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木曾旅日記 補遺

 11月の半ば、木曽路を旅した折の所管を mixi の日記に発表しました。その中で馬籠に纏わる思い出として山崎豊子の『不毛地帯』の盗作問題に触れました。要するに島崎藤村の『夜明け前』の書き出し部分が秋里籬島の著した『木曾名所図会』にそっくりであると指摘し、これが許されて何故山崎の引用が盗作になるのかという著作権裁判の経緯を紹介しました。その際数名の方から『木曾名所図会』の記述はどうなっているのかとご質問が寄せられましたが、そのときは手許に資料が無くお応えできませんでした。ところがこの度、HP再開記念に小著『作文テキスト』を寄贈することになり旧宅の書庫より同書を取り寄せたところ、図らずも同書付録の「盗作問題」の中で、当該問題をかなり詳しく取り上げていました。以下にその部分を改めて紹介しておきます。

「罪ある者が石を投げる?」-盗作問題(村瀬杜詩夫著『作文塾テキスト』より)

 昭和48年10月21日、朝日新聞は『サンデー毎日』に連載中の山崎豊子の『不毛地帯』を無名作家、今井源治の作品からの盗用であると報じました。その翌日、同紙上で松本清張は「これは無断借用じゃあなく盗用だ。もう弁解の余地無し」と糾弾しました。
 では、ここで問題の『不毛地帯』と盗用されたとする今井源治の『シベリアの歌』の一部を比較してみましょう。

 山崎豊子著『不毛地帯』(昭和48年刊)より抜粋
「列車といっても、十四トン貨車に四十人が詰め込まれ、横になることも出来ないので、自分たちで板切れを集め、二段式の蚕棚を作りました。(中略)下痢患者が蔓延し、(中略)発疹チフス患者が発生したのです。発熱患者は後方の貨車に隔離されましたが、隔離されて戻って来る者は殆んどなく、何人が死に、その死体がどこで下され、どう処理されたかも、われわれは知ることが出来ませんでした。」

 今井源治著『シベリアの歌』(昭和46年刊)より抜粋
「十五トン貨車に四十人も詰め込まれる横にもなれないので、板切を寄せ集めて二段式にした。外からも扉をピンと閉めてガチャリと錠をかけられた。(中略)大抵の者は下痢や風邪に冒されていた。時々、どこかの車両で又、死亡者が出たと伝わって来たが、死体が何処で降ろされどう処分されたかは、貨車に幽閉された私達には知るすべはない。」

 二つの文章はたしかに似ていますが、山崎は「ソ連からの引揚者団体の多くから資料を借りており、同じ体験をしているのだから似るのは当然」と反論しました。
次に別の例を見てみましょう。Aが「引用」した作品、Bが「引用」された作品です。

作品A
「ソ連の機関員は党員で、しかも訓練と教育をうけた経験のあるものでなければならない。英国のシークレットサービスは、親子、孫(ママ)いう深い家系によらなければならぬという鉄則がある。これがソ連と英国の秘密機関の伝統であり、その世界に冠たる所以でもあるのだ。この英国の機関は対米という点ではソ連機関の線とダブっている場合が多い。そこで日暮ーラストウォロフと流れた村井外遊の真相は、英国秘密機関の同時にキャッチ(以下略)」

作品B
「ソ連の機関員は党員で、しかも訓練と教育を受けた経験のある者でなければならない。英国のシークレットサービスは、親子線という深い家系によらなければならぬという鉄則がある。これがソ連と英国の秘密機関の伝統であり、その世界に冠たるゆえんでもあるのだ。この英国の機関は対アメリカという点ではソ連機関の点とダブっている場合が多い。そこで、ソ連機関に流れた川上外遊の真相は英国秘密機関の同時にキャッチ(以下略)」

 文字や読点を少し変えてはいるが、この二つの文章が全く同じであることは誰が見ても明らかである。こんなひどいことをやったのは一体誰でしょう。実はBの文章は『三田和夫の『赤い広場―霞ヶ関』からの抜粋で、Aは山崎豊子を「盗用だ。もう弁解の余地無し」と糾弾した松本清張の『深層海流』からの抜粋です。勿論、『深層海流』のほうが後から書かれたものです。
 次に紹介するのは島崎藤村の『夜明け前』と秋里籬島が文化2年に著した『木曾名所図会』の書き出し部分の抜粋です。

島崎藤村著『夜明け前』の書出し部分
「木曽路はすべて山の中である。 あるところは岨づたいに行く崖の道であり、 あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、 あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。 一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」

『木曾名所図会』の書き出し部分
「木曽路はみな山中なり。名にしおふ深山幽谷にて、岨づたいに行く崖路多し。就中、三留野より野尻までの間、はなはだ危き道なり。此間左は数十間、深き木曽川に、路の狭き所は木を伐りて、わたして並べ、藤かづらにてからめ、街道の狭きを補ふ。」

  以上に挙げた資料は全て山崎豊子が朝日新聞社に対して名誉回復を求めて争った裁判で山崎側が提出した資料の一部です。「山崎の資料収集を盗作と言うのなら、大作家たちにも盗作者の汚名を着せなければならない」という主張が認められ、4年に及ぶ裁判は朝日側が“遺憾の意”を表明するという、実質的には山崎側の勝利に終わりました。
 いろいろな文学賞の候補に挙がりながら、盗作を疑われて入賞を逸したという例も少なくありません。もの書きを志す方は、以って他山の石として欲しいものです。

  
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by 杜の小径  at 19:02 |  《お知らせ》 |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑
Comments

おめでとうございます

「杜の小径」の再開、嬉しいです。これから楽しみに拝見します。節からも宜しくとのことです。
by 小笠原郁子 2007/12/11 13:36  URL [ 編集 ]

お久しぶりです

 郁子さん、しばらくです。そちらはもう雪が降りましたか。
 来年は、ぜひ歌集を出しましょうね。お力になりますよ。
by 杜詩夫 2007/12/14 22:25  URL [ 編集 ]
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