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「成人の日」に思ったこと

    成人式男   成人式女

 今日は、どのテレビ局も各地の成人式の様子を放映していた。酒を飲んで騒ぐ男子、申し合わせたように白いラビットファーの襟巻をした着物姿の女性。何年間も変わらぬ風景である。和服姿の女性はともかく、酔って暴れる男子はごく一部にすぎないだろうに、なぜテレビはあんなショットばかりを拾うのだろう。

「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない」―今朝の朝日新聞社説はフランスの作家ポール・ニザンの著書からこの一節を引用して、成人式を迎えた若者に呼び掛けていた。バブル崩壊の年に生まれ、政治と経済が混迷を極める中で育った若者に一応同情し、でも「君たちには仲間がいる。それと連帯して世の中を変えて欲しい」と結んでいる。
 なかなかの名文だったが、私は二つの点で納得できなかった。一つは、どんな時代に生きても青春は美しいのだ。君たちは不幸な時代に生まれたなどと甘やかす必要はない。また、現代の若者に本当の友達、仲間がいるとは到底思えない。デジタル機器で繋がった人間が世の中を変えるなど、できようはずもない。

               携帯 068

 私が成人式を迎えたとき、天竜川河畔の小さな小学校の助教諭をしていた。要するに代用教員である。自信満々で受けた大学受験に失敗した私の落ち込みようを見て、自殺でもするのではと心配した父が、故郷の村長に頼んでくれたのだった。故郷と言っても私は小学校3年の2学期で転校したので、ほぼ十年ぶりの帰郷だった。私が配属されたのは久根銅山の在る校区で、村内でもいちばん小さな小学校。全校児童は188名、その殆どが鉱山労働者の子どもだった。中学時代から短歌に親しんでいた私は、啄木を気取って着物姿で教壇に立った。(写真)授業も我流、黒板は子どもの届く高さまで下げて落書き自由。教壇は取り払って廊下に出し、そこに子どもたちが集めてきた石や木の実などを並べさせた。時間割は無く、晴れている限り子どもたちを連れて森に入り、そこで全科目を総合した授業をした。こんな生意気な新米教師を、伊藤明広校長はにこにこ笑って見守って下さった。成人式に出席するときも洋服などは持っていないから着物で出席しようとした。見兼ねた校長が前の日に自分の袴を貸して下さったのに、私は袴が恥ずかしくて着流しで出席した。私が老校長の偉大さを思い知ったのは、ずっと後年になってからである。私は師に恵まれていた。佐藤泰舜(印度哲学)、壇一雄(文学)、木俣修(短歌)、宮沢 俊義(憲法)、団藤 重光(刑法)、我妻栄(民法)各先生など、いずれも各界を代表する権威で、その中の何人かは自慢げにこのブログでも紹介してきた。これらの先生が私に大きな影響を与えて下さったことは間違いないが、今にして思えばこの伊藤校長のように、陰で私を支えて下さった方が他にもいた。例えば高校時代に数学担当されていた小山という先生。頑固な性格で生徒からゲジゲジという綽名で呼ばれていた。3年生のとき学校農園で採れた野菜を先生たちが生徒に黙って分配したというので、全校ストライキを行った。それを指揮したのが生徒会長だった私で、学校側の代表が生徒会顧問の小山先生だった。このとき間に入って下さったのが西牟田という先生。この方は海軍兵学校出のバリバリで、豊橋に新設された愛知大学で学び直そうと鹿児島から出て来られ、私の高校で講師のアルバイトをされていた。鹿児島を出るとき前任地の高校の生徒7人が先生を慕って付いてきて、先生と一緒に寮生活をしていた。その話に感激して、私は7人を時どき自宅に招いて酒を振舞ったりしていた。あるとき、放歌高吟しながら寮へ帰る道すがら、酔った一人が商店の看板を蹴飛ばした。どうやら尾行されていたらしく、間髪を入れず警官が現れ8人が一網打尽にされて交番に連れ込まれた。生徒会長が飲酒して乱暴したというので、あわや退学という事件になった。そのときも中に入って収めてくれたのが西牟田先生だった。謂わば学校にとって私は札付きの要注意人物だった。そんな私が卒業式のとき、特別賞という訳の判らない表彰を受けた。周りの同級生からウオーというどよめきが起こったほど、それは意外な出来事だった。数年後、西牟田先生から小山先生亡くなられたことを聞かされた。定年で退職された後、ご自宅で農業をされていたが最近急性されたということだった。「村瀬君、暇をみて墓参りに行ってくれないか」と切り出した先生は意外なことを話された。「実は口止めされていたので黙っていたんだが、あの交番事件のときも、卒業時の特別賞のときも全部、小山先生が動いて下さったんだ。特に特別賞は前例が無いと殆どの職員が反対する中で、このまま卒業させては村瀬は二度と母校に立ち寄らなくなると、泣かんばかりに校長にお願いしていたよ」―私は恥ずかしさで身が竦んだ。知らなかったとはいいながら、小山先生のことは思い出すこともなかった。ご配慮を戴きながら卒業以来、母校を訪ねることは一度もなかった。大袈裟に聞こえるかも知れないが、この二人の先生が私の人間観、人生観を変えて下さった。

 私は自分の人生を振り返って、後悔は無い。金が無くて、お湯に塩を溶かして何日も過ごしたこともある。栄養失調で髪の毛が真っ赤になってしまったこともある。でも、私の青春は人生でもっとも美しいときだったと断言できる。学生運動のさなかでも社会に出てからも、卑劣な裏切りに遭ったこともあった。でも、それは一握りの人で大部分の人は優しく誠実に接してくれた。心を許せる多くの友を得ることもできた。直情径行で融通の利かない欠陥だらけの私だったが、自分の信じる道を真っ直ぐに歩み、自分の利益のために他人を陥れるようなことは絶対にしなかった。

 今日、成人になった人たちに言いたい。自分に嘘をつかない、他人を欺かない―このことさえ守っていれば、人は自分の人生を美しく振り返ることができるのだ、と。周りをよく見ることも大切なことだ。甘言をもって近づく人より寡黙か或いは辛口で近寄りにくい人の中に、意外に信ずるに足る人間が多いものだ。友達や仲間についても、ネットや携帯機器で匿名で繋がる人間を友達と錯覚しないことだ。そんな世界に真の友情は育たない。それから大志を抱く必要は無いよ。世の中を変えるなどという大それたことを考えなくていい。西瓜作りは西瓜を、鍛冶屋は金物を一生懸命作るだけでいい。皆が自分の持ち分を一生懸命にやれば、世の中は自然に良くなるのだ。そういう意味で、頑張って下さい。

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by 杜の小径  at 00:09 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑
Comments

No title

 先生、今年も宜しくお導き下さい。今頃は、白川夜船と思います。今年も二日から初日、川中美幸さんの舞台です。私が輝ける居場所ですが相変わらず忙しい日々です。若かりし青春の日々、私にとっても美しい思い出ばかりが心に残っております。あの頃の純粋な心にもう一度戻りたい。そんな気持ちで、日記を読ませていただきました。削られていくばかりの日々を受け止めながら、焦りを感じながら生きていかなければなりません。先生も、頑張って生きましょう。クラス会、清流荘に決まり。楽しみにお待ち下さい。体調は如何ですか。タカチャンも元気です。風邪などひかぬようご自愛くださいね。
by 勝子 2011/01/14 01:18  URL [ 編集 ]

同窓会、楽しみです

 勝ちゃん、おはよう。お店も順調なようで良かったね。
今まで通り無理をしないで、ゆっくり着実にやりましょう。

 同窓会は久しぶりに佐久間で開催とのこと、楽しみにして
いるよ。案内状の案ができたら、一度見せてくださいね。
 それにしても半世紀以上も経つのに、みんなが楽しみに
集まるなんて、よっぽっど素晴らしい先生だったんだね。(笑)
 じゃあ、またね。崇ちゃんによろしく。
by 杜詩夫 2011/01/14 09:56  URL [ 編集 ]
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