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敗戦の日―ある日記から

                   高見順
   終戦日妻子入れむと風呂洗ふ(不死男)
   夫婦老ひ泪見せ合ふ終戦日(菟絲子)
   暮るるまで蝉鳴き通す終戦日(ひろし)
   飲食のおそき夜なる終戦日(麦丘人)
   裸寝の覚めて出歩く終戦日( 徹 )
   終戦日風の行方のくさかげろふ(籌子)
   古都の石垣隙まで乾き敗戦日(和子)
   草のこゑ石ころのこゑ敗戦忌(杜詩夫)

 アト・ランダムに八月十五日の句を挙げてみた。私以外は、著名な俳人の作品である。お気付きだろうか。殆どの人が「終戦日」という季語を遣っている。俳句に限らず、新聞、テレブなどまで、「終戦」の語を遣っている。
では、終戦とはどういう意味だろうか。広辞苑では「戦争が終わること。特に、太平洋戦争の終結を指すことが多い」となっている。前段は思わず噴き出してしまうほど明快な説明だが、後段は敢て間違いだと言っておこう。終戦とは交戦国が対等の立場で協議して、一定の条件で戦争の終結に合意することである。人的にも物資でも壊滅的な打撃を受け、原爆で致命傷を受けた日本は、連合国側のポツダム宣言を無条件で受諾した。国際法上も外交上も、こうした戦争終結を終戦とは言わない。明らかに敗戦である。『広辞苑』の後段は、語るに落ちた記述である。岩波書店の出版物自体が殆ど「終戦」を遣っているので、正確な定義付けを回避しているのである。大本営のウソを総括して新しい出発を誓う日に、早くも新しいウソが始まっていた。日本人は、よほど騙されることが好きな人種らしい。

 こんな中で堂々と「敗戦」を声高に叫んだ作家がいた。高見順である。彼にとって日記は作品であった。1941年から書き始められた日記は、没後に『高見順日記』として17巻にまとめられ勁草書房から出版されている。このうち敗戦の1945年分が『敗戦日記』として中央公論新社から出版されている。その中から8月15日前後の部分を紹介しておく。簡単な記述だが、当時の知識人の周辺が飾無く描かれている。何らかの意図を持って書かれた回顧録などより遥かに面白い。

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(8月7日)
新橋駅で義兄に「やあ、高見さん」と声をかけられた。
「大変な話・・・聞いた?」と義兄はいう。
「大変な話?」
 あたりの人をはばかって、義兄は歩廊に出るまで、黙っていた。人のいないところへと彼は私を引っ張っていって、
「原子爆弾の話・・・」
「・・・!」
「広島は原子爆弾でやられて大変らしい。畑俊六も死ぬし・・・」
「もう戦争はおしまいだ」
原子爆弾をいち早く発明した国が勝利を占める、原子爆弾には絶対に抵抗できないからだ。そういう話はかねて聞いていた。その原子爆弾がついに出現したというのだ。・・・衝撃は強烈だった。私はふーんと言ったきり、口がきけなかった。対日共同宣言に日本が「黙殺」という態度に出たので、それに対する応答だと敵の放送は言っているという。

(8月9日)
4時過ぎごろ、林房雄が自転車に乗ってきて、
「えらいことになった。戦争はもうおしまいだな」という。新爆弾のことかと思ったら、
「まだ知らんのか。ソ連が宣戦布告だ」3時のラジオで報道されたという。
永井(龍男)君が来た。東京からの帰りに寄ったのである。緊張した表情である。長崎がまた原子爆弾に襲われ広島より惨害がひどいという。二人のものが、同盟と朝日と両方から聞いてきて、そう言ったから、うそではないらしい。
 避難の話になった。もうこうなったら避難すべきときだということはわかっているのだが、誰もしかし逃げる気がしない。億劫でありまた破れかぶれだ。
「仕方がない。死ぬんだな」

(8月10日)
 ソ連の宣戦はまったく寝耳に水だった。情報通は予感していたかもしれないが、私たちは何も知らない。むしろソ連が仲裁に出てくれることを密かに心頼みにしていた。誰もそうだった。新聞記事もソ連に対して阿諛的とも見られる態度だった。そこへいきなりソ連の宣戦。新聞にもさらに予示的な記事はなかった。
(鎌倉文庫の)表を閉じて計算していたところへ、中年客が入ってきて、今日、御前会議があって、休戦の申し入れをすることに決定したそうだと、そう言ったというのだ。明日発表があると、ひどく確信的な語調で言ったとか。あの話しぶりでは、まんざらでたらめではなさそうだと川端(康成)さんがいう。
 浴衣がけでしたけど、なんだか軍人さんのような人でしたよ」と久米(正雄)さんの奥さんはいう。
「休戦、ふーん。戦争はおしまいですか」
「おしまいですね」と川端さんはいう。
 あんなに戦争終結を望んでいたのに、いざとなると、なんだかポカンとした気持ちだった。どんなに嬉しいだろうとかねて思っていたのに、別に沸き立つ感情はなかった。その中年の客のことばというのを、信用していないからだろうか。―でも、おっつけ、戦争は終結するのだ。惨めな敗戦で終結―というので、心が沈んでいるのだろうか。

(注)鎌倉文庫は戦中、発表の場を失った作家が生計の助けにするため開いた貸本屋。川端康成や高見順らが、自ら店番に立った。戦後は出版界にも進出したが、インフレのあおりを受けて4年で倒産した。後年、川端は「悲惨な敗戦時に唯一開かれた美しい心の窓だった」と書いている。

(8月11日)
 対ソ連に関する会話、原子爆弾に関する会話を、外ではついに一つも聞かなかった。日本はどうなるのか―そういった会話は、憲兵などの耳を恐れて、外ではしないのが普通かもしれないが、外でしたってかまわないはずの対ソ連戦や新爆弾の話もついに一言も聞かなかった。民衆は黙して語らない。
大変な訓練のされ方、そういうことがしみじみと感じられる。同時に、民衆の表情にはどうなろうとかまわない、どうなろうとしようがないといったあきらめの色が濃い。絶望の暗さもないのだ。無表情だ。どうにかなるだろうといった、いわば無色無味無臭の表情だ。
  これではもうおしまいだ。その感が深い。とにかくもう疲れきっている。肉体にも精神的にも、もう参っている。肉体だけでなく精神もまたその日暮しになっている。

(8月12日)
「東条というのは、考えてみると、実にけしからんやつだ」
 どこでもそんな話になる。私もそうしたことをいう。しかし、日本を今日の状態にいたらしめた罪は私たちにもあるのだということを反省せねばならぬ。「文化界から一人でも佐倉宗五郎が出たか」と過日栗原少将は言った。むっとしたが、なるほど言論の自由のために死んだ文化人は一人もいないことを恥じねばならぬ。
 妥協的なものを書いてべんべんとして今日に至ったのである。恥じねばならぬ。他を咎める資格はないのであった。しかし・・・・・。 

(8月14日)
 警戒警報。一機の警戒警報は原子爆弾前は問題にしてなかったものだが、ちょうど警戒警報にまだ慣れなかった頃と同じように、真剣に警戒するようになった。
「一機が危ない」
 みんなこう言い出した。一機だから大丈夫、こういっていたのだが。
「巷の情報」ではアメリカは日本の申し入れに対して(国体護持を条件としての降伏申し入れ)―気持ちはわかる、しかし無条件降伏というのが当然だ、国体護持というが、天皇は事実戦争の最高指揮者ではないが、だのにそれに手を触れては困るというのはあつかましい、そういった返事だったという。そしてニミッツは原子爆弾による攻撃命令をさらに出したという、一方日本の陸軍は徹底抗戦をまだ主張しているらしいとのことだ。
思えば、敗戦に対しては新聞にだって責任がある。かん口的統制をのみ咎めることはできない。言論人、文化人にも責任はある。敗戦は原子爆弾の出現のみによって起こされたことではない。ずっと前から負けていたのだ。原子爆弾でただとどめを刺されたのである。
「おーい行かないか」
 二時半だ。東京へビールを飲みに行こうと約束したのである。
新田は白のズボンに白のシャツ、白いスポーツ帽と白ずくめ。万一原子爆弾に襲われたらと、その用心の白ずくめである。
 通称「角エビ」、銀座のエビスビアホール。どこかの職場に配ったビール券を持っていないと飲めないのだが、新田はここの「顔」だった。
 久しぶりのビール。うまいと思った。
 終戦の前日に東京ではビールが飲めたのは想像もできなかった。一般人がこれを聞いたら間違いなく怒ったことだろう。文士に常識がないといわれても仕方がない。

(8月15日)
 警報。
 ラジオが、正午重大発表があるという。天皇陛下御自ら御放送をなさるという。かかることは初めてだ。かつてなかったことだ。
「何事だろう」
 明日、戦争終結について発表があるといったが、天皇陛下がそのことで親しく国民におことばを賜るのだろうか。
 それとも、・・・あるいはその逆か。敵機来襲が変だった。休戦ならもう来ないだろうに。
 「ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃったら、みんな死ぬわね」
 と妻が言った。私もその気持ちだった。
12時、時報。
 君が代奏楽。
 詔書の御朗読。
 やはり戦争終結であった。
ついに負けたのだ。戦いに敗れたのだ。
 夏の太陽がカッカと燃えている。目に痛い光線。烈日の下に敗戦を知らされた。蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。
この日を境に戦後の日本がスタートした・・・。

(写真;上は敗戦日当時の高見順、下は中央公論版『敗戦日記』) 

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