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最低点だった自作への想い

                image[1]

 一昨日は、麹町倶楽部の例会であった。以前は翌日に入賞した全作品を紹介していたが、このところ心に残る作品だけをブログで取り上げている。皆さんはたぶん、自分が入賞しないからだと思われていることだろう。事実はその通りだから、そう想われても仕方がない。でも、それはちょっと、いや大分ちがう。ここのところを上手く説明しないと却って誤解を招きそうだが、一度は言うべきことだから誤解を懼れず書いてみる。

 これは以前から事あるごとに発言してきたことだが、私は歌会で参会者が点数で他人の作品を評価し、輸贏を争うという遣り方は necessary evil(必要悪)だと思う。初心者を交えて歌会を活性的に運営する手段として点数評価は必要とは思うが、それが持つ矛盾と非合理性については強い自覚が必要だという意味である。たとえば初めて歌会に参加した新人が、とんでもない作品に最高点を入れる場合もある。或る意味で「素人」の評価が新鮮で、むしろ正鵠を射ている場合もあるだろうが、統計的に見て必ずしも文芸的に正確な評価でない場合のほうが多い。短歌の歌会や俳句の句会でも互選は行われる。しかし、それは参考であって、参会者が最も重要視するのは主宰またはそれに代わる人の選に入るかどうかである。「五行歌」には、それが無い。それが民主的だと言う。文芸の世界に民主的などという言葉は馴染まない。極言すれば芥川賞、直木賞を大衆投票で決めるようなものだ。結論的に言うと、指導(添削)と実力のある指導者による的確な評価を放棄した集団は、もはや文芸結社とは言えない。

 じゃあ、どんな五行歌が良いんだというご質問が出ると思う。答は明快である。詩としての内容・形式を整えた作品が良いのである。嘗て「五行歌の会」では「五行歌は歌であって詩ではない」というのがプリンプシルであった。主宰が五行歌で世界を制すると英語圏への進出を公言した際、私は、その意気を壮としながらも、詩でない五行歌をどう英訳するのだろう。5line songかな、詩ではないから、まさか5line poemとは訳せないだろうとブログに書いた。ところが蓋を開けたら、そのまさか5line poemとなっていた。その代りプリンシプルが、いつの間にか「五行歌は5行で書く詩である」に変えられていた。大主宰が、よもや辺境のブログと呼ばれる私ごときのブログをご覧になったのではあるまいが、面妖な経緯ではある。(閑話休題)
 
 私にとっては友人と言うよりも師に近い詩人・内村剛介は「詩とは反吐(へど)である」と言った。詩は作ろうとして作るものではなく、内に溜まり昇華した想念が自然に湧き出すもの、それがポエジーだと私なりに解釈し、詩作ノモットーとしてきた。そういう私からみると、最近の五行歌は寂しく哀しい。狂歌、川柳もどきは未だしも、地口のレベルにも達しない吉本協業的以下のギャグや語呂合わせが幅を利かせている。とき将に初冬、寒心抑えるすべも無い。
                 dou01111.jpg

 さて、ここまで来たら私の恥ずかしい作品を(自分では毫末も恥ずかしいと思っていないが)を紹介しないわけにはいかないだろう。将に俎上の鯉、皆さんの忌憚の無いご批判を仰ぎたい。

   【自由詠】

   雀は えらい 
   熊も、蜂も山椒魚も
   耕さず、蒔かず刈らず
   炊ぐこともなく    ■炊=かし
   生きていく

   【題詠/実り】

   一段目は汗
   三段目の涙
   いちばん上で祈り
   苦労積み上げた段々畑
   十俵三斗の稲 実る

 自由詠について、麹町倶楽部のHP上で長崎のニシベさんは「荘子?」と問われた。私は以下のように答えた。
―「万物斉同」という点では荘子に似ているかもしれませんが、本作品は違うものです。短く説明できませんが、壮子のパラドキシカルな論理とか反世俗的な隠遁思想とは似て非なるものです。「不耕不蒔而不偸」は、小生独自の生きる規範、言わば物指です。神は信じられませんが「生」の不可思議さには、常に敬虔な気持ちを持っています。実は、この作品は歌会の最下位でした。でも小生は恥ずかしいとは思いません。たった一人でも理解してくれた人がいたこと、それは異端者の無上の歓びです。―
 詩形については、読点の遣い方を工夫したつもり。最低点だったが一人だけ2点入れてくれた。じぶんとしては、それで満足している。

 題詠(実り)については、未だ反応は判らない。題詠は突き上げるポエジーで書きあげる詩というより一種の「言葉遊び」に類するから、詠題の消化法とか措辞など、どうしても技巧的にならざるを得ない。そういう前提でお読み戴きたい。
 内容に解説の要はあるまい。詠題「実り」を段々畑という場を借りて展開したものである。苦心の箇所は、「汗」「涙」「祈り」を段々畑の石垣に仮託して「苦労積み上げ…」とした点。1,2,3句の助詞に変化を持たせた点。結句は収穫を前に「今年は十俵を超しただろうか」というお百姓の感慨を「十俵三斗…」と具体的に表現してみた。段々畑の稲と違って格別の作品とは思わないが、題詠としては、まあレベルには達しているかなと思っている。
  
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