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彼岸の入り

巌頭之感


華厳の滝


 1週間に亘る「信濃」の旅から戻りました。時、恰も彼岸の入り。祖霊が家郷に戻るのに合わせたわけではありませんが…。この間、煙草も喫わず酒も飲まず、心静かに思索に耽るという至福の時を過ごしました。さぞかし聖賢の境地に近づいたとお思いですか? ご心配なく。雑然とした陋居に戻った途端、忽ち小人愚者に逆戻りできました。

 彼岸を広辞苑でひくと「生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界。涅槃。」とあります。観念の世界で生死の海を渡ることは難しい、と言うより不可能です。己の肉体を消滅させない限り、その海を渡ることはできません。もし肉体も精神も健全なうちに彼岸へ渡るためには自死するしかありません。私は信仰を持たない人間ですが、死に直面した瞬間に彼岸をどう認識するだろうかと、とても興味があります。

 百余年ほど昔、18歳の旧制一高生が華厳の滝で自死しました。彼の名は藤村操。巌頭の大きなミズナラの樹肌を削って次の「巌頭之感」を書き遺しました。
  
   悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以って
   此の大をはからむとす。ホレーショの哲学竟に何等の
   オーソリティーに価するものぞ。
   萬有の眞相は唯一言にして悉す、曰く、「不可解」。
   我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
   既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
   始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。

 自殺を美化するつもりはありませんが、生と死について考えるときいつも華厳の滝の巌頭からマントを翻して散った少年藤村の姿が浮かんできます。

 帰宅報告のつもりが、何でこんな文章になってしまったのでしょう。旅心いまだ消えず、彼岸ということもあって些かセンチになっているのかもしれません。

        人生は
        アンコールのない
        舞台
        凛と演じて
        颯と散ろう

     (写真はミズナラに書かれた藤村操の「巌頭之感」と華厳の滝)
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by 杜の小径  at 04:21 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑
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