岸の岩の上に枯れ枝を積んで皿型の巣を作り、獲った魚は巣に運んで
岩陰に貯えておく。その間塩水を被り「なれ寿司」のようになるという。これが美味らしく、昔から漁師や美食家が密かに獲っていたようだ。これが現在の鮓の始まりとする説もある。(暁台は江戸中期の俳人、姓は加藤または久村。主に名古屋を中心に活躍した。(写真:巣を守るミサゴ)

   ふるさとや親すこやかに鮓の味(子規)
   われ愛す わが豫州 松山の鮓( 〃 )
   垣ごしや隣へくばる小鯵鮓( 〃 )
   鯛鮓や一門三十五六人( 〃 )
   早鮓や東海の魚背戸の蓼 ( 〃 )
   野の店や鮓に掛けたる赤木綿( 〃 )

 子規は鮓好きだったらしくて、鮓の句を多く遺している。また子規編の季語集を見ると、次のような様ざまな鮓が出てくる。―鮓 すもじ握り鮓 箱鮓  圧鮓 ちらし鮨 五目鮓 稲荷鮓 巻鮓 なれ鮓 飯鮓(いいずし) 早鮓 一夜鮓 柿鮓 鮎鮓 釣瓶鮓 雀鮓 はたはた鮓 蛇(じゃ)の鮓 宇治丸鮓 信田鮓 笹巻鮓 毛抜鮓 松の鮓 鮎の姿鮓 鮒鮓 鯖の馴鮓 鯖鮓 昆布巻鮓 松前鮓 鱧鮓 鱒鮓 大阪鮓 ばら鮓 あられ鮓。

   花合歓にに四山曇るや鮓熟る(石鼎)
   南風にほや焦したる鮓の宿( 〃 )
   涛声に簀戸堪へてあり鮓の桶( 〃 )

 石原石鼎は出雲生まれの俳人。鮓の句が多いのも頷ける。この地で有名なのは吾左衛門鮓。これは、鳥取藩の廻船問屋 米屋吾左衛門が考案した船子の弁当を起源とする鮓。酢で締めた天然の鯖、酢飯、北海道産真昆布が三位一体となった馴れ鮓である。

   鮓おすや貧窮間答口吟み(しづの女)

 竹下しづの女46歳、「四月三日長女澄子結婚」の前書のある一連中の作。「山ををなす用愉しゝも母の春」「子を思ふ憶良の歌や蓬餅」も同時作。蓬餅も押し鮓も、歓びの象徴であ

   蕪鮓一箸つまみ廓町(欣一)

 北陸は発酵食品の宝庫だが、なかでも有名なのが金沢の蕪鮓(かぶらずし)。塩漬にした蕪に鰤の薄切りを挟み、麹に漬けたものである。蕪の漬物でもあるけれど、鰤の方に注目すれば熟れ鮨の一種ということになる。季語で言うと鮓は夏のものだが、蕪と鰤は冬で、当然蕪鮓は冬季である。(故・沢木欣一は俳人、東京芸術大学名誉教授)

 俳句ではないが、最後に川柳で取り上げた鮓を紹介しておく。鮓の歴史が覗かれてなかなか面白い。

   あじのすふ こはだのすふと にぎやかさ(『柳樽』)
   鮓のめし 妖術といふ 身でにぎり( 〃 )

 最初の句は、江戸時代の鮓の担ぎ売りを詠んだもので、握り鮓が川柳に登場したのは これが最初である。担ぎ売りは出稼人が多いので、「すし」を「すふ」と訛っている処が面白い。秋田藩士で狂歌師でもあった平沢常富の『後はむかし物語』という江戸見聞録に「鮓売りといふは、丸き桶の薄きに古き傘の紙を蓋にして幾つも重ね、コハダの鮓、鯛の鮓とて売り歩きしは、数日漬けたる古鮓なり」とある。
 2番目の句は鮓を握る様子が、忍術使いが印を結ぶ様子に似ていると言う意味。目の前で鮓を握る屋台が現れはじめた頃の川柳だろう。『嬉遊笑覧』に、「松鮓出来て世上すし風一変し」とあることから、本所にあった松鮓が握り鮓の元祖とする説があるが、両国東小路の与兵衛鮓とする説もある。この二店の鮓は非常に高価だったので、これに先行してファースト・フード的な屋台売りの鮓があったと考えられる。
 前記の両国の与兵衛鮓は、大正12年の関東大震災で廃業したが、その間、店の暖簾に疵がつくといって鮪の鮓だけは売らなかったという。これには訳がある。当時の江戸では保存の関係で近く(江戸前)で獲れる魚しか食べなかった。それに鯛や鮃(ひらめ)のような白身の魚は珍重したが、赤身の魚は下等なものとして貧乏人しか口にしなかった。特に鮪は遠海の魚で馴染みが薄く、江戸時代初期に書かれた『慶長見聞集』には「鮪は地下(じげ=低い身分)の者も食わず」とある。(写真:屋台風の鮓屋 ―『江戸図会』より)


*「鮓の話」は折をみて、その歴史、地方の鮓、鮓用語などについて書いていきたいと思っています。皆さんの故郷とか旅先で見聞された珍しい鮓をご存知でしたら、ぜひお知らせ下さい。

*小生の個人サイト「杜の小径」は、いま調子が悪くて写真がアップできません。写真をご覧になりたい方は、 mixiのブログをご覧下さい。




スポンサーサイト





※ スパム対策の為、暫くの間コメントは承認制にさせていただいております。
  コメントを頂いてから表示までにお時間をいただく場合がございますが、
  何卒ご理解くださいますよう、お願い致します。(管理人)

by 杜の小径  at 13:43 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑
Comments
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

杜の小径

Author:杜の小径

杜のMENU
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。