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雨の日は想い乱れて…

ウノハナ


虎が雨


虎御前像


 朝からの雨催いの空。こんなは想い乱れ、書くことも便旋佇立して纏まらない。どう展開して、どんな結論に至るのか自分でも判らない。お覚悟のうえで読み進んでいただきたい。
 ヴェルレーヌに「Il pleure dans mon coeur」という雨の詩がある。
   Il pleure dans mon coeur
   Comme il pleut sur la ville ;
   Quelle est cette langueur
   Qui pénètre mon coeur
 
 堀口大学の訳詩『無言の恋歌』で有名だから、どなたでもご存知だろう。
   巷に雨の降る如く
   我の心に涙ふる
   かくも心に滲み入る
   この悲しみは何ならん

 若い方には金子光晴訳の「言葉無き恋歌」ほうが耳に馴染んでいるかもしれない。
   巷に雨の降るごとく
   わが心にも涙ふる。
   かくも心ににじみ入る
   このかなしみは何やらん?
  
 これが城之内ミサの歌になると題名が「心の雨」に変わり、歌詞は次のようになる。
   都に雨が降るように
   涙が私の心に流れるように
   雨はやさしく街角に降る
   この心に染み入るような
   やるせない想いは何なのだろう?

 上の例で解るように、訳者や時代によってニュアンスに多少の違いはあっても大意は変わらない。原詩はフランス語だが、これに限らず外国の詩を日本語に訳すのは、そんなに難しいことではない。それは外国語では単語(word)の内包が単純、換言すれば或る事物や現象を示す語彙が少ないからである。ところが全く逆の意味で、日本の詩歌を外国語に訳すことは極めて難しい。と言うより不可能に近い。早い話が「あなた」は英語では「you」一語で片付くが、日本語では「きみ」「そなた」「あんた」「おまえ」など百を超える呼び方がある。雨にしても英語では「rain」ぐらいで、「wet」は下に別の言葉を付けて「~weather」としなければ意味が通じない。せいぜい俄か雨を「shower」と言うぐらいだろうか。
 むかし或る人が「日本の短詩で世界を制覇する」と言い出した。酒席での戯言かと思っていたら周りの茶坊主どもが「先生、素晴らしい」などと持ち上げたものだから、すっかりその気になってしまった。お気の毒なことであった。

 さっき英語で雨は「rain」ぐらいと書いたが、日本語では季節によって様ざまな呼び方がある。これを外国語で、どう訳すというのだろう。
 もう立夏を過ぎたから「夏の雨」である。若葉を濡らして降るから「緑雨」ともいう。明治時代の評論家・作家に斎藤緑雨という人がいた。「恋は親切をもって成立す、引力なり。不親切をもって持続す、弾力なり。疑惑は恋の要件なり」とは彼の言葉。(閑話Ⅰ)

   夏の雨 埴輪は土に還りたし (杜)

 最初にお断りしておくが、これを含めて私の創る句は俳句ではない。全て一行詩と自分では呼んでいる。
 暦のうえでは入梅は6月に入ってからだが、予報では今週いっぱいは雨模様の天気が続くようだ。都会の人には鬱陶しい雨も、田舎で作物を育てている人には恵みの雨、「喜雨」である。薬師寺の散華には熊谷守一の絵「喜雨」が使われている。(閑話Ⅱ)
  
   苗も子どもも濡れて 喜雨の中(杜)
 
 5月の雨には俳人でないと解らない変わった呼び方がある。そのひとつが「卯の花腐し(くたし)」。陰暦4月を「卯の花月」と言い、その頃に降る雨だからである。初夏の代表的な花、卯の花をまるで腐らせるように降る雨という意味である。『万葉集』には卯の花を詠ったものが24首あり、その中に「春去者 宇乃花具多思 吾越之 妹我垣間者 荒来鴨(春されば、卯の花ぐたし、我が越えし、妹(いも)が垣間は、荒れにけるかも)」という作者未詳の作品がある。多分それから出た季語であろうが、この歌の意味は(卯の花を踏みしだいで山を越えて訪ねてきたのに、恋しいあの娘は引っ越してしまったらしく荒れた垣根しか残っていない)という意味で、初句の「くだし」は「腐し」の意味ではない。俳人たちよ、しっかりしてくれ。(閑話Ⅲ)

 もっと解らないのが「虎が雨」(虎が涙とも)である。5月になると虎が雨のような涙を流すという意味ではない。話は長くなるが、建久4年(1193)5月28日、源頼朝が行った富士の巻狩の陣屋で曽我十郎・五郎は親の敵工藤祐経を討ち果たす。しかし逃げる途中、兄十郎は斬殺され、五郎も捕らえられて後日、斬首の刑に処せられる。「一に富士、二に鷹の羽のぶっ違い、三に名を成す伊賀の仇討」という初夢縁起にかけたフレーズは日本三大仇討のことで、ニは赤穂浪士の討ち入り、三は荒木又右衛門の伊賀上野での仇討。そしてトップが曽我兄弟の仇討で、それほど有名なじけんだった。兄十郎には大磯の遊女で虎御前という愛人がいたが十郎の死を聞いて嘆き悲しみ、剃髪して諸国行脚の旅に出る。この話は浄瑠璃や芝居にもなり、やがて人々はこの日に降る雨を「虎が雨」(虎が涙とも)とよぶようになったというわけ。『吾妻鏡』には「雷雨鼓を打ち」という記述があるからの仇討ち当日が雷雨であったことは確かなようだが、虎御前の話が史実かどうかは判らない。しかし「虎が雨」に大衆の想いが籠められていることは間違いない。こんなvogabulary は外国には無い。これも rain 一語で済まそうというのだろうか。
 なお、大磯には虎御前ゆかりの延台寺が今も残り、虎御前の出自を次のように伝えている。地元の山下という長者が子供に恵まれなかったので虎池弁財天に祈願したところ、或る朝のこと枕元に小石が置かれていた。それを仏壇に安置して祈っているうちに内儀が身ごもり、安元元年(1175年)正月、虎の日、虎の刻に女児を出産した。長者はそれに因み虎と名づけた。不思議なことに石は虎女と共に大きくなり、「生きている石」安産子授けの御霊石として崇められ、屋敷の中に祠を作って祀られた。この虎女こそ、後に舞の名手、虎御前となるというもので、遊女だったという巷説とは違っっている。(閑話Ⅳ)

     (写真は上から卯の花、広重描く「大磯 虎が雨」、延台寺の虎御前増)

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