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by 杜の小径  at --:-- |  スポンサー広告 |   |   |  page top ↑

不死男忌 再び

   1秋元不死男   鷹羽狩行

 昨日届いた某誌八月号に、鷹羽狩行(俳人協会会長)の「不死男忌」という小文が載っていた。冒頭の一行「七月二十五日は不死男忌である。」を見て、私は“大変なこと”に気付いた。先月25日のブログで、私は不死男忌を取り上げている。要するに一か月間違えていた。恥ずかしさに断筆も考えたが、一晩悩んだ末に取り敢えず率直にお詫びしたうえで改めて不死男を偲ぶ稿を起こそうというズルイ結論に落ち着いた。―(ここで、杜詩夫は深々と頭を下げる)―

 秋元不死男を語るとすれば、俳人の中で狩行を措いて適任者はいないだろう。不死男の主宰する「氷海」で、彼は上田五千石と共に双璧と謳われた。自宅も日吉の慶大野球場を挟んで直ぐという近さで、若い頃から「氷海」の編集を手伝っていた。不死男も日頃から「ゆきちゃん」と呼んで可愛がっていた(狩行の本名は高橋行雄)。さて某誌の中で狩行は、こんな思い出を書いている。(写真:左から秋元不死男、鷹羽狩行)

   2秋元不死男
            
 38年前のこと、不死男先生から氷海二十五周年記念の功労賞を戴いたが、記念品目録の中身は白紙だった。それには、こんな経緯がある。「何が欲しい?」と聞かれたので、「私の書斎に先生の牛午山房(ぎゅうごさんぼう)のような名前を付けて下さいと答えた。先生は牛齢生まれ、阿喜夫人は午齢生まれに因んで付けられた名前だった。先生は私が午齢、家内が牛齢だとご存知だったので咄嗟に、「午牛山房は駄目ですよ」と申し上げた。先生はにやりと笑われて、「じゃあ鶏頭山房はどうかね」と仰る。「鶏頭なんて私の庭には一本も生えていませんよ」と私。「植えればいいじゃないの十五本ばかり。「ケイトウとなるもギュウゴとなる勿れ」―そう言って先生は再びにやにやされた。結局,話は進まず目録は白紙のままである。(写真:牛午山房の扁額)

 狩行は不死男の十七回忌に「父の日の一句を黄泉の不死男宛」と詠んでいる。両者は師弟というより、親子のような関係であったようだ。そのほかに狩行は、年々の不死男忌に次のような句を詠んでいる。主な作品だけを挙げる。
   
   支那街にすする昼粥不死男の忌(昭和59)
   冷酒の人燗の人不死男の忌(〃63)
   寸借を「給油」と呼びし不死男の忌(平成元年)
   不死男忌や玉の地酒を舌の上(〃11)
   忌日また過客の一つ不死男の忌(〃13)
   「行ちゃんとわれを呼びにし不死男の忌(〃18)

 と、いうことで結局は鷹羽狩行さんのエッセイをお借りして「不死男忌 再び」を終えてしまった。やはり断筆の刑か…。

   もの書くは恥かくことか穴まどひ(杜詩夫)




                    
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