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大寒雑感

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   悠久は斯くの如しか寒の月(杜詩夫)
 
   大寒の足にまつはる跫の音( 〃 )

 きのうと同じように、月を見ながら歩く。大気が澄んでいるせいか月は大きく見え、輝きも強い。目を凝らせば満天の星なのだが、あまりに月の光が強いので目に入るのは南天の金星ぐらいだ。「月輪輝きを増して群星息を潜む」の詩句が浮かぶ。
 きょうは暦の上では大寒、字義では1年のうちで最も寒い日である。街路に零れた水が白く凍り付いているので地表の温度は今季いちばんの低さ、恐らく零下2℃くらいであろうか。だが、風が全く無いので、体感温度は意外に暖かだ。この日を俗に寒の底と謂う。あと半月で春、立春が来る。

   風寒霜白五更堤  風寒くして霜白し 五更の堤
   遊歩案詩不堪愁  遊歩して詩を案ずれば愁堪えず
   怱忙些事如流水  怱忙たる些事は流水の如し
   孤鴨一声大寒天  孤鴨一声 大寒の天

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 西北の空へ沈む月を追い掛けるように、今朝は鞍骨橋を渡って国分寺へ向かう。東経大の敷地で珍しいものを見つけた。シモバシラだ。地表にできる霜柱は珍しくもないが、これは植物のシモバシラ。シソ科の多年草で、夏に写真のような白い花をつける。茎は四角形(シソの茎を想像されたい)、厳冬期に或る条件が整うと写真のように根元に霜柱を生じる。茎は枯れても根は生きているので、根が吸い上げた水分は枯れた茎に上がってくるのだが、気温が下がるとそれが凍って白い霜柱となる。だが、いっぺんに気温が下がると根も凍るから茎に水分が上がらず霜柱はできない。草は見つけても、霜柱を付けた状態を見るのは珍しい。朝日が出て気温が上がれば忽ち消えてしまう。急いでカメラを取りに戻る。

   シモバシラてふ草を撮る霜の朝(杜詩夫)





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ウォーキング随想―いざ言問わん都鳥

              野川公園

 久しぶりに、大きく美しい月を見た。正確な月齢は判らないが、望月に近い。きのうは前夜遅くまでにサッカーの中継を観ていたため寝坊して、sタートが1時間ほど遅れてしまった。たぶん月は出ていたであろうが、野川河畔はやゝ低くなっているので午前5時を過ぎると、月は武蔵段丘に隠れて見えなってしまう。その代わり、野川に集う野鳥たちは具に観察できる。普段は時どき聞こえるけたたましい鳴き声デカルガモなどがいることは判るが、暁闇の中では姿は観ることができない。この辺りは野川も源流に近く、水源は湧水いに限られるから厳冬期出も凍結することが無い。水中の餌を獲りやすいし、猫などの天敵に襲われる危険も少ない。だから野鳥が集まるのであろう。

 ここに越してきた当初、幅数㍍の小さな川が一級河川杜いうので驚いた。土地の人に事情を聞くと、昔はたいへんな暴れ川で雨季には沿岸の農地がたびたび冠水したので、維持・管理を国が所管する一級河川にしていされたのだという。野川の最大の水源は、現在は日立製作所中央研究所になっている処である。現在も庭園の大池には毎分1万㍑の湧水が流れ込んでいるそうで、昔は国分寺村恋ヶ窪と呼ばれる湧水湿地帯であった。他の水源も自然のままに放置されていたので、雨季になると生活排水も併せて大きな水害を齎したようだ。

    日立   真姿の池

    殿ヶ谷戸庭園   貫井神社湧水

    滄浪泉園の池   野川公園の湧水

 この付近の主な湧水は前記の日立研究所の大池(写真上左)、国分寺真姿池(同右)、殿ヶ谷戸庭園(写真中左)貫井神社弁天洞(同右)、滄浪泉園(写真下左)、野川公園湧水(同右)などだが、いずれも誘水路が整備されている。

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 汚水が入らないから湧水の流れ込み口には野生のクレソンが茂り、夏にはザリガニ、クチボソ、フナなどを獲る子どもたちの格好の遊び場となっている。市営水道の80%は湧水を汲み上げており、夏でも冷たい水を飲むことができる。

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 前置きが長くなってしまったが、昨日はユリカモメを目撃した。初めは信じられなかったが、冬毛の白い頭、褐色の頸、赤い嘴と脚は間違いなくユリカモメだった。野川は野鳥のサンクチュアリもあるほどで、都内から野鳥観察に来る人も多いが、ユリカモメは初めて観た。この鳥は別名を都鳥と言い、海鳥である。在原業平が武蔵を旅した折、今の隅田川の畔で美しい鳥が群れているのを見掛けて名を尋ねた。お付きの者が都鳥と答えると、「名にし負はば いざ言問はむ都鳥 我が思ふ人は ありやなしやと」と詠んだ。都鳥というからには都のことには詳しいであろう。では聞くが、私が思い焦がれている方は今もご健在だろうかという意味である。この伝承から浅草待乳山から隅田公園に至る橋には言問橋という名が付けられたという。(閑話休題)
 
 そこで、ユリカモメに聞いてみた。「いざ、言問わんユリカモメ、おまえはカモメの仲間なのに、どうして海から遠い こんな処に棲んでいるんだ?」と。するとユリカモメ曰く。「棲んではいませんよ。わたし、東京湾から毎日通勤してるんです」だって…。まあ、これは冗談だが、通勤はまんざら嘘ではないらしい。野鳥に詳しい友人に電話したら、「野川にユリカモメがいても不思議じゃあないですよ。井の頭公園には毎日数十羽の群れが来てますよ。みんな東京湾から通勤です。ゆりかもめ線お台場海浜公園駅から中央線吉祥寺駅までの定期券持ってますよ」…もちろん、後半は嘘です。だが、朝早く東京湾を飛び立って、夕方日没前に帰って行くらしい。井の頭公園では餌をやる人もいるらしく、年々飛来数が増えているという。

 





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初釜

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   初釜の一扇固く帯に挿し(杜詩夫)

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 昨年は脚を悪くして正坐できないので茶会を殆ど欠席したが、初釜だけはと達てのお誘いを戴き出席することにした。午後に国分寺で会食するというので、会場は市の南センターの茶室。藤井宗富宗匠から歌会始のお題「葉」の透かしの入った年賀の懐紙を戴く。掛軸は大徳寺管長の「松無古今色」、主菓子は初釜に合わせて「花びら餅」が用意されていた。
 これは正式には菱葩餅(ひしはなびらもち)と謂い、ごぼうと白味噌餡をピンク色の餅で包んだ和菓子である。平安時代の新年の宮中行事「歯固めの儀式」を簡略化したもので、600年にわたり宮中に伝わるお節料理を模したものという。

 茶会の様式も、今日は特別に「濃普」。普通の茶会は一椀ずつの「お薄」だが、濃茶では一椀の茶を回し飲む。茶葉も上等の物を使い、量も多い。薄茶は点てると言うが濃茶では練ると言う通り時間を掛けて練り上げる。従って数人で飲み終わったあと椀底に残った滓で薄茶が一服点てられると言われるほど濃い。椀底に袱紗を当てて飲むなど、作法も独特である。

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by 杜の小径  at 01:26 |  日記 |  comment (0)  |   |  page top ↑

「成人の日」に思ったこと

    成人式男   成人式女

 今日は、どのテレビ局も各地の成人式の様子を放映していた。酒を飲んで騒ぐ男子、申し合わせたように白いラビットファーの襟巻をした着物姿の女性。何年間も変わらぬ風景である。和服姿の女性はともかく、酔って暴れる男子はごく一部にすぎないだろうに、なぜテレビはあんなショットばかりを拾うのだろう。

「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない」―今朝の朝日新聞社説はフランスの作家ポール・ニザンの著書からこの一節を引用して、成人式を迎えた若者に呼び掛けていた。バブル崩壊の年に生まれ、政治と経済が混迷を極める中で育った若者に一応同情し、でも「君たちには仲間がいる。それと連帯して世の中を変えて欲しい」と結んでいる。
 なかなかの名文だったが、私は二つの点で納得できなかった。一つは、どんな時代に生きても青春は美しいのだ。君たちは不幸な時代に生まれたなどと甘やかす必要はない。また、現代の若者に本当の友達、仲間がいるとは到底思えない。デジタル機器で繋がった人間が世の中を変えるなど、できようはずもない。

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 私が成人式を迎えたとき、天竜川河畔の小さな小学校の助教諭をしていた。要するに代用教員である。自信満々で受けた大学受験に失敗した私の落ち込みようを見て、自殺でもするのではと心配した父が、故郷の村長に頼んでくれたのだった。故郷と言っても私は小学校3年の2学期で転校したので、ほぼ十年ぶりの帰郷だった。私が配属されたのは久根銅山の在る校区で、村内でもいちばん小さな小学校。全校児童は188名、その殆どが鉱山労働者の子どもだった。中学時代から短歌に親しんでいた私は、啄木を気取って着物姿で教壇に立った。(写真)授業も我流、黒板は子どもの届く高さまで下げて落書き自由。教壇は取り払って廊下に出し、そこに子どもたちが集めてきた石や木の実などを並べさせた。時間割は無く、晴れている限り子どもたちを連れて森に入り、そこで全科目を総合した授業をした。こんな生意気な新米教師を、伊藤明広校長はにこにこ笑って見守って下さった。成人式に出席するときも洋服などは持っていないから着物で出席しようとした。見兼ねた校長が前の日に自分の袴を貸して下さったのに、私は袴が恥ずかしくて着流しで出席した。私が老校長の偉大さを思い知ったのは、ずっと後年になってからである。私は師に恵まれていた。佐藤泰舜(印度哲学)、壇一雄(文学)、木俣修(短歌)、宮沢 俊義(憲法)、団藤 重光(刑法)、我妻栄(民法)各先生など、いずれも各界を代表する権威で、その中の何人かは自慢げにこのブログでも紹介してきた。これらの先生が私に大きな影響を与えて下さったことは間違いないが、今にして思えばこの伊藤校長のように、陰で私を支えて下さった方が他にもいた。例えば高校時代に数学担当されていた小山という先生。頑固な性格で生徒からゲジゲジという綽名で呼ばれていた。3年生のとき学校農園で採れた野菜を先生たちが生徒に黙って分配したというので、全校ストライキを行った。それを指揮したのが生徒会長だった私で、学校側の代表が生徒会顧問の小山先生だった。このとき間に入って下さったのが西牟田という先生。この方は海軍兵学校出のバリバリで、豊橋に新設された愛知大学で学び直そうと鹿児島から出て来られ、私の高校で講師のアルバイトをされていた。鹿児島を出るとき前任地の高校の生徒7人が先生を慕って付いてきて、先生と一緒に寮生活をしていた。その話に感激して、私は7人を時どき自宅に招いて酒を振舞ったりしていた。あるとき、放歌高吟しながら寮へ帰る道すがら、酔った一人が商店の看板を蹴飛ばした。どうやら尾行されていたらしく、間髪を入れず警官が現れ8人が一網打尽にされて交番に連れ込まれた。生徒会長が飲酒して乱暴したというので、あわや退学という事件になった。そのときも中に入って収めてくれたのが西牟田先生だった。謂わば学校にとって私は札付きの要注意人物だった。そんな私が卒業式のとき、特別賞という訳の判らない表彰を受けた。周りの同級生からウオーというどよめきが起こったほど、それは意外な出来事だった。数年後、西牟田先生から小山先生亡くなられたことを聞かされた。定年で退職された後、ご自宅で農業をされていたが最近急性されたということだった。「村瀬君、暇をみて墓参りに行ってくれないか」と切り出した先生は意外なことを話された。「実は口止めされていたので黙っていたんだが、あの交番事件のときも、卒業時の特別賞のときも全部、小山先生が動いて下さったんだ。特に特別賞は前例が無いと殆どの職員が反対する中で、このまま卒業させては村瀬は二度と母校に立ち寄らなくなると、泣かんばかりに校長にお願いしていたよ」―私は恥ずかしさで身が竦んだ。知らなかったとはいいながら、小山先生のことは思い出すこともなかった。ご配慮を戴きながら卒業以来、母校を訪ねることは一度もなかった。大袈裟に聞こえるかも知れないが、この二人の先生が私の人間観、人生観を変えて下さった。

 私は自分の人生を振り返って、後悔は無い。金が無くて、お湯に塩を溶かして何日も過ごしたこともある。栄養失調で髪の毛が真っ赤になってしまったこともある。でも、私の青春は人生でもっとも美しいときだったと断言できる。学生運動のさなかでも社会に出てからも、卑劣な裏切りに遭ったこともあった。でも、それは一握りの人で大部分の人は優しく誠実に接してくれた。心を許せる多くの友を得ることもできた。直情径行で融通の利かない欠陥だらけの私だったが、自分の信じる道を真っ直ぐに歩み、自分の利益のために他人を陥れるようなことは絶対にしなかった。

 今日、成人になった人たちに言いたい。自分に嘘をつかない、他人を欺かない―このことさえ守っていれば、人は自分の人生を美しく振り返ることができるのだ、と。周りをよく見ることも大切なことだ。甘言をもって近づく人より寡黙か或いは辛口で近寄りにくい人の中に、意外に信ずるに足る人間が多いものだ。友達や仲間についても、ネットや携帯機器で匿名で繋がる人間を友達と錯覚しないことだ。そんな世界に真の友情は育たない。それから大志を抱く必要は無いよ。世の中を変えるなどという大それたことを考えなくていい。西瓜作りは西瓜を、鍛冶屋は金物を一生懸命作るだけでいい。皆が自分の持ち分を一生懸命にやれば、世の中は自然に良くなるのだ。そういう意味で、頑張って下さい。






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by 杜の小径  at 00:09 |  日記 |  comment (2)  |   |  page top ↑

バクさんを悼む

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 ダークダックスのバクさんこと、高見澤 宏(たかみざわ ひろむ)さんが、7日午後1時53分、心不全のため神奈川県藤沢市の自宅で亡くなられた。享年77歳。心からご冥福を祈る。(写真左端が高見沢さん)

               コピー ~ マーシャ
 
 私事になるが、バクさんとは忘れられない思い出がある。もう40年も昔になるが、内村剛介さんと共訳でユダヤ少女の手記『マーシャの日記』(雪書房・集英社刊)(写真)を上梓した。共訳と言っても私はロシア語はできないから、内村さんが口述する直訳を私が速記して日本語訳としたものである。実は『マーシャの日記』は創刊する三省堂文庫で出版が予定されていた。内村さんはそれを『生き急ぐ』という書き下ろしに差し替えてくれたもので、私としては何としてもヒットさせたかった。宣伝の一つとして主題歌を作ろうということになり、最初は加藤登紀子さんに依頼した。これは登紀子さんのお父さんが内村さんと大学が同期で親交があったからだっただが、多忙を理由に断られてしまった。その代わりに白羽の矢を立てたのがダークダックスだった。どういう繋がりだったか忘れたが、たぶん内村さんの人脈だったと思う。当時の金井事務所に何回も足を運んでいるうちにメンバーとも親しくなり、特にバクさんとは同県人で同じ山男ということもあって話が合った。しかも奥さんの兄さんに当たる萬屋錦之介さんが、私の親戚が経営する射撃場付きペンションの常連客であることが判りいっそう親しくなった。

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 やがて歌詞は私、曲は佐々木勉というコンビでA面「マーシャの日記」B面「旅立つ人」(キングレコード)の発売が決まった。(写真)作詞はともかく佐々木さんは百恵ちゃんや郁恵ちゃんなどに楽曲を提供している売れっ子のシンガーソングライターで、編曲も熊坂明さんが担当するという豪華な顔ぶれだった。これが話題を呼び、人気番組の「小川宏シュー」などでも特番を組んでくれた。そのせいもあってか本は全国学校図書館協会の推薦図書に指定され、中学校社会科の副読本にも採用された。佐々木勉さんは既に亡くなり、内村さんも2年前に他界、今またバクさんが逝ってしまった。心からご冥福をお祈りする。
今後のダークのことが心配で、関係者に尋ねてみた。実は昨年2月にバクさんが倒れてから、ダークと縁が深くステージ競演も多いしゅう・さえこさんををゲストボーカルに招き「ダークダックスwithしゅう・さえこ」というユニットを結成し活動しており(さえこさんがバクさんのパートを担当)、今後もこの形を続けるのではないかということだった。ちなみにしゅう・さえこさんは、本名が村田佐枝子。歌手、作詞・作曲家で、東京芸大卒。NHKテレビで「うたのおねえさん」として長く活躍されていた。






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近事片々―小寒・七日粥異聞 

                 竹

    晩節の竹青々と寒に入る
   
    りし水差の釉に寒の色

    寒の夜まだ生きてゐる海老喰らふ

    来し方を木々の閉ざして寒の入り

 今日は小寒。これも季語だが、俳句の世界では「寒の入り」として詠むことが多い。この日から2月始めの「寒明け」までの凡そ1ヶ月間を「寒中」もしくは「寒の内」と謂う。
 寒の入りとはよくも言ったもので、今朝の寒さは今期いちばん。おそらく2℃近くまで下がっていただろう。そんな寒さの中でも、竹は健気にはを茂らせている。自分に護るべき晩節があると自惚れてはいないが、頓に気力の衰えた自分が叱咤されているような気持ちになる。何とかしなくては…。余談になるが、竹も落葉する。但し、それは秋ではなく春。だから「竹の秋」は春の季語である。麦の刈り入れをする初夏を「麦の秋」「麦秋」と呼ぶのと同じである。

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 昨夕、陶芸家の小笠原晃悦さんが年賀にみえた。客臘、知人のコンサートに招待した返礼だと水指(写真)を造って下さった。胴の膨らみ、蓋の形、釉の垂れ具合が上品で一目で気に入った。彼は仏像彫刻が本職で陶芸は余技と仰るが、一芸を極めた人は何をやっても心に響くものを創られる。七草粥が近いからと、赤蕪と五穀米も持参して下さった。

 このところ凝った調理をしていないので、久しぶりに厨房に立った。作るのは七草粥。N HKの「あさいち」で作り方を放映したのだが、最初のほうを見逃した。ダシに裂きイカを使うのがミソで、ゲストガ「フカヒレみたい」というのを聞いて「よし、やってみよう」と思い立った。だからレシピの90%は我流、我夢流である。その概要は、以下の通り。
 ①地鶏1羽を10分間煮て、最初の煮汁は捨てる。②水を換えてトロ火で2時間煮る。
③米をとぎ、お湯炊き10分後に取り出して水でヌメリを除る。④それを木綿の袋に入れてスリコギで叩く。⑤再び水洗いしてから②のダシ汁に醤油、酒を加え、トロ火で40分炊く。この時3㌢大に刻んだ裂きイカを加える。⑥七草は軽く塩茹でして刻んでおき、食べる寸前に薬味のように粥に混ぜる。決して一緒に煮込まないこと。ダシを取った後の地鶏は、辛子醤油で食べると美味しい。

 今回は米2合で作ったのだが、出来上がってみると驚くほどの量に増え、5合炊きの炊飯器一杯になってしまった。大体私は粥とか雑炊などの柔らかいものは嫌いだから作ったことが無い。一瞬、娘の顔が浮かんだが電話する気にならない。実を言うと、最近娘とは良好な関係に無い。暮に怪我をしたとき見舞いにも来ない薄情ぶりに腹が立って、年末恒例の会食も断って穂高へ行ってしまった。30分経過。捨てるわけにもいかないから、思い切って電話する。「明日は七草粥だけど、用意した?」「しないよ」「じゃあ、作ってあげるから取りにおいで」「いらない。ウチはお粥は嫌いだから」「・・・・」一瞬の沈黙の間に、テキはこっちの事情を察したらしい。「じゃあ、1時間くらい待って。貰いに行く。少しだけにしてね」―こっちの腹を見透かしたような口振りが癪に障るが、ここは隠忍自重のしどころだ。考えた末に、惜しいが秘蔵ノカラスミを使うことにした。丸々1本を小口切りして釜の表面が隠れるほどぎっしり並べた。渡すときの台詞も考えておいた。「これは、損所其処らの七草粥と違うぞ。清朝の宮廷料理だ。西太后が食べてたんだ」―とにかく娘に渡すことには成功した。
 一時間後、娘から電話。(少し抑えた声で…)「オ イ シ カ ッ タ ヨ !」此処で終われば気が済んだのに…。最後の一言が気に喰わない。「カラスミいっぱい使ったんだねぇ。できることならカラスミのまま戴きたかったワ」…ホントにアイツは癪に障る。どんな親に育てられたんだ! イケネェ。親はオレだった。
 
    嫁がせし娘(こ)にも頒ちて七日粥





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