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季節の花ーニセアカシアー

アカシア


ニセアカシア


 マイ・ミクシーのtokoさんが今日のの日記でアカシアのことを書いている。これは和名で槐(エンジュ)というが、アカシアのほうがポピュラーであろう。tokoさんは一行詩人でもあり、「襟立ててアカシアの雨口ずさむ」の詩に添えて「?十年前に一世を風靡した西田佐知子の歌を思い出す」と書かれている。少し鼻にかかったハスキーな歌声は、私にも懐かしく思い出される。松任谷由実(ユーミン)には「Acacia」の曲があるが、これは能登を訪れたとき見たニセアカシアがヒントになっているらしい。ニセアカシアは針槐(ハリエンジュ)のことで、葉の基部に針状のトゲを持つ。日本では両者が混同されることが多く、有名な札幌のアカシア並木も実はニセアカシアである。
 
 若いころ西武線中井駅の近くに住んだことがある。此処は尾崎一雄の『なめくじ横丁』の舞台になった処で、決して高級住宅街ではないが不思議に文士が多く集まっていた。同書から綺羅星のような作家を拾ってみると…まず尾崎一雄が住んでいる部屋が壇一雄が借りている家の一階で、そこに集まってくる仲間が浅見渕、丹羽文雄、田畑修一郎、中谷孝雄、外村繁、中島直人、木山捷平、光田文雄、古谷綱武、古谷綱正。これは『なめくじ横丁』には書いてないが、当時、古谷綱武は比較的裕福で、この近くに自宅を持っていた。すでに弟の綱正はジャーナリストとして独立、妹の文子も新劇俳優の滝沢修と結婚していたから、古谷の家には大鹿卓、太宰治、古木鉄太郎などが頻繁に集まった。そして古谷が実質的に発行していた『海豹』から太宰治、木山捷平が文壇デビューすることになる。    
 
 再び尾崎の『なめくじ横丁』に戻る。尾崎一雄の家の向かいに引っ越してくるのが上野壮夫で、そこに集まるのが、本庄陸男、平林彪吾、小熊秀雄、亀井勝一郎、加藤悦郎、吉原義彦、神近市子、矢田津世子、横田文子、若林つや子、平林英子など。他にも井伏鱒二、坂口安吾、滝井孝作、佐藤春夫、里見、菊池寛などの名前も出てくる。
 私が住んだころには綺羅星たちは既に文壇の大家となり「ナメクジ横丁」に住む文士は無く、草野心平がやっていたという伝説の飲み屋「火の車」跡は数坪の叢と化していた。ただ横丁を見下ろす高台には、通称吉屋御殿と呼ばれる吉屋信子邸が当時も辺りを睥睨していた。大風が吹くと桶屋が儲かる式の展開になってしまったが、話しをニセアカシアに戻すことにする。…この「なめくじ横丁」を跨ぐように環状6号線(通称山手通り)が走っている。その歩道に沿ってニセアカシアの並木が植えられており、毎年夏が来ると房状の花をつけていた。いつの頃からか、この花を見るたびに私の脳裡には大連の街並みが浮かぶようになっていた。そればかりではない。空想の中の私は大鋏で花の幾房を切り取り、天麩羅に揚げていた。もちろん私は大連育ちでは無いし、大連へ旅したことも無い。中国大陸を放浪したことのある師の檀一雄から聞いたのだろうか、それとも『アカシアの大連』を書いた清岡卓行か大連生まれの遠藤周作か千田夏光のエッセイでも読んだのだろうか。とにかくアカシアの花を見る度に条件反射のように大連の街並みと天麩羅のシーンが浮かんでくるのである。
 ある日私は夢の中の出来事を遂に実行した。夜半、山手通りに出掛け、幾房かの花を切り取ってきた。そして念願の天麩羅に揚げた。ガリッとした山菜のような食感を期待したが、実際は違った。幽かに花の香りがしたが、うどんを固めたようなぐにゃっとした食感は私の好みには遠かった。それ以来、ニセアカシアの花を見ても大連の街並みも天麩羅も浮かんでこなくなった。もちろん花盗人からもあの一回だけで足を洗った。
              
      道尽きてサルビア そして海となり  (杜)
      
      花槐(えんじゅ) 喪服吊るせし窓の外  (杜) 
      
      アカシアや満州といふ國ありき  (杜)
         


             (写真はアカシアとニセアカシアの花)






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by 杜の小径  at 20:29 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑
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