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奥の寄道―那谷寺

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 風の盆前夜祭も、残すところ三日となった。ここらでちょっと一服というわけではないが、加賀まで出て海のものを食し、昨夜は粟津温泉に泊まる。昨日の当番は今町だったが、この町は例年町流しより町内の聞名寺境内や新公民館前で輪踊りをすることが多い。それに地元以外の人の参加が多く素朴な雰囲気が薄いので一日パスさせて貰った。実は粟津温泉と山代温泉との中ほどにある、那谷寺(なたでら)を訪ねるという目的もあった。
 この寺は古くから奇岩珍石の寺として知られ、ご本尊の十一面千手観音は、石段を登った上にある岩窟中に安置されている。 
 寺伝に拠ると平安時代中期の寛和2年(986年)当寺を訪ねられた花山法皇は岩窟内で光り輝く観音三十三身の姿を感じられた。法皇は「私が求めている観音霊場三十三カ所はすべてこの山にある」と言われ、西国三十三カ所の第1番那智山の「那」と、第33番谷汲山の「谷」をとって「那谷寺」と寺名を改め、自ら中興の祖となられたという。(写真:那谷寺の奇岩)
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  先日のブログにも書いたが、この寺は『奥の細道』にも出てくる。山中温泉にしばらく逗留した芭蕉は、元禄2年(1689年)八月五日(陽暦9月18日)、弟子の河合曾良と別れ、数日前滞在した小松へ戻る道中で那谷寺に参詣する。芭蕉は境内の様子を「奇石さまざまに古松植ならべて、萱ぶきの小堂岩の上に造りかけて殊勝の地なり」と記している。意味は珍しい石がさまざまな形で重なり、その上に古い松が生え並び、萱葺きの小さなお堂が岩の上に懸け造りしてあって、いかにも尊く素晴らしい所であるとなろうか。そして、次の句を残している。境内には句碑もある。

   石山の石より白し秋の風 

 ところで一部に、この「石山」を大津の石山寺だとする説がある。私は予てからこの説には疑問を感じていた。芭蕉は確かに石山寺を度々訪れており、元禄三年(1690年)冬に訪れた時には「石山の石にたばしる霰かな」の句を残している。しかし、「石より白し」の句の記録はない。だいいち「石山」を固有名詞としては、句の趣が全く無くなる。例えば芭蕉は元禄2年(1689年)5月27日(新暦7月13日)、立石寺を訪ね有名な「閑さや岩にしみ入蝉の声」の句を残した際も、日記には「山形領に立石寺と云山寺あり」と記しても句中に寺名入れていない。
 それと今度実際に訪ねて判ったことだが、那谷寺の奇石は白色の凝灰石(ぎょうかいせき)で、石山寺の珪灰石よりもはるかに白い。芭蕉は、その際立った白さに着目いたことに間違いが無い。(写真:那谷寺境内の芭蕉句碑)

 風の盆は、今日から30日にかけて上新町、福島、諏訪町の前夜祭が行われる。その様子は、既に終わった町と一緒に稿を改めて紹介したい。

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